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2話 下僕に

「うわああああぁぁぁああ!!」


 人は心の底から恐ろしいものに出会うと大声が出せるものなのだとこの時初めて知った。


『クリス!』


 アルが呼びかけてくれるけれど、会話に答える余裕はない。

 半ば本能的な判断で登るつもりだった木に手をかけて体を運んでいく。

 幹のささくれた部分が頬や指にかすり、擦過傷ができて血がにじむが構ってはいられなかった。

 捕まればもっと酷い目に合わされるのだから。

 火事場の馬鹿力というやつなのか、普段では到底不可能な猿のごとき敏捷さを発揮してなんとか爪から逃れることができた。

 よかった、咄嗟に選んだ行動だったけど正解だったようだ。

 アイアンシザーグリズリーは小型の熊と違って体が大きすぎるので木登りが得意ではない。

 現にこちらを見上げて獰猛に唸っているだけだ。

 しばらく時間稼ぎはできそう。

 アイアンシザーグリズリーが諦めてくれるか、ボクが状況を打開する名案を思いつくまで。


『クリス!クリス!答えぬか!』


「なんとか無事だよアル!」


 木にしがみついたままの状態でずっと呼びかけてくれていたアルに大声で返事を返す。

 命の危機に瀕して丁寧語なんて忘れていた。

 自分より年下に感じられる女の子の声のせいもあって素のままで会話してもいいかと思った。


『汝はもしやアレに勝てぬのか?』


「そりゃそうでしょ!Bランクの魔物だよ!

 父さんならともかく半人前のボクじゃ逆立ちしたって勝てないよ!

 というかアルは伝説の古代竜(エンシェントドラゴン)なんでしょ!?

 会ったばかりのボクを助ける義理なんてどこにもないけれど、助けてくれたらとても嬉しかったり!」


『……』


 アルが沈黙する。

 何かを黙考しているような間が感じられた。

 助けてくれるならできるだけ早めにお願いします!

 見てるだけだったアイアンシザーグリズリーが木を太腕で揺らし始めてるから!

 簡単には落ちるつもりはないけどすっごく怖い!


『妾の魂と肉体はにっくき魔人族の王によって封印されておる。

 このなりでは汝に言葉を送るのがせいぜいじゃ』


 あれだけ自分のことを古代竜(エンシェントドラゴン)だの女王だのとよいしょしておいてまさかの役に立たない宣言!?


