もう一人の私
──エルージュ城の東側。
ここには王族や有力な貴族、それに仕える人たちの居住区がある。マディラの住む塔も、その一画にあった。
塔の四階にあるマディラの部屋は、燭台とシャンデリアで明るく照らされていた。室内は薄いピンク色で統一され、床には小さなバラの描かれたじゅうたん、カーテンにはレースが刺繍されている。
部屋に着くなり、私は部屋の右手にあるドレッサーの前に座らされた。マディラの指示に従い、侍女がクリーム色のドレスに着替えさせてくれる。マディラも汗をかいたからと、黄色いドレスに着替えた。手袋も邪魔だったので、二人して外した。
マディラと私のドレスはデザインが似ていて、全体的にフリルとリボンがたくさんついている。スカートの丈がちょっと短めだったけど、サイズ的には全然、問題ない。ただ、いつも着る服と感じが違いすぎてソワソワした。
「わたしたち、まるで姉妹のようですわね」
マディラが鏡越しに私を見てふんわり笑う。楽しそうな表情に、私も心が和んだ。
「ヒスイ様。こちらの方がそのドレスには合いますわ。付けてみてくださいませ」
マディラはドレッサーから、花の形のネックレスを出して見せる。私がパールのネックレスを外すと、彼女は持っているネックレスを私に付けた。
「どうでしょう?お気に召しましたか?」
「そうですね。とても素敵です」
「ヒスイ様はお綺麗ですから、何を身に付けてもお似合いになりますわね」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
とか上品に言いながら、顔がだらしなく緩んでしまう。褒められるとすぐ調子に乗るタイプなのだ。
私はパールのネックレスと預かっていたピアスを、壊れないよう握った。
これは後でちゃんと、ラズリ様に返さなくっちゃ。
「ヒスイ様。今日は色んなことがあり、お疲れかと思います。ジェイド殿下が迎えに来られるまで、お茶でもいただきましょう。オススメのお菓子がありますのよ」
マディラが金の呼び鈴を鳴らすと、女の従者がやってきて要件を聞き、すぐに立ち去った。私は椅子から立ち上がり、キョロキョロと辺りを見回す。
「マディラ様のお部屋は、可愛くてオシャレですね!」
「わたしの趣味で揃えた物ばかりですけれど。良ければ自由に見てくださって構いませんわ」
「いいんですか?ありがとうございます!」
私は喜んで部屋を見て回った。部屋の右手に大きなクローゼットとベッド、中央にはテーブルとソファー、左手には腰高の飾り棚がある。
私は棚に置いてある物が気になり、そっと近づいた。そこには大きな花瓶に生けられたバラや、香水のビン、アクセサリー、ピンクのドレスを着た人形が透明のガラスケースに飾られていた。
数分後、ノックが聞こえ、従者が紅茶とスコーンなどをデザートワゴンに載せ、部屋に入ってくるのが見えた。いい匂いがこっちまで漂ってきて、よだれが出てくる。緊張が解けたら、余計にお腹がすいてきた。
従者はてきぱきとそれらをテーブルに並べた。
「ありがとう。ヒスイ様とゆっくり話したいから、しばらく二人きりにして。あと侍女たちへ、破れたドレスを早めに直すよう伝えておいて」
マディラに言われ、従者は礼をして部屋を出て行く。素晴らしく無駄のない動きだ。
「ヒスイ様。申し訳ありませんが、飾り棚の花瓶をテーブルまで持ってきてくださいませんか?こちらに飾りたいのです」
「分かりました」
私は持っていたアクセサリーたちを棚に置き、バラの入った花瓶を注意深く持った。結構、重い。
中の水をこぼさないように、ゆっくり運ぶ。テーブルに着くと、マディラがスコーンにジャムをたっぷり盛り付けていた。
「こうすると見た目も綺麗ですのよ」
「わあ!本当!すごく美味しそうですね!」
「うふふっ。では、いただきましょう」
美しいバラを愛でながら、私はスコーンを食べた。甘いジャムと香ばしいスコーンが口の中で溶け合って、最高に美味しい。
半分くらい食べてからマディラを見ると、彼女は紅茶を飲んでいて、スコーンに手を付けていなかった。
「あら?マディラ様は食べないのですか?」
「え?……ああ。わたし、最近ダイエットを始めたのを、うっかり忘れておりましたの」
「マディラ様はそんなことをされなくても、十分スタイルがよろしいかと思いますよ?せっかくですから、一緒に食べましょう」
「いえ、わたしは結構です。良ければヒスイ様が全部召し上がってください」
え!いいの!?と一瞬だけ目を光らせてしまったけど、さすがにはしたないから、笑って遠慮した。
一応、私は貴族の令嬢っていう設定だからね。それらしく振る舞わないと。
私がスコーンとジャムを綺麗に食べ終わると、マディラはこちらをじっと見て、おもむろに話を切り出した。
「ヒスイ様。改めてお礼を言わせてください。先ほどは危ないところを助けてくださり、ありがとうございました。このご恩はずっと忘れません」
「いえ。私はあの男を捕まえたかっただけです。どうかお気になさらないでください」
「ヒスイ様は勇敢ですのね。なかなか出来ることではありませんわ。……今日、わたしはこれまでの自分を捨てる覚悟を決めました。ヒスイ様がわたしの身代わりになるとおっしゃられた時。あんなに取り乱したジェイド殿下を初めて見ましたもの。ヒスイ様は本当に、ジェイド殿下に愛されているのですね」
「そ、そうでしょうか」
愛されている、という言葉に酷く動揺する。思い返せば、ジェイドは何度も身体を張って、私を助けてくれた。そのたびに嬉しくてドキドキして苦しかった。
ジェイドは私のこと、少しは意識してくれたのかしら?
