人妖物語1
「こんにちはー」
住宅街のとある一軒家。私はほぼ毎日そこへ行く。
もちろん私の家ではない。幼馴染の家だ。
「いらっしゃい。待ってたよ」
出迎えてくれたのは同い年の少女。ちょっと暗めの子だが、とてもいい子だ。
彼女との出会いは十年ほど前。
幼かったので記憶は曖昧だが、彼女が何かに襲われていたのを私が助けたんだと思う。
見ず知らずの少女を助ける勇気が私にあったというのがとても不思議だが、それはひとまず置いておこう
とにかく、それ以来彼女に懐かれ、私も地元に同年代の子がいなかったのですぐ仲良くなった。
しかし彼女は何か大きな病気を持っていて、家からほとんど出られないらしい。
両親はその病を治すために奔走しているらしいが、詳しくは知らない。
そもそもいつ帰ってるのかもわからない。長いこと彼女の家に来ているが会ったことはない。
「ほとんど一人で寂しくないの?」
と尋ねても
「あなたが来てくれるから、全然寂しくない。親もそれをわかってて、私の病を少しでも早く治せるように出かけてるんだと思う」
とはぐらかされてしまう。
まぁ、深く詮索するだけ無駄だし、私は彼女と楽しく過ごせればそれでいい。
お人好しもいいところだろうが、長い付き合いだからそんなものだろう。
「今日は何しようか」
「これ、一緒に観ない?」
そう言って彼女が出したのは、ホラー映画。
「ほんとホラー映画好きだね……。一人でいること多いのによくこんなの平気だよね」
「刺激の少ない日々だから、こういうの大好き」
「相変わらずよくわからない感性してるわね。まぁいいわ、観ましょ」
映画を見終わる頃、すっかり日が傾いていた。
「こ、怖かった……」
「死神が突然出てきて鎌でスパーンってやるシーン、すごかったね!」
「あのシーン、心臓止まるかと思ったわ……」
普段暗めな性格なのに、彼女はこういう時異常に興奮する。
ホラーが好きというよりは、やはり刺激的なものが好きなのだろう。
対して私はこういうのはやや苦手だ。彼女とホラー映画を観ているうちにだいぶ慣れたと思っていたが、人間突発的なことに対処するのはそうそうできるものではない。
「さてと。それじゃあそろそろ帰るわね」
「うん、今日もありがとう」
「じゃ、また明日ー」
「ばいばい」
扉を開け、外に出る。
「あっ、あの!」
と、彼女の声が聞こえる。
「ん、どしたの?」
「あの、えっと……」
「なによ、恥ずかしがらずに言いなさい。私たちの仲じゃない」
「た、大したことじゃないんだけど……帰り道、気を付けてね?」
「ほ、ほんとに大したことじゃないわね。まぁ気を付けて帰るわ」
「引き留めてごめんね。またね」
「はいはい、じゃあねー」
今度こそ外に出て、私は帰路につく。
同時刻。
紫色のモヤが漂う、木造の建物が建ち並ぶ道。
そこを息を切らして走る、一体の人ならざる者。
ここは「妖怪」の世界。
人間のいる世界と表裏一体の場所。人間のいる世界が表の世界と言うなら、ここは「裏の世界」。
走っているその者も、妖怪である。
そして、その数メートル後ろから地面を揺らし追いかける巨体。
こちらは見た目から、明らかに「鬼」であろう。どうやら前の妖怪を追っているようである。
「貴様、よくもこの俺様を監獄に入れやがったな!」
「じ、自分のしたことでしょう。ちゃんと責任を取りなさい」
「うるせぇ、てめぇが余計な事言わなければ俺は無罪だったんだ!」
「さ、逆恨みでしょう! しかも脱獄までして……」
「どうせ俺の命は短いんだよ。だから死ぬ前にお前を殺す!」
「くっ……」
「~♪」
鼻歌を歌いながら、私は家に向かう。
さっき彼女に言われた「帰り道、気を付けてね?」という言葉。
言われるのは初めてではない。というか度々言われる。
それで帰り道なにか起きたこともあれば、起きなかったこともある。まぁ占いの当たった当たらないと似た様なものだろう。
最初こそびくびくしながら帰ったものだが、だんだんただ彼女が心配性なだけだろうと思うようになった。
だから今回も、私は特に気にも留めていなかった。
