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12話 アイアンシザーグリズリー

グロ表現注意です。



 

 父さんの帰還を待たず、アイアンシザーグリズリーがやってきてしまった。

 物見やぐらの鐘の音はそれが侵入してきたことを示す一定の符丁(リズム)

 避難を促す大声が村の各所で上がりだし、騒然とした空気を漂わせる。


「ギンジさん、ボクは落とし穴へ陽動する役目に志願しました!

 ボクは大丈夫なので、母さんのことをお願いできないでしょうか?」


 ここ数日間昼間はアイアンシザーグリズリーが村のどこから現れても落とし穴に誘導できるよう、練習に時間を費やした。

 経路は完全に頭に入っている。

 足の負傷がどの程度回復したかは分からないが、彼我の速力差も理解している。

 後は侵入者を発見してイメージ通りに足を動かすだけ。


「知ってる!だがな、熊ってやつは気まぐれだ!人間には読めねえ動きをしやがる!万が一ってことがあるだろうが!孫の顔も見てねえ小僧はまだ死んじゃいけねえんだ!逃げろ!」


 ボクは昔から顔が女の子みたいだからと同性から差別、あるいは女の子扱いともとれる区別を受けることが多かった。

 でもギンジさんは違う。数少ない、ボクを正しく男扱いして接してくれる人だ。

 あくまで年長者としての良識に則って逃げろと言ってくれている。


「気持ちは嬉しいですがボクは逃げません。走りに自信はありますし、何かあったとしても半人前のボクなら村への影響は大きくないはずです」


「馬鹿野郎!命に一人前も半人前もあるか!人はな、ちんたら生きて、ガキ作って、最後はガキと孫に囲まれてちんたら死んでくのが一番幸せなんだよ!

 お前はまだそのどれもやってねえだろうが!

 俺は他のヤツより体だけは丈夫だ!簡単におっちんだりはしねえ!熊に何度も殺されかけたことがあるが、生きてる。罠には俺が誘い込んでやる!だからお前はさっさと逃げろい!」


 ボクと5つしか年の違わないギンジさんが人生を一度経験してきたかのような実感のこもった声で叫ぶ。

 だけどギンジさんには、


「駄目です!ギンジさんには生まれたばかりの息子さんがいるじゃないですか!

