最強勇者は子煩悩~勇者を引退してから孤児院を経営していますが、裏では世界を救ってます~
「今から、百年前の事でした」
子供達にせがまれて、イズルギは物語を読んでいた。
薄緑の髪を持つ、エルフの男である。優しそうな切れ長の目に、色白の肌を持っている。
彼の回りには、沢山の子供達が居た。イズルギの経営する孤児院の、家族たちである。
イズルギは今、彼らにせがまれて、勇者と魔王の物語を読んでいる。子供達が一番大好きな物語だ。
「この世界は、魔王サンドラットの手により支配されていました。空はいつも暗く、気候も寒くて、作物すら育たない暗黒の日々。人々は、絶滅の危機に瀕していました」
子供達は息を呑む。イズルギは微笑みながら、物語を進めた。
「しかし、その魔王の悪事を挫く、一人の勇者が現れました。彼の名は、ラクト・ローウェル。当時唯一、最高位のSランクの資格を保持していた、最強の冒険者でした」
「出た! ラクトだ!」
孤児院一番のやんちゃ者、リックが騒いだ。すると周囲の子供達が、しーっと口に指を当てた。
「静かに! 折角いい所なんだから」
「ご、ごめん……」
素直な子だ。イズルギはリックを撫でながら、物語を続けた。
「ラクトは伝説の剣、アーケルスを振るい、魔王を倒す冒険に出ました。道中仲間にした、美しいエルフの魔導士を従えて、魔王城にたどり着いた彼は、七日七晩に及ぶ戦いの末、とうとう魔王を討伐したのです」
子供達は小さな歓声を上げた。
「ラクトの手により、世界に光が戻りました。人々は彼を称え、勇者の称号を与えました。そして彼は王女様と結婚し、平和で幸せな日々を送ったのでした。……おしまい」
イズルギは本を閉じ、子供達に微笑んだ。
「さ、お昼ごはんの前の朗読は、これでおしまいだよ」
「えーもっと聞きたい!」
「先生、次はこれ、次はこれを読んで!」
メリッサがまた次の本を持ってきた。イズルギは苦笑し、肩を竦める。
「困ったなぁ、あまり読みすぎるときりがないよ?」
「だって先生、ご本読むの上手なんだもん」
「そうだよ! なんかさ、本当に本の世界に入った様な気になっちゃうんだよ」
「ふふ、君達にそう言ってもらえると、とても嬉しいな。でも、あまり我儘を言うと……」
イズルギが悪戯っぽく笑うと、厨房から怒声が飛んできた。
「こらーっ! いつまで先生にわがまま言ってるの、お昼ごはん出来たんだから、早く食べなさーい!」
孤児院の広間に、おたまを持った少女が駆け込んできた。
ショートボブの金髪を持つ、可愛らしい少女だ。ピンクを基調としたフリル付きの衣装が良く似合っている。
彼女はエルル・ヴェーゼ。今年で十七歳になる、孤児院最年長のお姉さんだ。
「ごめんエルルお姉ちゃん! 今日のご飯はなぁに?」
「カレーだよ、カレー! 皆大好きでしょ? ほら早く食堂に行った行った!」
『わーい!』
子供達は大喜びで走っていく。やれやれと肩を竦めるエルルの頭を、イズルギは撫でた。
「いつも済まないね、エルル。君のお陰で孤児院はどうにか成り立っているよ」
「そんな……私はただ、先生の力になりたいだけなんです」
エルルは顔を赤らめ、指を突いた。
本来なら、孤児院は十二歳で独り立ちするか、里親に引き渡される事になっている。だがイズルギは十二を超えた子供達も院に残しており、時には職員として雇ったりして、手厚く保護しているのだ。
「身寄りのない私達を、こんなに良くしてくれて……いくら感謝しても、足りない位なんです。それに毎日、院の運営のために、働きづめで……」
「愛する家族たちのためだからね、身を粉にして働くのは、当然の事だよ。さぁ、子供達に食事の用意をしないとね。そうだ、食後のデザートに果物でも用意しようか。地下蔵に寄ってから追いつくよ、先に行っていてくれ」
