一話 彼女にとっての居場所ではなく
二月のはじめのことである。
いつもなら放課後の教室は人気がないはずなのだが、その日に限ってはワイワイと騒ぐ少女たちの姿があった。
「義理チョコのフリして渡すとかいいと思うんだけどなー」
「いや、今年は三連休で当日休みだし。それなのに義理を渡しに来るとか、明らかに気合入りすぎでしょ」
「うーん、じゃあ包み隠さず呼び出しちゃうとか?」
無論、居残り勉強に励んでいるわけではない。
誰もが目をランランと輝かせていて、外の寒さに負けない熱気に包まれていることからも明らかであろう。
悲しいかな、彼女たちがここまでの集中力を見せることは、まず授業中ではありえないのだから。
「はぁ……」
……一部訂正。
誰もが、というのは正確ではない。
喧騒の蚊帳の外。
窓際の席で、頬杖をつきながら女子たちへと視線をやるブレザーの少女が一人。
彼女は手慰みとばかりに長髪をくるくると弄んでいて、その姿は自分の尻尾で退屈を紛らわせる黒猫を思わせる。
だが、そうしているのにもすぐに飽きてしまったようで、再びため息をついて
「くだらねぇ……」
と、誰ともなしにボソリ呟いた。
「ほほう。ひなたちゃんは不機嫌だねぇ」
……ひなたと呼ばれた少女は、決して大きな声を出したわけではない。
あくまで、自然とこぼれ落ちてしまった、嘆息。
だが、生憎と聞かれてしまっていたようで、先程まで騒いでいた少女たち数名が近づいてくる。
「……別に、お前らのことを悪く言ったわけじゃないぞ。ただオレはバレンタインなんて興味はないから早く帰りたいだけだ」
今の言葉は真実で、ひなたはこの会合に参加したくてここにいるわけではない。
校内で時間を潰していたところ、いわば拉致のような形で連れてこられただけだ。
とはいえ、陰口を聞かれたみたいでバツが悪いのも確かである。
だから、つい憮然として返すのだが、少女たちが気にした様子はまるでない。
「まあまあ。わかってるって」
むしろ、面白い玩具を見つけたとばかりに、指をワキワキとしながらニヤニヤ笑い。
一番背の高い少女に至っては、ひなたの後ろへ回り込むと、有無を言わせずギュッと抱きしめる。
「そりゃ、長年付き合ってる彼氏持ちからしたら大したイベントじゃないのかもしれないけどさぁ。でも、私たちみたいな独り身からしたら一大イベントなのよ!」
「……彼氏ってな。何度も言ってるだろ、ケイはそんなんじゃねーぞ」
「あれれ、私たち『圭太くん』だなんて一言でも言ったっけ~?」
ムッとした顔で否定したものの、取り付く島もない。
「ひなたってば、これ言われるといつも真っ赤になって面白いよね」
「でも、いつも二人だけでお昼食べててそれは無理があると思うの」
「あぁ~あ。幼稚園からずっと一緒の幼馴染とかズルすぎ。あたしもそんな彼氏がほしいよー!」
それどころか、一を返せば十倍になって帰ってくる。
再び、わいわいがやがや。
さっきのように――いや、自分が肴にされているのだから、ひなたにとっては数段質が悪いか。
「はぁ……」
抱き上げられた子猫のようなものだ。
手足をバタバタさせて逃れようにも、小柄な彼女ではまるで歯が立たない。
蚊帳の外のほうがマシだった。
どんどん加熱する少女たちのおしゃべりに辟易としていたところ、『コンコン!』と教室にノックの音が響いた。
「はいはいどうぞ。……あら。噂をすれば圭太くん」
入ってきたのはおっとりとした雰囲気の真面目そうな男子で、人好きのする柔和な笑みで近くにいた女子に話しかける。
