両親との再会
辺りを見回すと、入口に笑顔の師匠が立っている。彼女は紫のワンピースに着替え、仕事用のカバンを右腕に掛けていた。ジェイドと同じ指輪をはめているのは、うさぎが居ると聞いて付けて来たのだろう。
私は目を見開き、こちらに歩いてくる師匠へ問いかけた。
「ラズリ様は、私が誰なのか知ってたんですか!?」
「ええ。知っていたわ」
「じゃあ、どうして私を城へ帰さなかったんですか?」
「頼まれたのよ。プレシアの国王様に」
「お父様に?」
「ええ。八年前、塔から落ちて死にかけた貴方を、わたくしは救った。その時に国王様から、無くした記憶を取り戻してほしいと依頼されたの。けれど魔術で記憶を無理に呼び覚ますのは、患者の精神的負担が大きい。だから貴方と一緒に暮らしつつ、自然に記憶が戻るのを待っていたのよ」
「十二の時から八年。ということは、私ほんとは二十才ですよね?記憶喪失になった理由も、名前も嘘だったし。どうして何も教えてくれなかったんですか?」
「誕生会の一件が事故じゃなく、暗殺の可能性もあったからよ。だから貴方が再び狙われたりしないよう、真実を隠したの。世間には『不幸な転落事故死』と発表してね」
「そうだったんですか」
だからジェイドもマディラも、私が事故で死んだと思っていたのね……。
実際、私が生きていたと知ったら、あの子はまた私を殺そうとしただろう。そう考えると、師匠の判断は正しかったと言える。
私が納得して鼻先を動かすと、師匠はベッドの前に来て、ゆるりとひざまずいた。
「ネフィリティス殿下。大切な記憶が全て戻ったのなら、わたくしの医師としての役目は終わりです。貴方はプレシア城へ帰らねばなりません」
「え?じゃあ私、ラズリ様の家から出ていかなきゃダメなんですか?」
「そうなりますね。貴方はただの平民ではなく、王女ですから。今後は城で、その身分にふさわしい暮らしをすることになるでしょう」
嘘でしょ。エルージュ王国を出る?ジェイドやラズリ様、カーネリアンと、お別れしなきゃいけないの?
私はショックで黙りこんだ。急に城へ戻れと言われても、気持ちが全然追いつかない。そんな私の状態を察したのか、師匠はふわふわの背中に手を添え、慰めるように告げた。
「ケガが治ったら、一緒にプレシア王国へ行きましょう。ご両親が貴方の帰りを待っていますよ」
──二週間後の朝。ケガの治った私は、うさぎから人間に戻してもらい、プレシア王国へとやって来た。
白を基調とした豪奢な謁見の間に通された私と師匠。彼女は紫のワンピース、私はカーキ色のチュニック姿だ。
正面の高台には、お父様とお母様が並んで上等な椅子に座っている。お母様は私と同じで、金髪と緑の瞳を持っていた。八年ぶりだからか、二人と顔を合わせるのが、やたら緊張する。
兵士たちは外で待つよう言われているらしく、誰も居ない。私と師匠が礼をすると、お父様は深みのある低い声を部屋に響かせた。
「ネフィリティス。よくぞここへ戻った。記憶を全て取り戻したと聞いているが、それはまことか?」
「はい。この城で過ごした十二年間のこと、全部思い出しました」
「そうか、そうか。余はそなたが元に戻って嬉しいぞ」
「あの日、大ケガをした貴方が、こうしてここに帰ってきてくれたなんて、夢のようだわ」
「ありがとうございます。ご心配をおかけしました」
私は礼儀正しく頭を下げた。冷たく叱責された記憶しかない両親。しかし今、目の前にいる彼らは、穏やかで温かい感じがした。
お父様とお母様に、本心を話していいかしら。また「わがままを言うな!」と、怒鳴られてしまうかしら。
私はぐるぐると考えを巡らせていた。
昔に受けた心の傷が、ズキズキと痛んでいる。また否定されたらと思うと、動けなくなりそうだ。
でも、ちゃんと伝えなきゃいけない。私はどんな時でも自分に正直でいたいから。こんな私を、ジェイドは好きになってくれたから。
負けられない。勇気を出して、頑張らなきゃ。
「む?ネフィリティスよ。どうしたのだ?そんなに怖い顔をして」
