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「待たせてごめんなさい!」
そうして馬車から駆け下りてきたロクサーナは、ニコリと申し訳なさそうに笑った。その後ろでは、彼女を守るマルコもペコリと頭を下げている。
ロクサーナは艶めく銀髪をギブソンタックにしており、後れ毛だけが動きとともに揺れる。それが白い首筋を掠めるたびに、ドキドキしてしまう。
流行りのシフォンワンピースは、春らしいパステルピンク。膝丈のスカートが若さを強調し、細く白い足を引き立たせていた。
そのサラサラの金髪が美しいマルコも、今日はいつもの白い制服を脱ぎ、清楚な私服に身を包んでいる。パステルブルーを挿し色にしたファッションは、彼の穏やかな微笑によく似合う。
さらに綺麗めの印象を与えるその服は、さりげなく主人と色味を合わせるのも忘れていない。
そんな2人が自分の元にやって来たのだから、アレクシオスは驚いてしまう。
行き交う人が歩みを止め、合掌し始めるのだから無理もない。ヒソヒソと囁き合うレベルまでしか知らなかった彼にとって、跪かれても気にしないメンタルに、もはや唖然とするしかない。
一応断っておくが、彼も鮮やかな髪と目にあうシンプルで上質な服が格好良い。「素材が良いと逆にシンプルな方が良い」の典型例である。
飾り付けをしなくても勝負になるあたり、選ばれし美形なのだ。
とは言っても、ロクサーナとは次元が違う。
こればかりは気にしても仕方ないと思いつつ、微妙に気後れしてしまう。だが、それを感じさせない笑顔で首を横に振った。
「いいや、待ってないよ。それに、サーナのように美しい人が来てくれるんだ。苦じゃないさ」
「まぁ、嬉しい。アレクも素敵だわ」
「気を使わせてすまないね。でも、ありがとう」
吐きそうなくらいの仲睦まじさに、マルコは砂でも噛んだように苦い顔をしかける。
だが、得意スキルの猫被りを発動させて、何とか踏みとどまった。
この日は、アレクシオスが来国してから丁度1週間後の事だった。
誰が見ても順調だったあのお見合いを経て、彼らはほぼ毎日一緒にいた。しかも夜以外は常に隣同士で、喧嘩する事もなく笑い合っていた。
そして、かなり仲が良くないと認められないニックネームまで呼び合うようになり、2人は出会って間もないが周知の仲になったのだ。
実際、今日も街でデートである。
世界を股にかける有名な演劇集団「ライオット座」の、十八番「アイリーンと瑠璃色の蝶」を見に来ていた。
対して、マルコにはあれから進展はない。
何というか、ロクサーナは非情なほどに普段通りなのだ。いつもと同じように怒って、いつもと同じように笑う。それはもう、少し自信をつけたマルコの鼻っ柱をガツンと折るくらいに。
これには俳優並みの演技力を誇るマルコも、がくりと肩を落として額に手をついた。ちなみに、「どうしたの?風邪?」と心配されるオチつきだ。
「それじゃあ、行こうか。新進気鋭のライオット座の、特に有名な悲劇が見られるなんて。しかも彼らは我がカラー王国から始まったんだ。祖国からこんな有名な一座が出るなんてね」
「設立してからまだほんの数年なのに、ここまで急成長するからには、素晴らしいのでしょうね!未だに、チケットが手に入ったのが嘘みたいよ!本当に楽しみだわ」
ロクサーナはそう言いながら、ふとアレクシオスを見る。
興奮と期待が見て取れる素直な横顔に、思わず笑ってしまう。真面目で精悍な印象を与えるいつもとは違い、今日は幾分か可愛らしく見えた。
どうやら、本当に観劇を楽しみにしてくれていたらしい。
良かった。男性はこういうのが苦手だと聞いていたから、ロクサーナとしては少しホッとする。
ちなみにこの情報は、お馴染みの嘘くさい自己啓発本である。真偽のほどは確かではないのだが、ロクサーナは健気にも信じていた。
だが今この時ですら、ロクサーナは「アレクシオスを恋人にしたい」とは思えないでいた。
そりゃ、格好良いと思う。優しいとも思う。真面目で好青年なところもポイントが高い。ロクサーナの深すぎる知識にも、付いてきてくれるのが嬉しい。
が、その程度である。恋愛小説で見た胸の苦しさはまるでなく、狂おしいほどの恋しさもない。冷静になれてしまうのだ。
それどころか、「これって友人なんじゃ?」と思わなくもないのだ。というか、一度思い始めてからはそれが拭えないでいる。
本当にこれを望んでいたんだっけ?
