エピローグ
ちょうど一月が経ち、早咲きの桜が蕾を開かせ始めた季節。
学校の屋上には、一人佇む少女の姿があった。
彼女は防護フェンスにもたれかかると、うららかな陽気と頬を撫でるそよ風の心地よさに目を細める。
安らかな昼休みの一時。彼女は待ち人を穏やかな気持ちで待っていた……と思いきや。
「待て、どこに行く、圭太!」
「か、勘弁して下さいよ、お兄さん!」
「幼馴染とはいえ、お前にお兄さんと呼ばれる筋合いはなーい! 妹は絶対やらんぞ!」
下の階の開け放たれた窓からドタバタという足音とともに聞こえてくる、酷く賑やかなやり取りを耳にし、むっと顔を顰める。
「えっと、そこは心配しないでください! まだ交際は始まってませんから!」
極めつけは、少年の叫び声。
……そう。
あれから一月経ってなお、ひなたは圭太の告白に答えを出していなかった。
いや、出させてもらえなかったと言うべきか。
曰く、「大見得を切った以上、無理に急かすつもりはないよ」だそうで。
記憶が消えて心変わりすることを恐れるのであれば、いくらでも待つ……ということらしい。
それきり旅先から帰ると、圭太は宣言通り、いつもの調子に戻ってしまった。
ずっとそばにいる、幼馴染の心地よい距離。
一度そうなってしまうと、何かキッカケがないと気恥ずかしくて、ズルズルと先延ばしになってしまったわけだった。
「……記憶、か」
ひなたは、空を見上げてボソリと呟いた。
思い出すのはつい先日のこと。
その日は圭太に用事があって、流石に三月になれば雪が降ることはないだろうとひなたは一人で下校していたのだが、突然空からちらほらと降ってきたのだ。
いつもならば屋内に入って降り止むのを待つのだろう。
しかし、不思議と恐怖は感じなかった。
むしろ、舞い落ちる様が綺麗だとすらも。
どうしてあそこまで恐れていたのか理解できないほど、ひなたの心は落ち着いていた。
……やはり、変わってしまったのだと自分でも思う。
何処が、と明確に示せるわけではない。
でも、心の中にあった雪だるまはすっかり溶けて、代わりに別の暖かなモノが胸の内を満たしていた。
……もし、これからは雪の日に手をつなぐ必要はないと伝えたら、彼はどんな反応をするだろうか。
今までそれが当たり前だっただけに、ほんの少しだけ寂しそうな顔をするのかもしれない。
それとも、これからは隣を歩けるのだと喜んでくれるんだろうか。
そんなことを考えていると、カツカツと階段を登る音がして、ひなたはドアの方へと振り向いた。
「おまたせ。ごめん、お兄さんに絡まれちゃって。……ずいぶんと嬉しそうな顔だけど、どうかした?」
「い、いや、なんでもない。それに、呼び出したのはオレの方なんだから気にするなよ。バカ兄貴がケイに絡むのはいつものことだけどさ。最近は激しくて、ホント困るよな」
「ううん。一月前、結局終電で帰ってきたことを思えば仕方ないよ。あのときはすごい剣幕だったし、それだけヒナちゃんのことが大切なんだと思う」
「むむ……。まあ、ケイがそれでいいなら気にしないけどな。……ほら」
現れた圭太は、遅刻に関しては申し訳無さそうな顔をしたものの、意外と晴れ晴れした表情で、ひなたは「むっ」とふくれっ面になる。
だが、すぐに気を取り直すと、有無を言わせずカバンから取り出した包を押し付ける。
「えーっと、これは?」
「ほら、今日は三月十四日だろ。……まあ、ケイからチョコをもらったわけじゃないけど、あのときオレの看病してくれた、その礼」
それはピンクのリボンで装飾されたブラウンの小箱で、中にはいくつもの手作り感溢れるホワイトチョコレートが。
性別が逆な気がするけど、なんて野暮なツッコミは無視して、ひなたは今すぐに食べるように言う。
すると、圭太は嬉しそうに一つ口にするのだが、すぐさま
「うっ、あまっ……」
と小さく呻く。
その様子にニヤリと口角を上げるひなた。
とはいえ単なるイタズラではないようで、カバンからお気に入りの缶コーヒーをとりだすと、それを飲むように言いつける。
「……あ、苦味が甘みを程よく中和してくれて美味しい」
「悪くないだろ?」
思わず漏れた感想に気を良くしたようで、ひなたはひょいと一つを自分の口の中に放り込むと、同じようにゴクリとコーヒーを。
「……あの日、ケイと話してから考えを変えてみたんだ。ブラックで飲めないなら、砂糖とミルクを入れてもいいし、甘いものと一緒に食べてもいい。好きなものをずっと同じ形で留める必要はなくて、新しい好きを作ってもいいんだって。当たり前だって笑うかもしれないけど、そんなことも気づかないぐらい、考え方が凝り固まってたんだな」
そうして向き直り――。
「……好きだよ、圭太。なんというか、自分で言うのは恥ずかしいけど……女の子としてな」
「え……」
「……二度は言わないぞ!」
不意打ちだったようで、ただキョトンとする少年にくるりと背を向ける。
だが、言い切ってしまえば、不思議と心は落ち着いていた。
振り向かせて見せると言った彼に自分から告白したのは、半ば最後の意地だ。
自分ではない誰か。
そう、生まれ変わっても意固地になり続けた青年の……。
改めて、思う。
今までもずっと一緒にいたその人と、これからもゆっくりと時間を積み重ねていきたいと。
恋というには深く、永劫に続くことを願う感情。
この気持ちはきっと――