お父様が眉を寄せて聞く。私は不安を押し殺して、二人をきつく見据えた。
「お父様。お母様。私はこのままヒスイとして、エルージュの町で暮らしていってはいけませんか?」
「何ですって?ではここにはもう帰って来ないと言うの?」
お母様がさっと顔色を変える。私がうなずくと、お父様は前のめりになって疑問をぶつけた。
「何故だ、ネフィリティス。せっかく記憶が戻ったというのに。理由を述べよ」
「私は今、ラズリ様のところで、薬草や薬の調合などを勉強しています。それを中途半端なところで投げ出したくない。それから私は、向こうでの自由な生活が好きなのです。自分のことは自分で決められるし、私らしく居られる」
両親が無言で私を見つめる。視線が針のように刺さってくる感覚がした。
「わがままなのは十分承知しております。ですが、どうぞ私の気持ちをご理解いただけるよう、お願いいたします」
私が丁寧に頼みこむと、お父様は目を細めて難しい顔をした。重苦しい沈黙。ここから逃げたくなる。
「ふっ……はっはっはっは!そうか!やはりそうくるか!」
「へ?」
急に笑い出したお父様に、私は拍子抜けして、変な声を漏らした。そこへお母様が少し淋しそうな瞳をして微笑んだ。
「何となくそう言うと思っていたわ。貴方は昔から、王女という身分に不満をこぼしていたから」
「は、はあ」
「安心せよ。そなたがここに居なくとも、大丈夫だ。王位は兄に譲ることがもう決定しておる。町で暮らしたいなら、ラズリ殿にお願いして、そなたを養女にしてもらおう。どうだろうか?」
「ふふふ。わたくしは一向に構いませんわ。むしろ、そう申し出ようかと思っていましたので」
「うむ。ではネフィリティス。今日をもってそなたは王女の名を捨てるがよい。今後はラズリ殿が授けてくれた美しい名を、そのまま名乗るのだ」
「え?ちょっと待ってください!本当によろしいのですか!?」
あまりにもトントン拍子に話が進むので、不安になって確認した。するとお父様は笑みを引っ込め、静かに語り出した。
「……実をいうとな。この八年もの間、余はずっと悩んできたのだ。これまで自分がしてきたことは、間違っていたのではないかと」
「一体、何をですか?」
「余は常々、そなたに王女としての完璧な振る舞いを求めていた。将来は立派な淑女となり、良家に嫁ぐのがそなたの幸せだと信じて疑わなかった。だが、そなたが大ケガをしたと聞いた時。余は心から自分の行いを悔いたのだ」
お父様は陰った視線を床へ落とし、話を続けた。
「生死をさまようそなたの枕元で、余はこれまでの日々を思い返した。頭に浮かぶのはそなたの淋しそうな顔ばかりで、可哀想なことをしたと、その時に初めて感じた。余はこれまで、どうしてそなたを強く叱ってばかりいたのか。どうしてそなたの気持ちに耳を傾けようとしなかったのか。毎日毎日、愚かな自分を責め続けた」
「お父様……」
「ケガが治ってからのそなたの様子は、ラズリ殿からたびたび報告を受けていた。町娘として元気に暮らす様を、平民に扮してこっそり見に行ったりもした。余はそなたの生き生きとした姿に、溢れんばかりの喜びを感じたのだ。記憶が戻ったからといって、もう何も押し付けたりはせぬ」
お父様は優しく目尻を下げる。
そっか。お父様は私に幸せになってほしかったから、厳しくしていたんだ。私はちゃんと愛されてたんだ。
今まで感じることの出来なかった深い愛情。それに気付いて、嬉しさに涙がこぼれる。
お父様は椅子から立ち上がり、私の前にやって来て、頭を撫でた。
「今まで本当にすまなかった。これからは好きに生きよ、『ヒスイ』。そなたは自由だ」
「はい。ありがとうございます、お父様」
私は泣きながら深々と頭を下げた。お父様は私を覗き込み、慈しむような笑みを浮かべた。
「例え名や身分が変わっても、そなたは余の大事な娘だ。少し遠いが、またいつでも会いに来ておくれ。そなたの作った、とっておきの薬を届けに」




