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この日のセントカルロッタ城は、いつもにはない喧騒に包まれていた。
慌ただしい使用人たちに、変に張り切る騎士たち、緊張で汗がすごい文官たちと、そわそわしている大臣たち。
それもそのはずだ。彼らの敬愛するロクサーナ姫のお見合いが、今日執り行われるのだから。
お見合い場所である薔薇園は、それはもうてんやわんやの大騒ぎである。
やれ「例年より薔薇の色が悪い」だの、やれ「一番良い場所がまだ蕾」だの、どうしようもない事で走り回っている。
しかしその様を冷めた目で見れるのは、ことここにおいて、マルコただ1人だった。
ロクサーナは言わずもがな、緊張しっぱなしでいつもの調子が出ない。
マルコも最初こそ嫉妬したが、今では逆に冷静になれた。
今の今まで縁談が決まらなかったのだ。お見合いしたくらいで、決まる訳がない。と、考えることにした。
彼は余裕のある落ち着いた笑みを浮かべ、ガチガチに固まっているロクサーナに声をかける。
薔薇園の端にちょこんと存在する小さな丸テーブルに肘をつき、キョロキョロと空中を見回す。そんな無様な姿の主人に、彼はしかし愛おしさすら感じていた。
もはや、末期であると言って良い。
「大丈夫ですか?姫殿下?」
「な、な、な、な、何でもないわよ。私が平気じゃないように、見えるのかしら?」
「がっつり見えますけど」
「あら、やぁね。そ、そんな訳ないじゃない。いつだって冷静沈着なロクサーナ様よ?おみ、お、お見合いごときに緊張なんて」
「……してますよね?」
声と微笑みだけなら優しげなのだが、その言い方はあくまで冷たい。
しかしそれを気にすることもなく、彼女はぐるりと振り返って、涙目でマルコの腰に縋る。
いつもなら「細いっ!何でダイエットしてないマルコが細いのよっ!」とか突っかかりそうなものだが、やはり本調子ではないのだろう。
眉尻を下げて、彼を見上げるだけであった。
「してるわよぉ!してない訳ないじゃない!え、だってお見合いよ?何話せば良いのよ!?むしろ、お見合いって何するのよ!?」
「あの自己啓発本は?あれに何か書いてありませんでした?」
「そんなの思い出せる訳ないでしょ!何書いてあったかなんて、何一つ覚えてないわ!」
「無意味ですね」
「非情っ!そんなはっきり言わなくても良いじゃない!お見合いが終われば、多分思い出せるんだけど」
「やっぱり無意味じゃないですか?」
「……そんな純粋に聞かないで。えぇ、分かってるわよ。あんな本読むんじゃなかった。私の時間を返せ!」
「うわ、八つ当たりも甚だしいです」
「ちょっ、引かないで!というか掌返しが酷すぎない?私、貴方の主人よね??」
こんな会話を迂闊にも外で繰り広げているが、幸か不幸か、忙しすぎて誰も聞いていない。
それを知ってるのか、マルコは被っていた猫を剥がして目を細める。ロクサーナ以外に見せる穏やかなそれとは違い、しっかり男らしい色気を感じさせた。
「……大丈夫ですよ。どうせ成功しませんから」
「うん、そうよね。どうせ成功……んっ?今、なんて言ったの?」
「いや、だから、どうせ成功しませんからって」
「何その呪いの言葉!?やめてよ、現実になったらどうしてくれるのよ!?」
「責任とれって事ですか?良いですよ、結婚くらいしてあげます」
「あのね、冗談はやめなさい!ちょっと揺らぎかけたでしょうが!本気にするわよ!?」
ロクサーナの言葉に、どきりとするマルコ。だが、それは鈍感な彼女に届かない。
はぁ、止めよう。あの人無意識に煽ってくるから、期待しちゃうんだよな。
……くっそ、虚しい。
マルコがまたため息をつこうとしたその時、使用人の女の子がバタバタとかけてくる。やんちゃに翻るスカートがはためき、細い足をチラチラ隠す。
そして息も整えぬまま、薔薇園中に響き渡る声で報告した。
「カラー王国のアレクシオス様、お着きになりました!」
その言葉に一瞬沈黙し、数秒後また輪をかけて大騒ぎとなる。
それからアレクシオスが薔薇園に入ったのが、何とか取り繕ってからわずか2分後の事だった。
見慣れない薔薇園を戸惑いながら歩んでくるアレクシオスは、ロクサーナやマルコから見ても、またとない美青年であった。
炎を連想する赤い色の髪は短く揃えられ、生気に満ち溢れた青い瞳が勇ましい印象を与える。がっしりとした男らしい体型に爽やかな振る舞いが、好青年感に拍車をかけていた。
この見た目に、文武両道というオプション付き。なるほど、ロクサーナの相手に選ばれる訳である。
