16話 家族の晩餐
診察を受けて夕方まで休ませてもらった後、歩き回れる程度に回復したので退院してもよいとオリビアさんからお墨付きを得た。
目を覚ましてからしきりと空腹を訴えるアルを伴って帰宅すると夕食の準備は既に済んでいて、父さんと母さんが食卓に待機している。
久しぶりに家族全員揃っての食事だ。
「お帰りなさい。クリス、アルマリアちゃん」
母さんがいつもと変わらない微笑でボクらを迎えた。
「ただいま。父さん、母さん」
「あ、ああ!お帰り。もう動けるようになったんだな」
「まだ体が重たいけど、空腹の方が辛くて」
診療所で軽く食事をとっていたけれど逆にそれが呼び水となって余計に空腹が加速していた。
「食欲があるのはいいことだ。すぐに食事にしよう」
平常運行の母さんと違い父さんの表情はどこかぎこちなかった。
笑顔を形成しようとしたほうれい線がかなりの無茶を要求されていたのか、ひきつってピクピクと震えている。
診療所でのことを気にしているのかな。
意識した途端に顔が発熱する。
どうして父さんに裸を見られたぐらいでこんな……!?
一緒にお風呂に入ることなんて数え切れないほどあったのに。
とにかく冷静になろう、冷静に。
狩人たるもの常にそうあらねばならない。
頬をぴしゃりと叩いて常温まで冷却する。
「エレナよ晩餐の支度ご苦労である。今宵はいつにもまして豪勢ではないか」
「パパが大物のカルデヘラジカを仕留めてきたのよ」
「ほう、鹿肉か。あれは歯ごたえがあって妾の好みじゃ」
カルデヘラジカとは体高3~5m、体長6~10mに及ぶ巨大な鹿である。
草食だが縄張り意識が強く、威嚇しても逃げようとしない侵入者には決して容赦しないという。
体が大きく、体重はアイアンシザーグリズリーと比較すれば桁外れに重い。
危険度は断然カルデヘラジカの方が上。
流石父さんだ。
大物を狩猟した場合、村の男達が協力して解体作業を行うことになっている。
もちろんボクら一家が食べきれる量ではないので村中にお裾分けされたはずだ。
アルならばもしかしたら一人で食べきってしまうかもしれないけど。
大食漢な彼女の前に置かれているのは大皿の上をはみ出してしまっている巨大な鹿ステーキ。厚みは10センチを超えているだろう。
圧倒的なボリュームに竜の姿だったら尻尾を振っているんじゃないかってぐらい目を輝かせている。
「ミゲルよ狩猟、大義であった。妾に仕えて1日で成果を出した忠義、実に天晴れである」
「はあ、どうも」
アルの賛辞に父さんはかしこまったように身を小さくした。
お客さんを相手にしている時の態度といった感じ。
どう対応していいか測りかねているようだ。立派なドレスを着ていても見た目は幼い女の子だからね。
気の強いリズでもアルと打ち解けて仲良くやっているんだ。温厚な父さんならすぐに慣れるから心配はいらないだろう。
2人のやりとりを眺めている間に母さんが料理を運んできた。
「クリスは病み上がりだからこっちね」
ボクの前に並べられたのは消化によいとされている根菜類や滋養効果のある香草がふんだんに使用されたスープ。
母さんの気遣いがありがたい。
「ありがとう母さん。いただきます」
席について食事が始まった。
ボクの正面には父さんが座っていて、その隣に母さん。アルはボクの隣で向かい合う形となる。
アルは夢中で肉の塊をほおばり、幸せそうに顔を弛緩させている。
父さんと母さんは黙々と料理を口に運んでいて会話をするつもりはないようだ。
ボクの体のことは食後に取り上げるつもりなのだろうか。
帰ってきてすぐに家族会議になるかと覚悟していたけど一切触れなかった。それならそのつもりでいよう。
両親に倣いボクも黙って食事する。
――喉の渇きを覚えた頃、ボクはテーブルの中央にある水差しに手を伸ばした。
「あ、父さん……」
「……!?」
間の悪いことに父さんもちょうど水差しの取っ手に指をかけていて、ボクの指と重なっていた。
「すまん!クリス!」
父さんは猫科の魔物に似た電光石火の瞬発で弾かれたように手を引っ込めた。