大通りの交差点。信号が青になって渡る。
明日はゲームでも持っていこうかな、そんなことを思いながら道路の真ん中あたりに来た時、突然少し離れたところから大きな音がした。
何かと思って音の鳴った方を向くと、巨大なトレーラーが横滑りして、私の方に向かってきていた。
そして次の瞬間、私の意識は途切れた。
気が付くと、真っ暗な空間にいた。
真っ暗なのに自分の姿は見える。ただ光がない暗闇というわけではないようだ。
頭がボーッとする。確か横断歩道を渡って……
「って、もしかして私死んだとか!?」
最後に覚えているのは、迫りくるトレーラー。たぶんあれに直撃したのだろう。
死後の世界、もしくはその手前の段階と考えればこの不思議な空間も合点がいく。
「はぁ、まさかこんなことになるとは……」
まだ二十年も生きてないのに、早すぎる。まぁそれが私の運命なら受け入れるしかないわけだが。
ただ、死ぬならせめて彼女に別れの挨拶くらいしておきたかった。
「まだ諦めるのは早いよ」
突然声が響く。
「だ、誰!?」
「こっちだよ」
後ろを向くと、そこには何かがいた。人間でも動物でもない、何か。
「ひっ……」
「まぁ、人間が僕らの姿をみたらそういう反応するよね」
「えっと、何者なの?」
「人間からは妖怪って呼ばれてる者だ」
「よ、妖怪……」
にわかには信じがたいが、よくわからない空間でよくわからない者が喋っている。妖怪だとしても特に違和感はない。
「お、お迎えか何かなの?」
「残念ながら僕は天使でも悪魔でも死神でもない。僕も君と同じで、死にかけの身だ」
「死にかけの身……って、なんで私もそうだとわかるの?」
「僕は『覚』(さとり)妖怪。相手の心を読むことができるんだ」
「そ、そんな妖怪がいるのね……」
「こんなところで出会ったのも何かの縁だ。ちょっとお話ししないかい?」
不思議な空間で、私は「覚」と名乗る妖怪とお喋りをした。
彼(彼女かもしれないが)は、私が何も言わずとも全てを知っていた。
否、私の心を読んだのだろう。幼馴染と遊んでいたこと、その帰りに事故にあったこと、死ぬならせめて最後に別れの挨拶したかったこと……全部お見通しだった。
そんな彼は、事故ではなく殺されたらしい。逆恨みしてきた鬼に襲われたそうだ。
「鬼なんてのもいるのね」
「人間の世界でも有名なものから、知られていないものまでいろいろいるね」
「あなたは相手の心を読んで、なにかしてるの?」
「そうだね……なにもしていない、というのが正解かな」
悲しげに言う妖怪。
「どういうこと?」
「相手の心を読んでも、いいことなんてない。相手に合わせた行動は不信感を募らせ、能力を知れば内側を知られたくなくて避ける」
「あー、確かにそんなのがいたら避けちゃうわね。……っと、面と向かって言うものじゃなかったわ」
「いやいいんだ。だから僕はなるべく他人と関わらないようにしていた」
「でも、事件現場にたまたま居合わせて、鬼の悪事を心を読んでばらしてしまった、と」
「最終的にはちゃんと証拠品が見つかったものの、僕の言ったことがきっかけになったのは確かだろうね」
「だからって脱獄してまで殺しに来るなんて、鬼はやっぱ凶暴なのね」
「優しい鬼もいるけどね、彼はそうではなかったらしい」
そんな感じでお互いの話をして、それなりに時間が経った。
実際どの程度の時間が経ったのかはわからない。相変わらずこの空間は真っ暗。
「そういえば、最初にあなた『まだ諦めるのは早い』って言ってたわよね?どういうこと?」
「そうだね。君はまだまだ生きるべきだし、協力しよう」
「???」
「ちょっと嫌かもしれないけど、ここに手を重ねて」
そう言って妖怪は、手のようなものを私の方に伸ばす。
妖怪に手を重ねるなんて普通なら絶対嫌だが、ここまで彼と会話していてそんな嫌悪感はなくなっていた。
「こう?」
手を重ねた瞬間、私と妖怪は光に包まれ、そして妖怪の姿が消えた。
「えっ、えっ!?」
すると、頭に響くように声が聞こえる。
(上手くいったようだね)
「ど、どこに行ったの!?」
