恋に落ちた瞬間
──十才の頃、お父様とエルージュ城に行った時。
私は城内の広場で、偶然ジェイドに会った。なんて綺麗で品のある子だろうと、見とれてしまったのを覚えている。
まだ少し幼さの残るジェイド(十二才)は、朝日を浴びながら、騎士団長らしき人に剣術を教わっていた。夜空色の短髪をなびかせて、大人相手に力強く剣を振るう姿は、控えめに言っても最高にカッコよかった。
ところで十才の私はといえば、容姿はお人形のように可愛いなんて、周りから称賛されていたけど、おしとやかさには程遠い女の子だった。遊びはもっぱら、かけっこや木登り、戦いごっこ。おてんばがすぎて、いつもお父様やお母様、家庭教師などを困らせていた。
──「ねぇねぇ!どなたか私と剣の勝負をしてくれない?」
ある日、プレシア王国で行われたお茶会の席。招かれたエルージュ王国の子供(王族や貴族)たちに、私は意気揚々と尋ねた。みんな、きょとんとしていたから、たぶんびっくりしていたのだろう。
「ネフィリティス。言葉が乱れておるぞ。客人たちに失礼であろう」
茶色いくせ毛を肩まで伸ばし、ひげを生やしたお父様は、険しい目で私をたしなめる。でも私は引き下がらなかった。
「お父様!私は一度、誰かと真剣勝負をしてみたいのです!お兄様や城の兵士たちは、いくら頼んでも私の相手になってくれませんもの!」
「当たり前だ。そなたは一国の王女だろう。剣など触る必要もない。そんなことより、礼儀作法やダンス、勉学に励むことが重要だ」
「必要になるかどうかは、まだ分からないでしょう?私もお父様やお兄様のように、強くりっぱな人になりたいのです!」
「わがままを申すな。皆、困っておられる」
周囲を見れば、顔をしかめている人たちばかり。私はしゅんとして肩をすくめた。
「いいですよ。私がお相手しましょう」
そんな中、優雅に片手を上げ、透き通るような声を発する人が居た。ジェイドだ。
「何ですと?貴方がネフィリティスの相手を?」
「ええ、そうです。別に実戦をするわけではないのですから、少しくらい良いのではないですか?私も一度、真剣勝負をしてみたいですし」
ジェイドはお父様へにこやかに笑いかけた。
「ううむ。ジェイド殿下がそうおっしゃるなら……」
「やったぁ!ありがとう、お父様!ジェイド様!ではさっそく準備しましょう!」
私は両手を上げ、元気いっぱいに跳ねた。
それから、みんなが見守る中、プレシア王国の広場で、試合は始まった。本物の剣は危ないので、木製の剣を使っての勝負。本気の打ち合いの末、私は惜しくも負けてしまい、悔しくて泣いてしまった。
「今度は絶対に負けないから!練習して強くなるから!また私と勝負してね!」
「ええ。構いませんよ。また声をかけてください」
ジェイドと私は指切りをする。砂まみれで髪がボサボサになってしまった私は、着替えをするため城の廊下を歩いた。すれ違う大人はみんな、私の姿を見て笑っている。お父様は恥をかいたとカンカンに怒っていた。
「ネフィリティス。そなたは自分の立場を少しも理解しておらぬ。王女たるもの、外見はもちろんのこと、立ち振る舞いも皆の手本となるべきなのだ。このような汚い格好になり、女として恥ずかしくないのか?もう二度と剣は持つな。これは父の命令だ」
この出来事がきっかけで、お父様はより私に厳しく接するようになった。『王女だから』という理由で、やりたいこともさせてもらえず、理想像ばかり求められる。家族の中で、私が一番、両親や家庭教師に叱られていた。
──十一才の頃。毎日ストレスを募らせていた私は、プレシア近隣の森でお茶会をした時、隙を見てその場から逃げ出した。
水色のドレス姿で、とぼとぼと森を一人で散歩していると、後ろから足音がした。