「はいっ」
エルルはぱたぱたと食堂へ向かった。その背中を見送り、イズルギは朗らかに微笑んだ。
「エルル……本当に、いい子に育ったな。他の子供達も、元気に育っている。……冒険者だった頃には、なかったな。このような、喜びは……」
イズルギは拳を握りしめ、踵を返した。
急いで地下蔵へ向かい、手を翳す。するとホログラムのようなスクリーンが浮かび上がった。
高位の冒険者でも使える者が少ない、通信魔法だ。
「君達も、この孤児院も、必ず守ってみせる。そのためにも……教えろ、チトセ。今度はどこだ?」
スクリーンに浮かび上がったのは、美しいエルフの女性だった。
長く煌めく金髪をうなじでまとめ、高位の加護を施した法衣を着こんでいる。チトセはため息を吐くと、
『ごめんなさいね、孤児院の運営で忙しいのに、こんな依頼を出して』
「金になるから構わない。前々から話していた、魔王軍の残党の件だろう?」
チトセは頷いた。
『調査の結果、三か所で同時に行動を起こすつもりらしいわ。こちらも高位の冒険者を派遣しているのだけど、結果は芳しくなくて……』
「そうか、それは好都合だ。手に入る金が多くなる」
イズルギはニヤリとすると、指を鳴らした。
直後、彼の姿が変わっていく。エルフから人間に変異し、白銀の鎧を纏った戦士の姿になった。
彼は、禍々しい紅に輝く大剣を背にし、短く刈り込んだ茶髪が目を引く、顔に斜めに走る古傷をつけた男に変わっていた。
「さて、じゃあ稼ぎに行くか。昼飯の事もあるから、一分で片付ける」
「……気を付けてね、ラクト」
彼は頷くなり、転移で指定された場所へ飛んでいく。
そして到着した直後、魔王軍残党が密かに用意していた、全長八十メートルの魔導砲を剣の一振りでぶっ壊し、二十秒で依頼を片付けてしまった。
……孤児院の院長、イズルギは仮初の姿である。
彼の本名は、ラクト・ローウェル。
百年前、魔王を倒し、世界に平和をもたらした伝説の勇者、本人だ。
◇◇◇
時刻は深夜、人気のない森の中。
ラクトはたった一人で魔王軍残党を追い詰め、剣を握りしめていた。
「ら、ラクト、ローウェル!? な、なんで、こんな所に……!」
「お前らに答える義理はない、消えろ」
冷淡に言うなり、ラクトは魔剣アーケルスを一振りし、数百の魔王軍残党を吹っ飛ばした。
魔王を倒しても、その勢力全てが消えたわけではない。
サンドラットに忠誠を誓っていた二人の幹部が生き残り、魔王の意志を継ぐために、各地で世界征服のために暗躍しているのだ。
しかし、百年もの間、彼らが世界征服を完遂した事はない。なぜかって?
「この俺が、連中の野望全てを破壊しているからだ」
『誰に向かって話しているの、ラクト?』
剣を肩に乗せてドヤ顔するラクトに、チトセはため息を吐いた。
彼女は、かつてラクトと共に魔王討伐の旅をしていたエルフの魔導士である。現在は王国の大臣として、行政に携わる日々を送っている。
「さて、戻るか。今回の報酬、請求させてもらうぞ」
『はいはい……相変わらず凄まじい額ね』
ラクトは過去現在を通し、最強の座を保持し続けている。
そのため、冒険者や王国軍でも困難な案件が出た場合は、彼に解決してもらっているのだが……。
『背に腹は代えられないとはいえ、毎回高額な報酬を要求するわね……』
「嫌なら、もう頼まなくていいんだぞ。そうなれば、また世界は百年前に逆戻りだろうがな」
魔王軍残党の討伐は、ラクトにしか出来ない案件だ。
何しろ、魔王軍残党の平均戦闘レベルは400。近年の冒険者で最高レベルなのは、現Sランクの270がやっと。王国軍にもそれ以上の力を持つ者はいない。
