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「毎度毎度、夜会のたびにエスコートの人選で迷うのは嫌なの!だけど、パーティーに行かないと出会いがない」
「……はい、そうですね」
「もう、こんな負のスパイラルは嫌よ!大体、どこにエスコートの相手に悩む王女がいるの!?」
ロクサーナの渾身の叫びに、優秀な愛想笑いを貼り付けたマルコは、冷淡な態度で聞き流す。
そして彼女の問いかけの答えとも言うべき視線を、無遠慮にロクサーナに向けた。
「……えぇ、えぇ、分かっているわ!お前の事だよバーカ、って言いたいんでしょ?知っているわ」
「いや、流石にそこまでは……」
「変な気遣いは結構。私はもう吹っ切れたの。今更、そんな事で傷付く私じゃないわ」
「はぁ、なんか変なものでも食べました?早く吐き出してくださいね」
「……期待はしてないけど、あまりにも興味が薄すぎて泣きそうだわ。まぁ、でも良いの。本題はここからなんだから!」
ロクサーナはそう言って、得意げに鼻の下を伸ばす。全く令嬢らしい上品さはないが、彼女の自室なのだ。気の緩みも当然と言えよう。
ちなみに、マルコが自室まで一緒にいるのは、常識的にはあり得ない事である。だが彼が模範騎士である事、いざとなればロクサーナの方が強い事を踏まえて、特別に許可されている。
間違っても、マルコが無理を通して許可を出させた訳ではない。少しばかり脅しはしたが、最終的には平和的に解決したのだ。何も問題はない。
「で、何ですか?本題って?」
「よくぞ、聞いてくれたわね。……それは、なんと!プライドを捨てて、陛下に縁談の話を進めたいと言ってきました!」
その言葉を聞いた瞬間、マルコは珍しく体を硬直させた。
そして体が芯から冷えるような、それでいて激しく炎が揺れるかのような瞳を、緩慢にロクサーナに向けた。
そんな嫉妬深い目をされたら、誰だって「おや?」となりそうなものである。それ程までに、彼の視線は多くを語っていた。
しかし、彼女は何も分かってない。
嬉しそうに笑って頷くのも、恥ずかしそうに頬を赤らめるのも、何もかもが逆効果だ。火に油とはまさにこの事である。
「へぇ、……それで陛下は、何と仰ったんです?」
「もちろん、了承してくれたわよ。私がわがままを言う事なんて少ないし、何より年頃だもの。婚約者候補を選んでくださるらしいわ!」
「……良かったですね。お似合いの人がいるかどうかは知りませんけど」
「あ、また馬鹿にしてるでしょ?残念でした!今回は特に選抜してくれるらしいわ。モテないとは言っても、プルメリア王女ですもの!自分で言うのもアレだけど、政略結婚の相手としちゃ申し分ないわよ」
高らかに政略結婚宣言をするロクサーナだが、実の親である国王は、もちろん彼女を政治の道具とするつもりはない。
彼女の要請を受けて、山のように積み上がった縁談申込書を審議している今も、そんな事全く考えていなかった。
何たって、諸刃の剣なのだ。強力なカードすぎるのだ。
美貌も才能も慈愛も兼ね備えているロクサーナは、下手をすれば彼女を巡って戦争でも起きかねない人気である。さらにそれを利用するとなれば、一つの選択ミスで国が滅ぶ危険性すらある。
言ってしまえば、彼女を結婚させるという事自体、薄氷の上を馬車で行くようなものである。要するに、めちゃくちゃ危ないのだ。
実際、国王と彼の召集で集まった信頼できる智者たちは、銃口でも突きつけられているかのように冷や汗を流していた。そしてガチガチと歯を鳴らしながら、震える声で縁談について審議する。
「いやいや、そこまでじゃないでしょ?」と思う事無かれ。プルメリア王国にとっては、そこまでの事なのだ。
何せ、もし彼女が国外にでも行こうものなら、彼女を追って大量の移住者が出る。さらに消費は冷え込み、精神的に不健康になる人が続出する。彼女の効果で売れていた商品は売れなくなり、多分3年はお通夜状態になると言われているくらいだ。
例え国内で結婚しても、国内外の貴族や王族から「俺の方が良かったのに」とチクチク嫌味を言われ、略奪しようとする不貞の輩を排除しなければならない。そこにいくらの防衛費をつぎ込む事になるのか、今から頭痛がする。
こんな具合に、彼女の結婚は世界を動かすのだ。
その経済効果を考えるだけで、彼らの背の重責は重くなる。
下手な相手はもちろんダメだが、なるべく恋敵の心が折れる素敵な人でなくては。でないと、プルメリアが滅ぶ!
いつも権力争いを繰り広げている彼らは、ここに初めて意見の一致を見た。そして悪寒と不安に押しつぶされながら、議論を進めるのだった。
……なんて、逼迫した状況をロクサーナ自身が知るはずもなく、彼女は満足げに自室で紅茶を飲んでいた。綺麗な色と芳醇な香りが快い。
ちなみに、これもマルコが淹れたものだった。彼のスキルは武術だけではなく、従者としても最高レベルである。
「いやぁ、最初っからこうしておけば良かったのよ!センセーショナルな出会いにばかり気を取られていたけど、愛し合える相手さえいれば良いんだもの!」
「愛し合える、ね。そんな簡単に見つかりますかね?」
「ふふっ、今日は機嫌が良いから貴方の毒舌も可愛く思えてくるわ。良いわよ?今は何言ったって。だって、3年後に笑っているのは私だし!貴方はそんな私を涙を流して祝福するのよ!」
3年後という微妙にリアルな期間から、自信のなさがありありと分かる。現実的というか、夢がないというか。とにかく、乙女になりきれない年頃なのだ。
しかし盛り上がるロクサーナと対照的に、マルコは琥珀色の目を静かに細め、腰をかがめて彼女を覗き込んだ。
彼女の座る椅子の背もたれに手をつき、後ろから体重をかける。
「……ロクサーナ姫殿下は、本気で仰っているんですか?煽りでもなく?」
その声に僅かな怒りを見て、ロクサーナは慌ててカップから口を離す。反射的に急いでマルコの顔を確認すれば、そこには沸々とした静かな怒りがあった。
これが世に言う「マジギレ」である。ロクサーナも肩をびくりと震わせ、引きつった笑みで小首を傾げた。
「ど、ど、どうしたの?こわい顔してるわよぉ?せっかくのイケメンが台無しじゃない、ね?」
「……ここまでしても、気付いてないのか」
「き、気付く?何に?あ、それよりもこの貰い物のクッキー食べちゃいましょう!ね?きっと貴方も気にいるわ。ほら、口開けて?」
そう言って片手を添えて、クッキーをマルコへと差し出す。白魚のように美しい手が微かに震えている。
対してマルコは驚きに目を丸くしたが、すぐにため息をついて普段の彼に戻った。そして不敬にも、主人の手ずからクッキーを食べる。
そこには甘ったるい雰囲気などまるでなく、どことなく反抗的でもあった。間違っても「あーん♡」なんて感じではない。
「……ま、今はこれで良いですよ。貴女がいちいち俺の機嫌を気にするだけで、今は十分です」
「そうなの?それなら心配いらないわ!私は貴方の事をちゃんと考えているもの」
無邪気に微笑むロクサーナと、半ば諦めた微笑みを返すマルコ。
彼らの元にやつれた文官がお見合い話を持ってくるのは、それから10日後の事だった。