「ねぇ!一人で歩き回ったら迷子になるよ!」
黒のベストを着たジェイドが、私の後を追いかけてきて言った。私は驚き、ホッと息を吐いた。
「何だ。良かった。ジェイドだったのね。あ、敬語」
「あはは。構わないよ。ここには君と私しか居ないのだから。さあ、お茶会の席に戻ろう」
「私、あそこに戻りたくないわ。大人も子供もみんなかしこまって、キュウクツだもの」
「そうか。じゃあ、少しこのまま話そう。あそこに座ろうか?」
ジェイドが倒れている木を指差す。私たちは横並びにそこへ座った。小鳥の楽しそうに歌う声が聞こえる。私たちはどちらからともなく世間話をした。お互いの暮らしや好きな食べ物、愚痴などをたくさん話した。
「私のお父様とお母様は、ほんとにひどいの。家庭教師や侍女に、いつも私を見張らせているのよ。言われた通り勉強もダンスも頑張っているのに。ちょっと馬に乗ったり、お兄様のまねをして木の棒を振り回したりしたら、王女らしくないと怒るの。恥ずかしいと言うの」
ジェイドは相づちを打ちながら、私の話を聞いてくれている。私はどんどん悲しくなってきて、下を向いた。
「私は自分の楽しいと思うことをしたいだけなのに。そんなに私はだめなの?みっともないの?」
誰にも自分を認めてもらえない。あの時の私は孤独と淋しさに苦しんでいた。そんな私に、ジェイドは優しく声をかけてくれた。
「だめなものか。ネフィリティスは綺麗だよ。まるで宝石みたいに」
「え?宝石?」
「うん。君は一生懸命で、素直で、前向きで、キラキラしている。確かにおしとやかではないかもしれないけど、私はそんな君を、素敵だと思っているよ」
「……そんなこと、初めて言われたわ」
嬉しくて、照れ臭くて、心音が高鳴る。年に数回しか会わないけれど、ジェイドは私の良いところをいくつも見つけてくれていたのだ。
「ありがとう。あなたにそんな風に言ってもらえるなんて、ちょっと自信がわいてきたかも」
「いや、礼なんて言わなくていい。本当のことだから」
ジェイドの柔らかな眼差しに胸がときめく。彼ともっと話がしたい。そう感じた時、遠くの方で私たちの名を呼ぶ声がした。どうやら逃げたのがばれたようだ。
「そろそろ戻らないと。皆が心配しているよ」
「うん。でも、また私、お父様に怒られるかもしれないわ」
「その時は、私がかばってあげるよ。だから、一緒に帰ろう」
ジェイドは私と手を繋ぐ。二人は笑顔で森を走った。そんなに速く走っていないのに、頬が熱くなって、ドキドキが止まらない。
これが『恋』なのだと、私はその瞬間に気付いた。
「ねぇ!まだ先だけど、私の十二才の誕生日にパーティーをするの!お城に招待するから、ジェイドも来てくれる?」
「ああ!もちろん、喜んで!」
──そして、数ヶ月後の誕生会の日。豪華なドレスを着て、特別おめかしした私は、ジェイド(十四才)とこっそり塔のてっぺんに来ていた。
空は青く、真下には木々、その先に城下町が広がっている。プレシアとエルージュ。二つの王国を一望しながら、私は笑った。
「いい眺めでしょ?私のお気に入りの場所なの。ここに居ると、いやなこと全部忘れられる。あの広い世界に比べたら、私の悩みなんて、ちっぽけだなって思えるの」
「ネフィリティスは、どんなことで悩んでいるのだ?」
「私、王女に向いてないの。お父様たちの理想と、私は違いすぎるから。だから、いつかここを出て自由になろうと思うの。誰かに決められた人生を歩くなんて、つまらないし。私は自分らしく生きていたいから」
「君はもうそこまで考えているのか……」
ジェイドは真顔で呟いた後、私に近づいた。
「ネフィリティス。君はこの先、もっと素敵な女性になるだろう。私は心配性だから、今から約束をしておいてもいいか?」
