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その日の夜、人のいないサロンにてロクサーナとマルコは逢引きをしていた。
とは言っても、もちろん甘く芳しい類のものではなく、言ってしまえばただの愚痴大会兼お悩み相談会。
しかも、参加者はロクサーナのみ。マルコは聞くだけの不憫な役である。
白いネグリジェから伸びた足をバタバタと動かすロクサーナは、お姫様らしくない表情で唇を尖らせる。
その大きなアーモンド型の瞳には、どんよりした困惑が渦巻いていた。
「ねぇ、何でなのかしら?私、アレクシオスの事、嫌いじゃないわ。むしろ好感が持てる素敵な人だと思うの」
「はぁ」
「でもね、結婚をちらつかされても、ちっとも嬉しくなかった。というか、気まずさすらあったわ」
「ふーん」
「……ってちょっと!聞きなさいよ!貴方、どんだけ私に興味ないのよ!」
「興味ね。ありますよ」
「嘘おっしゃい!貴方の魂胆は見えてるわよ。どうせ、適当に返事してたら終わるだろうって感じでしょう!?終わらせてなんかやらないんだから!寝不足でクマ作りなさい!」
「なんて理不尽な……」
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向くロクサーナは、真面目に怒っている。真面目も、真面目。大真面目だ。
だが他の人から見ると、じゃれついているようにしか見えない。可愛らしく拗ねてみせ、相手の関心を奪おうとしていると勘違いする。
マルコはしかし、そんな愛らしい様子を見せられても、愛想笑いすらせずに冷たいジト目で見返す。
実際、彼は想い人の恋話を聞いているのだ。そりゃ、そうもなるというものだ。
同情したくなるが、彼は「同情するなら金をくれ」というタイプの人間だ。不要である、多分。
「で、何ですか?結婚に心がときめかない理由、でしたっけ?」
「そう。なぜなのかしら?」
「そんなの、簡単な事ですよ。ロクサーナ姫殿下にその気がないんです」
「へ、私に?」
キョトンとした顔で、2、3度瞬きをする。
マルコは2人きりの時しか見せない、本来の無感情な顔で頷いた。
「え、でも、私結婚したいのよ?」
「姫殿下の目的は、本当に結婚でしたか?違いましたよね。結婚は最終目的であって、まず初めは恋愛です」
「あ、確かに!」
「はい。ですから、ロクサーナ姫殿下がアレクシオス王子と恋愛したいはと思えないのではないですか?」
「つまり、私がアレクシオスに恋してない、って事?」
マルコはコクリと頷き、ロクサーナは息を飲む。
「なるほど!じゃあ、私が彼に恋すれば万事解決じゃない!」
「え、あ、そっちに行くんですか?諦めるのではなく?」
誘導尋問の要領で破談にさせようと目論んでいたマルコは、あらぬ方向に話が飛んでいった事に平静を失った。
このままいけば「彼とは縁がなかったのね」となりそうなものだが、彼女の執着を舐めていた。油断大敵の良い例である。
「馬鹿ね、諦めるわけないでしょう?私の悲願だもの。それに彼みたいな良い人、この先現れないわ」
「……そうですかね?」
不満そうなマルコを気にもとめず、ロクサーナは手を叩いて嬉しそうに語る。
「当たり前よ。話してて気が合うし」
「俺とも合いますよね?」
「あー、まぁ、そうね。……それに、文武両道だし」
「俺だって剣も戦術も得意です」
「へ?うん、知ってるわよ?……何より、とても紳士的だし」
「俺もやろうと思えば優しくできます」
「ふーん、そう。……あと、見た目が好みだわ」
「くっ!俺に髪を切れって事ですか?それとも筋トレ!?」
「いや、誰も貴方に頼んでないけど。それに私が好きなのは、彼の鷲鼻だし」
「……鼻を折ればいけるか?」
「ちょっ!止めなさい!貴方の鼻を折っても、ただ痛いだけよ!大体何なの、さっきから?一々話の腰を折ったりして!」
慌てて目の据わった彼を止めて、必死な顔で高い身長のマルコを見上げる。
彼はというと、まるで見下すかのような不敬な視線をロクサーナに向け、無表情に滲む不機嫌さを濃くした。
そして間をおかず、腕に縋り付く体勢の彼女に顔を近づけ、あくまでも強引ではない程度に腰に手を添える。密着しているにも関わらず、さらに腰を引き寄せられ、ロクサーナは目を丸くしていた。
抱擁よりも雑だが、ダンスの時より情熱的で、「何これ?」とでも思っているのだろう。
頭の上のクエスチョンマークが可愛らしいが、今のマルコにとってはそれすらも不満。
マルコの事を男として意識していないと、はっきり分からさせられる。こうまでしても、ドキドキすらしないなんて。
やっぱりやめておけば良かったと、変わらない表情の裏で思い悩む。残酷な真実は知りたくなかったのだ。
が、それでも、今更引き返す訳にもいかない。男は度胸である。
マルコは短く覚悟の息を吐き、緊張で冷たくなった手で彼女の肩に触れる。吐息のように掠れた声で、耳元に囁く。
ロクサーナの体が、びくりと震えた。
「……本当に、分かりませんか?」
「へ、あ、えっと?」
「俺が、どうして、姫殿下の恋愛に茶々を入れるのか。本当に、分からないのですか?」
「あの、ちょっと……!」
「教えてあげましょうか?後悔、…するでしょうけど」
「ねぇ、待って!ちょっ」
「俺、本当は、貴方が……」
「ちょっと待てって言ってんの!!」
彼女の怒声で一瞬にして崩れ去った甘い雰囲気に、マルコも呆れて目を瞬かせた。
あのまま暴走していれば、という気持ち。止めてくれて良かった、という気持ち。それが混ざり合って、重く長いため息になる。
が、改めてロクサーナを確認すると、真っ赤になった顔で彼を睨んでいた。マルコの胸を押すようにして隙間を作ってはいるものの、どうやら離れる気はないみたいだ。
こんな様子を見れば、彼女がマルコの行為に照れている事は明白。それに少なくとも、変態扱いもされないようだった。
スズメがチュンチュン言っているくらいにしか思われないと予測していた彼にとって、これは嬉しい誤算だった。というか、嬉しすぎる。
そんなマルコの心情など知るはずもなく、ロクサーナは肩を怒らせて叫ぶ。無意識に止めていた息のせいか、いくらか呼吸も荒い。
「もう、何するのよ!こっちは貴方と違って、恋愛経験皆無なの!お子ちゃまなの!ビギナーなの!」
「はぁ」
「だからあんな事を、あんな風に言われると、勘違いしちゃうの!冗談にできないの!それに、どうするの!?私が恋しちゃったら!?」
「どうするって、…嬉しいですけど」
「何で今気を使うのよ!?むしろ、今は気を使わないで!本当に恋するわよ!?拗らせた女の恋は面倒くさいわよ!?」
……前言撤回である。夜のサロンで、2人は砂糖菓子よりも甘い時間を過ごしている。
真っ赤になった顔で喚くロクサーナと、にやけが抑えられないマルコは、傍目からはカップルにしか見えない。
ロクサーナの縁談により、結局進んだのはマルコの恋路である。皮肉というか、何というか。
まぁ、何にせよ、彼らを取り巻く環境は少しずつ変化しているのだった。