3話 母と竜
アルの示した方角に従って歩くことで森は見慣れた景色に変わってきた。
村はすぐそこだ。
安心感で膝から力が抜けて涙を流して崩れそうになる。
「アル」
「何じゃ?」
「ありがとう……ひぐっ、えぐっ……」
堪えきれずアルにしがみついて泣く。
「これ、泣くでない。肉体こそ女になったが、汝は男であろう」
「そうだね……」
重量感を増した胸や失ったもののことはさておいて、その点は首肯しておく。
「して、村は近いのか?」
「うん、もうすぐだよ」
「ならば良し、魔力が必要な分回復したところじゃ。妾のもう一つの姿を見せよう」
アルの体が黒い霧となって竜の形を朧に濁す。
霧のシルエットは四足歩行から二足歩行に適した人型の形態に。
竜になった時と同様に徐々に姿が明確になっていく。
「わあ……」
全貌が明らかになると年のころは7、8才であろう、幼い少女が現れた。
ボクが感嘆に息を飲んだのは容姿と衣装の両方だ。
一言で例えるならば御伽噺のお姫様。
黒一色に染められた光沢を放つ艶やかなドレスを身に纏い、腰まで届く闇色の髪が豪奢な生地の上を流れている。
それらと対照的に肌はぬけるように白い。
そして何より目を引くのは紅玉の輝きに匹敵する妖しい魅力を内包した瞳。
しかし竜の時と変わらず隻眼のままで一対で揃っていないことが残念でならない。
痛ましい傷が走っており、光を灯さない眼窩から眼球が失われていることが嫌でも理解できた。
ボクの視線に気づいたのだろう。アルは肩をすくめて言った。
「気にするでないぞクリス。これは名誉の負傷じゃ」
「名誉の?」
「うむ。我が好敵手、魔人族の王に目玉を抉りとられた時の傷なのじゃ。だが妾もやられっぱなしではないぞ。代わりに奴を決して解呪できぬ竜言語魔法で女に変えてやったわ。今も生きておるなら愛する后を抱くことも叶わんであろうな。いい気味じゃ」
魔人族の王様との戦いは痛み分けに終わったらしい。
「そうなんだ……。痛かったよね」
「汝は半人前とはいえ狩人の癖に優しすぎるな。重い傷であったため再生できなかったが、妾が成体となる頃には癒える」
「無くなった目玉が生えてくるの?古代竜ってすごいね」
「であろう?さあクリス、妾は腹が減った。汝の寝床まで案内せい」
アルが人の姿になったことで村のみんなから攻撃される懸念はなくなったけど、この小さな女王様をどのように母さんに紹介しようか悩む。
うーん、父さん抜きの状況でとにかく居候させてって頼むにしてもなあ……。
うまい言い訳が思いつかないので出たとこ勝負でいくことにした。
〇〇〇
「いいわよ。アルマリアちゃんと言ったわね。うちでよければいつまでもいて!むしろうちの子にならない?ね?」
アルと出会った経緯と彼女が何者なのかといった説明を省いて、ただ居候させて欲しいとだけお願いしたにも関わらずボクの母、エレナはあっさり了承した。
男女に関係なく可愛い子に目がないからなのはよく知っているけれど、即答されるとは予想外だった。
アルの方は蜂蜜を混ぜて作られた母さんお手製の甘い焼き菓子を頬張りご機嫌である。
「よきにはからえ。
ところでクリス、汝の母は子を産んでおる人族にしては若すぎぬか?」
「よく言われるよ。知らない人には姉妹ですか?って」
「あら、クリスもアルマリアちゃんもお上手ね。嬉しいわ。よかったらこっちのカルデナッツ入りのクッキーも食べて」
「おお!これも美味そうな菓子じゃ!あむ、小気味よい歯ごたえ!癖になりそうじゃ。クリスはこれよりも美味いものが作れるのか?」
アルの質問に、ボクに代わって母さんが答える。
「そうなのよ。お料理もお菓子作りもクリスに抜かれちゃったわ。母さんの立つ瀬なしよ」
「でもボクは自分で作った料理よりも母さんの料理の方が好きだけど?」
