美形王子との遭遇
暖かな春の昼下がり。こんなお天気のいい日に、私ヒスイときたら、エルージュ王国の城の中に閉じ込められてる。
白壁の豪華な部屋はだだっ広くて、天井のシャンデリアから並べられている家具、足元のカーペットまで一級品ときてる。普通ならその素晴らしさに興奮するんだろうけど、今はそれどころじゃない。
だって私は檻に入れられてるんだから!
部屋の奥、つやつやした飴色の長机の向こう側。
黒に近い藍色の長髪を腰まで垂らした美しい王子、ジェイド=エルージュ(二十代前半くらい)は、こちらを見下ろし穏やかな笑顔で呟いた。
「本当に愛らしいな」
対する私は薄茶色の毛皮姿で、冷たい檻の内側から彼を睨んだ。
「そんなことより、ここから出して!!」
格子に手をかけ怒鳴るも、完全無視。全然聞き入れてくれない。
私は焦っていた。一刻も早く、ここを逃げ出さないと。じゃないと私、本気でやばい。
だんだん強くなってくる痛みに耐え、私は身を縮めた──。
──三日前の朝。
肩下まであるブロンドの髪と白い肌、パッチリした緑の瞳を持つ乙女(十八才)──つまり私は、師匠の使いで城までやって来ていた。カーキ色のチュニック姿で、薬ビンのたくさん入ったラタンのカゴを持っている。
「はぁー。いつ見ても、でっかいわね!」
私は門前で城を見上げた。石の城壁に囲われたその奥に、青い三角屋根の塔が澄んだ空に向かって伸びている。てっぺんを見ようとしたら首が痛くなった。
ここには王族や貴族、それと彼らに仕える人たちがたくさん住んでいる。私はその人たちのために、師匠特製の薬を届けに来たのだ。
「すみませーん!魔術医ラズリ様の使いで来ました!」
鎧を着た強面の門番に元気よく声をかけ、証書を出す。門番のお兄さんは、笑顔で応えてくれた。
「お!ヒスイちゃん!三ヶ月ぶりだね!また薬を届けに来てくれたのかい?」
「はい!傷を治すのから、腹痛、滋養強壮まで、色んなのを持ってきました!」
「助かるよ!ラズリ様の薬は良く効くから!大臣様は部屋で仕事してるし、すぐ会えると思うよ」
「そうなんですか!ありがとうございます!」
私はぺこっと頭を下げ、門をくぐった。
そして大臣に薬を渡すため、真ん前に堂々とたたずむ主塔を目指して歩いた。大きな泉の側を横切り、バラ園の中を通る。園内はきちんと手入れされていて、赤やピンクのバラから甘い香りが漂っていた。
綺麗だなぁとご機嫌に花を眺めていると、誰かの話し声が聞こえてきた。
「ジェイド殿下」
「マディラ嬢。どうしてここにおられるのです?」
「ごめんなさい。会いに来てしまいました。あなたがとても恋しくて」
斜め前を見ると、ちょっと離れたところに美男美女が立っていた。男はこの国の王子、ジェイドだ。
腰まである真っ直ぐな夜空色の髪。切れ長な銀色の瞳と鋭く上がった眉。鼻筋は通っており、思わず見とれてしまうほどの美形だ。
彼は上下黒のスーツを着て、胸にフリルのある襟飾りと緑のブローチを付けていた。
その隣に居るマディラと呼ばれた令嬢は、肩上まである薄茶色の髪をゆるく巻き、大きな赤い瞳をパチパチさせている。まつげがくるんと上向いており、きちっと化粧もされているが、大人しそうな顔つきだ。
彼女は首元と袖にたっぷりレースのあしらわれたピンク色のドレスを着ている。それは艶のある薄手の素材で出来ており、スカートはふわりと広がった形をしていて、令嬢の可愛らしさをより引き立てていた。
えっと。何かしら、この雰囲気は?
私ここに居たらだめなんじゃ?
でも……ちょっと気になるよねー。
二人は恋人なんだろうか?これからロマンス小説の一場面みたいなやり取りが、始まるのかもしれない。
わくわくした私は、良くないと思いつつも繁ったバラの葉に隠れ、そのまま成り行きをうかがった。その何秒か後、ジェイドの眉がひそめられるのが見えた。
「……ふっ。またそんなご冗談を」
馬鹿にしたようなトゲのある言葉だった。空気が一瞬にして凍りつく。
「そうやって健気な姿を見せれば、私が好意を持つとでもお思いですか?相当おめでたい頭ですね。あなたごときがこの私と釣り合うはずがありません。屋敷に帰り、鏡を磨いて、その顔をよくご覧になってきてください」
冷酷な眼差しでジェイドは言い放った。マディラは青くなって震えている。彼女は両手で顔を覆い、泣きながら走り去ってしまった。
うわ、何この男。最っ低。
私はジェイドの対応に心の底から引いた。それと一緒に腸が煮えくり返るくらい、ムカムカした。
何、女の子泣かしてんのよ?いくら自分が男前だからって、酷すぎない?断るにしたって、もうちょっと言い方あるでしょ?