「盛り上がってるところをごめん。先生に頼まれてた仕事が終わったから、ヒナちゃんと一緒に帰ろうと思ってここに来たんだけど……。でも、まだ駄目かな? それなら図書館で自習でもして待ってるけど」
「ほうほう、このリア充め。彼女と一緒に、甘酸っぱい下校タイムというやつですな?」
「だぁから……もごもご」
カモが来たと言わんばかりにからかいを口にする女生徒。
当然ひなたは反論しようとするのだが、後ろから抱きしめていた女子に口を塞がれてしまい言葉にならなかった。
一方、圭太はまるで動じることなく、
「うん、そうだよ。一緒に帰りたいから、開放してもらえると助かるな」
とにっこり。
「おお……」
「強い……」
これには虚を突かれたようで、囃し立てていたはずの女子たちにどよめきが走る。
「……なら仕方ないね。ひなたちゃんがいなくなっちゃうのは残念だけど、私達、人の恋路をお邪魔するほど野暮じゃないしさ。ほらほら。お迎えが来たんだから、いってらっしゃ~い」
そんなこんなで羽交い締めが解かれ、驚くほどの手のひら返し。
さすがのひなたも、これには文句を言ってやりたくなるのだが……。
「ん、残りたいんだったら良いよ? そうだねぇ。じゃあ、アドバイスも兼ねて、圭太くんとの馴れ初めを――」
「……いや、いい。すぐ支度するから待っててくれ、ケイ」
触らぬ神に祟りなし。
これ以上はごめんだ。
ひなたはお気に入りの真っ赤なコートを羽織ると、ますます妙な盛り上がりを見せ始めた教室を、逃げるように後にした。
◆
「おつかれさま、ヒナちゃん」
「ホントにな……。ケイが助けに来てくれなきゃ、どうなってたことやら」
帰り道の途中にある、自販機前のベンチにて。
缶コーヒーを手渡されたひなたは、ブスッとして圭太へと向き直った。
「うっ、にがっ……」
彼女が手にしているのは無糖のブラック。
それもキワモノじみた濃い目の商品で、何も混ぜなければ大の大人の男でも辛い。
もっとも、眼の前の少年の嫌がらせというわけではなく、あくまで本人の希望通りに買ってきただけである。
「昔から苦いのダメなんだから、いつも無理して飲まなくても……。ほら、僕のコーンポタージュと交換しようか?」
「べ、別にいい! オレはこれが好きなんだよ! ……ともかく、ケイもだ。オレとお前が恋人同士だったのは昔の話だろ。なのに、お前がああいうことを言うから、余計に誤解されるんだぞ」
「うん、それはゴメン。でも、あのままじゃ彼女たちなかなか帰してくれなかっただろうしね。からかわれたときは、興ざめするぐらい逆にノった方がいいんだよ」
「まあ、そういうもんかもしれないけど……」
圭太の説明を受け、ひなたは納得した素振りを見せるものの、不機嫌そうな態度は崩さない。
「……女子ってやつは、なんであそこまで恋愛ごとが好きなんだか。オレには理解できない」
「そういうヒナちゃんも、世間一般から見れば女の子だと思うけど……」
その上、藪蛇なツッコミ。
キッと睨みつけるのだが、圭太はこれ以上反論しようとはせず、ただ苦笑するだけだった。
「ヒナちゃんは、今朝からずっとご機嫌斜めだね」
「知ってるだろ。この時期は嫌いだ。特に雪が降るような日は……」
「うん、わかってる。毎年のことだもん」
彼女の不機嫌は、クラスの女子に引き止められたからではない。
――朝起きて、降り積もる雪を見てから。
――二月十四日に近づくカレンダーを見てから。
もっといえば、生まれつき――いや、それより前の出来事が原因なのだ。
何故、彼女が雪へと焦燥を抱くのか。
それは決して、『寒いから』だとか『雪かきをさせられるから』なんてくだらない理由ではない。
全ては二十年前。
ある出来事に起因していて――。