「腕前だけじゃないわ。月並みな言葉だけど誰かが自分のために愛情込めて作ってくれたお料理は特別に美味しいものなのよ」
「ふうん。料理のことはともかく母さんはアルがどこから来たんだとか聞かないの?」
「母さんが見たところいい子だと思うわ。アルマリアちゃんが話したいっていうなら聞くわよ」
「むぐむぐ、ごくんっ。クリスの母よ、汝の快い供物に妾は満足じゃ。褒めてつかわす。
汝の忠誠に報い、妾の由来を聞かせてやろう。
妾は古代竜の女王にして最強の竜、アルマリア・エンペリウム・フォン・シュバルツシルトである。今後も汝の赤心忠義を期待するぞ」
アルは口元にクッキーのかすが付いたまま威厳たっぷりに胸を張って己の種族を明かした。
「わかったわ、アルマリアちゃんは古代竜の女王様なのね」
「母さんはアルが竜だって信じるの?」
「本人がそう言ってるじゃない。私を騙してアルマリアちゃんに何の得があるの?」
「確かにないね……」
「アルマリアちゃんのことは解決ね。ところでクリス。あなた今朝と体つき変わってない?
角がとれて丸みを帯びているというか。元々華奢だったけど全体的に柔らかくなった感じね」
鋭いな母さん!
ボクがアルの魔法で女の子の体になってしまったことは隠しておきたい。
「き、気のせいじゃないかな?」
「そうかしら?いつものクリスと違ってどことなく色気が漂ってる気がするのよね」
これ以上追及されたらうっかりぼろを出して口を割ってしまいそうだ。
アルに口止めをお願いはしてあるけれど、何よりボク自身がヘマをしでかさないよう細心の注意を払って生活しなければならない。
とりあえず魔力切れでクタクタの状態では冷静な受け答えもままならないだろう。
この場は撤退すべきだ。
「えっと、母さん。ボク今日は疲れちゃったから一眠りしてきていいかな?晩御飯を準備する時間には起きてくるから」
重い腰を上げて席を立つ。
「ならしばらくアルマリアちゃんを独り占めね。風邪をひいたりしないように暖かくして寝るのよー」
「はーい」
自室に戻り、念のため辺りを警戒。
人の気配を感じないことを確認してから革の胸当てを外す。
その下に着ていた服と肌着を脱ぎ捨てると女の子の体になってしまったことを否応なく理解させられる。
「包帯でなんとか誤魔化せないかな?」
薬箱から包帯を出して巻きつけてみる。
できる限り直視せず、触らずに巻くのは難儀したが、不恰好ながらやり遂げられた。
そこそこ窮屈に巻いたつもりだったが、やはり目立つ。
「今後は重ね着をし続けるしかないか……」
上に何枚か重ねて厚着することで胸の件は何とか解決した。
気休め程度の安堵を得てベッドに横になる。
眠気はすぐにやってきたのだが思い出したことがあった。
「そうだ、後でアルに温泉を案内しないと」
カルデ村には温泉が湧いている場所がある。
村民の憩いの場として自慢の施設なのでぜひ堪能してもらいたい。
竜が温泉を好むのかは謎だけれど。
温泉……?
あ、
「お風呂どうしよう……?」
これまでと変わらない日常生活を送る上で致命的な問題に直面した。
村の温泉は混浴なんてことはなく、男女わかれているのだが今のボクはどちらに入っても非常にまずい。
村の男衆はボクがお風呂に入っている場合は遠慮しようという暗黙の了解があるらしい(それに対してボクの胸中は複雑である)のだけど、小さな子供やお年寄り、今はいないが父さんなんかは気にしないので普通に入ってくる。
「入る時間をうんと遅めにして誰もいない時に一人で入ろう」
村の朝は早い。
皆が寝静まった時間帯であれば大丈夫だろう。
そうと決まれば夕飯の準備に向けて気力と体力の回復に努めるべきだ。
ゆっくり目を閉じてそのまま睡魔に身を任せることにした。