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光り輝く大理石の床に、真っ赤な絨毯が敷かれる。縦長のそれが行き着く先は、階段の上にある見るからに壮麗な椅子であった。
たかが椅子と思う事すら憚られるように、豪奢な装飾を施され、かつ座りやすさまで研究されている。
そう、ここはプルメリア王国が王城、セントカルロッタ城の謁見の間である。
国内外の重鎮が集う場所であり、我が偉大なる国王陛下が御坐す場所でもある。
そこに堂々と、あるいは颯爽と、足を踏み入れる美少女がいた。
光を弾く銀髪を編み込み、真っ白なドレスは簡素ながら質が良い。唯一色を持つ碧眼がキラリと輝き、見るものは石になったように固まった。
そして彼女は座する国王の前で恭しく頭を下げ、陛下の許可を得て、その美しい顔を今度はゆっくりと上げる。
「縁談の話が決まったというのは、本当ですか?陛下」
娘の他人行儀な呼び方に頬を膨らませ、国王であるフリードリヒ陛下は唇を尖らせる。有り体に言えば、拗ねたのだ。
……うわ、また面倒なのが始まった。
こんな非情極まりない事を娘が考えているとも知らずに、彼は未だ拗ね続けている。だからウザがられるのだと、誰か教えてあげてほしい。
「陛下じゃなくて、お父さんと呼びなさいってば!パパって言わせないだけ、まだマシだろう?」
「あのですね、そういうのは家族だけの時の呼び名です。今は国王陛下と王女なのですから、陛下とお呼びするのが妥当なのでは?」
「うわーん!娘が酷い!正論で返さなくても良いじゃん!」
「……正論だと分かってるなら、一々言わなければ良いのに」
ポツリと呟いた言葉が聞こえたのかどうか、それは定かではない。
だが国王も、その周りに侍る智者たちも、ロクサーナがそんな事を言うとは考えもしていないのだ。
「とにかく、私の縁談の話を進めましょう、陛下」
ばっさりと、跡形もなく切り捨て、彼女は話を戻した。
フリードリヒは未練がましく娘を見たが、コホンと咳払いをして国王の顔に戻る。
「そうだな。……ロクサーナ王女たっての願いを受けて、見合いをしても良い人物を探し出した」
「感謝の言葉もありませんわ。……それで、その人物とは、誰なのです?」
「まぁ、そう急ぐな。何人か候補がいる」
候補が数人いるという事に対して、喜びを隠せないロクサーナ。その瑞々しいまでの笑みは、恋を忘れた老人すらも心を潤わせた。
それは父である国王も例外ではなく、感慨深そうに目を細め「立派になったなぁ」なんて考えている。
「それで、ロクサーナ。お前に問いたい。お前は結婚相手に何を望むのだ?」
「何を、ですか?」
「あぁ、出来るだけお前の意思を尊重したいからな」
何を、か。
それはやっぱり……。
「私は、愛し愛される関係を望みますわ。私を見てくださる方が良いです。……私ごときが相手に何かを求めるなんて、烏滸がましい気もいたしますが」
ロクサーナ的に言えば、これは至極当然の事である。
彼女は国のために身を捧げる気など毛頭なく、自分の恋愛にしか興味がない。だからこそ、条件など関係ないのだ。だって、そもそも会ってみないと分からないのだから。
それにモテない自分が高望みをするのも、何だか悪いというだけである。
だが、フィルターがかかった皆はそう思わない。
彼女は、互いを尊重し合える精神を大事にしている。そしてどんな素晴らしい条件よりも、器の大きさに着目しているのだ。
しかも謙虚に、驕らない。どんな相手でも上から目線ではなく、常に対等でいる事を望む。
これには会場中が涙した。
何せ今まで、「この男は顔がちょっと地味」だの「こいつは剣術がイマイチ」だのと話し合ってきたのだ。そんな下衆な自分たちと、彼女の清らかさと言ったら、まさに月とすっぽんである。
自らの汚さを悔い改め、彼らは落ちる涙も拭わなかった。
