本当の想い人
──その後。
私は抱っこされたまま、ジェイドの私室に連れて来られた。豪華な部屋はシャンデリアのオレンジ色の光に包まれている。
ジェイドは「ここで待っていてくれ」と告げて、天蓋付きのベッドの上に私を降ろした。彼は近くの棚に置いてある小箱から、何かを取り出している。うさぎ語を話せる指輪だ。
そういえば、指輪を何度も貸し出すのが面倒なので、ジェイドにプレゼントしてあげたと、前に師匠が言ってたっけ。
彼はそれを小指にはめ、私の横にゆっくり腰かけた。
「ヒスイ。従者にラズリ殿を呼んでくるよう言っておいたから、ここでしばらく待っていてくれ」
「うん。大人しくしておくわ。逃げようとして、あちこちぶつけちゃったし」
「身体が痛むのか?私が側を離れたせいで、お前を酷い目に遭わせてしまったな。本当に申し訳なかった」
「ううん。私がこうなったのは、あなたのせいじゃないわ。悪いのは、嘘をついて私を始末しようとしたあの子だもの。だから何も気にしないで」
「そうか……。ありがとう。お前は優しいな」
ジェイドは目尻を下げ、私の頭をそろりと撫でる。大きい手のひらは温かくて、ドキドキするけど心地よかった。
「ねぇ、ジェイド」
「何だ?」
「そういえば、いつからあのヒスイが偽者だって気付いてたの?」
本人から見ても、マディラは上手く私を演じていたと思う。だからジェイドがどこでそれを見破ったのか、気になっていたのだ。
「そうだな。異変に気付いたのは、部屋を訪れてすぐだった」
「え?そんなに早く気付いてたの?」
「ああ。最初に彼女と部屋で会った時、強いバラの香りがしたのだ。あれはマディラが好んで付けている香水と、同じ匂いだった」
「なるほど。私は香水なんて何も付けていなかったし、おかしいと思ったのね?」
「そうだ。それに私はマディラに疑惑を抱いていたからな。ゆえに、目の前のヒスイが偽者ではないか。本物のヒスイはどこかに閉じ込められているのではないかと、予想した」
「あんな短い時間に、そこまで色んなことを考えてたの。ジェイドって頭の回転が速いのね」
私がしみじみ言うと、ジェイドは「それほどでもない」と謙遜してわずかに口角を上げた。誉めたから照れたのだろうか。ちょっと可愛い。
両耳を垂らし、ニヤニヤしながらジェイドを見上げる。ジェイドは私から視線をずらし、話を再開した。
「私は自分の考えが正しいかを確かめるために、会話を続け、同時にお前の居場所の手がかりがないかを探った」
「あの人がヒスイじゃないって確信したのは、いつ?」
「お守りについて話した時だ。私はそれが『何であるか』をあえて知らせず、反応を見た。結果、マディラは近くの棚にパールのネックレスが置いてあるにも関わらず、見つけられなかった。その上、ラズリ殿からもらった品をどうでもいいと述べた。これが決定的だったと言える」
「確かに。ラズリ様からもらった物を、私が忘れるわけないもんね」
「ああ。ただ、マディラがヒスイに変身した方法を特定するのは、難しかった。ラズリ殿やヌーマイトが、アクセサリーを使って姿を変えていたから、身に着ける物が関係しているだろうとは思っていたのだがな。とっさに指輪を外せと言ったのは、ある意味賭けだった」
「へぇ。そうだったのね。あなたがすぐにあの子の正体を見破ってくれて、私、ほんとに助かったわ。あのままクローゼットから出られなかったら、窒息してたかもしれないから」
「ああ。間に合って良かった。お前を見つけられて私も安心したよ」
「事件に関係する人はみんな捕まったし、これであなたの悩みも解消するわね」
もうジェイドが辛い想いをしなくて済む。そう思うとすごく嬉しい。だけどその反面、淋しさも感じた。
『ジェイドの不調を改善する』
師匠の依頼された、この仕事が終わるということは、私のお手伝いも終わるということだ。
ジェイドと一緒に居られるのも、あと少し。考えると切なくて、胸がぎゅっと締め付けられた。