それに対し、ラクトのレベルは999。しかも魔王を倒した事で、強大な魔力と不死性を手に入れており、その気になれば彼一人で世界を滅ぼす事すら可能だ。
なので国の弱みに付け込み、彼は毎回1000万ギル(日本円で約一億円)の法外な報酬を要求している。
全ては孤児院と、子供達のために。
「ふふ、この金があれば、子供達に新しい服を買ってやれるな。いや、玩具や家具を新調してあげるのもいいかもしれない。もっと美味しい物も食べさせてあげないと。彼らが独立した時のための、支援金としても蓄えておくか」
『……本当に、子供達を愛しているのね』
「ああ……百年前、魔王を倒した後も、俺達は各地を回って魔物討伐を続けてきたよな。来る日も、来る日も……血塗れで、戦い詰めの毎日。だが、そんな中だったよ。リグレットの街で、あの孤児院を見つけたのは」
子供達が元気に遊び、生活している姿を見て、ラクトはその中に入りたいと思った。
そこで身分を隠し、孤児院で働き始めたのだ。
「子供達と過ごし、成長を見守る内に……俺の中には、今まで感じた事のない温かさが広がった……それで、思ったんだ。魔王の力を、子供達のために使いたいとな」
『以来孤児院を買い取って、世界の平和を守りながら、沢山の子供達を育ててきたと。不老なのを恐がられないよう、エルフの姿になってまで、ね。もう何度、その話を聞いた事か』
チトセはため息を吐いた。
『国王からの誘いも全部断って、人生全てを子供達のために使う。それが貴方の選んだ道なら、私から言う事は何もないわ。でも……たまには会いに来て。私はまだ、貴方への想いを喪ったわけじゃないのだから』
「考えておく。じゃあ、俺は戻るよ。……子供達が、待っているからね」
◇◇◇
ラクトは転移で孤児院に戻り、イズルギの姿に戻った。
寝室を覗いてみると、子供達は安らかな寝息を立てている。彼らを撫でながら、イズルギは目を細めた。
本当に、愛しい子供達だ。彼らを見ていると、戦いですさんだ心が癒えていくのを感じる。
大切な家族を守るためなら、世界を敵に回しても構わない。
「っと、気が付けばもう、三時か……朝ごはんの仕込みをしなくてはね」
イズルギは厨房に入り、食材を取り出した。
野菜を細かく刻み、羊の骨で丁寧に出汁を取ったフォン・ド・ヴォーに入れて煮込む。スープを作っている間にパン生地をこね始め、時間をかけてしっかりと発酵させていく。
野菜嫌いの子供でも喜んで食べてくれる野菜スープと、小麦の甘さが際立つ柔らかいパン。朝の定番メニューであるが、彼は朝三時から時間をかけて調理をしているのだ。
魔王の力を奪っているため、彼は夜眠らなくても活動出来る。その特性を、子供達のために活かしていた。
「これで、よしと。うん、今日もいい出来だ」
パンを焼き上げたイズルギは満足げに頷き、窓を見やる。
すでに朝日が昇り始め、空が白んできていた。時刻は五時半と行った所だろう。
「おはようございます、先生……」
まだ眠そうな顔で、エルルが厨房に入ってきた。
すでに大量に作られた料理を見るなり、彼女は驚いた。
「先生、もうこんなに!?」
「はは、毎日驚いてくれるね。こちらとしても、料理の作りがいがあるよ」
「せ、先生……一体いつも、何時に起きているんですか? 私よりも早く起きて、無理をして……もし先生が倒れちゃったら、私……私……っ!」
エルルは泣き始めた。
彼女が孤児院に就職したのは、少しでもイズルギの力になるためだ。
身寄りのない自分を育ててくれた彼へ恩返しがしたいのに、毎日彼の後姿を見るばかりで、何も出来なくて……それが悔しくて、たまらない。
「大丈夫、私は無理なんかしていないよ」
エルルの気持ちを汲み取り、イズルギは慰めた。
