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恋だけが残る  作者: 青木りよこ
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「本当に運転して大丈夫なの?」


車が発進し道路に出てから聞くことではないが意味もないのに聞いてみた。

助手席から見えるあの人の真剣な横顔が好きだった。

ハンドルを持つ大きな手をいつもかっこいいと思っていた。

今隣でハンドルを握る手は同じなのに横顔は同じはずなのに別人だ。


「雅の車で練習させてもらってたから大丈夫だ」


雅。

その名前は昨日憶えた。

夫の同僚の美しい女の人。


「安心しろ。アイツの元カノとかじゃない」

「そんなこと考えてない」

「アイツに彼女なんかいるわけないだろ。アイツお前が初恋だったんだぜ。二十二の男が十二の女に。気持ち悪いだろ?」

「全然。寧ろ嬉しすぎて可笑しくなりそう」

「そうか。あんたも大概だったな」

「あの人彼女いなかったの?」

「いるわけないだろ。アイツ勉強ばっかしてたんだぜ。つまんない人間だろ?」

「あの人ほど面白い人いないわ。益々好きになっちゃう。ねえ、もっと聞かせて」

「何を?」

「あの人のこと。何でもいいの。いっそ初めて会った時からのこと話してよ」

「嫌だ。何で俺が」

「それは貴方の義務じゃないの。あの人の人生を引き継ぐんだから」

「研究をだろ」

「生活も引き継ぐでしょ?私と一緒に暮らすのは研究に何の関係もないじゃない」

「アイツに面白い話なんかない。それよりあんたホントにスーパー好きだな。あとコンビニとドラッグストアか。初めてアイツが連れてった時感動してたよな」

「だってスーパー行ったの初めてだったから、嬉しくて」

「アイツ馬鹿みたいに喜んでたぞ」

「ホントに?」

「ああ。奈緒ちゃん可愛いって。でもアイツビビりだからな。淫行で捕まるんじゃないかといつもビクビクしてた」


それは知っていた。

だから中学生の間は一度も私の家以外で会わなかった。

だからいつもせめて美味しいものを食べてほしくて美味しいお菓子とお茶を用意した。

あの人はいつも私のつまらない話をニコニコして聞いてくれた。

中学生が話せることなんかそんなにない。

友達と話して面白かったこと。

習い事の話。

学校の授業。

部活の話。

そんな他愛もない何を話したのか忘れてしまうようなこと全部をあの人は聞きたがった。

自分のことは話したくないのか話さなかった。

ただいつも私を見てくれていた。


車から見る景色はこんな風に流れていたんだ。

何時も何も見ていなかった。

あの人を見ていたから。


「アイツには何もないよ。本当に何もない人生だった。あんたがいて良かった」

「それはあの人がそう思っていたの?」

「さあ」

「さあって」

「それよりもう少し俺に親切にしたらどうだ。俺はこの世でただ一人お前の夫を生き返らせられるかもしれないんだぞ」

「そんなこと本当にできるの?」

「やってみなくちゃわからないだろ、何事も、な」

「何事も?」

「現実として俺はできているだろう?アイツと同じ見た目、同じ声、同じ記憶を持つアイツの複製」

「でも貴方あの人と全然違うじゃない」

「あんなロリコンの変態と一緒にするな」

「それは貴方がそう思っているの?それともあの人が自分をそう思っていたの?」

「さあ、どうだろうな」


私は彼の顔を見ないようにした。

移り行く景色に彼を遠ざけたかった。

核心に近づくのは怖い。


「貴方のその口調、それはあの人の望んだことなの?あの人は私とそんな風に話したかったの?」

「さあ」

「さあって、貴方これからあの人として生きるんでしょう?」

「ああ、もう生きてる」

「佐藤さん以外の人も貴方があの人の複製だって知ってるの?」

「このプロジェクトのメンバーは皆知ってる」

「じゃあ佐藤さん以外もいるってこと?何人くらい?」

「それは答えられない」

「ねえ、どうして私に言ったの?」

「アイツが奈緒ちゃんにだけには伝えてくれって言ってたから」

「あの人が?」

「ああ。嬉しいか?奈緒」

「どうして名前で呼ぶの?」

「あんたの方がいいのか?」

「あの人は呼ばなかった」

「呼びたかったかもしれないだろ?」

「かもしれないってあの人の記憶があるなら断定できるんじゃないの?」

「さあ」

「はぐらかしてばっかり」

「それはお互い様だ。あんただってできれば何も知りたくないんだろ?」


信号で車を止めると彼は私の顔を自然現象の様に自分の方へ向けた。

頬を包む大きな手に違和感などなかったはずなのにその強引さに知らない手だと自分より先に頭が処理した。


「あの人ずっと我慢してきたの?」

「何をだ?」

「ずっとそんな風に偉そうにしたかったの?」

「偉そうか?」


信号が変わり私は彼から目を逸らす自由を得る。


「偉そう。仕事場でも貴方そんな風なの?ならやめて。あの人が可哀想」

「なんだそれ。奈緒。お前はアイツが外でどんなだったか知らないだろ?」

「知らないけど」

「アイツはお前の前で猫被ってただけで、本当はとんでもない暴君だったかもしれないだろ?お前はアイツの全てを知ってるわけじゃないんだから」

「そうだけど・・・」

「何も知らないよ。お前は」

「そうだけど・・・」

「でも、安心していい。アイツがお前を好きだったのは本当だ。お前の他は誰もいなかった。ずっと一人だった」

「一人?」

「誰も好きじゃなかった。あんた以外誰も」

「私以外?」

「お前だけだったよ。奈緒」


それをあの人が言ってくれたら私は嬉しかったかしら。

私を腕に抱いて囁いてくれたら。


違う。

あの人はそんなこと言わない。


「奈緒?」


この声なら私は奈緒ちゃんと言って欲しいし、何も言ってくれなくていい。


「奈緒、どうした?」


私は両手で顔を覆った。

もう涙を隠す方法がなかったからだ。

どうしていないの?

どうしてあの人じゃないの?

呼ぶ声は同じなのに。

どうして違う音になるの?

答えはわかり切っているのに。


ショッピングモールの立体駐車場に車を止めると彼は私の頭に手を置いた。

あの人は私の髪を撫でたりはしたけど頭に手を置いたりはしなかった。

あの人としていなかったことが多すぎたと気づき、止まらない涙を止めようともせず泣き続けた。

















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