 子供にはお父さんが必要なんです!ギンジさんだって死んじゃいけないんです!」


 そう、彼にも死んではならない理由があるのだ。

 誰も犠牲にせず、負傷者も出さない道を選ぶのならボクがやるしかない。

 ギンジさんは確かに丈夫な体の持ち主だけど、その分足はかなり遅い。

 仮に罠に誘導できたとしてもオリビアさんの治癒魔法でもどうにもならない大怪我を負う可能性の方が高いだろう。

 ボクはギンジさんの威迫に屈しないよう不退転の覚悟をもって視線を合わせる。

 けれど頭に血が上っているギンジさんも頑として譲らない態度を見せていた。

 相反する意思のせめぎ合いで無意味な睨み合いが発生する。

 時間が何よりも貴重なこの状況で徒に時が過ぎていく。


「……仕方ねえ、無理矢理にでも連れていくしかねえな。恨むなよ」


 しびれを切らしたギンジさんは取っ組み合いを始める時の腰を低くした姿勢をとった。

 実力行使に出たことにボクは身構える。

 力自慢の彼に捕まっては最後、拘束から抜け出すことは叶わないだろう。

 猪突の予備動作で土が沈んでじりっと音をたてた。




「二人ともそこまでよ」


「母さん?」


 ギンジさんが動こうとする前に仲裁する声が割って入った。


「ギンジくん、うちの子は必ず仕事をやり遂げますから見送ってくれないかしら?」


「エレナさん……それは……」


 他ならぬ母親が死地に赴く息子を看過するつもりであることに、説得すべき言葉を失って逡巡する。


「分かっています。私だって可愛い息子を危険な場所にはやりたくはありません。でも――」


 母さんがボクの肩に手を回し、体を抱いて続ける。


「もうすぐ大人になる、男の子の決意に水を差したくありませんから。

 ただの蛮勇だったら私が止めているけれど、クリスにはちゃんと考えがあるんでしょ?」


「うん、この日のために練習してきたから。アルと一緒なら絶対に成功する」


 それだけは確信をもって言える。


「ふん、妾がついておるのじゃ、100回やれば1000回は勝てるわ」


 アルも自信たっぷりに肯定してくれた。


「信じるわ。じゃあ母さんとギンジくんに約束できる?必ず生きて帰るって」


「約束するよ」


「私はクリスの成功を信じています。ギンジくんは?」


 心からボクの身を案じてくれているのだろう。

 苦衷が偲ばれるほどに頭を苛立たしげにガシガシとかきむしってからようやく言葉を搾り出した。


「クソッ!このすっとろい足じゃなけりゃ俺が……。

 エレナさんのお墨付きなら俺はこれ以上何も言えねえ。

 議論している暇もねえしな。すまねえ、任せる」


「ギンジくん、人に向き不向きがあるのは仕方のないことよ。私は両手のない人が崖から落ちそうになっている人を助けられなくても悪だとは思わないわ。

 じゃあ頑張ってねクリス。母さんは応援してるから」


 母さんはボクの頬にキスすると体を離した。

 しゃがんで新しい家族(アル)にも口付ける。


「アル、行こう」


「うむ、やってきたのがあの不埒者だったならば妾の側室に手を出した罪を清算させてやろう」


「ギンジくん、差し出がましいお願いだけれど、私を守っていただけるかしら?」


「エレナさんを安全なところへ送ったら後で俺も行きます。

 クリス、死ぬんじゃねえぞ」



 不安げなギンジさんに力強く頷き返すとボクは準備していた装備を身に着けてアルと共に駆け出した。




 〇〇〇



 囮役を全うするためにはアイアンシザーグリズリーがどこに移動したか確認しなければ始まらない。


「アレの位置を見てくる。少し待っておれ」


 アルはそう言って飛び立った。

 空から安全、確実、迅速に敵を捕捉してくれる彼女の存在は頼もしい。


『見つけたぞクリス。村の中心から東の方角じゃ。家畜を襲っておる。出会い頭にぶつからぬよう注意して進め』


 程なくして発見の報がもたらされた。


『了解』


 返事を返して警戒しながら小走りに駆ける。

 現場に到着すると家畜である人面水牛(通常の草食動物と異なり目が正面についていることからそのように呼称されている)が腹を大きく裂かれて事切れていた。

 虚ろな瞳からは涙が伝った痕跡が残っていて、死に至るまでの苦痛がいかにすさまじいものであったかうかがい知れる。

 アイアンシザーグリズリーは裂け目から溢れ出した内臓を貪って食欲を満たしている真っ最中であった。


「いた」


 足を負傷したアイアンシザーグリズリー。

 ボクを襲ってきたのと同じ個体だ。


 アルがボクの頭上に降下してきて宙で羽ばたきホバリングする。


「クリス、どのようにしてアレをおびき寄せる?」


「試し撃ちできなかったのは残念だけど、これで射かけてみるよ」


 食事に夢中でこちらに気づいていないのは絶好の好機。

 合成弓(ホーンボウ)を構えて無防備な背中に鏃を向ける。


 矢筈に弦をかけて引くと、

 ……軽い!?

 驚きが声に出てしまいそうになるぐらい弦が軽かった。

 構造の工夫だけでかくも扱いやすくなるとは。

 それでいて威力は損なわれているどころか格段に向上していることが射る前から感覚として理解できた。


 背中から照準をずらし、足の傷口に向ける。

 罠に誘導する上で可能な限り機動力は奪っておきたかった。


 矢を放つと遅れて風切り音が鼓膜を震わせる。

 眼球には線としか映らない一条の矢は強靭な後ろ足を――



 貫通した。

 斧の刃も通さない分厚い毛皮を突き破り、太い骨も難なく砕いて。

 通常、単なる大量生産の鉄の鏃でこんなことはできない。

 弓術のスキルが働かない限りは。

 これが武器の力なの!?


