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「プルメリア王国のロクサーナ王女」と言えば、全人類の憧れである。
サラリと風に靡く艶めいた銀髪に、透き通ったエメラルドの瞳。鼻筋はスッと高く、女性らしい桃色の唇はとても愛らしい。スタイルも柔らかさと華奢さが両立された素晴らしいものであり、背中に白い羽がないのが不思議なくらいの美しさだ。
年頃の男子なら皆が恋い焦がれ、女子たちは彼女を目標にして美の道を邁進する。平民も貴族も関係なく、その肖像画を拝むくらいだ。
正に、美の化身と言っても過言ではない。
さらに、頭脳もあり得ないほどに明晰である。
5歳で家庭教師を上回り、10歳で大学の教授を論破し、15歳で権威である学者を泣かせたという逸話があるが、これもあながち嘘ではないのだ。
つまり、17歳になった彼女は、今や並び立つものがいないほどの賢者である。
さらにさらに、運動神経も抜群だ。
スポーツをやらせればすぐに達人になり、有力な選手たちの心を折ってしまう。そのため、試合を禁止されたほどに彼女は天才的であった。
剣術では騎士団長しか太刀打ちできないにも関わらず、彼女が一番得意なのは銃だと言うのだから驚きだ。
さらにさらにさらに、美術的センスも群を抜いている。
彼女の奏でる旋律は神の心さえ射止め、彼女の描く絵は悪魔すら微笑みを浮かべる。一度詩を読めば、古代に消えた精霊すら蘇るとまで言われた。
実際、その賛辞がおべっかではないと思えるくらい、ロクサーナ王女の作品は高い評価を得ていた。手に入れた資産家は滂沱の涙を流し、その喜びで三日三晩寝込んだ者もいたくらいだ。
極め付けは、その性格である。
洗礼された所作に、ノブレスオブリージュの精神と、穏やかで雅やかな物腰。慈愛に満ちた聖女のような優しさと、時に厳しく人々を導く女神のようなカリスマを持ち、誰も彼もを魅了する。
それなのにロクサーナ王女自身は、気さくで親しげであり、たとえ他国の貧民であろうと無碍にしない。誰よりも優れているのに、全く偉ぶらない善良な人間であるのだ。
……と、こんな具合にロクサーナ王女はかなり高い人気を得ている。
当人はあまりの鈍さに気付いていないが、世界一の呼び声高い人類の宝である。彼女と同じ時代を生きたと言うだけでお酒が美味くなるほど、伝説的人物なのだ。
だが、そんな彼女にも悩みがある。
それはズバリ、恋人ができないという事。「いや、そんなまさか」と思うかもしれないが、悲しいかな、純然たる事実である。
確かに、彼女に思いを寄せる男性は多い。
年齢・国籍・身分すら問わずに、たくさんいる。山のようにいる。塵芥よりもいる。
しかし、どうあってもロクサーナ王女は高嶺の花なのだ。
いや、高嶺の花どころじゃない。一万年に一度の星の輝きほどに、稀有で尊い存在である。
だからこそ、彼らは尻込みしてしまうのだ。
というより、次元が違いすぎて期待すら持てない。彼女と結婚したいなど不埒で尊大な願いであり、笑いかけてもらえるだけで充分。そう考える人のなんと多い事。
そして時たま現れる身の程知らずの猛者は、彼女の身の周りの者に排除される。
貴族の子女たちや、王城の使用人たち、騎士や世話役たちに、親戚たる王族たち。彼らにこぞって攻撃されるのだ。そりゃ、諦めるしか道はない。
……が、ロクサーナは鈍感故に拗らせていた。
自分が縁談すら来ないほどに「モテない」のだと。
年頃の娘なら、婚約者か夫がいるにも関わらず、自分の元にそんな話は一切来ない。それはなぜか。「モテない」から。
そしてそんな悲しき勘違いは、さらなる闇として彼女にのしかかる。
有り体に言えば、彼氏作りに躍起になってしまったのだ。
「モテるための200のコツ」だとか「愛され女の習慣」だとか、とにかく訳の分からない自己啓発本を買い漁り、しまいには誰彼構わずお茶会に呼ぶ始末。
これじゃあ、ロクサーナ王女たる威厳も風前の灯である。
……と、そのはずなのだが、多くの人は彼女の意図に気付かない。高性能すぎるフィルターがかかり、皆が彼女をネオポジティブに解釈する。
国民からの支持を得るために余念がない、だとか。
どんな末端の弱小貴族でも慈悲を与える、だとか。
もはや「誰それ」状態だ。
実物のロクサーナと、憧れのロクサーナ王女殿下は、天と地の差になってしまっている。
しかし、当の本人はそんな乖離に気がつく事もなく、今日も今日とて騎士マルコに愚痴をこぼす。
「なんで彼氏ができないのよぉ。みんないるのに、なんで!?努力はしてるのよ?アピールにだって余念はないし、美容にも気をつけているわ。なのに、なぜっ!」
「はぁ、それ何回目です?もう諦めたら良いじゃないですか」
ため息混じりに、マルコが肩を竦める。一見優しげだが、「どうでも良い」という感情がありありと分かるほどに、彼がロクサーナを見る目は冷たかった。
けれども、そんな絶対零度の視線に屈するロクサーナではない。彼女はご機嫌取りを待つ子供のように、頬を膨らませてマルコを睨む。
「諦められる訳ないでしょう?これは私の夢なの。ラブロマンスみたいに燃え上がるような恋をしたいの!」
「……否定はしませんよ、俺は」
「その言葉自体が、否定してんじゃないのよ。何その生暖かい目!良いでしょう、夢見たって」
「叶えられる夢なら、俺も口出ししないんですけどね」
「む、何よそれ、叶えられるわよ!まだ分からないのよ?どうする?すっごい最高の紳士が私を見初めたら!?」
「いや、どうするって…。どうもしませんけど」
「淡白っ!もっと私に興味を持ちなさいよ!なんか私が一人で喚いてるみたいじゃない」
「…?違うんですか?」
「え、何?突然の裏切りはやめて?心が折れちゃいそう」
そう言って演技たらしく胸を押さえてみせるロクサーナに、それを穏やかな笑みで無視するマルコ。
会話さえ聞こえなければ神々しい主従に見えなくもないが、聞こえてしまえば百年の恋も冷めるほど俗物的。
それにしても、マルコの演技力ったらない。
ロクサーナも中々の女優だが、彼に至っては本職すら凌駕する。
実際、彼の冷たくて愛想のないところはロクサーナくらいしか知らない。それ故、誰に聞いても「マルコは優しくて穏やかな優等生」と答えるのだ。実物はあんなにも、淡白でやる気がないというのに。
だが、彼女はまだ知らない。
彼女に言い寄る勇者たちを排除している筆頭が、すぐ後ろに控えたマルコだという事に。
彼の演技は根を深く張り、もはや超恋愛初心者のロクサーナには対抗できないという事に。