10話 来襲
カルデ村の大工、男性ドラゴニュートのギンジ(20)は転生者だ。
地球の西暦20xx年に日本の片田舎で老衰のため前世を終えた。享年91歳、大往生である。
彼が残した唯一の未練はその年の大相撲初場所の優勝者が誰になったのか見届けられなかったことくらいか。
生前は山奥で林業を営んでおり、土木、建築関連の仕事も幅広く行っていた。
人口の少ない集落だっただけに浅く広くやる必要があったのだ。
前世の経験が生かされるカルデ村での仕事はギンジの性にあっていた。
日本どころか地球上にない異世界に生まれ変わっても大差のない生活を送れることになったことについてはありがたい御仏の導きと考えている。
そもそもギンジはオタク的サブカルチャーに造詣がなかったので異世界に転生したことに特別感動することもなかった。
前世の記憶が残っているのは不自然だと思うがわざわざ村の皆に吹聴することでもない。
今生も起伏のないスローライフを送って終えるつもりであった。
異世界でスローライフといえばそれは流行だろう、事情を知る者がいたら代わってくれと熱望されそうだが、それをギンジが知る由もない。
また、彼は本作のエキストラなので物語には頻繁に関わらない……はず。
……。
話を戻すとギンジは新しい肉体に大変満足している。
山羊のような角と蜥蜴みたいな尻尾が生えていることには驚いたが不便を感じなかったのでよしとしている。
種族としての特徴か、鈍重で手先は器用な方ではないものの、人間離れした有り余る筋力と持久力に恵まれているので重機と電動工具なしでも仕事ができるのは便利だった。
なので、最近村長から依頼された穴掘りの作業をすれば村の誰よりも頭ひとつ抜きんでた効率を発揮した。
彼がひたすらに掘り、他の村人が土をバケツリレーで運ぶことで作業は順調に進んだ。
緊急の寄り合いから五日後の本日、無事作業が完了したため、本業に戻り人族の友人と材木集めに森に入っている。
「熊は出くわしたらやべえかんな、気をつけねえと」
「だな、背中は任せたぞギンジ」
熊の恐ろしさは前世で身をもって体験している。
仕事中に襲われて肝を冷やしたことは片手では数え切れないほどある。
熊よけの鈴や笛、気を引くための食料に、戦わざるを得なかった場合に使用する鉈などを携行していた。
それらは役に立つには立ったが、熊の対策として最も有効だったのは列挙した道具の内いずれでもなかった。
最も最善なのは相手がこちらに気づいていない遠距離にある状況で、先んじて相手の姿を補足し慌てずに逃げ出すことである。
そのため2人は普段以上に神経質に周囲を警戒して伐採作業を行った。
ノコギリを引き、切れ目に斧を入れ伐り倒す。
玉切り――枝払いを済ませて材木に変えた後、土の養分を吸い取ってしまう切り株を除去する。
一連の動作を2時間ほど休憩を挟みながら続ける。
後日苗木を植えに行く予定だ。
「こんだけありゃあ十分だろ」
「そうだな、昼飯時だし戻るか」
2人は作業が一段落したところで村に帰ることにした。
弱い魔物にすら襲われることもなく警戒心が薄れてきた友人がぽつりと言った。
「なあ、ギンジ」
「なんだよ?」
「最近さ、ミゲルさんとこのクリス色っぽくねえ?」
「はあ?」
寝耳に水の話にギンジは素っ頓狂な声をあげた。
「いや、こうなんつーかさ、歩く時の腰つきってもんがさ、女みてーだなって。いい尻してるよな?後姿が見ててたまんねえ。それによ、髪だってふわっとしてて柔らかそうだよな。そこらの女なんかと比べもんになんねぇよな?撫でてみてえよ。そんで髪をかきあげた時に見えるうなじなんかよぉ、オレ、ドキッとしちまったんだよ」
大して口を訊いたこともない少年を事細かく観察している友人にギンジはやや恐怖を感じた。
恐怖の根源はその少年を性の対象と捉えるような口ぶりにある。
困惑しつつギンジは常識的な受け答えを選んだ。
「馬鹿言え。確かにエレナさん似の美人だけどよ、男だぞ。ガキの頃に風呂でついてるもん立派についてんの見たことあんだろうが」
「そうだけどよお、野郎どもの中にゃ村の女よりクリスがいいって連中がいるじゃねえか」
「いんのか?そんな奴ら」
2人は知らないが、本人非公認サークル、クリスファンクラブである。
会員数、会員メンバーの指名、年齢、性別は全て謎に包まれている。
木工職人が戯れに作った木彫りの8分の1スケールクリスフィギュアはそのクオリティの高さから彼らの闇オークションにかけられたものの、値段がつけられず、現在は木工職人の蔵で会員の御神体として崇められているんだそうな。
「いるかどうかはさておき、オレ……男でもいけるかもしんねえ。むしろ……」
驚愕の告白にギンジは隣を歩く友人と露骨に距離をとった。
「おいい!?オレはお前のことはちげえよ!?」
「どこが違う?」
ギンジは険しい目つきで友人を睨んだ。
その目に内包されている意思は我が身への警戒が半分、怒りが残りの半分である。
彼はいたってノーマルな異性愛者であり、既に妻を迎えている。
妻との結婚は友人の仲立ちがあったおかげでできたのだ。
まだ独身の友人に恩を返さなければと思っていたが、まさか道を誤ることになろうとは。
「この村にゃ他にキレイどころがいるだろう?オリビアさんとかな」
「オリビアさんはそりゃ別嬪だけどよ、エルフだからオレが先にジジイになっちまうよ。
あの人に別れの悲しみを味合わせたくねえ」
相手にされるかも分からないのに贅沢な言い分である。
「なら村長の娘は?」
「あれは色気が足りねえ。それにオレはきっつい性格より包容力があって料理がうまくて尽くしてくれる家庭的な女がいいんだ」
友人の理想は概ねクリスの特徴に近い。ただし、男であることを除いて。
それからギンジは何人も近しい女の名前を挙げたが、結果は芳しくなかった。
どうでもよくなってきたギンジは投げやりに言った。
「ミゲルさんとこの新しい娘になったあの黒い子は?」
「馬鹿野郎!オレはロリコンじゃねえよ!?」
「美女の卵じゃねえか。将来期待できるぞ?光源氏ってやつだ。お前の色に染めろ」
「ヒカルゲンジが誰だか知んねえけど毛も生えてねえようなのは却下だ。
ああ、ギンジ、オレどうしたらいいんだ。迷わず進むべきなのか?進んじゃっていいのか?」
そこで待っているのは後悔しかないだろう。
第一男同士で子供は作れないだろうが。
さらにここが最大の問題点だが、クリスは見た目はともかく男として振舞っている。
幼馴染である村長の娘といずれくっつきそうなのは客観的に見れば分かろうというものだ。
『進むな阿呆』とギンジは友人を窘めようとしたところで、突如背筋が凍りつくような怖気を感じた。
それは友人も同じだったらしい。
静かに目配せをするとゆっくりと振り向いた。
その顔は現実を理解すると瞬く間に絶望に歪む。
背後、20m程先に足を負傷したままのアイアンシザーグリズリーが、湯気のような殺気を迸らせて憎悪に満ちた突き刺すような視線を彼らに送ってきていた。
カルデ村の名前の由来はドラゴン繋がりで史上最強、究極至高のドラゴンポケモンの名前を一部いただいております。