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恋だけが残る  作者: 青木りよこ
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ぬいぐるみ

「奈緒。動物園でも作る気か?」


寝室に入って来た彼はベッドに転がされたぬいぐるみ達を見てげんなりした顔をして見せた。

私はピンク色のイルカのぬいぐるみを抱きしめる。

あの人が初めてのクリスマスに私にプレゼントしてくれたものだ。


「しかしアイツ、センスないな。高校生になってもぬいぐるみプレゼントするんだもんな。あんたも迷惑だったろ」


彼は一番近くにあった白い兎のぬいぐるみの耳を持ち上げ、まじまじと顔を覗き込んだ。


「迷惑なわけないでしょ。何時も嬉しかったわ。あの人が私のために買ってきてくれたんだもの」


彼は信じられないと言った顔をして兎をベッドに降ろしてあげた。

その手つきは優しい。


「あんた別に何も欲しくないもんな。何でも持ってるんだから」

「本当に嬉しかったのよ。いつも」

「そうか」


彼がベッドの端に腰を下ろした。

あの人はそこに座ったことがあっただろうか。

私と彼の間を遮る様に動物達が点在している。

私とあの人の七年を辿る様に。


「ねえ、あの人いつも一人でこれを買いに行ってくれたの?」

「当たり前だろ。いつも一人だ」

「そう。ねえどうしてぬいぐるみだったの?」

「子供だと思ったからだろ。最初は」

「そうなんだ」

「何を買っていいかわからなかったんだよ。人にプレゼントなんてしたことなかったから」

「そう」

「馬鹿だな。アイツ」

「そう?」


私は白いクマのぬいぐるみを膝に乗せ頭を撫でる。

ふわふわしてて気持ちがいい。

あの人もこの感触を知っていただろうか。


「そういえばお前、名前つけてたよな。それ、そのピンク何だったっけ?」

「エドガー」


彼は笑った。

その笑い声は遠い過去に笑うのを忘れたかのように今発せられたようだった。

あの人は私が名前を付けたのと言うと、何て名前と聞いた。

私がエドガーっていうの、と言うと、オスなんだねと言った。


「そのクマは?」

「オーブリー」

「兎は?」


彼は再び白兎の耳を人参を引き抜いたときの様に右手で持った。

私は思わずベッドから立ち上がり彼の手から兎を救出し、抱きしめる。


「エミール」

「いっつも聞いてたよな。考えるの大変だったろ」

「ううん。楽しかった。本当よ」

「なあ、まだ怖いのか?」

「何が?」


彼が近づいてくるので、私はベッドの背もたれまで後退する。

もうこれ以上後ろへは行けない。


「憶えていないか?」

「だから、何が?」


まるで審判者の様な笑みを浮かべる。

あくまで第三者、自分には関わりないことだと。


「あんたも可愛いとこあるよな」

「何の話?」


私は幼稚舎から高等部までずっと女子しかいなかったから同年代の男の子と話したことが一度もない。

あの人は私の前で一度も男の子じゃなかった。

あの人も同級生の女の子の前ではこんな話し方をしたのだろうか。

例えば佐藤さんとか。

結婚してからあの人とはいろんな遊びをしたけど同級生ごっこはしなかった。

あの人はしたかっただろうか。

もし、私が共学に通っていてあの人がクラスメイトだったとしたら好きになっていただろうか。

背が高くて成績が全国トップの弓道部な眼鏡をかけたクラスメイト。

そんなあの人もいたんだ。

私と出逢う前のあの人はそうだったんだ。


「佐倉君」


無意識に呟いた自分の声に驚いた。

私は一度もあの人を佐倉君と呼んだことはなかった。

佐倉先生はあったけど。


「奈緒?」

「何でもない、えっと何?」


彼はあからさまに不満だと言う顔をして見せた。

むくれると言った方が正しいのかもしれない。

自分以外に関心が行くのが気にくわないという子供じみた感情。

それを私にぶつけてくる人がいるなんて思いもしなかった。

変な感じ。

それが夫と同じ顔をした夫じゃない人だなんて。


「カエル」

「え?」

「カエル」

「えっと、何言ってるの?」

「カエルだよ。お前怖がって泣き出しただろ。憶えてないのか?」

「あ、蛙、ね。怖いわよ。今でも」

「そうか、派手に怖がってたもんな。お前」


彼はくつくつと笑った。

一瞬で機嫌は直ったらしい。

蛙か。

あれは六月か七月だった。

あの人が遊びに来た。

雨が上がった後のお庭に二人で出て咲き誇る紫陽花を見た。

小さな掌サイズの蛙がちょこんと私達を待つように腰を落ち着けていた。

私はあの人のシャツの袖を引っ張って、彼の背に隠れ蛙いると小声で言った。

あの人は本当だと小声で言った。