「クリス、呆けている場合ではないぞ!」


「うん!こっちだアイアンシザーグリズリー!ボクはここにいるぞ!」


 腹の底に力を入れて大声を出し、挑発する。


「グゥルルアアァァァ!!!!」


 当然ながら食事の邪魔をされて相手は怒り狂っている。

 その怒りこそが作戦にとって不可欠な要素。

 冷静なままではこちらの挙動を読み取られ、罠に勘づかれてしまう恐れがある。


 ボクはアイアンシザーグリズリーに背を向けて走り出した。

 熊というものは背を向けて逃げれば追う習性がある――と過去、ギンジさんに教わった。

 その習性を逆手にとって罠に誘導するのがボクの目論見。


 つかず離れず、適度な距離を維持したまま走る。

 落とし穴は村の南部、土が柔らかい畑の入り口付近に掘られている。

 そこまで逃げ切ればボクらの勝ちだ!


「アル!ついてきて!」


「妾が見ている。捕まるでないぞ!」


「ありがとう!」


「礼は生き延びてから言え!」


 アルが上空から距離を測ってくれているので走ることに集中できる。

 村の真ん中に建つ物見やぐらまで、駆け、横切る。

 何人かが家から飛び出してまだ避難中なのが見えた。


「アル!お願い!逃げてる人の背中を霧で隠してあげて!あいつから見えないように!」


「心配いらぬ、もうやっている!」


 アルのおかげで避難中の人は各々散開して脱出に成功していく。

 罠まで直線距離にしてあと500m。

 アイアンシザーグリズリーはボクへの執着心を残していたのか、脇目もふらずボクだけを追ってくる。


「気をつけよ!あやつ、速さを増しておるぞ!」


 ほんの一瞬後ろを見やると巨躯がより大きく映っている。

 足を貫かれた痛みがかえって限界を超えた力を引き出させてしまったのかもしれない。


「アル!一瞬でいい、あいつの視界を塞いで!」


 言ってすぐにアイアンシザーグリズリーの顔が闇に覆われて足が鈍る。

 その僅かな間隙に身を翻して、狙いも定めず矢を放った。

 鏃が突き刺さったのは肩。

 強靭な筋肉を断裂せしめ、胸部にまで潜り込んだ矢は血管を食い破り流血を促した。


「ゴッ!?ォォォォオオオオ!!!!」


 失血すればどんな生き物も例外なく運動能力を損なう。

 点の攻撃は急所を貫かない限り巨体を地に沈めるには不向きだけど、意味がないわけじゃない。

 体力が失われればこちらに趨勢が傾くはず!

 罠まで残り300m。


 追跡者の有無によって心理面、肉体面での負担の差は歴然であると思い知る。

 過度の緊張を伴う疾走に血液が酸素不足を訴えて心臓が飛び跳ねるように脈打ち、踊っている。

 自分の心音だけがやたらと大きく聞こえる。


 罠まで残り200m。


「クリス!もっと速く走れ!あやつの四肢に魔力が集中しておる! 肉体強化フィジカルエンチャントじゃ!」


 “  肉体強化フィジカルエンチャント ”

 そう呼ばれる魔法が存在する。

 字義を追えば肉体の働きを強化する魔法。

 主な用途は単純にして明快。

 魔力を消費して筋力を増強することに他ならない。

 四肢に魔力が集中したのなら、速度を上げるために発動したという認識で間違いないだろう。

 獰猛な野獣の唸り声が増々耳に接近している。

 今まで肉体強化フィジカルエンチャントを使用してこなかったのは獲物を仕留めるのに消費魔力が見合わなかったためか。

 誤算だった!