一瞬だったけど触れた指が火傷しそうな熱をもっていた気がした。
「ごめんなさい」
「いいんだクリス。丸2日間眠っていたそうだからな。水分はしっかりとっておきなさい」
「うん。あの、父さんも旅と狩りで疲れているだろうから」
主導権を譲ってもらった水差しを掴んで注ぎ口を父さんのコップの方に向けた。
「ああ、ありがとう」
「ねえ、クリス」
「何?母さん」
「水よりもこっちの瓶の中身をついであげるとパパ喜ぶわよ」
母さんがにんまりとした笑みで瓶を掲げる。
瓶の口から漂うアルコールの香りと半透明のガラスから透けて見える琥珀色から察するにカルデ村特産の蜂蜜酒だ。
ボクと母さんはお酒に弱いので基本的に飲まない。父さんのためにあるようなものだ。
「これってお酒?」
「そうよ。家族が揃ったお祝いにね。パパ飲むわね?」
「……そういうことならもらおう」
母さんから酒瓶を手渡された。
つい反射的に受け取って、そこで違和感に気づく。
改めて言うと父さんと母さんはテーブルを挟んでボクとアルの対面に座っている。
つまり父さんの隣である母さんが最も近いのだけど……。
母さんは一体何がしたいのだろう。
まあいいや。父さんを労いたい気持ちがあるし。
「えっと、今更だけど父さんお帰りなさい」
「ああ、ただいま。アイアンシザーグリズリーと戦って怪我をしたと聞いていたが無事でなによりだ」
杯にお酒を注ぐと、父さんは大切な宝物でも扱うように両手に抱え、一口あおった。
「いつもよりうまいな……。こんなにうまい酒は初めてだ」
「可愛い娘からのお酌だもの。美味しいに決まってるわよ。ね?クリス」
同意を求められても困る。
それに娘って。
父さんの顔が赤い。お酒に弱いってわけじゃないのに。
旅から帰ってきてさらに一仕事したんだ。疲れきった体のせいで酔いが早く回ったのかもしれない。
「む、クリスよ。それは何じゃ?甘い匂いがするぞ」
鹿ステーキを残さず平らげたアルが蜂蜜酒に興味を示した。
「蜂蜜で作ったお酒だよ」
「なんじゃ酒か……。妾は酒は好かぬ」
幼い外見とは裏腹にボクの何千、何万倍も年をとっているアル。
お酒は苦手なんだ。苦いものが多いからかな?
「これは味もちゃんと甘くて女の人でも飲みやすいと思うけど」
「味の問題ではない。酒には竜を弱らせる力があると昔、妾の家臣が言っておった。また魔力を奪うとも。酒の神が生身で下界に降りられぬ制約がある故、酒精に姿を変えてやってくるというのじゃ」
「そうなの?」
お酒には神様が宿り、魔を払う効果があるって子供の頃聞いたっけ。
祝福の魔法がかかったお酒を身の周りに振りまくと、一定の時間魔物の害意から遠ざけ知覚を鈍らせる効果があるので旅の必需品になっている。
父さんが一人で旅に出られたのもそれがあってのことだ。
竜には思わぬ作用があるらしい。
「うむ、遠く東の果てに八つ首の竜がおったという。そやつが供えられた酒に酔って眠ってしまったところ、恨みを買っていた輩に寝首をかかれたと聞いたことがある。どれほど深い眠りにあろうと竜の肉体は無敵。首を落とされたそやつが竜の風上にも置けぬ貧弱さであるが、酒の神の気まぐれには困ったものよ」
「実際にお酒の神様がいるかはともかくとして、竜には毒が効かないんじゃなかったっけ?」
酒は百薬の長と言われているけど、過ぎれば毒だ。
毒でない範囲ならば効いてしまうということかな。
「確かにいかなる毒も効かぬ。だからこそ酒には得体の知れぬ力がある。家臣に酒が好きで仕方ない竜がいてな。あまりに美味そうに飲むので試しに一度飲んでみたら魔訶不思議な体験をしたのじゃ」
「どんな?」
「飲んでからの記憶を失った。魔力も少しもっていかれたのじゃ。山が一つ平野になっていつの間にやらそこで寝ておった。大方酒の神が奪った妾の魔力で顕現し、ひと暴れしたのじゃろう。何があったか知らぬが惨めな姿になった家臣共に2度と酒を口にするなと嘆願されたわ。涙ながらに請われては無碍にできぬからな、固く約束した」
