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20話 魔法学概論

 


「クリス君おはようございます。こちらにいらしたということはお体の具合に不調でも?」


 診療所の門を叩くと長身のエルフ、オリビアさんがたおやかに微笑して出迎えた。

 美女のスマイルに緊張で凝固したがる表情筋に喝を入れ笑顔をつくり、挨拶を返す。

 昨日のことは記憶の奥底に閉じ込めた。


「お気遣いありがとうございます。おかげさまで支障なく生活が遅れていますよ。今日は別の用件でお伺いしたんです」


「別の用件とは?」


「本を借りに来たんです」


「でしたら司書としての出番ですね。また弓の作成技術に関する本をお探しですか?」


「いえ、今日は魔法の本を」


 そう言うやいなやオリビアさんは顔をほころばせる。


「まあ!喜ばしいことです!クリス君が魔法に興味を示していただけるなんて!」


 手を合わせて童女のように天真爛漫な笑顔を見せた。


「早速図書室に参りましょう!クリス君、魔法を上達させる王道は師から直接習うことです。真理に近づくためには師弟での問答が欠かせません。本では読者の受け取り方によって誤解が生じる場合がありますからね。見返りはいりません。ぜひ私に先生役を務めさせてください!」


 オリビアさんのオーバーな喜びよう以外は予想していた展開だ。

 彼女と2人きりで過ごすなんてとてつもなく緊張を強いられそうだけどアルの夢を叶えるためなら願ってもないこと。

 一流の魔術師からの教授を望めば目玉の飛び出るような額の授業料がかかるという。

 魔術師を志そうとする人がボクの置かれた状況を知れば呪殺せんばかりの怨念を込めて羨ましがることだろう。

 元々オリビアさんから授業の申し出があれば辞退するつもりだったけど、それはあまりにもったいない。

 彼女の瞳は生き生きと輝いていて断ることの方が罪悪に思えてくる。


「オリビアさんは忙しいと思うんですけどいいんですか?」


「いいえ。皆様とても健康でいらっしゃいますから暇なものですよ。残っている仕事と言えばお薬を作り置きするくらいのものです」


「一応お仕事があるんですね?」


「不足しているのは二日酔いのお薬ですよ。緊急性はありません。ですのでどうか遠慮なさらないでください。クリス君のお手伝いができるなら本望というものです」


「そうですか……」


 少し黙考して結論を出した。

 何かと理由をつけて成長できる機会をみすみす逃すなんて男らしくない。

 半人前が一人前になりたいなら貪欲であるべきなんだ。


「独学で魔法を修めることはできなくはありません。ですが、人と交わることのなかった魔術師の大半は見識が狭く、大成しません」


 ダメ押しの説得をされ、腹を決める。


「ご迷惑でなければ。よろしくお願いしますオリビアさん。いえ、オリビア先生」


 ボクはオリビアさんに師事することにした。



 〇〇〇


 図書室に入り、入門者向けの魔導書が納められた書架を案内される。

 オリビアさんからそれらしいタイトルが記された本を何冊か受け取って、部屋の中央にあるテーブルに向かった。

 狭い書架の間を縫って進むとそこに先客の姿があった。

 今朝お見舞いに来てくれた幼馴染、リズである。


「リズ?どうしてここに?」


 声をかけると本に視線を落としていたリズがこちらを見た。


「クリスこそ図書室に来るなんて珍しいじゃない。しかもそれ魔導書ね。あんた魔法苦手じゃなかった?」


意外そうに目を瞠るリズに正直な気持ちを告げる。


「その苦手を克服しようと思って。アルの命令っていうのもあるけど心を入れ替えたんだ。今のままじゃいつか後悔することになるのが目に見えてるから」


「向上心があるのね。見直したわ。あたしも魔法の勉強をしているところよ」


「リズも?」


 リズは容量の大きいアイテムボックスのスキルを活かした運び手として村で珍重されている。

 魔法がなくてもボクよりずっと役に立っているのは明らかなのに何か理由でもあるのだろうか。


「力不足を実感したのよ。あんたがピンチの時あたしは逃げることしかできなかった。それは嫌なの。次があればあんたとアルマリアちゃんだけに戦わせたりしないから」


 リズらしい強気の発言だ。

 幼馴染として彼女には命のやり取りに加わって欲しくないのだけど、ご両親が既に説得を試みているだろう。

 それで覆らなかったのならばボクが何を言っても無駄かもしれない。

 せめて危険が及ばないよう気を配るべきか。


「リズさんは元々生活魔法は全て使いこなしていましたから基礎がしっかりしています。今は初級の攻撃魔法を学んでらっしゃいます。大変飲み込みがいいんですよ。教えて半日も経たずにで氷の礫が使える方は稀有な存在と言っていいでしょう」