「君達を想うと、力が湧いてくるんだ。この孤児院の運営も、私が好きでやっているだけの事。それにエルルはちゃんと力になっているよ、君が頑張って洗濯や料理をしてくれるから、私も安心して子供達を見ていられるのだから」
「先生……!」
「さっ、一緒に料理を仕上げていこう。皆が起きてしまうからね」
エルルは頷き、早速手伝いを始めた。
イズルギも料理を仕上げ、食堂に並べていく。すると食事の匂いに誘われて、子供達が起きてきた。
「やぁ皆、おはよう! 美味しい朝ごはんが出来ているよ、まずは顔を洗っておいで!」
『はーい!』
子供達は元気よく手を上げ、返事をしてくれた。
大切な家族を見ていると、胸が温まる。そして確信する、自分が手に入れた魔王の力は、彼らのためにあるのだと。
「君達は、必ず私が守ってみせる……!」
魔王の力を得た勇者は、決意を胸に抱いた。
◇◇◇
リグレットは、王都から西に二十キロ離れた場所に位置する近郊都市だ。
麦畑に囲まれた、レンガ造りの家々が並ぶ、風靡な場所。危険もそう多くなく、子供達が過ごすには最適な環境だ。
『せんせー! 早く早く!』
「はいはい、慌てなくても、ピクニックは逃げたりしないよ」
イズルギは子供達に手を引かれながら、リグレットが見渡せる丘へ向かっていた。
今日は雲一つない、絶好の行楽日和だ。なので孤児院の子供達全員を連れ、ちょっとした遠足を行う事にしたわけである。
「もう、皆はしゃぎすぎよ。転んで怪我しても知らないんだからね!」
エルルはぷんぷんと怒るも、まるで効果が無い。イズルギは微笑み、彼女を撫でた。
「エルルも張り切り過ぎて転ばないようにね。知っているよ、君が昨日、ピクニックを楽しみにし過ぎて全然眠れなかった事を」
「ふえっ!? み、見ていたんですか!?」
「勿論。こっそりとぬいぐるみを編んで気を紛らわしていた所も、全てね」
エルルはぬいぐるみづくりが趣味だ。孤児院には彼女が作った、クマや猫のぬいぐるみが山と積まれている。
「なんだ、エルルねーちゃんもおこちゃまだなー」
「こ、こらリック! 子供のくせにませた事を言わないの!」
エルルはリックを追い回した。可愛らしい喧嘩を微笑ましく見守りながら、イズルギは周囲に「探知」の魔法を使った。
リグレットは王国内で、最も過ごしやすい都市とされている。というのもこの都市には、野盗や魔獣と言った脅威が一切やってこないからだ。犯罪率も非常に低く、国内の平均犯罪率が二十パーセントに対し、リグレットだけはゼロパーセントの超低水準を維持し続けている。
なぜ他の都市よりそんなに治安がいいのか、その理由は分かっていない。しかし読者諸君には特別に、教えて差し上げよう。
(……ふむ、どうやら、ネズミが入り込んでいるな)
イズルギは子供達に気づかれぬよう、木陰で魔法を使った。
すると、ラクトの姿を持った分身が現れた。本人と全く同じ性能を持った、「ドッペルゲンガー」である。これは魔王が使っていた力の一つだ。
「潰してこい」
『任せろ』
ラクトの分身は音もなく走り出す。向かった先は使われていない廃倉庫で、そこには十名ほどの盗賊団がたむろしていた。
「へっへっへ……やっぱここは、どいつもこいつも腑抜けた顔をしていやがるぜ」
「周辺の警戒網は調査済みだ、あと数十分で警官や冒険者共のパトロールコースが手薄になる」
「その瞬間に、ブツを頂くとしようぜぇひっひっひ」
盗賊達は下品な笑みを浮かべ、悪事の算段を立てている。その中に、
『へぇ、楽しそうな話をしているな。混ぜてくれよ』
ラクトの分身が現れた。
「な、なんだてめぇはぎゃあっ!?」
「ぼ、冒険者だと!? ここはパトロールコースの死角になってがはぁっ!」
「ちょ、お願いしゃべらせげべへっ!?」
ラクトは情け容赦なく盗賊団を叩きのめし、縛り上げて表に叩き出した。
