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4話 下僕のお仕事

 

「クリス、湯浴みをするぞ。妾の供をせい」


 夕飯を食べて洗いものをしていたところ、アルがそう言い出した。

 温泉があることは食事中の話題として上がっていたので、興味をもっていたのだろう。

 温泉の場所まで案内すればいいのかな?


「それなら母さんが適任かな。ちょっと待ってて、呼んでくるから」


 母さんはボクが森でもう一頭のアイアンシザーグリズリーに遭遇したことを報告するため村長の家に行っている。

 すぐに帰ってくるとは思うけど。


「何を言うておる。妾の身の回りの世話をするのは汝の勤めではないか。そこは妾の身を清める栄誉に感涙すべきところであろう」


 こっちこそ何を言っているんだと反論したい。

 女湯にボクが入れるとでも?


「えっとね、人間の社会ではお風呂は男湯と女湯でわかれててね。異性のいるお風呂には入っちゃいけないんだ」


「不便じゃな。女の体になったこと、さっさとエレナに話してしまえばよいではないか。いつまでも隠し通せるものではあるまい?」


「そうだね、アルの言う通り必ずバレる日は来ると思う」


「エレナは妾が竜と知っても眉一つ動かさなんだぞ。余計な心配は要らぬのではないか?」


 アルのことはさておいて、母さんに協力を求めればボクの身に起きたこともすんなり受け入れて適切な処置をしてくれることだろう。

 村のみんなとの間に生じるであろう軋轢も最小限に抑えてくれるに違いない。

 隠さず相談するのが模範解答だってことは分かってはいるんだ。

 けれどもしうまくいかなかった時のことを想像してしまう。

 この体へのボク自身の心の整理もついていない。

 だから、


「早めに話してしまった方が問題は大きくならないだろうし、ボクがかけてしまう迷惑も少なくなると思う。それは重々承知しているんだけど、心の準備に時間をもらえると嬉しい。必ずボクの口から話すから」