無意識に身を乗り出していた私は、バラの葉に触ってしまう。ガサッと音が出て王子がこちらに気付いた。そして、来なくていいのに優雅に近づいてきた。
「君は……?」
いぶかしげな表情をするジェイドを、私はきつく睨む。覗き見していた罪悪感は、とうに吹っ飛んでいた。ジェイドは少し戸惑ったように私を見返してくる。
「城の者ではありませんね。そこで何をしているのですか?」
「魔術医ラズリ様の使いで来たんです!」
「ああ、そうでしたか。でしたら大臣にお会いください。あちらの塔の一階におりますので」
ジェイドは正面の塔を指差し、素っ気なく告げてから、私を横柄な態度で眺めた。
「それとですね。あまりみすぼらしい服装で、城内をウロウロなさらないでください。不快ですし、我が城の品位が著しく損なわれますから。では失礼」
は?みすぼらしい?品位が損なわれる?
固まる私を放置し身を翻したジェイドは、颯爽とその場を後にした。歩き去る姿も様になってるけど、私は全くもってときめかない。頭がカッと熱くなるのを感じた。
「何よ、あれ」
握った拳がプルプル震える。今にもありとあらゆる悪口が飛び出そう。ついでにカゴも投げそう。
我慢よ、私!!
頭に浮かんだことを実行したら、さすがに捕まる。バラ園に残された私は一人、腹の中で彼の背に思い切り罵声を浴びせたのだった。
こんな場所二度と来るか!!この、毒舌性悪男ーーーーーーっ!!!
──大臣に薬を渡し、師匠への手紙を受け取った後。
私はそれをポケットに突っ込んで、エルージュの城下町の中心にある、小さな大衆食堂に来ていた。
木の温かみが感じられる店内。今は昼時だからか、多くの人たちで賑わっている。私はずんずんと歩き、カウンターの椅子に勢いよく座った。他の客の好奇の目などお構いなしだ。
「いらっしゃい!ヒスイ、ご機嫌ななめだね!どうかした?」
食堂で働く友達のカーネリアン(十九才)が、私の向かいに立ち、明るい笑顔で聞いてくる。今日もオレンジの髪を二つにくくり、水色のワンピースの上から白いエプロンをしている。ちょっとそばかすのある頬と、くりっとした青い瞳は、いつ見ても愛嬌たっぷりだ。私はすぐさま言った。
「ちょっと聞いてくれる!?すっごくムカついたんだけど!!」
あまりの剣幕に驚いたのだろう。カーネリアンは目を丸くして、ビクッと肩を震わせた。私は彼女の返答を待たず、今朝の出来事を怒濤の勢いで話し始めた。
「──とまあ、こういうことがあったわけよ!信じられないでしょ!?」
私の向かいに座ったカーネリアンは、半笑いで相槌を打った。
「なるほどねぇ。女嫌いの【氷王子】。話には聞いてたけど、かなり酷い奴みたいだね」
そうなのだ。ジェイドのことは町の人たちの間でよく噂になっていた。貴族の男は成人である十八を超えると、だいたいはどこかの令嬢と結婚し、身を固める。けれどあの王子はいまだ恋人もおらず、独身を貫いているのだ。
近寄る女性たちに毒を吐き、ことごとく追い返す冷徹な男。で、ついたあだ名が【氷王子】というわけ。
しかし話に聞くのと、実際に遭遇するのとでは全然違う。ジェイドの思いやりのかけらもない振る舞いに、私の怒りは大爆発していた。
「そうよ!もうほんとに腹立ってさ!カゴの中の薬ビン、全部あいつに投げつけてやろうかと思ったわ!」
「いや、それは危ないからやめてね!?でもそんな調子じゃ、あの王子はこの先もずっと結婚しそうにないね」
「しないんじゃなくて、出来ないでしょ!あんなに口と性格が悪かったら、誰も相手してくれないわよ!」
「まあまあ、落ち着いて……。中身はともかく、顔は相当いいじゃない!そこだけ見たら、ヒスイのタイプでしょう?」
「はぁ?バカ言わないで!人間はハートよ!顔だけ良かったらいいってもんじゃないの!!」
言ってたら、またジェイドの見下した表情が頭にちらついて、私は眉をこれでもかとつり上げた。
「あんな奴、大っ嫌いっ!!!」