15話 生還
眠りからの目覚めは筋肉痛、打撲痛、食欲、それぞれが一度に押し寄せてきたために訪れた。
極度の疲労によって全身は鉛のように重く倦怠感で動くことも億劫ではあったが、前述の症状が快適な睡眠を妨害しているため起きることにする。
自室のものではないベッドの感触に違和感を抱きつつ目を開いた。
視界に映ったのは見覚えのある診療所の天井だった。
薬草の独特な香りもするので間違いないだろう。
ここで寝かされるに至った経緯を思い出してみる。
「確かアルと融合して、アルが鎧とクロスボウになって……」
それ以降のことはほとんど覚えていない。
最後に全力を尽くして矢を射たことしか記憶に残っていなかった。
ボクが生きているということはアイアンシザーグリズリーは撤退したか、討伐されたか。
どちらでも構わなかった。
この短期間で何度も死にそうな目に遭いながら生還している奇跡を喜びたい。
「そうだ、アルはどこだろう?」
丈夫な体の持ち主だ。
ボクと違って元気に動き回っているかもしれない。
だとしたら今頃お腹を空かせていることだろう。
母さんやリズを困らせていたら大変だ。
ボクもお腹空いたし、起きないと。
「クリス……もう食べられないのじゃ……むにゃ」
「アル?」
身を起こそうとしたところでアルの声をすぐそばで聞いた。
寝言の定型句としてはあまりにベタで逆に耳にする機会がないものだ。
ブランケットとベッドカバーをどかすと声の発生源は同じベッドの中で丸まって寝息を立てていた。
一切の衣類を身に着けていない素っ裸で。
黒髪の女の子になったアルだった。
どうして裸!?
竜のアルは普段から裸みたいなものだけど人間の女の子の姿はまずいよ!
というかよく見たらボクも裸だ!
身体のあちこちに包帯が巻かれているけど、胸とかお尻とか隠さないといけない部分が隠れてなくて自分でも言うのもなんだけどまったく何も身に着けていないよりも扇情的というか、そうじゃなくてこれはどういうことなの!?
「クリス君、お目覚めになられたのですね。お早うございます」
「……え?」
ボクの混乱を余所に診療所の主オリビアさんが患者を安心させる柔らかい笑みで朝の挨拶をした。
起き抜けから女の子と裸でベッドの中でしたという状況にパニックを起こしているのに追い討ちが追加されて思考が停止する。
「…………………………おはようございます。えーと、これは?」
たっぷり10秒ほど時間を費やしてから反応できた。
頭が回らないなりに付け加えた質問は要領を得ないが聡明なオリビアさんのこと。順を追って説明してくれることに期待する。
「どれのことでしょうか?アルマリアさんでしたらクリス君の看病をすると言ってベッドに入ったのですよ」
「どうして裸なんです?」
「クリス君は魔力の欠乏症を起こして体温が低下していましたので。人肌で温めてあげるのが効果的だと心配していた様子のアルマリアさんにお話したのです。本来であれば治癒術師である私がすべきなのでしょうが。良い妹さんを持ちましたね」
成程、医療行為ということらしい。
だったら仕方ないよね。
それにしてもアルじゃなかったらオリビアさんが添い寝を……。
一応ボクも内面は年頃の男なわけでそういうことにまったく興味がないわけではなく、少し残念なような?
いけない、治療してくれた恩人にボクはなんて失礼なことを考えているんだ!