 リズは一足先にオリビアさんの弟子になっていたらしい。

 訊けばボクが退院した日の夜にせっせと勉強に励んでいたそうだ。

 ボクはリズに対する認識を改めた。彼女の意思は強固なのだと。

 その理由は攻撃魔法を習得したことにある。


「そんな短い間に攻撃魔法を?すごいよリズ!」


 攻撃魔法は初級であっても生活魔法に比べれば格段に難易度が高い。

 上位に位置する攻撃魔法ほど構造が複雑になり威力が増すとされている。

 例えば生活魔法の一つ【種火】は手元に小さな火を起こす。

 この魔法なら村の誰でも使えるくらい簡単だ。その理由は発動に必要な手間が少なく、消費魔力がごく微量であるため。

 これが攻撃魔法となると次元が違ってくる。

 同じ火の魔法を例として挙げてみよう。

 炎の塊を離れた場所から敵にぶつける初級攻撃魔法【火球】がいいかな。

 【種火】との相違点を探るとまず思い浮かぶのは炎を離れたところから命中させなければならないということ。

 敵に避けられないよう発射速度を上げたり、避けにくい角度で発射する工夫が必要になる。

 その次は威力。【種火】のようにただ燃えればよいというわけにはいかない。

 持ち前の魔力量と相談し、殺傷性を得るために周囲の空気をどれだけ取り込むか?燃焼範囲はどの程度が適切か?といった計算をしなくてはならない。

 命を奪うため術式を特化させていることこそが攻撃魔法の使用を難しくしている要因なのである。

 失敗すれば暴発で怪我をする。最悪死ぬことも。

 練習中に大怪我をしてそのトラウマから魔法が使えなくなってしまう人もいるのだという。

 それゆえ一秒を争う戦闘中に暴発のリスクを回避して正確に早く魔法を発動するには知性の他にも何事にも動じない冷静さが必須となる。

 実戦だけでなく修練ですら危険と隣り合わせだから魔術師は数が少ないのだ。

 ボクはリズの強い克己心に瞠目したのである。


「多分至近距離じゃないと三角ウサギ一匹仕留められないわ。素早く発動して正確に狙うなんて真似、かなりの練習を積まなきゃ無理ね。まだ実戦で使うにはほど遠いわ」


 リズはボクの賞賛に謙遜するでもなく淡々と事実を述べる。

 それを受けてオリビアさんが指導を行う。


「はい。攻撃魔法が不得手の私が言えたことではありませんが、どんな局面であっても魔法の式を構成する際は些細な部分でも欠損をさせないでください。またイメージが明確に固まるまでは省略文字を使用することのないように。『理』を失った魔法は例外なく術者に牙をむきます」


「わずかでも暴発の危険を感じたならイメージした魔法を破棄して魔力を体内の循環に戻すべし――でしたね」


「ええ。魔法を成功させることよりも構成に失敗した魔法の破棄を身につけておいてください。他人を守るために魔法を習得するのなら、まずはご自分の命を大切にできなければ始まりません」


「心得ています」


 真摯な表情でオリビアさんの薫陶を受けるリズ。

 幼馴染の成長を垣間見た気がした。

 ボクもリズを見習わないと。


「オリビアさん」


「はい。なんでしょう」


「ボクは生活魔法を一通り学びたいと思っています。教えていただけないでしょうか」


「もちろんです。クリス君が望むままに私の持つ知識の全てをお授けします」


 席についてオリビアさんと向き合う。


「では、まず基礎中の基礎からおさらいをしていきましょう。クリス君、魔法の構造を成す最小単位は何ですか?」


「【文字】ですね。緻密な制御が必要な魔法であれば【数字】も」


「正解です。魔法はイメージこそ最も重要なファクターですが、イメージを想起する上で最も便利なのは文字です。精密かつ規模の大きい魔法であれば数字も不可欠になってきますね。基本的に計算ができない人は魔術師になれません。

 魔法史に関わる話になりますが、古代、0(ゼロ)の概念がなかったとある国は魔法の演算に大変な手間を費やしていたといいます。その国は0(ゼロ)の概念を知った隣国に魔法の発動速度で極端な差をつけられ、戦争で大敗を喫したと。つまり数学知識は一国の運命を左右したのです。そのような歴史から効率の良い計算方法が発見されると国が厳重に保護し、長らく秘匿されてきました。

 人の口に戸は立てられませんから時代の変遷によって公開された知識は昔より多いのですけどね。

 ごく稀にイメージのみで魔法を扱える人がいますが、この世に一握りしかいないと言っていいでしょう。そういった人は生まれながらにして無意識でも最適解を導くことのできる計算の達人なのです」

