悲劇の王女
「大丈夫だったか?」
ベラクルスと一緒にテラス付近までやって来ると、ジェイドが早足で駆け寄ってきた。私を送り出したものの、かなり心配していたらしい。
ジェイドの顔を見たら肩の力が抜けて、口元が緩んだ。
「はい。ちょっと困ったことになりそうでしたが、ベラクルス様が助けてくださいました」
もしあそこにベラクルスが来なかったら、私はあの自己中男と確実にケンカしていた。おおごとになる前に彼が止めに入ってくれて良かったと思う。
でもベラクルスは、今のところ敵か味方か解らない。この人の動きに注意しておかなきゃ。
私はひそかにベラクルスを見やる。彼は周囲に鋭い視線を送っていた。
「ベラクルス。私の大切な客人を守ってくれたこと、感謝する」
ジェイドが会釈すると、ベラクルスは姿勢を正して首を横に振った。
「いえ。礼には及びません。わたくしは自分の責務を果たしただけですので。……それにしてもヒスイ嬢は、なかなか度胸がありますな。いち貴族が王族に向かって反論するのは、自らの命を危険にさらすようなもの。それだけジェイド殿下への愛が深いということなのでしょうね」
ベラクルスは薄く笑い、冷やかすように言った。私の頬はかぁっと熱くなる。サルファーとの会話を聞かれていたと解ったからだ。
「よせ、ベラクルス。ヒスイ嬢が困っているだろう」
「ふふふ。申し訳ありません。さて、若いお二人の邪魔になってしまいますから、わたくしはこれで失礼いたします。遠くから見張りはしておきますので、ご心配なさらず」
ベラクルスは私たちにぺこりと頭を下げてから、人混みに溶け込んでいった。それを見送った後、ジェイドは窓の方を向き、小さく問いかけてきた。
「ダンスの後、サルファーと揉めたのか?」
「ええ。まあ少しね」
「そうか。騒ぎにならなくて良かったが……頼むから無茶だけはしないでくれ。お前が傷付くようなことがあったら、私はとても悲しい」
ジェイドは私を見下ろし、憂い顔で懇願した。大切に思われている。そう感じて、心音がまた速くなってしまった。
「解った。なるべく気を付けるわ」
「ありがとう。ところでヒスイは、何か気付いたことはあったか?」
「うん。あなたのいとこ、性格が腐ってるわね」
「……っ」
ジェイドは急に口元を手で隠し、顔を背けた。よく見ると、声を出さずにめちゃくちゃ笑っている。
「お前は気持ちがいいほど、ハッキリ物を言うのだな」
「だってほんとのことでしょ!あの男、ジェイドの恋人だって知ってるのに、私を口説いたのよ?」
「自分に乗り換えろ、とでも言ったのか?」
「ええ」
「なんという節操のない奴。身内として恥ずかしい限りだ」
「しかも『ジェイドは王様になれない』とも言ってたわ。自分の方が財力も人徳もあるって」
「ほう。えらく断定した言い方だな」
「言われてみれば、そうね」
あの男、王様になる自信があるみたいだった。国王の長子であるジェイドが居るのに、どうして?
「サルファーは幼い頃から王位に固執し、私を嫌悪している。もしかすると、魔術師に令嬢の件を依頼したのは、奴なのかもしれないな」
「うん。私もそんな気がするわ。あとね、もう一つ引っ掛かったことがあるの」
「どうした?」
「大臣のベラクルス様なんだけど。どうしてだか、ラズリ様と同じ香りがしたの。あの人、最近、香水をつけるようになった?」
「……妙だな」
「え?」
「ベラクルスは香水を一切つけないのだ。昔、好きな女性につけない方がいいと言われて、それを律儀に守っているらしい」
「え!じゃあ、さっきのあの人は別人!?」
まさか、魔術師のヌーマイトだったの?
ざわざわと胸が騒ぎ出す。私たちは大勢の人の中、ベラクルスの姿を探した。だがどこにも見当たらない。
まずい。完全に見失ったわ。さっき私をかばったのは、油断させて魔術をかけるためだったの?それとも今、隠れて何かをしようとしてるの?
焦りと不安で息が苦しくなる。その直後、突然、後ろから可愛らしい声がした。
「ちょっとよろしいですか?」
「ぅ!」
背後に誰かが居ると気付いていなくて、思わず変な声が出そうになる。
それをどうにか食い止め振り向くと、ピンクのドレスを着た、おしとやかな令嬢がにこっと会釈してきた。緩く巻かれた薄茶の髪がふわりと揺れる。胸元の宝石と、フリルが四段重ねられたスカートが、シャンデリアの光で淡くきらめいていた。
「初めまして。わたし、マディラ=ウォーリアと申します」
「初めまして、マディラ様」
この人……ジェイドを慕ってる子だ。一体、何の用だろう?
