19話 巨大化
何をして過ごそうか?
お見舞いの応対を終えた後、母さんと洗濯物を干しつつ思案する。
静養しながらできることを挙げようとして真っ先に思い浮かんだのは魔法の勉強だった。
主と約束したことなのだから下僕的には最も優先順位が高い。
退院したばかりですぐに戻ってくるのも変な話だけど診療所に行こう。
診療所は図書館も兼ねている。
入門者向けの魔導書がたくさんあるし、オリビアさんの手が空いていれば教えを乞うのもいいだろう。
ギンジさんと同様にどんなことでも頼って欲しいと請け合ってくれていたので出来の悪い生徒にも寛容でいてくれると思う。
それどころか彼女自身がボクに負い目を感じているので親身になって教えてくれるかも。
――途端に昨日の会話を思い出す。
『今服を脱いでベッドに入れとおっしゃるのならご希望に沿いましょう。足のつま先から髪の毛の一本にいたるまで私の全てはクリス君のものです』
不謹慎な想像が脳裏をよぎったので頭をぶんぶんと振って打ち払った。
一瞬のことだったにも関わらず、激しい動悸に襲われ顔が熱く火照っている。
綺麗なお姉さんに全てを捧げるなんて誓われてのぼせない人がおかしいのだと言い訳を試みるが上昇した体温は一向に治まる気配がなかった。
こんなことでは魔法を教わるどころの話ではない。
オリビアさんの顔すら見られないじゃないか。
やっぱり行くのやめようかな……。
そもそも人の弱みにつけこんで何かを要求しようなんて恥ずべき行いだ。
アルに教わろうか。
古代竜は知恵の竜。かつて知識自慢の人間の学者が竜に知恵比べを挑んで高度な魔法理論や数学について説かれ、自尊心を砕かれてすごすごと帰ることになったという逸話がある。でもアルは恐らく感覚で魔法が使える天才肌タイプだろうなあ。失敗の連続で『この程度のこともできぬのか』と叱責され呆れられる光景が目に浮かぶ。
彼女には怒られるより褒められたいので、
「本だけ借りていって家で読もう。そうしよう。分からないところが出てきたらその時は必死で考えよう」
人に頼るのは最終手段。自分で努力してからだ。
それでは勉強すると決めたなら次は何を学ぶべきか検討してみよう。
まずは火以外の生活魔法を網羅しておきたいところだ。
戦闘で役に立つであろう魔法を習得するには基礎から固めなければ。
初歩の初歩である飲み水を生成する魔法や、風をおこす魔法。土の硬さを変えて操作する魔法を身につけよう。
これらは戦闘で使えずともサバイバルで特に有用な位置を占める。
清潔な飲み水がいつでも飲める利便性は議論するまでもないこととして、風と土は野営時の安全性を高めてくれる。
殺傷力のない風魔法でも嗅覚を麻痺させる香辛料や魔物除けの酒を広範囲に散布するのに役立つし、土の魔法は道具を使わず時間も節約して塹壕を作り出すことができる。
アルと2人でなら交代して休憩をとれるから長時間の活動にもってこいの魔法だ。
最後の一枚になっていた服を干して母さんに声をかけておく。
「母さん、診療所に本を借りに行ってくるよ」
「勉強熱心になったのね。アルマリアちゃんのおかげかしら。それなら帰りにラディッシュ草を摘んできてくれないかしら?」
ラディッシュ草とは香辛料になる植物の一種で、鼻につんとくる辛さが特徴である。
見た目は根菜類で、いぼいぼのついた緑色の根茎が特徴。
環境の変化に敏感で日持ちしない。冷たく綺麗な水が流れている場所でのみ生育できると言われている。
生えている場所は畑の用水路付近。
カルデ村は山の渓流からいくつか枝分かれした小川が流れている上に、湧水があちこちに点在しているのでラディッシュ草が生育範囲を広げるにあたって絶好の環境。雑草に混じって大量に自生している。
村では雑草同然だけど都会に住む貴族の美食家の間では高級品とされているらしく、アイテムボックスのスキルを持つ商人さんが遠方からわざわざ買い付けにくることがある。
「いいよ。どのくらいあればいいかな?」
「少しでいいわ。サラダの付け合わせにするのと、ベーコンサンドの具の分だけ欲しいわね」
「ベーコンサンドにラディッシュ草は鉄板だよね。アル、食べてくれるといいな」
サラダには葉っぱの部分を。ベーコンサンドには刻むかすりおろした根っこの部分を使う。
とりわけ根っこの部分と肉との相性は抜群で、脂のくどさをさっぱりと消してくれる。
少し話がそれるけど、ギンジさんはすりおろした根を新鮮な生魚に乗せて食べるのが好きらしい。
さらにそれに豆と小麦を発酵させて塩水を加えて作った彼の自家製の調味料をかけると非常に美味なのだとか。
ラディッシュ草に解毒・駆虫効果があるとはいえ、その食べ方ははたして美味しいのだろうかと首を傾げたくなる。