『あとは、警官隊や冒険者が見つけて逮捕してくれるだろう。……消えろ、ゴキブリが居たら子供達に悪影響が出る』
そう言い残し、分身は消え去った。
このように、魔王の力を駆使して犯罪者を事前に叩き潰し、子供達の安全を確保しているわけだ。眠る必要もないため、二十四時間ずっと防犯体制を維持できるのである。
ようはこの街、魔王と勇者に守られているわけなのだ。そりゃあ安全なのも頷ける。
「これでよし、と……」
「先生? どうかしたんですか?」
「いいや、なんでもないよ」
イズルギは微笑み、エルルの荷物を持ってあげた。
気付けば、丘の上に到着している。大きな木が一本生えているだけの開けた場所で、ピクニックにはもってこいの場所だ。
「さぁ、君も子供達と遊んでくるといい、私は、ランチの準備をしておこう」
「分かりました! じゃあ、皆! 鬼ごっこでもしよっか!」
『わーい!』
エルルを中心に、子供達は鬼ごっこで遊び始めた。
その姿はキラキラしていて、輝いていて、眩しくて……イズルギは目を細くした。
彼らはいつか、里親に貰われたり、就職したりして、独立していく。それまで、生きる力を育てて上げるのが、自分の役割だ。
「見守らせてもらうよ、皆……」
別れの時を想像してしまい、イズルギは思わず涙してしまう。すると突然、頭にぴりっとした痛みが走った。
チトセからの通信である。急いで繋ぐと、彼女は焦った様子だった。
「どうした、チトセ? また魔王軍の残党が?」
『ええ、そうなの……しかもよりによって、リグレットの近くで活動をし始めたの』
「なんだと!?」
イズルギは急いで詳しい状況を尋ねた。
何度もラクトに邪魔をされ続けた魔王軍の残党が、とうとう直接彼自身を叩き潰すと決意したそうなのだ。
現在、総勢一万の軍勢を用意し、リグレットへの侵攻を開始しているという。このままでは、あと三十分もすればリグレットへ到着してしまうそうだ。
『リグレットが落とされたら、王都侵攻の活動拠点にされてしまうかもしれない。だからお願いラクト、事が起こる前に対処を……どうしたの?』
イズルギは震えていた。あと三十分で、魔王軍の残党がやってくる? そうなったら、そうなったら……。
「子供達の遠足が、台無しになるじゃないか……!」
『あ、あら? 私が出した案件って、国家転覆の危機に値する物なんだけど……』
チトセの言葉は聞いていない。イズルギは辛うじて笑顔を作ると、
「エルル! ちょっと子供達を見ていてくれるかな? 水が無くなったみたいでね、ちょっと汲んでくるよ。五分で戻るから、待っていておくれ」
「あ、はーい」
言うなり急いで立ち去り、イズルギからラクトの姿へ変わる。魔剣アーケルスを握りしめ、彼は怒りの形相で空を見上げた。
「子供達の遠足は必ず守ってやる! 場所を教えろチトセ!」
『え、ええ……貴方、徹底的にブレないわね……』
ラクトの壮絶な怒り顔を見て、チトセは若干引いていた。
◇◇◇
「同志たちよ、とうとうこの時が来た!」
剣を掲げ、隊長格のリザードマンが叫んだ。
彼の前には、総勢一万ものモンスターが集まっている。皆魔王を滅ぼしたラクトへの恨みを募らせた猛者ばかり、平均レベル500の強者たちだ。
「今こそ我らが宿敵、ラクト・ローウェルを殺し! サンドラット様が築き上げた栄華を取り戻す時! 百年に及ぶ雌伏の時を経て、ようやく決起の時を迎えたのだ!」
モンスター達は歓声を上げた。全員ラクトに叩きのめされた者ばかりであり、
ラクトを倒すこの時を、どれだけ待った事だろう。必ずや奴を倒し、魔王の力を取り戻す。
「さぁ、全軍突撃!」
決意を固め、モンスター達は雄たけびを上げて、リグレットへと突撃した!