自分の思い描いていた道から逸れ始め、ロクサーナの頭を疑問と違和感が支配していた。
「あれ、どうかした?ボッーとしてるよ?」
アレクシオスがロクサーナを覗き込む。その真剣な眼差しに意識を戻し、「何でもない」と完璧な笑顔で誤魔化す。
こうして三者三様の苦悩を抱きながら、彼らはライオット座に向かったのだった。
会場はプルメリアの王立劇場であり、ライオット座は旅の一団らしく自分の劇場を持ってはいなかった。
それでもこの劇場を借りられるという事は、少なくともプルメリア王国に認められているという事。つまり、世界的にも高評価な座だという事でもある。
そして、結論から言って、その評価は正当であった。要するに、素晴らしい演劇だった。
『アイリーンと瑠璃色の蝶』の内容は、こうだ。
身分差のある恋人がいるアイリーンは、しかし貴族であるがゆえに政略結婚させられてしまう。それを知った恋人は彼女を取り戻そうとするが、その最中不幸な事故で命を落とす。
それを知って悲しみに暮れるアイリーンの元へ、一羽の瑠璃色の蝶が飛んでくる。そしてその蝶がアイリーンの周りを飛んだ瞬間、彼女は幸せだった過去に戻って来ていた。
しかし、いくら過去を繰り返しても2人は結ばれない。それどころか、恋人の死も変わらない。さらに、瑠璃色の蝶はタイムループを繰り返すたびに弱っていく。
こうして自分たちの運命を悟ったアイリーンは、最後の最後まで幸せに暮らす。そして別れの瞬間、恋人を殺して自分も死ぬ。
死によって初めて寄り添えた2人は、もう蝶の力で戻ることもなく、物語を終えるのだった。
……と、まぁ、どぎつい悲劇である。
結ばれるためには手段を選ばないアイリーンと、必ず死が待ち受ける悲運の恋人。可哀想なんてもんじゃなく、胸糞悪くなるほどだ。
だが、その鬱度の高いストーリーを完璧に昇華させる演技力があった。総評すれば、素晴らしいの一言である。
それを見終わったロクサーナたちは、一応国賓として楽屋に招かれた。誘われたら、挨拶に行かないと失礼にあたるのだ。それを知る彼女らは、もちろん挨拶に行った。
ライオット座の人たちも、世界的に有名なロクサーナ王女とカラー王国の王子に会えるなんて二度とない。だからなのか、公演の直後だと言うのに、喜んで楽屋に招き入れた。
「ほんっとうに、素晴らしかったです!今も、思い出しただけで泣きそうですもの!」
「そんな、ロクサーナ王女殿下にそのようなお言葉。身に余る光栄ですわ」
ライオット座の座長は感動に打ち震えロクサーナの手を握り、ロクサーナも興奮気味に何度も頷いていた。
「それにしても。絶対に、アイリーンと恋人のレオは結ばれると思ったのに!まさか、結ばれないなんて」
「いいえ、あれは一応ハッピーエンドなんですよ」
「え?どう言う事?」
「ここだけの話なんですけどね、脚本家の方はハッピーエンドのつもりで書いたんですって。死という永遠で結ばれた、って言っていましたわ」
「……なんというか、独特な感性を持つ方なのね」
苦虫を噛み潰したような顔をするロクサーナに、座長は苦笑を漏らす。
「そうですよね。若くて素朴な感じの女の子なんですが、こんな辛い話を書くからびっくりしちゃいます」
「少女が書いたんですか?これを?」
「ふふっ、驚きでしょう?ライオット座お抱えの脚本家なんですよ?彼女ったら、創立から力を貸してくれて」
「すごい人なんですね!…ね、アレクもそう思うでしょう?」
そう言ってアレクシオスを振り返ったのは、彼を蔑ろにしていた事に気付いたからである。名目上はデートなのに、全く気を払っていなかった。
呆れられる前に「覚えていますよ」アピールをしておこう。そういう魂胆である。
……そんなアピールをしている時点でお門違いなのだが、この際そこは無視する。見たいものしか見ない主義なのだ、ロクサーナは。
しかし、アレクシオスはというと、心ここに在らずで呆然としている。
その勇猛な真っ青の瞳も、今や精彩を欠いていた。何かに心臓を握りつぶされたかのように、彼は虚だった。
「あぁ、そうだな」
「アレク?どうしたの?様子がおかしいけど?」
「あぁ、そうだな」
「ねぇ、聞いている?大丈夫?ねぇったら!」
「あぁ、そうだな」
「……失礼します、アレクシオス様。ここがどこか教えていただけますか?」
「あぁ、そうだな」
始終こんな調子になってしまったアレクシオスは、もはや誰の言葉も耳に入らないようだった。
こうなれば、言わずもがなデートは続行不可能。予約していた最高級レストランをキャンセルし、2人はマルコの泊まる王城敷地内の来客棟まで彼を送り届けた。
そうして、今日のデートは終了した。
流石のマルコも、この結末には同情を禁じ得ない。敵に塩を送るみたいで気分が悪いが、主人の機嫌の方が遥かに大事である。
そして、躊躇いがちに慰めの言葉をかけた。
「あの、あまり気を落とさないでくださいね。今日は、たまたま上手くいかなかっただけですよ。明日にはきっと……」
「マルコ、私、分かったかもしれない」
予想よりも明るい声に驚き、彼はロクサーナを改めて見る。そこには暗く沈んだ顔はなく、解けなかった難問をやっと解いた顔があった。
マルコは首を傾げたくなるのを我慢し、逸る気持ちを抑えて噛みしめるように聞く。
「何が、です?」
「何って、一つしかないわ。……私がアレクに惚れなかった理由よ!初めから、この縁談は成立していなかった。だから私も気が乗らなかったんだわ」
「……何ですって?」
「もう、察しが悪いわね!良いから城に戻って、すぐに陛下の許可をいただくわよ!」
「はい!?」
「いざ行かん!カラー王国へ!」
何の説明もない彼女の言動に、マルコはため息をつく。また振り回されるのか。そんな感情を隠しもせずに、やれやれと肩をすくめるのだった。