一度発言を区切ると思い出したように、

「イメージのみで使えると言っても万能ではありません。その人の得意とする分野に限ります」と付け足した。


 それの代表格ならアルのことだろう。

 肉体強化フィジカルエンチャントなんて自分にかけるだけでも制御困難な魔法を、融合しているとはいえ種族の異なる他人の身体に瞬時に発動してみせた。

 竜の演算能力が途方もなく優れているのが一つの魔法だけで分かってしまう。


「次は【式】についてです。リズさん説明をお願いできますか?」


「【式】とは魔法の手順を示した【文字】と【数字】の組み合わせから成る単位のことですね」


「その通りです。文字と数字だけでは意味を成しませんから文や数式にして発動したい魔法の方向性を定義しなくてはなりません。料理をするための火を起こすのに鍋を溶かしてしまうような熱量はいりませんからね。過剰な魔力を注がないようにするには温度の上限を定める式を組み込むことになります。この式を正しく理解するならば火の性質について広く深く知っておくことが前提となります。

 今一度、見過ごしてしまいがちな身のまわりで起きている自然現象について向き合っていきましょう」


 砂上の楼閣という言葉が指すように土台となる知識があやふやでは魔法を使うどころか、式の意味すら分析できないということか。


「とても難しいですね……」


 溜息を吐き出しそうになるのを飲み込んで呟く。


「無理に理解しようとなさらないでください。焦ること、急ぐことは頭脳の働きを妨げますから」


 オリビアさんが微笑して優しく諭した。



 〇〇〇



 オリビアさんの講義を終えてボクは畑の方角に向かう。

 一度に知識を詰め込んだことで知恵熱でも出たのか、少し頭がぼんやりする。


「オリビアさんの教え方はすごく丁寧で分かりやすかったけど、魔法ってやっぱり敷居が高いね」


ボクの感想に「そうね」と隣を並んで歩くリズが答える。


 偶然なことにリズとは行先が一緒だ。

 ラディッシュ草の採取と魚釣りをすると話したところ、「お母さんに頼まれてるからあたしも」と言って同行している。

 今の時期ラディッシュ草は旬を迎えているのでおかしなことではない。

 魔法の話題を続けつつ真っ直ぐ農道を進み、魚もいる小川を目指す。


「一朝一夕で魔法が使えるなら誰も苦労しないわね。それができたら村のみんな全員魔術師になれるわ。アイアンシザーグリズリーにも苦戦しないでしょうね」


「リズはすぐに使えるようになったじゃないか。何かコツでもあるの?」


「コツなんてないわ。氷の礫にしたって水の生成だの冷却だのの知識を理解するのに苦労したんだから。それだってまだ実用段階じゃないのよ。もっと勉強しないと」


「リズって努力家だね。心から尊敬するよ」


「……!?もう!褒めても何も出ないわよ」


 師であるオリビアさんの手前では姉弟子として驕らないよう平静を取り繕っていたのだろう。

 2人になってから改めて賛辞を贈るとリズは赤面した。


「あんたが無茶をしたから頑張ろうって思ったのよ……。心配させてくれるんだから」

 

 拗ねたようにそう言った。

 リズが魔法を学ぶ動機はボクにあったらしい。


「それはごめん」


「これからはもっとあたしに頼りなさい。あんたのことは弟みたいに思ってるし。……あ!その弟ってのは一時のことであって!いつかは……うぅ……」


 言いたいことははっきり言うのが信条のリズが言い淀む。

 続きを待って耳を傾けていると微かに助けを求めるような声が遠くから聞こえた。


「ねえリズ」


「何よ……まだあたしの話は終わってないわよ……」


「遮っちゃってごめん。えっと、何か聞こえない?」


 2人で耳を澄ましてみる。

 リズにも聞こえたらしい。頷いてこう言った。

「言われてみればそうね。『助けて』って聞こえるような」


「落とし穴の方からするよね」


「まさか落ちた人が?子供が悪戯でもしたのかしら?」


 街に向けて出発した女性と子供たちは帰還してきた父さんと合流して村に戻ってきている。

 まったくあり得ない話ではなかった。


 落とし穴に近づくと蓋の木材が割れていた。

 誰かが上に乗ったのだろう。

 ボクやギンジさん、アイアンシザーグリズリーの体重を支えた板は予期しない場面で役目を終えた。

 穴を覗き込むと誰かが見上げているのが見える。

 女の子だ。

 年はボクらより少し下ぐらいか。

 小柄な体格で乱雑に伸びた群青色の髪とくりくりとした大きな瞳が印象的。

 服装は簡素なシャツとズボンに職人さんが身に着ける分厚いエプロンをしていた。

 顔を見る限りカルデ村の住人ではないと断言できる。


 その女の子はボクとリズに目が合うとはっきりと大声で助けを求めた。


「やっと人が来た!おーい!そこの少女2人、助けてくれ!歩いてたらいきなり穴にはまっちまったんだ!」





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