 と悪手だと分かっているものの、結論を得るまで問題を先延ばしにすることにした。


「……汝の好きにすればよい。じゃが、」


 よかった。ボクの意思を尊重してくれたようだ。


「妾の湯浴みには付き合ってもらうぞ」


 そこもできれば譲歩して欲しかった。




 〇〇〇


「クリスよ、そろそろ皆が寝静まった頃合いではないか?」


 破れた服の修繕がちょうど完了したタイミングで食休みのうたた寝から起きたアルがお風呂に入りたいと言った。

 せめて人のいない時間に入りたいと提案したところ、なんとか了承してもらえたのである。

 縫物をしながら入浴のお供を避ける方法を考えていたが、無情にも時間切れとなってしまった。

 腹をくくって裁縫道具を片付ける。


「そうだね、ちょっと待ってて。準備するから」


 既に床についている母さんを起こさないよう足音を立てずに家の中を移動する。

 カンテラに火をいれて、玄関を出たところでボクは我が目を疑った。

 村の外の灯りは普段であればとっくに落とされていてもおかしくない。

 加えて曇り空で星明りのない夜なのに、闇に溶けて輪郭すら見えなくなってしまうはずの村の景色がはっきりと目に映っているのだ。

 手元の頼りない灯りではそこまで照らすことはできない。

 まるで夜行性動物の視覚を獲得したようだった。

 もういちいちアルに確認しようとは思わない。

 これもまた暗黒竜である彼女からもたらされた恩恵なのだろう。

 目立たないようにするためカンテラの火を消してアルと外に出た。


 異様に夜目がきくようになってしまったことで迷うことなく女湯に繋がる脱衣所に到着してしまう。

 中は男湯と構造に差異はないのだが、どことなく空気が甘いと感じた。

 本来足を踏み入れてはいけないところに侵入してしまった罪悪感でいたたまれなくなる。


「どうした?クリス。早く脱がぬか。あまり主を待たせるものではないぞ」


「あ、えーとボクはアルがお風呂を済ませるまでここで……って脱ぐの早いよ!?」


 ボクが目を離した一瞬の隙にアルは腰に手を当てて幼い裸体を惜しげもなくさらしていた。

 アルの外見年齢となると体つきは少年と区別がつかないが女の子の裸に免疫なんてない。

 反射的に目を背けた。

 彼女のドレスは出現した時のことから察するに恐らく体の一部なんだろう。

 人のように着脱の手間はいらないということか。


「なんじゃ、クリス。妾の美しさに見惚れたか?人間にとっては目もくらむ程であるのだな。

 くっくっく、直視すらできぬとは美しすぎるというのも罪よのう。さあ汝の肌も見せよ。湯浴みで衣を纏うは無粋ぞ」


 今後これからもアルと二人きりでお風呂に入ることになるのだろうか。

 ――なるに決まっている。ボクは下僕なのだから。

 何度覚悟を試されることになるかは分からないが森で命を失っていたかもしれないことに比べればマシというものだろう。

 目を閉じ、意を決して自分の服に手をかける。

 上着を脱いで包帯を緩めると、

「ほう」

 とアルが息を飲む気配が伝わってきたので手を止めた。


「ね、ねえ、アル」


「なんじゃ?」


「後ろ向いててくれないかな?」


「断る。汝の裸体を愛でるまたとない機会ではないか。妾を満足させるのが汝の務めであるぞ?」


「……」


 これは下僕としての仕事。仕事なんだ。

 狩人が三角ウサギに矢を射るように、農夫が畑に肥料をまくように、ボクにとってはアルの望みを叶えることが使命。

 そう言い聞かせてボクは服を脱いだ。


 そこからのことは記憶がおぼろげで現実だったかどうか定かではない。

 アルに命じられるまま心無きゴーレムにでもなったつもりで背中を流し、気づけば一緒に湯船に浸かっている。

 リラックスして気を緩めたためかアルは人の姿を解いて竜に戻っていた。

 おかげで自分の体以外目のやり場に困ることはない。


「岩風呂というのもなかなか風情があるものじゃな。湯の質もよい。上質な魔力が溶け込んでおる」


「魔力?お湯に?」


「うむ、地中に魔石が豊富に眠っておるのじゃろうな。浸かるだけでも魔力の回復に役立つことであろう」


「そうなんだ」


 魔石とは魔力が石のように凝固してできたもののことだ。

 ボクは専門家ではないのでざっくりとした説明なってしまうけれど、魔石にはいくつか種類あって、代表的なものでは元々魔力を秘めた鉱石が地中に存在するのと、魔力の残った生き物の死骸が化石となったパターンがあるのだそうだ。

 温泉に浸かった後は気力が充実している実感があったけどそういう訳があったのか。

 魔力を回復させる効果のあるお湯と言われるといつもよりありがたさを感じる。

 のぼせない範囲で体を癒していくことにしよう。


 脱力し、深い呼吸を繰り返して眠るときのように意識を空にする。

 アルもボクと同じ気持ちだったようで会話のために口を開くこともなくお風呂を満喫している。

 ゆったりとした心地よい一時だったけどお湯の熱さに少々息苦しくなってきた。

 そろそろ出ようかなと考え始めた頃に脱衣所から物音がした。

 音源のした方に向くと脱衣所内に灯りが灯っている。

 パタパタと一人分の足音が聞こえてきた。


「もう、お母さんたら!あたしだって忙しいのにいきなり村の鳴子全部壊れてないか見てこいなんて娘使いが荒いんだから!お風呂こんな時間になっちゃったじゃない!」


 足音から程なくして苛立たしげな一人言がこちらに届いてきた。

 聞き覚えのある声だ。


「あれ?この服、誰かの忘れ物かしら。んーどこかで見たような服ね。明日にでも取りに戻ってくるだろうし、このままでいっか。それよりお風呂、お風呂」


 間違いない。誰か来てる!

 ま、まずい!どうしてこんな日に限って遅れて入る人がいるんだ!

 しかもよく思い返してみればその声の持ち主は村長の娘、ボクの幼馴染のリズだ。

 彼女にボクらの姿を見られたらアルの立場の悪化に加え、母さんに秘密にしていたこの体のことまで水の泡になってしまう。

 脱衣カゴについ癖で服を入れてきてしまったのもまずい。

 忘れ物と認識されているのは勿怪の幸いだけど、もしかしたら警戒されているかもしれない。

 そして極めつけはこの温泉、広いけれど逃げ場はない。

 女湯は過去に覗きをやらかした男がいたせいで、かえしのついた高い柵で囲まれている。

 飛ぶことのできるアルなら脱出を図れるけれどボクはそうはいかない。

 どうする?どうしたらいい!?