そしてアレクシオスの方は、ロクサーナに一瞬で目を奪われた。「神の作り出した至高の芸術品だ」という評価を遥かに超える、眩しすぎて攻撃的な美しさ。それに見惚れるな、という方が無理である。
そんな彼を意にも介さず、ロクサーナは王女然とした微笑みを浮かべた。緊張で桃色になった頬も、口に手を添える仕草も、まさに完璧そのもの。
これを天然でやるのだから末恐ろしい。どんな女も嫉妬すら抱きようがない。
「わざわざご足労頂いて申し訳ありませんわ。でも、私のために機会をいただけた事、とても感謝しています。さぁ、皆さまお座りになって?」
そう言われて、さらに全員が固まる。
アレクシオスも、彼の側近たる騎士も、仲介役のおばさんも、薔薇園の使用人達も。全てが息を忘れて、彼女の存在に注視する。
かろうじて耐性のあるマルコが、わざとらしく咳をして、やっと皆が意識を取り戻した。
「騎士が咳き込むなど」と怒られそうなものだが、この場合はむしろ功労者である。賞賛されこそすれ、非難などできる訳がない。
「あ、あぁ、ありがとうございます」
と、アレクシオスが。
「え、あ、そうですわね。ありがとうございます」
と、仲介役のおばさんが。
そうして、ようやく主役が席に着く。
薔薇園に置かれた白い猫足のテーブルと、それに合わせた白い椅子。そこにはロクサーナと、アレクシオスと、仲介役が座る。
本当は両者の親がいるべきなのだが、そこは王家である。流石に子供のお見合いより、自国の政務を優先させなければならない。
こうしてギクシャクしたまま始まったお見合いだったが、彼らは話すたびに緊張を解いていった。仲介役や使用人が消える頃には、2人は旧友のように笑いあえるまでになっていた。
そして、アレクシオスは提案する。「この広大な薔薇園を見てみたい」と。
もちろんロクサーナもそれを喜び、笑顔で彼の手を引いた。
ちなみに、後ろに控えるマルコは、この時点でイライラを通り越し自信を喪失しかかっていた。まだ彼らのイチャイチャを見せつけられると思うと胃が痛い。
が、彼の職業は騎士。こんな状態でも一切表情を変えず、席を立った主人の邪魔にならない距離で後ろに続く。
後ろから射殺さんばかりの視線が注がれている事に気付くこともなく、アレクシオスは薔薇園を見渡して感嘆の息を吐いた。
「しかし、すごいな。我が国にも薔薇園はあるけれど、このような規模では育てられない。よほど庭師が優秀なんだね」
「えぇ、そうなの!プルメリアの庭師は、本当に素晴らしいわ。あ、でもカラーの噴水庭園も有名でしょう?」
彼女のエメラルドの瞳に合わせた薄いグリーンのドレスが、足の動きに合わせて裾を揺らす。
本能的にそれを目で追ってしまうアレクシオスは、どうしてか罪悪感を抱きつつ目を逸らした。
そして自国の噴水庭園を思い出し、切なげに目を細める。ラピスラズリが如きその目の奥には、未だ過去になりきらない思い出が蘇っていた。
「……そうだね。あそこには私もよく訪れた。暖かな気候の日が多いから、噴水が映えるんだ」
「まぁ、素敵!一度行ってみたいのよね。ほら、プルメリアとカラーは遠いから、あまり観光にも行けないでしょ?」
「確かに。もっと国交が発展すれば、気軽に行き来できるだろうにね」
そう。彼らの言う通り、プルメリアとカラーは国同士の繋がりが薄い。
実際は海路を行けば割と近いのだが、大した繋がりもないので、観光のルートまで確保されていないのだ。
だからどちらにとっても、本の中の国という印象であり、お互いの国の観光名所なんて夢のまた夢である。
「それにしても、カラーのような小国の庭園まで知っているだなんて。さすがは世界の叡智だ。敵わないよ」
「嫌だわ。私、自慢のつもりじゃなかったの。ただ色々な事に興味があるだけ」
……これは、嘘ではない。だが真実でもない。
ロクサーナが噴水庭園に目をつけていたのは、将来のデート場所としてストックしていたからである。
どこまでも色ボケしているが、周りはもちろん気付かない。
「でもさ、本当に良かったよ。ロクサーナが良い人で。結婚相手と気が合わなかったらどうしよう、って思ってたんだ」
アレクシオスがはにかんだ。その素直な様子に心を打たれない女子はいない。それほどまでに、真っ直ぐで淀みのない態度である。
美丈夫の王子様。話も合うし礼儀正しく誠実。そして、待ち望んでいた「結婚」の話題。
嬉しくないはずがない。小躍りしそうなくらい嬉しいはずである。
……嬉しいはず、なのだ。
だが、ロクサーナは全く嬉しくなかった。
あれ?なんで?
心の中で首をかしげるロクサーナは、あれほどまでに待っていた展開に、ただ曖昧な笑みを浮かべるだけだった。