ふと気付くと、美しい銀色の瞳が私を真っ直ぐ捉えている。私が首をかしげると、ジェイドは真剣な面持ちで、話を切り出した。
「ヒスイ。今まで私のために様々な働きをしてくれたこと、心より感謝している。今日、お前と行動を共にして、私は自分に芽生えている感情に改めて気付かされた」
「え?どういうこと?」
「八年前、初恋の人を失ってから、私はもう誰も愛せぬと思っていた。だがお前を見ていると、どうしてだか昔に感じた熱い気持ちが、蘇ってくるような気がするのだ」
「それって、私が好きだから?それとも初恋の王女様にそっくりだから?」
ジェイドは目を見開き、一瞬言葉に詰まってから、再び話し始めた。
「ヒスイは知っていたのか……。実のところ、初めてバラの庭園で会った時から、似ていると思っていたのだ。もしかしたら私は、無意識に彼女の姿をお前に重ねてしまっているのかもしれない。自分で自分の気持ちが、まだよく解らないのだ」
ジェイドは酷く思い悩んでいる様子だった。彼が私に好意を持ってくれている。それは素直に嬉しい。でも、それが本当に私自身に向けられているのかを、確認したい。
だって私は『王女様』じゃなく、『ヒスイ』なのだから。ジェイドには、ちゃんと私を見て欲しいから。
「ねぇ、ジェイド。今まで黙ってたけどね。私、あなたのことが好きなの」
「え?そう、だったのか?」
「うん。でも私は、あなたの初恋の人の身代わりなんて、まっぴらごめんよ。だからハッキリさせましょう」
もしもジェイドの好意がこちらに向いていないと解ったら、たぶん私は傷付くだろう。でも、だからって自分の想いに妥協はしたくない。
私は意を決して彼に質問した。
「ジェイドは今の私を見てどう思う?初恋の人と見た目が違うから、全然ときめかない?」
彼は無言で考えこんでいる。私は畳みかけるように聞いた。
「素敵なドレスも着てない。お化粧もしてない。おしとやかでもないし、性格も勝ち気。こんなモフモフうさぎでも、あなたは一緒に居たいって思うの?」
「…………ああ。そうだ。例えうさぎの姿であっても、私はヒスイが好きだ。お前と過ごす時間はいつだって楽しいし、何より自分らしくあれる。だから私は、今後もずっとお前の側に居たい」
そう言い切ってからハッと何かに気付くジェイド。私は良かった、と心の中で呟いて、笑みをこぼした。
「だったら何の問題もないわね。ジェイドは私の中身を見てくれてるもの」
「ヒスイ……」
「私もあなたがどんな姿になったとしても、好きよ。最初は毒舌すぎて、殴りたいくらいムカついたけど。今は全部、大好き」
心を込めて気持ちを伝える。ジェイドは切なげな顔をして私を抱き締めた。
「私もお前が大好きだ。いつも自分に正直で、強くて、あったかい心を持ったお前が」
ジェイドは耳元でそっと囁く。うさぎ姿のせいか、その言葉がより大きく脳内に響いてくる。
私は倒れそうなぐらい心拍数が上がり、ジェイドの腕の中でひたすら固まっていた。彼は腕の力を緩めると、私をいとおしそうに見つめた。
「あ!あの!あんまり近くで見ないでくれる!?恥ずかしいから!」
「いや。そう言われると、ますます見たくなってしまうだろう」
「もう!ジェイドってば意地悪ね!」
「あはは!ヒスイはすぐに照れるのだな」
口を尖らせ、ジェイドの胸に軽くパンチすると、彼はさらにからかってくる。私たちは笑い合い、ほんわかと和やかな雰囲気になった。
すると、ふいにジェイドは銀色の瞳を細めて、私の頬を触った。
「何も恥ずかしがることはない。もっと自信を持て。うさぎになってもヒスイは綺麗だ。まるで宝石みたいにな」
『綺麗だよ。まるで宝石みたいに』
え?この言葉。この感じ。覚えがある。いつ、どこで?
ジェイドの甘い声と、優しい少年の声。二つの声が私の固く閉ざされた記憶のドアを叩く。
そうだ!私は昔、ジェイドに会ったことがある!!
雷に打たれたような衝撃が身体中を走る。長い間、空白だった記憶の一部分。そこへ幼い頃に見た景色が、次々と映し出されていった──。




