涙
「おい、涙が止まらないぞ。何とかしろ」
彼は相変わらず台所の私の隣に立ち私を見ている。
さっきまでの琥珀のような笑みを浮かべた美しい青年の面影は何処へやら。
私よりずっと高い所からぐすぐすと流れる涙を止めることもできないまま佇んでいる。
あの人もそうだった。
自分で切ってもいないのに私が玉ねぎを刻んでいると傍にいてぽろぽろと涙を零した。
奈緒ちゃん、目が開けられないよーと言って引っ付いて。
私はそれを見ていつも笑った。
「テレビでも見ていたら」
「あんたは本当に冷たいな。アイツのことはカナちゃんカナちゃんと言って纏わりついていたくせに」
「当たり前でしょ。夫だもの」
「いつまで玉ねぎ切ってるんだ。もういいだろ。一体何を作るんだ?」
「ピーマンの肉詰め。あの人大好きだったの」
「アイツは何だって好きだっただろ。あんたが作ったものなら何だって良かったんだ」
「そうね。ちなみに貴方はピーマンの肉詰め好き?」
「記憶にはあるがまだ本物を食べたことはない」
「そう。でも貴方の中身はあの人ならあの人の好きなものは貴方も好きでいいのよね?」
「そうだな。でも言っておくが俺はあんたのことそんなに好きじゃないからな」
私は刻んだ玉ねぎと合挽肉とパン粉をボウルに入れ塩胡椒して手でしっかりと混ぜ合わせる。
「おい、何かないのか?」
「そうなの」
「何だ、その棒読みは。仕方ないだろ。俺はアイツの記憶を貰っているんだ。嗜好が一致するのはしょうがないだろ。全部アイツが悪いんだ。俺のせいじゃない」
「そうね。あの人が悪いわ」
「アイツが悪い。アイツが俺に植え付けたんだ。あんたがこの世で一番可愛いとかあんたがこの世で一番綺麗だとかアイツがあんたを基準にしてるから俺もそうなるんだ。俺が自分の意思であんたを好ましく思うわけじゃない」
「そう」
「そうだ。だから勘違いするな。俺はあんたを美しいと認めるがそれは事実であってあんたの造形を褒めているだけだ。そしてそれはあんたの手柄じゃない。あんたの外側だけだ。決して中身がいいとは言っていない。そもそもあんたを美しいと思うのも俺が本当に思っているわけじゃない。アイツがそうさせるだけだ。忌々しい」
「そうね。ごめんなさい」
肉だねが出来たので種を取ったピーマンに詰めていく。
彼はまだ涙を流しながら私の手を不思議そうに見ている。
子供の様に。
あの人もそうだった。
自分にもできそうと思うと奈緒ちゃんそれやらせてと言った。
特に餃子とか焼売を包むのが好きだった。
でもお世辞にも上手ではなかった。
でも嬉しくってあの人が作った不格好な餃子はいつも私が食べた。
あの人は絵に描いたような不器用だった。
でもそんなところも大好きだった。
「でもあれだぞ。アイツ程好きではないけど、嫌いじゃ、ないからな。そこは勘違いしないように」
「そう」
別に嫌いでもいいのに。
真面目なのかしら。
真面目に決まっているか。
あの人だもの。
「上手く作るもんだな」
「やってみる?」
「嫌、いい」
「そう?」
「アイツ気持ち悪いからな。あんたが作ってくれたってその行為に感動してたんだ。わかるか?あんたがその指で捏ねたってだけでハンバーグを美味い美味いって言ってたんだ。あんたが研いだってだけで唯の米を白くてピカピカ光ってるって言っていたんだ。アイツはあんたが触れるものならなんでも価値があると思い込んでいた。おかしいだろ?」
「そういうものでしょ。何にもおかしくないわ。私もそうだったもの」
何て可愛らしいんだろう。
私にそんなに価値があると思ってくれていたなんて。
あの人は私が想像してる以上に私のことを好きでいてくれたんだ。
私がそうだったように。
「何だ?」
私は彼をじっと見た。
もう涙は止まり自信を取り戻した様に形のいい唇に余裕が見えた。
彼は答え合わせなんだと気づく。
私達のこの七年の。