五話 突然彼女は動けなく
「えーっと、この曲がり角を左に行って。次はどうだったかな。……ヒナちゃん?」
同じ高校に通っていたこともあり、二人の実家は同じ街の中。
下調べも万全であり迷うはずもないのだが、圭太は一応、ひなたに確認してみることにした。
……しかし、いくら待っても返事がない。
首を傾げて振り向けば、そこには人通りのない道路で蹲ってしまう少女の姿があった。
「ヒ、ヒナちゃん……!?」
「いや……大丈夫だ」
血相を変えて駆け寄る圭太に、力なく笑いかけるひなた。
もっとも、そんな表情で安心できるはずがない。
笑顔と言うにはあまりにも蒼白だ。
華奢な体は小刻みに震えていて、体調を崩しているのは火を見るよりも明らかだった。
「熱はないみたいだけど……。めまいとか吐き気はある?」
跪いておでこに手をやれば、ひなたは申し訳なさそうに目を伏せてコクリと頷いた。
「そっか……」
幸か不幸か、この状態には見覚えがあった。
それは保育園に入園した頃、その年で初めて雪の降った日の話。
保育士は喜ぶだろうと子どもたちを外に出したのだが、その中には小さかったひなたもいて……。
当時はまだトラウマがあると知らなかった彼女は、無警戒なまま雪を目の当たりにしてしまい、今と同じような状態に陥ったのだ。
脳裏に浮かぶのは、ぐったりとした幼い女の子の姿。
ひなたが制止してくれたおかげで圭太は平気だったが、彼女が死んでしまうのではないかとひどく不安だったのは覚えている。
とはいえ、空を見上げても雪などは降っていない。
ぽつりぽつりと小さな雲は出てきているが、依然として快晴のままである。
まあ、降雪確率が少しでもあれば、圭太は全力で延期にするつもりだったので、当然といえば当然なのだが。
「……気温の高低差もあって、旅の疲れが出たのかな。ごめん、もっと早く話を切り上げてヒナちゃんの方へ行くべきだった。……歩ける?」
なので、不調の原因は不明である。
だが、手をこまねいているわけにもいかなかった。
いくら暖かいとはいえ、冬は冬だ。
地べたに座り込んでいては、体が冷えて更に体調を崩してしまう。
出来れば暖を、最低でも横になれる場所を探すべきだろう。
そう考えた圭太は、肩を貸そうとするのだが、肝心のひなたには首をふるふると拒絶されてしまう。
「悪い……。どうしようもなく気分が悪くて、ここから動けそうにない……。ケイ。代わりに、オレの家に行って来てくれないか……?」
「そのぐらいはお安い御用だけど……。でも、それなら一緒に行った方が良くないかな。事情を話せば家の中で休ませてもらえるかもしれないし、歩けないなら僕がヒナちゃんを背負うよ。今すぐには無理でも、回復を待ってからとか」
続けて、予想外の申し出。
だが、圭太としては、体調の悪い彼女を一人きりにするのは躊躇われた。
閑散とした住宅地は、三連休だと言うのに人気が少なかった。
そんな状況で女の子が動けないとなれば、弱みに付け込むような不埒な輩が現れないとも限らない。
……そして、何より。
『目を離せば、彼女はここから消えてしまうのではないか……?』
圭太の胸中にあったのは、ひなたが初めて倒れた雪の日と同じ胸騒ぎ。
だから、断ろうとしたのだが、ひなたは弱々しく手を握り、
「帰りの時間も考えると、ゆっくりしてる時間はないだろ……。だから、頼む……」
と懇願する。
……冷たいその手に、スッと頭が冷えた。
この旅行の目的は一つ。
かつての家族の状況を確認することで、自分たちはずっとそのためにお金を貯めてきた。
しかし、もしこのまま帰ることになれば、彼女にとっては無駄足である。
長年の想いだけあって、胸のうちには強いしこりが残ってしまうに違いない。
「……うん、わかったよ。ヒナちゃんはここで休んでて」
「悪い、本当に……」
「いや、体調を崩すのは誰にでもあることだし、仕方ないよ。でも、本気でキツくなったときは、僕にちゃんと連絡すること。そうなったら、すぐに駆けつけて救急車でもタクシーでもなんでも呼ぶから。……絶対だよ?」
「……ああ」
真剣な眼差しで、指切りげんまん。
圭太は、ひなたをコンクリの壁にもたれさせると、自分のコートを羽織らせ、全速力で駆け出した。
後ろ髪を引かれる思いだったが、背後を振り向いている暇はない。
それよりも一秒でも早く戻ってこなければ。
――だから、俯きながら呟かれた言葉は、彼の耳には届かなかった。
「……土壇場になって悪い、ケイ。でも、オレは怖くなっちゃったんだ……」