嫉妬
「奈緒。あれが食いたい。あれを食わせろ」
彼はそう言ってクレープのお店を指さす。
その子供のような仕草に幻覚でも見ているのではと錯覚する。
いっそ幻覚であったらと。
どうせあの人を複製するのならもっと子供の姿にしてくれたら良かった。
そうしたらあの人を私が育てることができた。
それなら私はその子をうんと甘やかして育てるの。
こうどこにもやらない。
二人きりで静かに暮すの。
「奈緒は食わないのか?」
「朝ごはん食べたとこでしょ」
「甘いものは好きだろ?」
「好きだけど今はいい。貴方だけ食べて」
「奈緒。あれも食べたい」
彼は向かいの大判焼き屋を指さす。
あの人も甘いものは好きだった。
「クレープ食べてからね」
「お前も好きだっただろ?大判焼き」
「好きよ」
「フードコート大好きだもんな。初めて連れて来てやった時目キラキラさせてさ、可愛かった」
「初めてだったから。だって見渡す限り食べ物のお店がずらっと並んでるのよ。ワクワクするじゃない」
「美味いぞ。クレープ」
「好きなの?」
「アイツは好きだったな。俺は食べるのは初めてだ」
「そうなの」
「奈緒。映画見よう。映画見たい」
「いいけど」
あの人は映画館が好きではなかった。
二人で行ったのは数えるくらいしかない。
結婚してからは一度も行かなかった。
いつもDVDを借りてきて身体をくっつけて見た。
あの人はいつも私の体のどこかを触っていないと気が済まないらしかった。
ショッピングモールの最上階は映画館になっている。
二人でエレベーターで最上階に上がり上映中の映画のポスターを眺める。
余り心惹かれるものはない。
「どれを見る?」
「貴方が見たいのでいい」
「別にどれも見たくないな」
「映画館に行きたかったの?」
「え?」
「映画館初めてなの?」
「嫌、雅と行った」
また雅。
これがあの人の口から発せられた言葉なら私はこんな風に穏やかではいられないだろう。
「雅とは何でもないぞ。俺もアイツも」
「あの人は兎も角貴方はいいんじゃないの?佐藤さんは貴方があの人じゃないって知ってるんだし」
「ない」
「そう」
「高校と大学と就職先が一緒なだけだ」
「高校?」
「ああ。同じ高校だった」
「何それ?そんなことあるの?」
「あるだろ」
「そうかしら?世間ってそんなに狭いの?」
「頭のいい人間ってのは一か所に集められるものだろう。学校ってのはそう言うところだ。同じ学力。もしくは親の財力」
高校からあの人を佐藤さんは知っていた。
私よりずっとずっと前から。
私の知らない、見ることすらできなかったあの人を。
「奈緒。嫉妬か?」
「してない」
「そうか?怖い顔だぞ」
彼は私の顔を覗き込んだ。
長い身体を不自然に曲げて。
「何もなかったんでしょ。それに何かあったとしても関係ない。あの人は私の夫だったもの」
夫のまま死んだんだもの。
最後まで私だけの夫で。
「気にしてるんだな。あんたも可愛い所があるじゃないか。そういう顔もっとアイツは見たかっただろうな。奈緒ちゃん可愛ってアイツの脳内そればっかだもんな。奈緒ちゃん、奈緒ちゃん」
やめて。
あの人と同じ声で奈緒ちゃんて呼ばないで。
そう言いたかったけど彼の瞳の引力に顔を完全に固定されてしまっていて上手く声が出せなかった。
「これ見ましょう」
私はアメリカのミュージカル映画を指さす。
映画が上映され始めたらすぐに泣ける。
暗闇で顔なんか見えるはずがないから。