「そんなぁー!!」


『落ち着け。妾の封印を解けば汝に力を貸してやることはできる』


「それって?え?嘘でしょおおお!!」


 木を揺らしていたアイアンシザーグリズリーは今度は斧を打ちつけて伐り倒す要領で爪を幹に叩きつけ始めた。

 腕を振るたびに木屑が勢いよく足元に散らばっている。

 ボクの腕にミシミシと木が悲鳴を上げる振動が伝わってきた。

 高さはあるが、細身の樹木なのだ。

 いくらも持ちこたえそうには見えなかった。


 見下ろすとアイアンシザーグリズリーと目があった。

 口の端がいびつに歪んでいる。

 野生において本来笑顔とは攻撃的な意思を示すものであるという。

 正にその模範通りの表情をメッセージとして読み取ることができた。

 期待に応えてやるから待ってろというように。

 そうして大きく振りかぶって渾身の一撃を叩きつける。

 耐久の限界に達した木が抉られた部分を軸に折れた。

 地面に対しほぼ垂直だった木がボクの体重がかかっている方向へ曲がっていく。

 不快な重力の浮遊感と、地面に叩きつけられた時の痛みを想像して肌が泡立つ。

 地面にぶつかる寸前にしがみついていた幹から体を離していなければ木の下敷きになっていたかもしれない。

 地に衝突したときのダメージを和らげようと反射的に転がって威力を殺す。

 胴は皮の胸当てに守られていたため、痛みは残るもののなんとか無傷だが、ズボンや頭を庇った袖の布はところどころ裂けてしまって、擦り傷を作った。


「あぐっ!カハッ!ケホッ!」


 訂正、衝撃が予想していたより強い。肺から空気が絞り出されて意識が飛びそうになる。

 だが苦しんでいる暇はない。

 すぐに立ち上がって逃げなければ。


「え?」


 震える膝に活を入れ空を仰ぐと分厚い毛皮と筋肉でできた鎧が視界を埋め尽くした。

 獲物を追い詰め、高揚で血走った瞳は今度こそ逃げ場はないぞと語っていた。


「グオオオォォォ!!」


 すかさず爪がボクの体を引き裂かんと襲う。


「ひっ!」


 みっともなく転がって凶刃を躱す。

 鋭利で頑丈な爪が新品の鍬のように軽々と土を掘り起こして周囲にぶちまけた。


『クリス!聞け!クリス!』


「っ!?」


 頭にアルの声が大きく響く。

 口で返事を返す余裕がないため、通じるか分からないが心の中で返す。


『手があるみたいに言ってたけど、まだ有効!?』


『もちろんじゃ!』


 ダメ元だったが通じたようだ。


『汝に妾の加護を下賜するにはこの忌々しい封印を解かねばならぬ』


『ボクはどうすればいいの!?』


『解呪に外からの、汝の魔力が必要じゃ。そのために竜奴(りゅうど)の儀を行う。汝は魂の全てを妾に捧げることができるか?生涯をかけて妾に仕える下僕になると誓えるか?』


『誓う!誓うよ!』


『竜の誓約は神聖なもの。違えるつもりあらば、汝の魂と肉体は即座に煉獄の業火に焼かれ、永遠の無を彷徨うことになるぞ?

 そもそも人間は疑り深いもの。騙し騙され合う愚かな種族。

 汝は何故、妾の言葉が信じられる?』


『アルは古代竜(エンシェントドラゴン)の女王様なんでしょ!みんなの長が自分のために嘘をついたりするなんて姑息なことはしないと思う!それに!』


 アルの言葉を待たずに続ける。


『アルはずっとずっと長い間独りぼっちだったじゃないか!

 15年しか生きてないボクだけどそれがつらいってことだけは分かる!だからボクなんかじゃ全然力になれないと思うけど、慰めてあげたらって思ったんだ!

 どの道このままじゃ、ボクは死ぬ。だったらせめて最後にボクが誰かのために頑張ったんだって、父さんと母さんに胸を張って言える息子でありたい!』


 村の大人が聞いたら青臭いと言うだろうけど嘘偽らざる気持ちだ。

 人でない存在に理解してもらえるかどうかなんて計算は働かなかった。


『汝の心意気拝領した。

 我が名と竜の誇りに誓い、汝を妾の下僕とする』


 厳かに告げると、アルの体である岩から黒い霧のようなものが噴き出した。

 漂う黒霧は森を日の光も届かない闇の世界に変えていく。

 視界を阻まれたことにアイアンシザーグリズリーが周囲を窺い、警戒して動きを止める。


『これで妾の魂と汝の魂が繋がりを得た。

 汝の魔力を我が糧に』


 魂の繋がりというものがどのような感覚を持つものか、具体的な説明はつけがたいけど、ただアルの気配というか、存在が近くに感じられるようになったことだけは断言できた。

 そして彼女との繋がりを通して魔力を急速に吸い上げられている。


 アルを形成していた岩がガラガラ音をたてて崩れていった。

 霧が濃度を増し、ボクの体をも包み込み浸透していく。

 見渡す限りの暗闇、光なき世界は一度大きく膨張するとボクの内に溶けて消えていった。


『妾の権能を汝に貸す。

 切り抜けるぞ』


 アルの体だった岩が痕跡も残さず消失しているが今までよりはっきりと声が聞こえるようになった。


「うん、分かったけどどうすれば?」


 力を借りているそうなのだが、強くなったという実感は皆無だ。

 むしろ魔力を大量に失った分、倦怠感が襲ってきて眠気を覚え始めている。

 とても戦える状態ではない。


『妾は封印の解呪に魔力のほとんどを喪失した。汝のもな。

 完全に封印から逃れるに幼体として再生した故、妾自身も鍛え直さねばならぬ。

 つまりだな……』


「つまり?」


『アレが妾らの威光にひれ伏しておる内に立ち去るのじゃ』


 結局逃げるんかい!

 とツッコもうと思ったがやめた。

 その案に全面的に賛成だったからだ。



「これだけ離れれば大丈夫かな」


 アイアンシザーグリズリーを闇の霧で視覚を奪って逃走し、池のほとりまでやってきた。

 無様に転がったせいで泥だらけだったので顔だけでも洗いたかった。


「あれ?」


 池を覗き込むと見慣れた自分の顔が映っているのはいいとして、髪が異常に伸びている。

 逃げるのに必死で全く気にもとめなかったが、腰まであるようだ。

 そして、黒い。

 栗色だった髪が鴉の濡れ羽色と比喩できそうなものに変化している。

 頭頂部に手を触れると曲線を描く硬い棒状の物体が2本分ぶつかった。

 これはもしかして……角?

