六話 決意は揺るぎなく
「……落ち着いた?」
圭太が問うてきたのは、ひなたに膝枕をしながらのこと。
彼が戻ってきたのは三十分ほど前。
宣言通り全速力で戻ってきたらしく、ぜいぜいと肩で息をしている状態だった。
しかしながら、ひなたの表情は暗いままで、中々回復する気配はない。
やはり安静にできる場所が必要だということで、先程話題にも出ていた公園へ向かい、日当たりの良いベンチで休憩することにしたのである。
「……なんとかな」
それからずっと横になっていて、ようやく血色が良くなってきた。
その姿に安心したようで、圭太はほっと胸をなでおろす。
「あ、無理に起き上がらなくてもいいよ。電車にはまだ何本か余裕があるから、無理はしないでもう少し休んでこう? まあ、遅くなっちゃうかもしれないけど、そのときは一緒に叱られようよ」
「悪い……」
「いや、こういうときはお互い様なんだし、何度も謝らなくてもいいって。……幼稚園の頃だっけ。遠足で人に酔った僕のことを、ヒナちゃんがずっと看病してくれたこと今でも覚えてるよ」
「そういや、そんなこともあったっけ……」
圭太が語ったのは、おおよそ十年ほど前のこと。
多分、気分を和らげさせるための他愛のない昔話。
「今はもう平気だけど、小さい頃は車酔いとかも酷かったからね。うん、だから持ちつ持たれつ。今日は残念だったけど、またお金を貯めて一緒に来ようよ」
続けて、おどけるようにウインクを付け加える。
もっとも、下手くそで、半目になるだけという格好のつかない結果に終わったが。
「……ありがとな」
「もし喉が乾いたらすぐに飲み物を買ってくるから言ってね。バスの時間が近づいたら声を掛けるから、それまで寝ていてくれてもいいし」
……結局、彼は最後まで、ひなたが体調不良を起こした理由を尋ねようとはしなかった。
先程の様子からして、気候の変化が原因でないのは明白にもかかわらずだ。
おそらくは、生来の優しさからに違いない。
でも、だからこそ。
ひなたは、黙り込んでいることに後ろめたさを感じずにはいられなかった。
「……なあ、ケイ」
「ん? どうしたの?」
理解してもらえるかはわからない。
だが、ここで誤魔化してしまえば、申し訳無さで二度と顔向けできない気がして――。
「オレの話を聞いてくれるか?」
ひなたは身を起こすと、勇気を出してすべてを告白することにした。
◆
「ずっと、ずっと考えてたんだよ」
――口には出さずにいたものの、ひなたは幼い頃から疑問を抱き続けてきた。
『事故での死者は何人もいたというのに、何故自分たち二人だけが生まれ変わったのか?』
恐らくは、同じ立場に置かれれば誰もが抱えるであろう命題だ。
死んでしまえばそれで終わり。
それが、死に対する現実的なイメージなのだから。
とはいえ、答えは中々出なかった。
なぜならば、考察しようにも参考となるケースが少なすぎる。
一応、似たような存在が他にもいないか、やんわりと同級生に尋ねてみたことはあったが……。
誰もがキョトンとするだけで、漫画やアニメを元にしたごっこ遊びだと適当に誤魔化した記憶がある。
だから、ひなたは考え方を逆転させてみることにした。
『自分たちだけが生まれ変わったのではない。あの事故で亡くなった人間は――いや、全ての人間は輪廻転生していて、偶然自分たちだけが前世の記憶を持ち越してしまったのだ』
と。
もっとも、それで何が変わるわけでもない。
心の中で折り合いをつけるための、取り留めのない言葉遊び。
いくら発想を変えたところで、前世の記憶を持っているのが自分たち二人だけであることに違いはないのだ。
ひなたもそれを自覚していたからこそ、適当な答えが出た時点で意識の片隅に放り出してしまった。
そんなことよりも、新たな日常をどう過ごすか。
また、かつての家族に会う方法を考えるほうが大事だった。
……はずだった。