そして直後、九千の兵から血しぶきが上がった。
「はえ!?」
一瞬で大半の兵が死に、リザードマンは驚愕した。
残りのモンスターも瞬く間に殺されて、後に残るはリザードマンのみ。そして彼の前に現れたのは、禍々しい魔剣を担いだ怒りの勇者、ラクトだった。
「き、貴様……い、いつの間に!?」
「それはこっちの台詞だ、この野郎」
ラクトは顔に青筋を立てながら、魔剣を振り上げた。
「今日は子供達の大事な遠足の日だぞ? それを……何世界征服の決起日にしていやがる! 世界の危機と子供達の遠足ならどっちが大事だ! 子供達の遠足だろうがぁ!」
「いや何言っているんだお前は!」
「今日のため、昨日の夜中から料理の仕込みをしてきたんだ! 子供達が「美味しい」って言う顔を見るのをどれだけ楽しみにして来た事か……それを台無しにする奴は絶対に許さん!」
「お前は一体どこの世界線で生きているんだ、話が全く見えないぞ!?」
「問答無用!」
リザードマンを蹴り上げ、一秒間に千回の斬撃を繰り出してミンチにしてしまう。
総勢一万のモンスター軍団だったが、僅か一分で全滅してしまった。ラクトは魔王で死体を海へ転移し、魚の餌にしてしまう。地面に染み付いた血液なども処理をし、子供達に感染症が及ばないよう気を配る。
「ふぅ、おい終わったぞチトセ」
『早いわね……相手の苦労をいとも簡単に台無しにするとかある意味鬼畜だわ……』
「子供達の遠足を邪魔したのが悪い。……何もこんな時に世界征服を企む必要ないだろうが……!」
天秤のかけ方が少しおかしい気がするものの、ラクトは平常運転だ。
「流石に緊急事態だったからな、今回はちょっと報酬に色をつけさせてもらうぞ」
『うっ、これ、は……はぁ、今から頭が痛くなってくるわね』
いつもより一割増しの値段を請求され、チトセは頬に手を当てた。
魔剣を収めたラクトは、はっとした。
「まずい、約束の五分が過ぎる! また後でな、チトセ!」
エルルとの約束を守るため、ラクトは大急ぎで転移で去ってしまう。
執務室にて話をしていたチトセは、消えてしまったラクトの姿を見送り、
「やれやれ、世界の危機より子供達か……いつの間にあんな、子煩悩になったのやら……でもちょっと、羨ましいな」
◇◇◇
イズルギの姿に戻ると、彼は朗らかに子供達の下へ向かった。
エルル達がランチの支度をしてくれていたようで、準備が整っている。自分達で手伝いをしてくれるなんて、とても出来た子供達ではないか。
「あ、先生。少し遅かったですね?」
「はは、ちょっと川まで遠かったからね。さぁ、遊び疲れただろう? 今日のお弁当は腕に寄りをかけて作ったんだ、召し上がれ」
『いっただきまーす!』
子供達は大喜びで弁当に手を伸ばす。
ハンバーグにオムレツ、エビフライ。子供達が大好きな料理が、ぎっしりと詰め込まれている。子供達は我先にとがっついては、口々に「美味しい」と喜んでくれていた。
「慌てない慌てない、料理は沢山あるのだから、落ち着いておあがり」
「だって先生の料理、美味しいんだもん!」
「もっと食べたいのー!」
子供達からせがまれて、イズルギは思わず涙を零した。
この子達は親から捨てられ、愛を知らずに孤児院に来た子ばかりだ。孤児院に来たばかりの頃は皆心を閉ざし、毎日悲しそうな顔で過ごしていた物である。
それが、こんなに弾けるばかりの笑顔を浮かべ、毎日を過ごしている。これほどうれしい事はない。
「皆、今、幸せかい?」
「うん、幸せだよ」
「先生が私達と遊んでくれるし、美味しいご飯も作ってくれるし……」
「ねえ先生、これからもずっと、僕達と一緒に居てくれる?」
「勿論だとも! 私も、幸せだ。こんな、いい子達に囲まれて、生活出来ているのだから……!」
思わず子供達を抱きしめた。
今の勇者にとって、もっとも大切なのは、子供達の幸せだ。彼らを守るためならば、どんな苦労や苦痛も厭わない。
「先生、私も、先生が大好きです」
エルルもイズルギに抱き着き、ひしりと抱きしめてきた。
「どうか、離れないでください。私達にとっての家族は、先生だけだから……!」
「ああ、約束するよ。私の愛する、子供達……」
こうして、魔王の力を得た元勇者は、子供達の大事な遠足の日を守るとともに、世界の危機も救っている。
これが、最強勇者の引退後。騒がしくも愉快な、日々の一ページである。