「何を約束するの?」
ジェイドはひざまずき、私の手の甲にキスをした。銀色の瞳が強く見上げてくる。私は顔から火が出そうだった。
「私は君が好きだ。四年後、私が成人になったら君を迎えに行く。それまでどこにも行かず、この国で待っていてくれないか?」
「私と婚約するつもりなの?」
「君が嫌でなければ」
突然の告白。まさかの両想い。私は胸が激しく鳴って、言葉が出てこなかった。
「急にこんなことを言って、びっくりさせてしまったな。返事は急がないから、ゆっくり考えておいてほしい」
ジェイドが申し訳なさそうに微笑んだので、私はコクンとうなずいた。すると彼はポケットの中を探り、あっと声を上げた。
「しまった。君に渡したい物があったのに、持って来るのを忘れたようだ。今、取ってくるから、ここで待っていてくれ」
そう言って、頬を赤らめたジェイドは、足早に去っていった。
「ジェイド殿下と何を話していたんですの?」
ジェイドが居なくなってすぐ、マディラ(十四才)が私に話しかけてきた。この頃の私は、彼女を優しいお姉さんだと思っていたから、すぐにさっきのことをそのまま話した。
「マディラ様。実は今、ジェイド殿下に婚約を申し込まれてしまいました」
「そう、ですの」
「でも私、まだ将来のことは何も考えていなくて。ちゃんと返事ができなかったのです」
「ネフィリティス殿下は、まだ子供ですもの。当然ですわね」
「だけど私も、ジェイド殿下のことが好きです。先のことは解らないけど、それだけでも、きちんと伝えておいた方がいいかもしれません」
言ってから、私はぼんやり遠くを見つめた。そのままの自分を好きになってくれた人。ジェイドと一緒なら、私はきっと幸せになれる気がした。
「……あの方はこのわたしと結ばれる運命ですの。誰にも邪魔はさせませんわ」
「え?」
振り向いた次の瞬間、思い切り両肩を突き飛ばされ、私は真っ逆さまに塔から落ちた。
「きゃあああああああああああああ!!!」
高速で落下する私。マディラの姿がぐんぐん遠ざかる。
死を予感した刹那、頭にパッとジェイドの顔が浮かぶ。私は精一杯、身を縮めて願った。
やだよ!ジェイドに会えなくなる!私まだ死にたくないよっ──!!
数秒後、全身に恐ろしいほどの衝撃が訪れて、私の意識は完全に途絶えてしまったのだった。
──そうか。あの時、マディラが私を突き落としたんだ。そして私は大ケガをして、記憶のほとんどを無くした。恋に落ちたあの日の思い出だけを残して。
「そういうこと、だったのね」
うさぎ姿の私は、ぼそりと言った。ジェイドは私を抱っこしたまま、首を傾けている。
「ジェイド!聞いて!私、自分が誰なのか思い出したの!」
彼の腕からピョンと飛び出し、ベッドに着地した。
「何!?本当か!?」
「ええ!私の名は、ネフィリティス!隣国の第三王女、ネフィリティス=プレシアよ!」
「お前がネフィリティス……!?しかし彼女は八年前、事故で亡くなったはずだぞ?」
「それが運良く助かっていたのよ!記憶を失ってヒスイとして生きていた。昔、あなたと剣で勝負したことも、宝石みたいだって誉めてくれたことも、好きだって告白してくれたことも、全部、全部、覚えてるわ!」
私がキッパリ言い切ると、ジェイドは瞳を潤ませ、唇を震わせていた。
「こんな奇跡があるだろうか。もう二度と会えないと思っていたのに、生きていたなんて」
ジェイドは私の両前足を握り、涙を流す。その様子に胸がじんわり熱くなって、私も泣いた。
するとしばらく経ってから、唐突に、拍手の音が鳴り響いた。
「やっと記憶が戻ったのね。おめでとう、ヒスイ。いえ、親愛なるネフィリティス殿下」