奈緒ちゃん、蛙怖いの、あの人は息をひそめるように私に尋ねた。

まるで巨大な蛙の魔王がいて逆鱗に触れるのを恐れるかのように。

私は蛙怖いのと言った。

あんなに小さいのに?とあの人は言う。

私が蛙の王子様という絵本あるでしょ、それがね、小っちゃい時とっても怖かったのと言うとあの人はそうなんだと声を震わせた。

笑うのを我慢していたんだ。


「蛙の王子様か、まあ、気持ちはわからなくないけどな」

「何が?」

「たかが鞠を取って来ただけでベッドに入れてくれって図々しいだろ。壁に叩きつけられて死ぬのは当然だ」

「死んでないわよ。壁に叩きつけられて元の王子様に戻るんでしょ」

「ああ、そうだったか。でも図々しいは変わりないだろ。たかが鞠だぞ」

「こだわるとこそこなの?」

「王女様だろ?鞠なんかいくらでも買えるだろ。馬鹿じゃないのか」

「約束を守りなさいっていう教訓じゃないの?」

「安易な約束をするなという教訓だろ。あんたはするか?」

「蛙と?するわけないでしょ。見ただけで逃げ出すわ。鞠なんかいらない」

「それが正しい。しかし、あんた写真とかテレビとか絵でも駄目なんだもんな。まあさっさと教えといてくれて良かったな。アイツ知らなかったら蛙のぬいぐるみとか平気で買って来てたぞ、きっと」

「笑ってたもんね。笑いをかみ殺してたもんね。私は怖くて堪らなかったのに」

「そうだな。アイツは喜んでたもんな。あんたが怖い怖いって引っ付いてくるから。憶えてるか?あんた泣き出したんだぞ、十二にもなって」

「憶えてるわよ。仕方ないでしょ。だって飛び掛かって来たんだもの」

「わんわん泣いてたな。流石におろおろしたぞ。女の子に泣かれるの初めてだったからな」

「そうなの?」

「ああ」

「そうなんだ」


彼は寝ると言ってベッドから降りた。

私はベッドの背もたれに縫い付けられたまま彼を見ている。


「お休みなさい」

「奈緒」


寝室から出た彼は背を向けたまま顔だけを私に向ける。

その顔の既視感のの無さに少し驚く。

それはそうだ。

彼はそんな風に芝居がかった顔で私を見たりしなかったのだから。


「本当はアイツを殺したのが俺だったらどうする?」

「何言ってるの?」

「アイツを事故に見せかけて俺が殺した」

「どうして?」

「アイツになりたかったから」

「嘘」

「どうしてそう思う?」

「貴方あの人になりたくなんかないじゃない」

「そうか?」

「そうよ」


彼は顔を前へと向ける。

もう私に顔は見えない。


「奈緒。こうは考えられないか。俺があんた欲しさにアイツを殺したと。だってそうだろ。アイツが生きている限り俺はあんたに会うことすらできないのに、アイツの記憶のせいであんたのことはアイツと同じだけ知っているんだ。まるで呪いの様に」


呪い、か。

呪いなら解けるはずだ。

おとぎ話ならそう設定されている。

方法はさまざま。

壁にたたきつけられてみたり、王子様のキスだったり。


「なあ、奈緒」


彼が振り返り寝室に入ってくる。

私は思わずイルカのエドガーを抱きしめ、足元に動物達をかき集める。

彼がベッドに腰かける。


「アイツが生きている間も俺がアイツのふりをして帰ってきたことがあったかもしれないぞ。アイツのふりをしてこのベッドに潜り込んだかも」

「そんなことあるわけないでしょ」

「おいおい奈緒、忘れていないか?アイツが俺を作ったんだぞ」

「だか、ら?」

「その性能を試したくないか?どれほど自分に近づけてるかを。盲目的に愛する妻を騙せるくらいかどうか」

「そんなことしないわよ。あの人も貴方も」

「そうか、アイツは中々非人間だぞ」

「でもそんなことしないわ」


彼はふっと音もなく笑う。

微睡の中で見るような儚い笑みに見えた。


「壁にたたきつけられたくないからな。寝る」

「私そんなことしないわよ」

「そうか?」

「しないわ。そんな、痛い」

「痛いのは俺だろ。あんたじゃない。お休み」

「お休みなさい」


彼が寝室から出て行き部屋は完全な静寂に包まれる。

彼の呪いが解ける日は来るだろうか。

物語で呪いが解けなかった登場人物達はどうなったのだろう。

日常が続いただけだったのだろうか。

続く。

あの人のいない日常が続く。

これこそ呪いだわ。

この家には呪われた二人が住んでいる。

特に仲良くするわけでもなく。

誰が私を壁にたたきつけてくれるの?

誰が私にキスしてくれるの?

私じゃ彼の呪いは解けない。

彼も私の呪いは解けない。

魔法使いは誰?

私達はそれを待つのだろうか。

途方もないほど続く夜を超えて。






















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