 ダメージを与えられたことで一方的に追い詰める狩りの獲物ではなく、命を脅かす()と意識させてしまった。

 これだけは拙いっ!


「ハァハァハァ……くっ!アル!もう一度視界を塞いで!」


 ボクが言い終わる前に意を汲んだアルがアイアンシザーグリズリーの顔面を再び闇で覆う――が、頓着せずに加速してくる。

 どんなに速く走ったつもりでも敵の姿が遠くならないことに絶望する。

 罠まで残り150m。


「効果が無い!このままでは追い付かれるぞ!クリス!汝も肉体強化フィジカルエンチャントをせよ!」


「無理だよ!その魔法ボクにはできないんだ!」


 肉体強化フィジカルエンチャントは術者に高い魔力と精密な操作を要求する魔法である。

 肉体強度を越えて筋力を駆使すればどのような帰結を迎えるかは思考を巡らせずとも推し量れるであろう。

 即ち、自滅。

 よって肉体強化フィジカルエンチャントでは筋肉の過剰な酷使に骨格や臓器が耐えうるよう肉体の守りにも魔力を配分しなければならない。

 この守りに割く魔力量というものが曲者で、多ければ多いほど安定性は増すが、魔力は余剰に消費されてしまう。

 つまり継戦能力が失われることになる。

 術者は自身の肉体強度に適した最大効率の魔力量を探っていくことになるのだ。

 自滅の恐怖に脅えながら。

 一方で強化と守護、同時に2種類の魔法を繰る複雑さは論を俟たない。

 その上剣や弓を用いた技を行使するとなれば、それは尋常の人の脳に処理能力で追いつくものではない。

 強化後は単純な動きをするのがせいぜいだ。


 アイアンシザーグリズリーが高度な魔法の制御を成しえているのは、野性の本能によるものだろう。

 人のように多彩な魔法を操る知能を有しない反面、肉体を操作することにリソースの全てを注いでいるのだ。

 生活魔法ひとつしか習得していないボクに、魔力が足りているからといって、いきなり達人級の魔術師の業ができようはずもない。

 生まれたばかりの赤子に楽器を弾いて曲を演奏しろと要求しているようなものだ。


「……事が終わったら魔法を学べ!融合するぞ!」


 並走して飛行するアルが闇と化す。

 3度目になるアルとの融合。

 人体にあり得ない器官()の存在を受容する。

 黒く染まって伸びた髪が風に靡いていく。


『今回妾も汝も魔力は万全じゃ!肉体強化フィジカルエンチャントを発動する。制御は妾が行う故汝は兎に角走れ!』


 突如、内から魔力の奔流が全身を巡る。

 重くなりつつあった足に爆発的な魔力が宿る、体が羽根のように軽くなる。

 筋力が肉体の限界を超越して脆弱な人の枠から外れ魔神へと成さしめる。


 罠まで残り50m。

 アイアンシザーグリズリーとの距離が開いてきた。

 ボクの方が速い!これならいける!


 落とし穴の蓋には体重の軽い人が渡るには十分耐えるが体重の重い者が乗れば簡単に割れる薄い板がかぶせてあると聞いている。

 ボクは板の上を走り抜けて落とし穴の前で待ち伏せすればいい。


「着いた!こっちだ!こっちに来い!」


 アイアンシザーグリズリーは疑うことなく落とし穴まで猛進してくる。

 これでボクは役目を果たせた!

 勝利を確信する。









 しかし、






 ボクの安堵は目の前の現実に砕かれることになった。


「嘘……そんな……」



 落とし穴の蓋が割れていない。

 アイアンシザーグリズリーの体重を支えてしまっている。

 板が厚すぎた……?


『クリス!避けよ!!!!』


「──え?」


 敵を目前にしながらどうして足元に釘付けになってしまったのか。

 アルの大喝に頭を上げた刹那、振り下ろされた凶刃にボクの胸は切り裂かれた。

























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