 人の容姿に竜のような角と尻尾が生えた種族、ドラゴニュートと呼ばれる人達は存在する。

 なんならボクの住んでいる村にも一世帯いるのでそういった特徴を持つ人はおかしなことではない。

 彼らは生まれつき力が強くて村では頼りにされている大工さんである。

 しかし、ボクは普通の人だ。ドラゴニュートの血はひいていない。

 アルの影響であるとことは疑う必要もなかった。


「ねえ、アル」


『何じゃ?』


「この髪と角はどういうことなの?」


『妾は古代竜(エンシェントドラゴン)の中でも稀少種族の暗黒竜じゃからな。力の片鱗が表面に出たんじゃろう。

 何者にも染まらぬ妾の黒じゃ。よく似合っておる。誇るとよいぞ。それよりも汝』


「うん」


()になった心地はどうじゃ?』


「えっ?」


 アルは何を言っているの?

 女になるって、そんな馬鹿げたことがあるはずないじゃないか。

 でも相手は古代竜(エンシェントドラゴン)だし、アルは嘘をつかないって自分で認めてしまっている。

 まさか……


『自分の体のことじゃろうになぜ気づかぬ?』


『鈍いやつめ』とアルが嘆息したように言ったが、それどころではなかった。

 不安に思いズボンをまさぐった。

 どこからか見ているアルの前では恥ずかしいけれどなりふり構っていられない。

 ……ない。

 ない。

 ないよ!

 男性の象徴的なものが、あったはずのものが跡形もない!

 慌てて胸当てを外す。

 服の襟を緩めて中を覗くと美しい曲線を描く谷間が確認できた。


『よかったではないか。汝は女のような容姿にコンプレクッスがあったのじゃろ?女になってしまえば万事解決じゃ』


「う、嘘でしょおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 本日二度目となる叫び。


「何で!?何でボク、女の子になってるの!