考えながら、ふと視線を横に移すと、従者の持ってきたデザートワゴンが目に入る。私は何だか妙な感じがして、それを注視した。
どこか見覚えのあるビンが置いてある。中身は細かく刻んだ香草が入っているみたい。
……私、あれが何かを知ってる。
ドクンと心臓が跳ねた。
どうして、あんな物が、マディラの部屋に?
「あら?どうしましたの?」
「あ!いえ、何でもありません」
私は気持ちを落ち着かせようと、紅茶に口をつけた。偶然?いや。でも、たまたまそんなこと、あるわけないよね。
鼓動が速まる。その中で一つの考えが思い付いた。それは何の根拠もない仮説。
けれど確かめなければいけない。
私はもしかしたら、最初から間違っていたのかもしれないのだから──。
「マディラ様は、今までヌーマイトに狙われなくて良かったですね」
私は平然を装って話す。マディラは空になったティーカップを、テーブルに置いた。
「ええ。そうですわね」
「ジェイド殿下の恋人候補ばかりを狙った事件。ですが、不思議です。どうしてマディラ様は標的にならなかったのでしょう?マディラ様がジェイド殿下を慕っていることは、皆さん存じ上げていたでしょうに」
「……さあ、なぜでしょう。それはあの方たちに聞いてみないと分かりませんわね」
「私には分かりました。答えをお教えしましょうか?」
「え?」
「あなたが令嬢を陥れるよう依頼した、本当の犯人だからです」
マディラは大きな目を見開き、次の瞬間、笑顔を見せた。
「嫌ですわ、ヒスイ様。悪い冗談はよしてくださいませ。わたしが何のためにそんなことを?」
「それは正直、よく分かりません。でも、あなたとヌーマイトを繋ぐ証拠ならある」
「何ですって?」
「そこのワゴンに載っているビンです。実は私、一度だけヌーマイトの家に入ってしまったことがあるのです。その時、全く同じビンが置いてあったのを見ました。中身を調べれば、それが魔術で作られた薬だと分かるはずです」
マディラは黙ったまま、こちらを見ている。
「どうしてあなたの部屋に、ヌーマイトの薬が置いてあったんですか?詳しく説明してください」
重々しく告げて、私はマディラを見据えた。否定して欲しい。私の単なる勘違いであって欲しい。そう強く祈った。
「お見事ですわ。さすがジェイド殿下のお眼鏡にかなった人ですわね」
マディラはおもむろに立ち上がり、棚に置いてあった指輪をはめた。その数秒後、振り向いた彼女に信じられない出来事が起こった。
「え!?私!?」
目の前には、金髪に緑の瞳をした令嬢──私が立っていた。
これは一体どういうこと!?
悪夢でも見ている気分になって、黄色いドレスの令嬢を眺めた。身体が、心臓が、震えている。
「うふふっ。驚きましたか?ヒスイ様そっくりでしょう?」
「あなた一体、誰なの?」
「おかしなことをお聞きになりますのね?わたしはマディラですわ。元、が付きますけれど」
「どうして私の姿をしているの?」
「ヌーマイト様に依頼して、変身する道具を作ってもらったのです。【模写】という魔術がかかっていて、この姿になりたい!と強く念じてから付けると、願い通りの姿になれるのですわ」
「何でそんなことするの?」
「だってジェイド殿下は、あなたを愛してらっしゃいますもの。わたしがいくら努力しても、勝ち目はありません。ですから、これからは『ヒスイ』として、ジェイド殿下の側に居ようと思いますの」
「は……?」
何言ってるの、この子。意味が解らない。
「本当は、あなたに大けがをさせたのち、騒ぎに乗じて入れ替わる計画だったのですが。ヌーマイト様がしくじったせいで、わたしが全部自分で動かなければいけなくなりました。せっかくあなたを油断させたり、人質となって逃げるチャンスまで作って差し上げたのに。使えないお方ですわ」
何それ。じゃあこの子が言ったことは、何もかも嘘だったの?私が勇気を出して助けたのは、無駄だったの?
信じていたのに、と怒りがふつふつ湧いてくる。私はマディラに詰め寄った。
「そんなふざけた話が通るわけないでしょ!ヒスイは私よ!あなたが私になれるわけないわ!」
力いっぱい抗議していると、なぜだかマディラの姿が徐々に大きくなっていく。
「あっ。どうやら効いてきたみたいですわね。後始末のために、あの方から薬を借りておいて正解でした」
「私に何をしたの!?」と怒鳴ると、マディラは可愛く微笑んだ。
「『真っ赤なイチゴのジャム』に魔術のスパイスをかけましたの。可愛い『うさぎちゃん』に大変身ですわ」
イチゴジャム!あれにうさぎになる薬を混ぜたのね!だからマディラはスコーンを食べなかったんだ!
はめられた!と頭がカッと熱くなる。自分の両手を見ると、もう薄茶色の毛が生えていた。うさぎになってしまったのだ。
まずいわ!早く逃げなきゃ!
脱げたドレスが私の周りを囲っている。布地の海に溺れそうになる私の首根っこを、巨大な令嬢が掴んだ。
「怖がらなくて大丈夫ですわ。大人しくしているなら、殺したりはしません。深い森の奥での、平和な暮らしを約束しますわ」
それ、私を森に捨てるってことよね!?
マディラ(偽ヒスイ)は無邪気に笑っている。恐怖で全身の毛が逆立つ。
いやだ!怖い!助けて!!
その時だった。部屋のドアをノックする音が軽快に響いた。誰か来たのだ!
「マディラ様。ジェイド殿下がお見えです」




