なんとも思わない
「奈緒、その丸いやつはどうするんだ?」
彼はロールキャベツの俵型の種と一緒に丸められた小さな丸い種を指さし言った。
「こっちは明日のお弁当用。ミートボールにしようと思って」
「お弁当?」
「あの人お弁当持って行ってたから、貴方もいると思ったんだけど、いらないなら無理しなくていいけど。私が食べるし」
「嫌。作ってくれ」
「そう」
「お弁当を食べるのは初めてだ」
「そう。でも大したもの作らないわよ」
「何でもいい。あんたが作ってくれるんだろ?」
「ええ」
目が回復したのか彼が近づいて来た。
私の隣に並ぶ。
「しかし奈緒。お前アイツの前だと猫被ってたんだな」
「そう?」
「ああ、アイツと俺とじゃ態度がまるで違うじゃないか」
「そう?普通だと思うけど」
「ああ、普通だな。アイツに対してだと普通でいられなかったということか」
「そうね。普通でいられなかったわ」
声が勝手に弾んだ。
思い出すだけで嬉しくなって一人で笑ったりもした。
あの人が帰った後は部屋が異常に広く寒く思えた。
いつもどんな時も焦がれていた。
「奈緒」
「なあに?」
そんなに自分は彼に冷たいだろうか。
夫に話す声と違うだろうか。
もうわからない。
「奈緒」
「だから、なに?」
彼は私の背後に回り私の左肩に顎を乗せ凭れてきた。
「アイツがよくしてたけど別に楽な体勢ってわけじゃないんだな」
「そうね」
私は振り返り彼を見た。
彼の瞳と私の瞳が平凡な点と線の様に結びつく。
何も特別なことなんかない。
恒常的なありふれた情景。
こんなことあの人と何度もあった。
そのたびに私は高揚の意味を真の意味で理解した。
このままあの人の身体の中に骨も残らず溶け込んでしまいたいと思った。
あれ、おかしい。
こんなに近くにいるのにとても静か。
その顔を見てもなんとも思わない。
その首筋に齧り付きたいと思わない。
その長いしっかりした指と自分の指を絡ませたいと思わない。
その漆黒の瞳に住みたいと思わない。
その冷たい頬を暖めたいと思わない。
その形のいい耳に誰にも言わないことを囁きたいと思わない。
その唇に私をなぞって欲しいと思わない。
「どうした?」
「どうもしない」
何度もあった。
台所でこんな風にあの人を見た。
あの人も私を見ていた。
あの人は私の身体をいつも自分の中に閉じ込めようとするかのようにその身を寄せてきた。
あの人の腕はいとも容易くそれが出来た。
あの人の腕は微睡を誘う。
その夢の中ならばもう目を覚まさなくても構わない。
あの人の腕の中に私がいられるとしたらそこはもう、夢でしかないのだから。
彼は右腕で私を引き寄せた。
その腕がまるで子供が友達が駆け出していくのを待ってよと止めようとするかのように幼く、私は今夢を見ていないのだとわかった。