 これじゃあ村に帰りたくても帰れないよ!」


『人間は性別が変わることが生きてゆけぬほど大事なのか?』


「当たり前だよ!普通の人間は性別が変わったりしないんだよ!種族も!」


 竜がどうなのかは知らないけど。


『肌を見せねば済む話ではないか。

 衣の工夫でうまく誤魔化せばよいじゃろう。

 それとも汝には将来を約束したつがいでもおるのか?』


「それは……いないけど……」


『ならば問題あるまい』


「けど、いきなり髪が黒くなったり、伸びたり、角が生えたりはまずいよ」


『それも問題ない。結合した妾と汝の魂を分離すれば戻る』


 アルがそう言うとボクの体から黒い霧が噴き出した。

 それは宙空に靄となって形を作り始める。

 頭部から胴、四肢、翼が生まれて曖昧な形状が徐々により細かく重さと質感を伴ったものに変化してゆく。

 瞬く間に紅い瞳を持つ隻眼の黒竜の姿となった。最初に見た岩の状態から随分縮んでいる。大きさは中型犬サイズとドラゴンと呼称するにはかなり小さい。

 幼体として再生したためなのだろう。

 しかし、左目のあるべき箇所には痛ましい創傷が走っていて、過去に何らかの事故で失明したのだということが窺えた。

 竜には硬い鱗があるそうなのだが、アルの表皮はなめしたばかりの新品の革のように滑らかでそう呼べるものがなかった。

 厳めしい角が一対頭部に生えているが、肌のせいで病的な印象が先行してしまい、あまり強そうに見えない。

 なんとなく鰻に似てると思った。

 別にヌメヌメとはしていないけれど。


 アルが口を開き初めて体から肉声を発した。


「もう一度水面を覗いて見よ」


「う、うん……」


 初めて見たアルの生きた姿に失礼な感想を持ってしまったことを心の中で詫びつつ、水面に映る姿を確認すると元のヘアスタイルに戻っているのが確認できた。

 髪を摘まんで見てみると色も栗色だ。

 角もなくなっている。

 だが、肝心な部分が改善していない。


「ありがとうアル。髪が戻ったのはいいんだけど体が……」


「それは戻らぬ。理由はいくつがあるがな。

 まず、汝は妾の側室であり下僕じゃ。

 妾は女子の汝を愛でたい。

 故に戻すつもりはない」


 そうだった。彼女に仕えるという誓約を結んだのだった。

 助かりたいという気持ちもあったけれど、孤独なアルに寄り添ってあげたいと思ったのも真実なのだ。

 彼女にもらった命なので責めるどころか感謝すべきだろう。


「もうひとつの理由はじゃな。

 竜奴の儀は本来人間と交わすものではないのじゃ。

 もっと高位の存在を支配下に置くために行われる。

 竜と人間の魂では格が違いすぎて繋がりをもつことが難しい。

 成功率を上げるため汝を妾と同じ女にすることが必須だったのじゃ」


「え?失敗する可能性があったの?」


「現に成功しておるからよいではないか。流石妾じゃ」


「……」


 色々と言いたいことはあるけれどぐっと堪えて飲み込むことにした。

 結果的には助けてもらったのだから感謝の念を忘れないようにしよう。


「それにだな。妾の下僕であることは良いことづくめじゃぞ?

 怪我をしたところを見てみよ」


「怪我って、あ……どうして?」


 擦りむいた箇所を確認するとキレイに傷が消えていた。

 2~3日は残るくらいのものだったのに。


「竜の再生能力が備わったのじゃ。汝は未熟故微々たるものじゃがな」


「そうなんだ。すごい」


「うむ、汝が研鑽に励めば妾の力をより引き出せるようになろう」


 小さな怪我なら勝手に治るのは治癒魔法の使い方を知らないボクにはとても便利だ。

 人間をやめてしまっている気がするけれど女の子の体に比べれば大したことではない。

 帰ることができたらこの体のことは村のみんなには隠していくとして、アルの扱いが問題だ。


「そういえばアルのことはどうしよう?」


「うん?決まっておろう。汝の村を妾の支配下に置く。

 忠誠を誓う民を集め、勢力を拡大してゆき、本来の力を取り戻した暁にはこの世界を再び妾のモノにするのじゃ。

 なに、心配に及ばぬ。妾が返り咲くからには民の繁栄を約束する。

 クリス、汝はこれから忙しくなるぞ。

 くっくっくっ……」


 世界平和のためにもボクは遭難したままの方がいいような気がしてきた。

 でも悲しいかな主人の意向には逆らえないので世界の皆さん、もし迷惑をかけてしまったらごめんなさい!


「分かったよアル。付き合うよ。それで怒らないで聞いてほしいんだけど」


「申してみよ」


「村じゃアルの見た目だと魔物扱いされて……その……」


「分かっておる。業腹じゃが、汝らの流儀に合わせる故安心せよ」


「えーと、ボクらの流儀って?」


「それを教えてやるには魔力が必要じゃ。少し休めば見せてやろう」


「何か手があるんだね。それでどうやって帰るかが課題なんだけど」


「うむ、妾もそれを考えておった」


「アルは何か考えがあるの?」


「万全の状態であれば翼を使えるのじゃが、幼体では翼をうまく扱えぬ上、長時間は飛べぬ。よって汝がこの地の魔物や獣を狩り、妾に供物として捧げる。さすれば最低限の魔力は取り戻せよう」


「それ、アイアンシザーグリズリーみたいなボクじゃ絶対に敵わない魔物が出た時にどうするの?

 土地勘のないところまで来ちゃってるから逃げるルートの確保に自信ないよ。

 怪我の痛みのおかげでなんとか意識を保ってるけど、魔力切れで眠くて戦える状態じゃないし」


「むう、人間とは実に脆弱じゃな」


 女王様的なアルの提案は却下となった。

 ボクも何か考えないと……あ、何のためにアルのいた場所に向かったのか思い出した。


「そうだアル!短い時間なら空を飛べるんだよね?

 なら軽くぐるっと回ってきて村がどの方角にあるか見てきてくれない?」


「何じゃと無礼な!汝は主に働かせようというのか?」


 言うと思ってました。


「でもそうしないと帰れないよ。

 ねえ、お願い!帰ったらボクが色々とご馳走するから」


 しかめっ面をしているアルと目を合わせるため、しゃがみこんで説得を試みる。


「っ!?上目遣いは卑怯じゃろ……

 汝は料理ができるのか?」


「うん!腕前は母さんより上だって父さんが褒めてくれるよ!」


「ならば汝が腕によりをかけた馳走を所望する」


「じゃあ!」


「少々待っておれ、妾にかかればその程度児戯にすぎぬ」


 アルの活躍によって無事村が発見され、なんとか魔物と遭遇せずに村に戻ることができたのであった。











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