「もう一度意識し始めたのは、小学校に入学してすぐだったかな。……あのときからケイは、露骨に前世の話しなくなっただろ。懐かしむとしても、さっきみたいに生まれ変わってから――『圭太』の思い出ばかり。それで『あれっ?』っと思ったんだ」
無論、最初はかすかな違和感に過ぎなかった。
新たに生を受けた以上、過去を懐かしむより現在の話題が主軸になるのは仕方のないことなのだと。
しかし、常にとなれば話は別だ。
“昔”について話題を振ったときも、何処か曖昧な返答が多くなってきた。
何より、その時期からなのだ。
同じくトラウマに苦しんでいたはずの幼馴染が、雪の日を一切恐れなくなったのは――。
「それで気がついたんだ。それが普通なんだって」
――例えば、お腹の中にいた時期の出来事を語っていた幼児が、成長するにつれ全く口にしなくなるように。
――例えば、幼い頃は異様に怖く思えた映画が、今見ると怯えていた理由が気になるほどくだらないものに感じるように。
あくまで二人は、本来なら忘れてしまうことを人より長く覚えていただけ。
まるで降り積もる雪のように、新しい記憶が全てを覆い隠してしまい、そのまま思い出せなくなってしまうのが普通なのだ。
「ここまで、何か間違ってるか?」
「…………」
じっと耳を傾けていた圭太は、ひなたに見つめられて黙り込む。
だが、すぐに諦めたように苦笑いを浮かべると、ゆっくりと頷いた。
「隠してたわけじゃない……なんて言ったら嘘になるよね。うん、ヒナちゃんの言うことは全部当たってる。気づいた頃には記憶が朧げになっていって、全然思い出せなくなって……。何度聞いても、別人のお話にしか思えなかった。でも、それを口に出したらヒナちゃんとの繋がりが無くなっちゃうような気がして……言い出せなかったんだ」
「心配しなくても、オレにとって『ケイ』は『ケイ』だよ。そんなことで避けたりはしない。言っただろ、それが普通なんだって。……でも」
最後の方の圭太は絞り出すような声で、ひなたはきっぱりと否定するのだが、そこで言葉に詰まってしまう。
……何故ならば、まだ明かしていない部分がある。
すぐに記憶を失った圭太と、未だ保ちつつあるひなた。
そう、先程の仮説では、その差異がまだ説明できていない。
「……なあ、ケイは、自分のことを男だと思うか?」
「え、それは……うん。ヒナちゃんの話を聞いた上で、僕は自分を男だと思ってるよ」
唐突な話題転換に、圭太は困惑を示すものの素直に肯定を示した。
その答えはひなたにとって想定内だったようで、
「やっぱりな……。多分、そのせいなんだよ」
と呟くと、淡々と語りだす。
……おそらく、二人の明確な分岐点になったのは性自認だ。
開き直りとでもいうのだろうか。
幼少期の圭太は、男になったことをひなた以上に気に病んでいたのだが、小学校に上がるころにはすっかり受け入れて、男子とよく遊ぶようになっていた。
一方ひなたは、良くも悪くも前世の振る舞いと変わらなかった。
男の子に混ざってサッカーで遊んでいたり、間違えて男子トイレに入ったり。
幸い、と言っていいのかはわからない。
だが、適合しない意思は自我を守る強固な壁となり、驚くほど長くの間、“ひなた”の記憶を保たせてきた。
もっとも、それも数年前までのこと。
今となっては、ひなたの記憶もモヤがかかったかのように輪郭を失いつつある。
家族の顔どころか、きょうだいが弟なのか妹なのか、それすらもあやふや。
「気分が悪くなったのは、きっと怖気づいてしまったせい。一緒に来てくれたのに、ごめん。でも、昔の家族と会ったら、どれだけ記憶が薄れているのか、現実を突きつけられるような気がして……」
そこで一度区切ると、爪が食い込むほどぎゅっと固く拳を握る。
「オレは、どんなことがあっても前世を覚えていなきゃいけない。絶対に、忘れちゃいけないんだ……」