とにかく裸なのは大問題だけどアルには後でお礼をしよう。
「ところでクリス君。いえ、クリスちゃんとお呼びすべきでしょうか。前を隠さなくてよろしいのですか?」
「へ?あ……」
指摘されて気づいた。
上半身を起こしているので男ではあり得ない膨らみ方をした胸部が丸見えとなっていることに。
「あ、あ、ああ!あのっ!その!これは……!」
咄嗟にブランケットで隠そうと試みるが筋肉痛が腕に走って掴み損ねてしまう。
やむを得ず腕を交差させてオリビアさんの視線から隠すことにした。
「赤ちゃんみたいに綺麗なお肌をしていますね。羨ましい限りです。ここに運び込まれた時は創傷がひどかったのですけど、私の治癒魔法が不要と思えるぐらい驚異的な早さで回復していました。
なかなか得難い治験をさせていただきましたよ。やはりその女の子の身体に何か秘密があるのでしょうね」
オリビアさんは20年前、ボクが生まれるより前にカルデ村に移住してきた人だ。
医者として母さんの出産に立ち会っているだろうから当然ボクが生まれた時は男だったと知っているはずだ。
どうしよう……。とうとう他の人に秘密がバレてしまった。
「あの、オリビアさん」
「はい」
「この身体のことは……」
「ご安心を。今のところクリス君が女の子になったことを知るのは私とクリス君のご家族だけです。クリス君が眠っている間、リズちゃんやギンジ君が面会を希望したのですが、お断りしました」
「……そうですか。あ、ギンジさんは無事だったんですね」
「はい。軽症でしたので。ミゲルさんがいない状況で犠牲者は一人もいませんでした。奇跡と言ってよいでしょうね」
「よかった」
ギンジさんの無事に安堵する。
それにしても母さんはボクが女の子になったことを既に知っているということか。
どんな顔をして家に帰ればいいだろう。
「ミゲルさんといえば朗報ですよ。昨日お帰りに――」
父さんが?オリビアさんが話している途中で別の声が続きを遮った。
「お早うございますオリビアさん。クリスの容態は……」
聞いただけで美男子を想像せずにはいられない声。ボクにとって日常的に聞きなれたもの。
事実として想像を裏切らない彫りの深い端正な顔立ちの男性が病室の入り口に立っている。
ボクの父、ミゲルがこちらを凝視して石膏のように硬直していた。
視線はボクの胸に一点に注がれていて、父さんであろうと男ならばやはりそこに引き寄せられずにはいられないのだと納得した。
「す、すまないクリス!後で出直してくる!」
「あ……父さん……」
父さんは顔を強張らせると背を向け、慌てた様子で病室から走り去っていった。
引き留めようか逡巡した一瞬の隙に。
知っていたとはいえショックだったかな父さん……。
いくら女の子みたいな顔をしていたって息子の胸がこんなにも大きくなっていたら気持ち悪いよね……。
「……すぅすぅ、……クリスよ……食後のでざーとは木苺ぱいを所望するのじゃ……」
「アル……。悩みのないキミが羨ましいよ」
夢の中で満腹になったはずのアルが寝言でデザートを追加オーダーしている。
寝ても覚めてもアルは食べることが大好きなんだな。退院したら仰せの通り木苺パイを作ってあげよう。
って暢気に現実逃避してる場合じゃなくて!見られた!見られちゃったんだよ!よりによって一番見られたくない人に裸のほとんどを……!
ますます家に帰り辛くなってしまった。
「はあ……」
難事を退けたと思えばまた難事がやってくる。
自業自得であるとはいえ、アルの下僕になってからというもの気苦労は絶えない。
難事と言えば。そうだ、聞きたいことがあったんだった。
質問を投げかける前にオリビアさんが申し訳なさそうに頭を垂れる。
「すみません。ご家族とはいえ男性の出入りは制限しておくべきでした」
「オリビアさん頭を下げないでください。それよりも聞きたいことがあるんです」
真面目な話なので居住まいを正す。裸では格好がつかないが。
「何でしょう?」
「ボクが倒れてからのことなんですが」
「何があったか――ですね」
頷いて先を促す。
「アイアンシザーグリズリーは討伐されましたよ。他でもないクリス君のお手柄なのですが、覚えていませんか?」
「おぼろげには。村の危機は去ったんですね。よかったです。父さんも帰ってきましたしこれで安泰ですね」
「はい。ですがまだ問題が。私にはもう一つクリス君に謝らなくてはならないことがあります」
「え?」
「私が提案した作戦でクリス君を危険な目に合わせてしまいました。とても赦されることではありません。誠に申し訳ありませんでした」
「オリビアさん!謝らなくていいんですって!!ボクは危険だとわかっていて自分の意思で志願したんです。この通り五体満足なわけですし、だから気にしないでください」
「クリス君が赦しても私は己の浅薄さを赦すことができません。医者でありながら人の命を危険に晒したのです。到底返しきれるものではありませんが、どのような償いでもいたしましょう。私のことをお好きなようにお使いください。今服を脱いでベッドに入れとおっしゃるのならご希望に沿いましょう。足のつま先から髪の毛の一本にいたるまで私の全てはクリス君のものです」
え?えええええーーーーーー!!!!
オリビアさんってこんなにも極端で大胆なことを言う人だったの!?
「いえいえ!必要ないです!お気持ちだけで十分ですから!今まで通り村のみんなのお医者さんでいてください!」
「私に女としての魅力はないと。そうですよね、私のような年増女が自分の分もわきまえず……。出過ぎた発言でした」
「そういう意味で言ったんじゃありません!オリビアさんは村でも指折りの美女じゃないですか。卑下することなんかないですよ。素敵な男性から引く手あまたなんですからもっと自愛してください」
「クリス君は優しいですね。サークルの会長として――いえ、何でもありません。お気遣いとても嬉しいです」
サークル?何のことだろう?
「では、ご命令通り医者として働くことにしましょうか。クリス君、どこか痛むところはありますか?――――食欲は?」
診察を受けた後、ボクはそのまま診療所で休ませてもらうことにした。
15話の書きかけを誤爆投稿した件申し訳ございませんでした。
16話は明日に投稿します。