 そうだ!手拭いを頭に巻いて謎の女xとして何食わぬ顔で通過すれば……。

 妙案めいたものが浮かんだがすぐに取り消す。

 ダメだ。灯りもつけないで風呂に入っている顔を隠した女なんて怪しすぎる。

 お互いの顔を知らない者なんていないこの村でそんな馬鹿げた策、通用するはずがない。


「どうしたクリス?何を慌てておる」


 アルが湯にぷかぷかと浮いて遊びながら暢気に言ってきた。


「人が入ってきちゃったよアル!どこかに隠れよう!」


 リズに気づかれないよう小声で話す。

 だがアルはどこ吹く風といったようにのんびりしている。


「入ってくればよいではないか。今日の妾は機嫌が良い。例え我が好敵手であろうと同席を許そうぞ」


「アルが良くてもボクはダメなんだって!一応これでも男として通ってるんだから。リズに見つかったら怒られるじゃ済まないよ!」


 そう言い返した瞬間、脱衣所の扉が開けられた。


「あれ?誰もいない?おかしいわね。確かに物音がしたんだけど」


 リズがとうとう浴場内に入ってしまった。

 彼女はカンテラをかざして周囲を窺っているらしいことが一瞬確認できた。

 が、ボクたちはまだ見つかっていない。


 ボクはというとカンテラの光の届かない湯船の隅っこで水中に身を沈めて難を逃れていた。

 裸でアルを抱き抱えた状態である。

 アルがガボガボと呼気を吐き出してボクに何かを抗議する。

 言葉としての体をなさない不毛さを悟ったのかすぐに念話に切り替えてきた。


『これ、クリスよ。こういことは閨でするものじゃ。時と場所を選べ』


『ごめん!アル、大丈夫?何を言ってるのか分からないけど早くここを出ようよ!リズがいるし!』


『ほう?すぐにでも寝床に戻りたいとな?出会ったその日から妾を求めてくるとは汝は顔に似合わず大胆よのう。汝の側室としての自覚は尊いが、そう急くものではない。ゆるりと相手をしてやろうではないか』


 ボクとアルの話が致命的に噛み合ってない気がする!

 うう、ダメだ。咄嗟に潜ったから息があまりもたない。

 水中からではリズが今体を洗っているか、湯船に入っているかも分からない。

 不用意に出られないし、彼女が入浴を済ませるまでにどれだけの時間がかかるか。

 溺死するまでのタイムリミットが迫ってくる。

 裸でアルに体を密着させたまま、刻一刻と無為に時を浪費していく。

 息が続かなくて頭がクラクラとしてきた。


『アル……ボクもうだめ……』


『我慢できぬのか。全く仕方のないやつじゃ。妾に感謝を捧げるのだぞ』


 アルの言葉が酸欠のためか遠くに感じる。

 結局彼女の力になれなかったなボク。下僕としても半人前のまま……か。

 ん……?力?彼女の……?


 その時ボクに天啓らしいものが訪れた。

 今日既にやっていることなのにどうして思いつかなかったのかと自分自身に罵声を浴びせたくなる。


 そうなんだ!アルの黒い霧で浴場丸ごと真っ暗にしてしまえばリズに見つからずに出られるかも!

 とびっきり怪しいけれど!


『ねえ、アル!アイアンシザーグリズリーから逃げるときに出したあの黒い霧出せない!?浴場全体を覆えるようなものを!』


『む、なんじゃ藪から棒に。あれだけの規模であれば汝の魔力も必要となるぞ』


『魔力でも何でも捧げるよ!お願いだよアル!力を貸して!』


『よく分からぬが汝の2つの果実、甘露であったからな。望みを叶えてやる。妾と一つになるぞ』


 アルの体が靄となって実体を失う。

 それに伴って彼女を抱いた腕の中から抵抗が消えた。

 そしてその靄はボクの身体の中に浸透していく。

 アルの存在がゼロ距離にまで接近した感覚。

 直感的にそれが髪を黒く染めたり、角を生やした時の変化であると思い至った。


『妾と汝の魔力を合わせる。気絶するなよ』


 アルが魔法を発動させたのか、黒い霧がボクを中心に吹き出して辺り一面を闇で覆った。

 それを見計らい、水中から脱出してリズに気取られぬよう息を吸って呼吸を整える。


「きゃあっ!ちょ、ちょっと!?どうして急に真っ暗になるのよ!?」


 リズが驚き慌ててカンテラを探すが、カンテラの光すら闇に食われて触れることもままならない。

 ボクからはこの暗闇でもリズの姿がはっきりと見え……。

 ……!?

 リ、リズの裸見ちゃった……。

 幼馴染みというのはいつまでも子供ではないのだという事実を突きつけられる。

 少し釣り目がちで、思ったことがすぐに顔と口に出る年相応の可愛らしい女の子なんだけど、体を構成するパーツのそこかしこに大人の片鱗が確かに表れていて、ボクの記憶にある子供のプロポーションではなかった。

 いつもポニーテールにして揺らしている癖っ毛な赤毛は今は下ろされており、とても新鮮な魅力をたたえていて、ボクの知らない美少女がそこにいるかのように錯覚してしまった。


「何よこれ……。何も見えないじゃない!」


 色々とごめんなさいリズ!ボクが脱出したら魔法を解くから少しの間辛抱していて!

 彼女に詫びつつ抜き足差し足を心がけて脱衣所まで進むのだけど、


「い、いやあぁぁぁああああ!何か歩いてるようなぺたぺたって音が聞こえる!幽霊なの!?いや!こないで!何なのよもう!最悪!あたしが何をしたっていうのよ!」


 足音が反響してしまっていたみたいだ。幽霊と誤解させてしまったようで強気な性格のはずの彼女が怯えて震えてしまっている。

 本当にごめんさいリズ!


 今度お詫びにお菓子をご馳走しようと思いつつ、脱衣所までたどり着き、自分の服とブーツをひっつかんで温泉から逃げ出した。






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