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恋だけが残る  作者: 青木りよこ
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お嬢様

彼は白い大根を手に取った。


「大根食べたいの?おでんする?」

「おでん?」

「ふろふき大根でもいいけど」


ややあって彼はぶり大根とポツリと言った。


「ぶり大根?」

「あんた、鰤おろせるようになったとか言って鰤姿のまま一匹持ってきたことあったよな。アイツ驚いてた」


私の行っていたお料理教室はお野菜の切り方からお魚の三枚おろしまで教えてくれた。

最初は鯵の三枚おろし、次は鯛とどんどん魚体が大きくなって鰤一匹くらいさばけるまでになった。

いつか鮪を解体して見せられるかと思っていたけどそこまではやらなかった。


「でもアイツ家に包丁なくって結局あんたの家でさばいたな。包丁ないよって言った時あんた驚いてたな」「怒ってた?」

「アイツが怒るわけないだろ。流石お嬢様は違うなって思ってた」


初めてお家に行ってお料理をしてあげることになっていたから張り切っていた。

どうせならお魚をさばくところを見せたくて鰤一匹と大根と鰤しゃぶをしようと思って白菜とネギと水菜とえのきだけを抱えてあの人のマンションに気合を入れてやって来た。

でも包丁もないし、まな板もないし、お醤油すらなくて二人で私の家に行って家の台所で鰤を三枚におろした。

彼は鰤の大きさに驚いていた。

出刃包丁を持った私に危なくない?大丈夫と言ってずっと傍で見ていた。

鰤の背は切り身にして、お腹は鰤しゃぶとお刺身で食べた。

かまは塩焼きにしてあらはぶり大根にした。

脂がのっていて舌に蕩けるようだった。

二人でお腹いっぱい食べた。

あの人は細いのによく食べた。

美味しい美味しいと言ってくれた。

そのうち鮪の解体できるかもと言うと鮪より鰤がいいと言った。

鰤が一番好き?と聞くと鯖のが好きと言われた。

鯖じゃさばきがいがないと言うと少し笑って秋刀魚も好きと言った。


「鰤の照り焼きが食べたい」

「え?」

「何をそんなに驚くことがあるんだ?」

「前日」

「え?」

「最後の夕ご飯、鰤の照り焼き食べたの、きんぴらごぼうとほうれん草の白和えとキノコのバター炒めと粕汁と、あと、えっと」

「それを食ったのはアイツだろ、俺じゃない」

「それはそうだ、ね?」

「俺はあんたの作ったものを食べたことはない。記憶にはあるが、実感としてはない。テレビで他人が美味いもの食ってるのと同じ感覚だ。わかるか?」

「なんとなく」

「情報でしかない。あんたとしたことは何もかも憶えているが俺のじゃない」

「じゃあ、鰤の照り焼きでいいんだ」


話が深い所に行くのを私は避ける。

彼と沈みたくない。

私は子芋を買い物かごに入れる。


「子芋とイカ煮るね」

「ああ」

「寒いし豚汁も作るね」

「ああ」


彼の手から大根を取りごぼうと人参と玉ねぎとピーマンを入れカートを押して鮮魚コーナーに移動する。

彼は黙ってついてくる。


「鰤一匹買わないのか?」

「そんなに食べないでしょ。二切れで十分」

「二人で一匹食べたじゃないか」

「おろせっていうの?」

「おろせるんだろ?」

「そんな元気ない」

「どこか悪いのか?」

「どこも」

「じゃあなんなんだ」

「お魚をおろすところが見たいの?」

「別に」

「じゃあいいでしょ。それより他に何か食べたいものある?」

「別に。あんたの作りたいものでいい」


何も作りたくないけど。

あの人もいないのに、何で私こんな風に買い物してるんだろう。

あの人と同じ顔、同じ声を持つ彼と。


「歯ブラシ、買わなきゃね」

「は?」

「歯ブラシ、あの人の使うわけにいかないでしょ」

「ああ」


私は鰤の切り身とあさりの海水パックと合挽肉を買い物かごに入れ歯ブラシのコーナーに急ぐ。

あんまり考えたくない。


「あの人はこのメーカーの青いの使ってたの。私はピンクだからそれ以外の色にして」

「何で?」

「同じ色じゃ見分けつかないでしょ」

「アイツはもう使わないだろ。いないんだから」


彼はそう言い紫色の歯ブラシを籠に入れた。

目に焼き付きそうもないくらい淡い色に見えた。

最後に牛乳とヨーグルトを買って帰ろうといつもあの人が飲んでいたドリンクタイプのヨーグルトを手に取ると彼はブルーベリーのやつがいいと言った。

あの人はプレーンのしか飲まなかったと言いたかったけど言わなかった。

そんなこと些末なことだ。

でも生活はそんなことの繰り返しだ。

あの人はもういない。

ということはもう私の人生に大事なことは何一つ起こらないということだ。

それでいい。

何だか身体が冷えていく気がした。

アイスクリームが近くにあるせいだろうか。


「もう帰るか?」

「うん、もう買う物ないし」


レジで精算を済ませるとエコバッグを彼は持ってくれた。

何も持っていない手は冷たすぎて思わず自分の両手を握りしめた。





















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