火を通した方がいいと思うんだけど。
でも、もしかしたら竜の味覚に訴えるものがあるかもしれない。
アルは食材の野性味が多少残ってるぐらいが好きみたいだし。
そう考えたら試してみたくなった。
「それじゃついでに魚を釣りに行ってくるよ。ラディッシュ草と魚を組み合わせた料理をアルに出してみたい」
「お魚にもラディッシュ草って珍しい組み合わせね」
「うん、変かな?アルは辛いの苦手だから食べないかもしれないけど」
「ラディッシュ草はお肉の味を引き立ててくれるから、お肉大好きのアルマリアちゃんはきっと気に入ってくれると思うわ。苦手なものでも少しずつ料理に混ぜて慣れていってもらいましょ。村の特産品の味を知らないなんてもったいないもの」
「やり方が標的を自然死に見せかけて毒殺しようとする暗殺者みたいだね……。ボクもアルには色んな料理を味わってほしいからとってくるよ」
〇〇〇
道具を取りに玄関内に戻るとアルは出かけるところだった。
「あれ?アルもお出かけ?」
「うむ。坑道とやらを見物してくるのじゃ。妾のゴーレムのためにな」
「坑道?」
村の北部、大森林の先に峻厳な山脈が峰を連ねている。
北東から東部にかけては森林を挟まず山肌が直接村を囲うようになっていて、そこを一部掘り進めて拡張した坑道がある。
産出されるのは主に鉄や銅。鏃の材料から農具、生活雑貨までほとんどをこの鉱山から採れる金属が担っている。
アルの目当ては金属ではなく地下に埋蔵されている魔石の鉱脈だろう。
だけど坑道で魔石は発見されていなかったと思う。
それは採掘方式に理由がある。
「うーん、確か村の坑道は立坑や斜坑じゃなかった気がする」
「立坑と斜坑とは何じゃ?」
アルの疑問にこう答える。
「立坑は地下に向けて垂直に掘った坑道で、斜坑は斜め下に掘った坑道のことを指すんだよ。村の坑道は真横に掘る採掘方式だから魔石はあまり見つからないかも」
「成る程な。であれば如何にして採掘するか見定める必要があるな」
腕を組んで考える素振りを見せた。
瞑目して何度か頷く仕草をすると、
「まあ、いかに堅固な岩盤とて竜の息吹の前には脆いもの。成長した妾の力試しにちょうどよいわ」
外に出たアルが少女から黒い靄の形態を経て竜に変身する。
最近まで中型犬サイズだった彼女がいきなりアイアンシザーグリズリーより一回り大きく巨大化した。
可愛いとさえ思い始めていた竜の姿はスケールが異なるだけで圧倒的な偉容を誇る。
芽生えるのは強者に対する畏怖の感情。
間近で『竜』の堂々たる巨躯を拝んだ人間の至極真っ当な反応として足がすくんでしまい動かなくなった。
ぱくぱくと唇を開閉して怯えているボクの顔色に気を良くしたアルが紅い隻眼を細めて笑う。
「これクリスよ、くくくっ、この程度で腰を抜かすでないわ。矮小な人の子が偉大な者を畏れるのは無理からぬことであるがな」
「いきなり大きくなるんだもん!驚くに決まってるよ!竜ってそんなに早く成長するものなの?」
表情の読み取りにくい竜の顔でもご満悦なのがわかる口調でアルはこう言った。
「否、元の大きさは変わっておらぬ。嵩が増した分は魔力で形作った仮初の実体。暗黒竜としての力よ」
「暗黒竜の?幻惑魔法みたいに大きく見せているわけじゃなくて?」
「錯覚ではない。重量が増大しておるし、膂力も幼体とは比較にならぬほど強化されておる。現状妾が最も力を揮うに適した姿よ。成体となった妾を再現しようとすれば張子の虎になるがな」
体の大きさを自在に変えられるのか。
しかも限界を越えなければ見た目相応のパワーまであるなんて。
「もしかしてアイアンシザーグリズリーと正面から戦っても余裕だったり?」
「ふん、当然よ。次あれの同族に見えることあらば、妾の牙で食い殺してくれよう。熊肉の味は知らぬのでな。楽しみじゃ」
鼻を鳴らしてずらりと並んだ鋭い牙を好戦的に見せつけるアル。
敵意の矛先がボクに向いているわけではないのだけど、威嚇されているようで緊張する。
「では妾はゆくぞ。昼餉には戻るつもりじゃ。汝はどうする?」
「魔法の勉強をしようかと思ってる。約束したからね」
「うむ、殊勝な心がけじゃ。励むがよいぞ」
アルは助走をつけると力強く飛び立ち、鉱山の方角へ消えていった。
ふう、怖かった。
見境のない魔物とは違う、尊敬に値する竜なんだと頭の中で言い聞かせていても間近に自分より遥かに大きな存在が闘気を発すれば肝が冷える。
深い呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けた。
さて、気を取り直してボクも出かけるとしよう。
少しでもアルに釣り合うようにならないとね。
荷物を担いで村の中を移動することにした。