顔
映画は思ったより面白かった。
泣くのを忘れるほどに。
でも隣に座っているのがあの人と同じ顔をしたあの人でないと言う事実を忘れさせてはくれなかった。
「奈緒。面白かったか?」
「面白かった」
「それは良かった」
「貴方は?」
「面白いわけないだろ。アイツミュージカルとか好きじゃなかっただろ?」
「ごめんなさい」
「別に」
あの人はいつも奈緒ちゃんの見たいのでいいと言ってくれた。
あの人は恐らく映画に興味なんかなかった。
でも私はあの人とDVDを借りに行くのが好きだった。
あの人もそうだったと思う。
あの人は私が好きだった。
私だけを好きでいてくれた。
「奈緒。昼飯食おう。奈緒の食いたいものでいい」
「貴方は何か食べたいものはないの?」
「別にない」
「じゃあ、マクドナルド」
「あんた本当に好きだな」
「だってあの人に連れていってもらうまで行ったことなかったんだもの。初めて行った時テレビで見たことあるって嬉しくなった」
「美味しい美味しいって言うし」
「あの人呆れてたの?」
「嫌。可愛いって思ってた。ずっと見ていたいって。向かい合ってあんたの顔を好きなだけ見れるだろ。ぶしつけにさ。それが堪らなく嬉しかったんだろ。そういう奴なんだ」
「貴方、あの人のこと、嫌い、なの?」
「好きじゃないな」
「それはあの人が自己嫌悪してたってこと?」
「どういうことだ?」
「だって貴方はあの人からできてるんでしょう?貴方はあの人を客観視してるけど、あの人をコピーしてるなら貴方はあの人そのものでしょう。だったら貴方があの人を悪く言うのはあの人が自分のそういうとこを嫌っていたのかなって」
「そういうとこって?」
「私のこと凄く好きなとことか」
「自分で言うか?」
「だって本当にそうじゃない?考えれば考えるほどあの人には私しかいなかったんじゃないの?だって私が初恋だったんでしょう?」
「気持ち悪いことにな」
「気持ち悪くないわよ。寧ろ嬉しいって言ったでしょう」
「十二の女を相手と捉えられるような人間をか?ままごとじゃなくド本気で。終わってるだろ」
「それ、私にずっと言いたかったの?」
「は?」
「私に言ってひざまずいて許しを請いたかったの?何もしなかったのに」
「さあ、どうだろうな」
「そんな必要ないわ。言ったでしょう。私もそうだったって」
「そうだったな。あんたも立派な病人だ」
「私あの人好きだったわ」
「いいよ、それは」
「大好きだったの」
「知ってる、そんなこと」
エレベーターが三階のフードコートに着く。
夫以外の人と狭い空間で二人きりだったことに今更気づく。
彼の背がとても広くあの人と同じことにも。
「お腹空いたわね」
「ハンバーガー食ったらドーナツも食おう。あとアイスも」
「お買い物もね。服いっぱい買いましょ。下着も」
「ああ、買ってくれ」
彼は野菜ジュースから飲み始めた。
あの人と同じ。
次にポテトを何本か食べる。
そしてハンバーガーに齧り付く。
映画よりずっといい。
あの人も同じ気持ちだったのだろうと気づく。
あの人は映画を見るより私が目の前で何かを食べてる姿を見る方がずっと楽しかったのだ。
私もそうだった。
「食わないのか?」
「食べる」
私はオレンジジュースを一口飲み渇いた喉を潤しポテトを口に入れる。
彼を見ると私を見ていた。
あの人もこんな顔で見ていたのだろう。
もっとよく見ていたら良かった。
これからずっと後悔し続けながら暮らすのだろう。
あの人が私から薄れることはない。
彼がそうさせないだろう。
何度も巻き戻される。
私の過去にはあの人しかいないから。
違う。
未来にだってあの人しかいない。
いるはずがない。
面影を重ね続ける。
だってそれはぴたりと一致するのだ。
寸分の狂いもなく完璧に。
まるでトレースするかのように。
私達はくっつき過ぎた。
時間が経つたび近づいていった。
離れてた時を埋めようとするかのように。
だから顔が見えなかった。
いつも腕の中にいたから。
今私は漸く顔が見える。
もう遅すぎて見える顔は似た顔でしかないけれど。
あの人が自分を大嫌いだったのなら私が大好きだから大丈夫だと伝えたい。
もう何千回何万回言ったとしてもそれは届かないけれど。
彼の顔を見る。
固くもなく柔らかくもない黒髪。
あの人は自分のことに無頓着だったから前髪が目にかかっても気にならないのかいつも長く眼鏡にかかっても気にしていなかった。
髪を切りに行くのが嫌いだった。
余りに行きたがらないので結婚してすぐの頃私が切ってあげようかと言うと、そうだね、奈緒ちゃん切って切ってと言ったので思い切って切ってみると意外と上手く切れたのでそれ以降は私があの人の髪を切ってあげていた。
動画を見て切り方を勉強したりもした。
いっそ美容師になるための学校に行こうかなと言うと奈緒ちゃんが俺以外の人間の髪を切るのは嫌だなと言ったのでそれっきりになった。
彼の髪も同じように前髪が長いけど、眼鏡がないので唯整った顔に意味のない憂いを付け足しただけに見えた。
瞳はあの人と完全に同じ。
その瞳で私を見てくれるのが大好きだった。
あの人の瞳に写る私も。
ずっとその目で私を見ていて欲しい。
貴方があの人だったなら。