(君と同化したんだ。今の君はいわば『半人半妖』)
「ちょ、どういうことよ!」
(今君も僕も存在が欠けていた。だから君を生きながらえさせるために、僕が君の欠けた存在を補っているんだ)
「と言うことは、私は戻れるの?」
(そういうことになる。ただ僕も残ってしまうから、そこだけは許してくれ)
「ま、まぁわざわざ自己犠牲してまで私を助けてくれたんだから、それはいいけど……」
(なるべく表にも出ないようにする。君は気にせず今まで通り過ごしてくれ)
「ん、わかったわ。あなたのおかげで助かった命、精一杯生きるわね」
(そうしてくれると僕も嬉しいよ。さぁ、目覚めるよ――)
気が付くとベッドの上だった。
白い天井、白い壁、見たことない機材。どうやら病院のようだ。
自分の体にいろんな機材がついている。ちょっと体は痛むが、どうやら本当に生きているらしい。
「め、目が覚めたのね!?」
「お、お母さん……」
「か、看護師さーん!目が、目が覚めました!」
「ちょ、お母さんうるさい……」
その時、私の頭の中にお母さんの声が響く。
(あぁ、起きちゃったのね。出来の悪い娘はそのまま死ねばよかったのに)
「……え」
明らかにお母さんの声で聞こえた、悪意に満ちた言葉。
私は理解ができず、頭がパニックになっていた。
「おお、あれだけの事故から生還するとは」
「娘さん、凄いですね!」
医者と看護師らしき人が来る。
と、再び声が聞こえる。
(入院費搾り取れると思ってたのに残念だ)
(早くこんな病院辞めたいな……)
医者と看護師の声。これは、どういうことなんだろう。
数日間入院し、ほぼ全快した私は家に帰ってきた。
その間も、謎の声が頭に響く。夢を語る声、悪意に満ちた声、他愛のない内容の声、下心たっぷりの声――。
その内容は、まるで人の本心。
……人の、心?
はっ、とした私は、覚妖怪に呼びかける。
「妖怪さん、いるかしら。気付いてるんでしょう?」
(……これは、予想外だったね)
「あなたの能力が、私に受け継がれたってことかしら」
(たぶんそうだと思う。ただこれは非常に厄介だ)
「どういう意味?」
(僕は視界を認識する眼と別に、心を読む眼を持っている。でも君にはそんなものないから、視界と心を両方同じ眼で見てしまっているようだ)
「ということは、視界を確保するためには自然と人の心も覗いてしまう、と」
(すまない。まさかこんなことになるとは……)
妖怪が私を陥れるためにやったとは思えない。こうなってしまったのはたまたまだろう。
「まぁいいわ。しばらくしたら慣れるわよ」
(……せめて、手助けをさせてくれ)
「それはいいけど、どうするの?」
(心の声を聞いててわかったが、どうやら右目と左目で覗いている部分が違うようだ)
「ふうん? じゃあちょっと試してみましょうか」
家族やペットで試して、わかったことがある。
どうやら右目で表層心理を、左目で深層心理を覗いているようだ。
前者は今思っていること、後者は心の底からずっと思っていることだと思われる。
お母さんのあの言葉がどっちなのかは……怖くて確認できなかった。
そしてもう一つ、人間以外にも効果があることがわかった。
家で飼っている犬に対しても心を読むことができた。しかもちゃんと人間の言葉で返ってくるので、動物と会話できているようで少し楽しい。
「とりあえず、こうしておきますか」
薬局で買ってきた眼帯を、左目につける。せめて深層心理だけは覗かない様にするための応急処置だ。
(手間をかけさせてしまって申し訳ない)
「あーはいはい、もういいって。それに動物でも効果があるのはありがたいわ」
(……それなら、いいのだが)
「明日から学校に復帰するし、帰りはあの子の家に寄るわよ。心配してるだろうし」
翌日、学校。
クラスメイトには眼帯を、怪我で左目に大きな痕が残ってしまったからと説明をしておいた。
幸い、友人たちは本当に心配していてくれたらしく、聞こえてしまう表層心理は平和だった。
……ただ、本当にそうなのか深層心理を覗いて確認したい不安にも駆られた。
それから数日後のある日。