が、ロクサーナからしてみれば恐怖だ。
なぜか急に泣き出されてしまうのだ。何か悪い事言ったのか、と考え始めるのも無理はない。
「あの、それで……?」
彼女の透き通る高い声が響き渡る。
いち早く意識を取り戻したフリードリヒは、満足気に頷いてロクサーナに微笑みかけた。
「ロクサーナ、お前の言わんとしている事は分かった。朕たちもようやっと理解した。だから安心すると良い」
「はい、あの、……本当に大丈夫ですか?」
「あぁ、心配するでない!やっと目が覚めたのだ。これからまた精査して、お見合い相手を決める。良いな?」
「もちろんですわ」
……こうして、よく分からない熱狂の中で話し合いは終結した。
そしてその後すぐに、お見合い相手は決まった。
名前は、アレクシオス・F・カラー。
農業国であるカラー王国の、正統な王子様である。とは言っても、王位継承権は第8位。王弟や兄たちがいるためか、彼が王位につく事はまずない。
だから彼に残された道は、臣籍に降下するか名家に婿入りするかのどちらかである。
しかし、それも惜しまれるほどに彼は優秀だった。
ロクサーナさえいなければ、時代を代表する偉人になれた事だろう。それほどまでに才色兼備、文武両道の紳士である。
そんな訳で、アレクシオスよりも継承位が高い人物たちは、彼をさっさと国外に追い出したかった。
彼は国民からの人気もあり、何より才能に恵まれている。もし彼が叛意を起こしたら、太刀打ちなどできない。
農業だけが取り柄のカラー王国には、そんな爆弾を背負ってまで彼を置いておくつもりはなかったのだ。
こうして両国の意向が重なり、かつ相手はどちらにとっても申し分ない。
……そのはずだった。
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《カラー王国王城クリスタルパレス・王の私室》
「なっ、どういう事ですか!?私と、ロクサーナ・プルメリアのお見合いっ!?」
「あぁ、喜びなさい。これは決定した事だよ」
静かに口を開く王を睨み、アレクシオスは肩で息をする。それくらい、彼にとっては憤慨すべき出来事だった。
それもそのはず。
勝手に縁談を申し込み、勝手に話を進め、勝手にお見合いまでこぎつけた。
しかも相手は、あの世界の宝であるロクサーナ姫。これでは断るに断れない。それどころか、わざと破談になるような態度も取れない。
要するに、万事休すである。
私の意見すら聞かないなんてっ!
彼は拳を強く握り、王の机に叩きつけた。バンっ、と大きな音がして、王も衛兵もびくりと肩を震わせる。
「私が、私が邪魔ならっ、どうぞ王家から除名してくださいっ!なぜそうなさらないのですかっ!」
困ってみせる王も、喚き散らすアレクシオスも分かっている。
彼があまりにも人気者で優秀だから、である。仮に彼を除名したら「優れているから足を引っ張られたんだ」と、根も葉もない噂が広がる。そうなると判官贔屓な国民は、さらにアレクシオスを支持するようになる。
反対に彼自身が進んで臣籍に下ろうと、何の意味もない。革命でも起こされる危険があるだけで、気が休まらないのだ。
分かっている。誰よりも賢いからこそ、アレクシオスにはそれが分かっていた。
だが、認める事は出来ない。認めてしまえば、彼は自分の最大の幸福を諦める事になるのだ。
「……すまんな。お前を愛しているから、ロクサーナ姫に縁談を申し込んだんだ」
「……知っています。ここにいたら私の命は危ないですから。いつかは刺客を退けられず、殺される。だから、逃がすつもりだったのでしょう?」
「……やはりお前は、賢すぎるな」
そう言った王の言葉は、褒め言葉とは思えないほどに悲愴の色が滲む。
その声にやり切れない感情を見て、アレクシオスはただ眉根を寄せて唇を噛むことしかできなかった。