神様のせいにしてるけど、酔っ払ったアルが暴れたので間違いないだろう。
恐らく家臣の竜は酒乱で暴れるのはやめてくださいと直接言うことができなくてたとえ話をしたのかも。
アルはお酒を飲むと途轍もなく危険な存在になるのか。
今は山を平らにするだけの力がなくてもその内成長してやらかすかもしれない。念のため覚えておこう。
「それならアルマリアちゃんにはお酒の入っていない飲み物がいいわね」
母さんが席を立って台所に向かう。
しばらくすると盆にコップと大ジョッキ、それぞれ一つずつ載せて戻ってきた。
「あ、これってマルスピュミラのジュース?」
「そうよ。蜂蜜と混ぜたものね。クリスも飲みなさい」
マルスピュミラとは拳大の大きさの果実で、皮は赤く中の果肉は白い。
さっぱりとした酸味に爽やかな甘さが特徴で、シャキシャキとした歯ごたえは子供からお年寄りまで広く支持されている。
これをジュースにして蜂蜜と混ぜたものは栄養豊富な風邪の特効薬で、良薬は口に苦しという言葉に真っ向から反抗する頼もしい存在だ。
ジョッキに口をつけ、くぴくぴと可愛らしくジュースを飲むアルを横目にボクも飲む。
疲労した体が甘味を欲していたのか、すぐに飲み干してしまった。
甘いものがすごく美味しい。アルほどではないが顔が綻ぶ。
「お代わりいるかしら?」
「うん」
「妾ももう一杯所望するぞ」
「うふふ、息子と娘の組み合わせもいいけど、娘2人もたまらないわね。パパもそう思うでしょ?」
静かにお酒を飲んでいた父さんは急に話を振られて答えに窮したようだけど、
「ああ」
と短く言って頷いた。
その顔はとても穏やかだ。
朝のことがあって気まずい表情が多かったけれど、やっと父さんらしい落ち着いた顔を見ることができた。
〇〇〇
食後、後片付けをしようとしたら母さんに有無を言わさず台所から追い出された。また、父さんから『今日は休みなさい』と諭されてボクは自室に下がりベッドに寝転がった。
アルは相変わらずの健啖ぶりでお気に入りの安楽椅子に背を預けて、炒ったカルデナッツをおやつにつまんでいる。
「ねえ、アル」
「なんじゃ、クリス」
「礼は生き延びてから言えだったね。色々と助けてくれてありがとう」
「うむ。しかしあの不届き者を成敗できたのも、汝の働きがあってのことじゃ。褒めてつかわす」
「どうやったんだろうね。あんまり覚えてなくて自分でした実感がないよ。父さんがギリギリのところで倒してくれたって考える方がまだ現実味がある」
「紛れもなく汝が成し遂げたのだ。妾は形を変えて力を貸したにすぎん。誇りに思うがよい」
「あまり見てる余裕がなかったけど凄かったよねアルのクロスボウ。あれってドラゴンウェポンなの?」
ドラゴンウェポン。竜の素材でできた武器。
それは御伽噺で語られる英雄のシンボルとして有名だ。
弓に限らず、剣や槍、斧は天を切り裂き、大地を砕き、海を割るなど人の身に余る破格の性能が描写されている。
でもそれは使い手も武具に釣り合う天稟の持ち主でなければ能力を引き出せず、相応しくない者が扱えばなまくら同然だという。
半人前のボクが扱えば後者になるのは言うまでもないはずなんだけど、恐るべき威力を発揮していたと思う。
「妾は武具ではない。勝利するために最適の形をとっただけのこと。誰でも力を引き出せるものではないがな。クリスよ。汝には間違いなく才がある。妾が認めるに値する途方もない才がな」
「うーん、あるかな?才能」
「妾が見込んだ者なのじゃ。なくてはならぬ。あると信じよ」
「信じたって無から有は生まれないよ」
「無論。しかし求める力があろうとなかろうと欲し続けることはできる。汝は今までそうしてきたのであろう?」
「うん。一人前の狩人になる夢、諦めていないから」
「ならば体を癒してからすべきことは分かるな?力を欲するのじゃ。弓だけでなく、魔法も学んでもらうぞ。妾と汝は野望のため何者にも後れをとってはならぬのだからな」
「魔法かあ、勉強は苦手だけど頑張るよ」
アルと語らって夜が更けていく。
明日のことに思いをはせながら。