記憶
「じゃあ、奈緒さん。引き受けてくれますね?」
私と複製の彼で詰め合わせのクッキー全種類一つずつ食べた。
佐藤さんは全く手を付けなかった。
彼女はもうこの話はお終いだとばかりにコーヒーを飲み干した。
「悪い話じゃないですよ。いずれオリジナルの佐倉君も生き返らせることもできるかも」
「え?」
「佐倉君の遺体はうちの研究所で大切にエンバーミングしています。私達は研究を続けいずれは死んだ人間を生き返らせることも可能だと思っています。佐倉君ならできます。そのために彼には健やかでいてもらわねばなりません。そのためには奈緒さん。彼の奥さんである貴方が必要なのです。どうかご協力ください。この技術が成功すれば貴方の様に突然愛する人に先立たれても絶望することはないんです。だってね、今佐倉君は貴方の目の前にいるでしょう」
佐藤さんはにっこりと音がするくらい笑って見せた。
夫にもこんな風に笑いかけたのだろうか。
「もう帰っていいか?」
「ええ、どうぞ」
佐藤さんは立ち上がり、複製の彼も立ち上がったので、私も立ち上がるしかなかった。
「じゃあ、奈緒さん。何か困ったことがありましたらこちらにご連絡下さい。何時でもお待ちしております」
佐藤さんはそう言って名刺を一枚くれた。
連絡することなどあるだろうかわからないけど鞄に入れた。
「じゃあね、佐倉君。明後日から普通に出勤してね」
「ああ」
「それじゃあ奈緒さん、また。佐倉君をよろしくお願いします」
エレベーターで佐藤さんと別れると複製の彼は私をジロリと見た。
この人が夫のコピー?
こんなぶしつけな目で私を見る人が?
「帰ろう」
何処へ?
私が動かないでいると複製の彼は私の右手を取った。
「何してるの?」
「何って、いつまで突っ立っている気だ?」
「離して」
「何で?」
「あの人、外で手なんか繋がなかった」
「だから?」
察しが悪い。
どこを複製したのだろう?
「夫としていないことは、できない」
「してなくてもしたかったかもしれないだろう?」
「何、それ?」
「してなくても、言ってなかったとしても本当はアイツだってしたかったかもしれないだろう?」
「貴方にそれがわかるの?」
「わかるに決まっているだろう。俺はアイツの記憶もちゃんともらっているんだから。じゃなかったら研究を続けられないだろう?」
「記憶って、どこまで?」
「どこまでって全部に決まっているだろう?しっかしアイツ澄ました顔してとんでもないロリコンだな。十二歳のあんたと結婚したいって言うんだもんな。とんだド変態だ」
目の前の男は本当に他人のことのように話す。
それはそうだ、他人だ。
十二歳の私に求婚したのは目の前の男じゃない。
「あんたの父親も碌でもないけどな。死んだあんたの母親を複製してもらいたくってアイツに近づいたんだから」
父はそんなことを考えていたのか。
母は私を産んですぐに亡くなってしまったから私に母の記憶はないけどとても綺麗な人だった。
父は再婚しなかったが、余り母の話はしなかった。
悲しすぎてできなかったのだろうと夫を亡くした今ならわかる。
でも父の願いが叶わなくて良かったと思う。
だってこれは失敗だ。
見た目だけ完璧にコピーできても中身はまるで違うことになり失望したかもしれないのだ。
目の前の彼の様に。
「アイツは本当に碌でもないぞ。最初から見合い相手のあんたのお姉さんなんか眼中になかった。あんなに美人だったのに。あんたのことばっかり見ていたんだぞ。笑うな」
「いいの」
「何が?」
「私もそうだったから」
「は?」
「私もそうだったの」
「だから、何が?」
彼の手が緩んだので私は彼の手を解き歩き出した。
背に複製された彼の視線を感じながら。