ぎこちない表情のままスカートの裾をつまんで礼を返すと、ジェイドが素早く私の前に立ち、マディラに一礼をした。
「彼女は緊張しているようですので、私からご紹介いたします。こちらはヒスイ。隣国の貴族で、本日は私のためにこの舞踏会へ来てくれたのです」
「そう……プレシア王国からわざわざ訪問されたのですね。このようなお綺麗な方が隣国にいらっしゃるとは、今日まで存じ上げませんでした。わたし、ヒスイ様と二人でお話したいと思うのですが、いかがでしょうか?」
「ヒスイ嬢と二人で?」
「はい。女性同士、何かと込み入った話がありますから」
何だろう、込み入った話って。トラブルが起きそうな予感がするんだけど。
「しかしマディラ嬢。ヒスイ嬢は私が側に居なければ心細いと思いますよ?」
「そんなにお時間は取らせませんわ。ただ、どうしてもヒスイ様にお話をうかがいたいことがあるのです」
そう言ってマディラは強く私を見据えた。頑なに私たちの前から動こうとしない。
もし今、ヌーマイトが何かを仕掛けてきたら、この子まで巻き込んでしまうかもしれない。それは絶対に防がなくっちゃ。
私は決心し、真顔で告げた。
「ジェイド殿下。少しの間なら私は構いませんよ?」
「ヒスイ嬢……君は」
「マディラ様が私に何をうかがいたいのか、興味があります。それに、これだけお願いされているのです。お断りするのも、心苦しく思いますわ」
「そうですか。……分かりました。ですが心配なので、なるべく早く戻ってきてくださいね」
ジェイドはなぜか熱を帯びた瞳を向けてくる。私はどきりとしたが、上手く笑みを作って応えた。
「分かりました。すぐに戻ります」
「ヒスイ様。ではあちらに参りましょうか」
先導するマディラの後ろを付いていくと、バラの香りが流れてきた。会うたびに同じ香水を付けている。たぶんこの子のお気に入りなのだろう。
私たちは大広間の右手にある、木製の椅子に座る。(途中、すれ違った何人かの令嬢に足を引っかけられそうになったけど、軽く飛び越えてやった。「どいつもこいつも子供か!」と、全員の足を踏んづけてやろうと思ったのは、内緒)
目の前の長いテーブルには、何種類ものお菓子が皿に並べられており、飲み物を運ぶ従者が行き来していた。
わあ、すごい!クッキーが!シュークリームが!プリンとかも山盛り置いてある!
夢のような光景に、心の中で大はしゃぎする、私。両目はハートになって輝いていた。
この場のお菓子、全種類を食べたいっ!コルセット、今すぐ脱ぎ捨てたいっ!!
「ヒスイ様。あなたはジェイド殿下とずいぶん親密なご様子でしたが、お二人はどういったご関係ですの?」
私の横に座るマディラが、思い詰めた顔で聞いてくる。一瞬、自分の置かれている状況を忘れていた私は、ちょっと慌てた。
「ええと。まだ公表はされていないのですが、殿下に交際を申し込まれまして、今お付き合いをさせていただいております」
「そうなのですか?しかし殿下はこの間、忘れられない女性が居るとおっしゃってましたけれど」
ああ、そうだったわね!しかも私が言わせたんだった!!
焦って良さそうな言い訳が思いつかない。こうなったら、知らないと押し通すしかない。
「申し訳ありません、マディラ様。その辺りの事情は私には分かりかねます。詳細は殿下に直接おうかがいくださいませ」
「そうですか……。ジェイド殿下はきっと、あなたとあのお方を重ねたんでしょうね。何しろ良く似てらっしゃるから」
「え?あのお方とはどなたのことですか?」
「隣国プレシアの王女様にですわ。すでに亡くなられているのですが、生まれ変わりかとみまごうほどにそっくりです」
「そんなに似てるんですか」
マディラは悲しそうに首を縦に振る。
そういえば、舞踏会で初めて顔を合わせた時、ジェイドの様子が少しおかしかったっけ。あれは亡くなった王女様と私が似ていたからなのね。
自分を見てくれていたわけじゃなかったんだ、と何となく気落ちする。複雑な想いのまま、私はマディラの話しの続きを待った。
「わたしもプレシア王国に何度か招かれておりましたので、王女様のお姿を良く存じておりますの。けれど数年前、彼女の誕生会の日に悲劇が起こってしまった」
「悲劇?」
「転落事故ですわ。塔で遊んでいた際、誤って落ちたと聞いております」
「塔から、落ちた?」
急に頭がズキンと痛んで、脳裏に映像が浮かぶ。城と悲鳴と空と──人影。
あの子は、誰?
ハッと我に返る。今のは、何?もしかして……昔の記憶?
「どうされましたの?」
マディラが私を見つめて聞く。私は「いえ、何でもないです」と笑顔でごまかした。
「……わたし、ヒスイ様が羨ましいです。わたしもジェイド殿下に選んでもらいたかった。もしもわたしが王女様に似ていたら、結果は違っていたのでしょうか」
「マディラ様……」
「あ。申し訳ありません。こんな話をしても仕方ないですわね。つまらぬ愚痴に付き合ってくださり、ありがとうございます。どうかジェイド殿下と幸せになってくださいね。他の令嬢の方々は快く思わないかもしれませんが、わたしはお二人のこと、応援しております」
マディラは私に手を添え、泣きそうな瞳で笑った。悲しみを懸命にこらえているのだと、伝わってくる。
この子、すごくいい子だわ。それなのに、私と同じで報われないんだ。
人を好きになるって、嬉しいけど、悲しいな。
誰より強く想い続けても、相手がこちらを振り向いてくれるとは限らない。恋に落ちるのは簡単だけど、それを実らせるのはとっても難しいんだ。
私もジェイドに好きになってほしい。初恋の王女様なんかじゃなく、私の方を見てほしいよ……。
ジェイドのことを思い浮かべれば、だんだん胸が苦しくなってくる。テーブルを睨んで涙が出そうになるのを我慢していたら、誰かがいきなり背中にぶつかってきた。おかっぱ頭の若い従者だ。彼女は私のスカートの形をささっと直し、あたふたして言った。
「あわわわわ。ももも申し訳ありませんでした!」
深々と頭を下げ、彼女はグラスを回収しバタバタと歩き去っていく。
新人の子かしら?忙しそう。これだけの人数が居るから、片付けも大変ね……。
なんて従者の女の子に気を取られていたら、いつの間にかマディラがジェイドのところへ歩き出していた。
私も後を追いかけようと立ち上がる。大広間の真ん中辺りまで歩いたところで、変な音が頭上から聞こえた。