(シャーペンの芯がなくなっちゃったわ……)
友人の表層心理が聞こえる。どうやらシャーペンの芯がなくて困っているようだ。
「はい」
「ど、どうしたの?」
「え、あっ、いや……しゃ、シャーペンを見ながら困った顔してたから、芯がなくなったのかなーと思って」
「そ、そんな顔してた? まぁ実際困ってたし、ありがとう!」
「いえいえ、どういたしまして」
心の声が聞こえて、ついつい動いてしまった。
ただ、友人が困っているのにすぐ手を差し伸べられるのは素直に嬉しい。
……そんな風に思っていたのも束の間、明らかに先回りした行動に友人たちが不信感を持ち始めてしまった。
(あの子、最近親切すぎる気がする……)
(なんか事故の後からちょっと怖い)
(心を覗かれてるみたいで関わるの不安だわ)
そんな声が聞こえてくる。
あくまで表層心理だから、心の底では友人だと思ってくれているのかもしれないが、そうでなかったときのことを考えると確認するのが怖い。
私自身も、だんだん友人と距離を置くようになっていった。
その様子を密かに見ていた視線には、まだ気付かない。
そんな中でも、彼女はいつも通りだった。
回復して戻った初日には
「しんぱいしたよおおおおお!」
といつものクールな暗めの雰囲気はどこへやら、大泣きして私に抱き着いてきた。
心の声が聞こえてしまっても、
(あなたと遊べて私は幸せ)
(あなたのおかげで寂しくない、楽しい)
なんて、いつも言ってることと変わらない言葉で、私は今まで通り気兼ねなく過ごすことができた。
しかし、やはり深層心理まで覗いてしまうのは不安で、眼帯は外せなかった。
「今日はどうしよっか」
「新作のホラー映画出たから、観ない?」
「ほんと好きね……いいわ、観ましょう!」
こうして、学校ではなるべく大人しく、そして放課後彼女と楽しく遊ぶ日々がしばらく続いた。
ある日の放課後、突然クラスメイトの子から屋上に呼び出された。
顔見知り程度でほとんど話したこともない子だったので、何事かと不信に思う。
心を読んでやろうかと思ったけど、呼び出しは手紙だし本人はすでに教室にはいなかった。
渋々屋上に向かうと、その子がいた。
「やっと来たわね」
「何の用かしら?」
そう言いつつ、相手の心を読む。が、頭に響くのはノイズがかった声でよく聞き取れない。
「率直に言うわ。あなた、妖怪ね?」
「えっ……」
まさかここで妖怪なんて言葉が出てくると思わなかった。
唐突過ぎて少しうろたえるも、平静を保つ。
「厨二病かなにかかしら。そういうのに巻き込まないでくれない?」
「誤魔化したって無駄ですわ。隠しきれない妖気が漏れ出てますわよ」
「だからそういうのに巻き込まないでと」
「問答無用!悪霊退散!」
そう叫びながらお札のようなものを持って襲い掛かってくる。
「ちょ、ちょっと!?」
逃げるものの、思ったより彼女の身体能力が高くあっさり捕まってしまった。
「こちらの世界に来た妖怪は滅される運命!大人しく退治されなさい!」
私の体にお札のようなものを貼り付ける。
「……あれ?消えない」
何度も私の体にお札をぺチぺチとしてくる。微妙に痛い。
「私は人間だっての!なんなのもう……」
すると、屋上の扉が開く音が聞こえる。
「騒がしいと思ったら、そういうことですか」
「ね、姉さん!?」
「ここでは先生と呼びなさい、って何回言わせるの」
何が何だかよくわからないが、変なのに絡まれたのは確かだろう……。
その後、空き教室に移動して話を聞いた。
私に襲い掛かってきたクラスメイトと後から来た先生は姉妹。
そして、社会の裏で密かに妖怪を退治する「退魔師」の末裔らしい。
クラスメイトの子だけだとにわかには信じがたいが、先生までそういうなら信じるしかない。
「さて、まずはうちの妹の非礼をお詫びします。……ほら、あなたも頭下げて」
「ご、ごめんなさい……」
二人で私に頭を下げる。私たちの学年を受け持っていないとはいえ、先生から頭を下げられるのはなんかだムズかゆい。
ちなみに先生の心も上手く読めなかった。退魔師の能力かなにかだろうか?
「では本題に入ります。あなた半妖ですね?」
「えーっと……」
誤魔化すか素直に言うか迷う。どちらにしてもロクな目には合わなそうだが。
「別に煮て食おうってわけじゃないですから、素直に言ってくれて大丈夫ですよ」
「……今さっき襲われたんですが」
「うっ」
うなだれるクラスメイトの子。ちょっと意地悪だったかもしれないが、さっきのお返しだ。
「まぁそれはともかく、そうですね。たぶん今は半人半妖だと思います」
「確か、数週間前に大きな事故に会われたそうですね。その時何かありましたか?なるべく細かく教えていただけると」
私はあの時に起きたことを全て話した。不思議な空間、覚妖怪、同化、心を読む力――
「……なるほど。大体の事情は把握しました」
「それで、私はどうなるんですか?妖怪を退治するってことは、私もその対象になるんですか?」
「いえ、様子見ですかね」
そう言われて少しホッとすると共に、完全に見逃されたわけではないことに不安を覚える。
「折角ですから、少し退魔師と妖怪についてお話しておきますね」
「この世界には、私たち人間が済む『表の世界』と、妖怪が済む『裏の世界』があります」
黒板に絵を描く先生。椅子には私と退魔師の子。完全に授業である。
「基本的には不可侵ですが、稀にその境界にほころびが出てしまいます」
「そのほころびから出てきた妖怪を退治するのが、私たちの役目なんだよね!」
元気よく言うクラスメイトの子。たださっきのを見た感じだと、この子はまだまだ実力不足のようだ。
「ちなみにですけど、退治するのはどんな妖怪でもですか?」
「えぇ。例え害の無い妖怪でも退治する、そういう取り決めです。逆に人間があちらに行ってしまった場合も、似た様なものです」
似た様なもの、ということは裏の世界へ入り込んでしまった人間は、逆に妖怪から退治……というか殺されるのだろう。
「ただ、稀に全くこちらに認知させず、人間として暮らしている者もいるみたいですけどね。そういう場合は大抵かなり上位の妖怪なので、私程度では太刀打ちできないですが」
「そんなのもいるんですね……」
上位の妖怪、というとなんだろう。イメージとしては「ぬらりひょん」みたいのだろうか。
(※ぬらりひょんが「妖怪の総大将」という設定は、某有名妖怪漫画が要因の後代における誤伝・俗説とされている(Wikipedia参照))
「ところで、私みたいな半人半妖はどうすればいいんでしょうか?」
「先ほども言った通り様子見、ですね。妖怪の力が強すぎて害を及ぼすと判断された場合は、人間共々倒さざるを得ません」
「私と同化した覚妖怪はそういうタイプではなさそうなので、ひとまずは安心ですかね?」
「…………」
静まり返る退魔師二人。
「あ、あれ。私なにか変なこと言いました?」
「そうですね、害を及ぼすタイプではないと思います。ただ」
「ただ?」
「覚妖怪は、妖怪の中でも『かなり上位』です。出来れば分離して退治したいですね」
その言葉にショックを受けた。
「そ、そんな……自分だって死にかけのところ、私を助けてくれたのに!」
「上位だから全てが危険というわけではありません。ですが、先ほども言った取り決め、あと逆に体と精神を乗っ取られる可能性が高いので、放置はできないですね」
「う、うぅ……」
彼がそんなだとは思わないが、その道のプロがそう言うのであればそちらが正しいのだろう。
「それに」
と、妹の方が口を開く。
「あなた、友人間で孤立してるでしょ。それ妖怪の力のせいですわよね?」
「違っ……」
「怪しいと思ってから密かに観察していたので、嘘ついても無駄ですわ」
おっちょこちょいだと思っていたが、これでも一応退魔師のようだ。少し侮っていた。
「とりあえず今日はこれくらいにしておきましょう。また後日お話ししましょう」
「……はい」
こうしてようやく解放された。かなり時間を食ってしまったので、今日はあまり彼女と遊べなさそうだ……。
時は戻って事故が起きた頃の時刻、裏の世界。
「ぐっ……がはっ」
「ぐはは、ここまでみたいだな」
鬼に捕まり、今にも殺されそうになっている覚。
「さて、死ねぇ!」
鬼がトドメを刺そうとしたその時、覚の体が溶けるように消えていった。
「んん!? 何が起きたんだ」
驚く鬼。どうやら想定外だったらしい。
「『あいつ』に言われた通りの場所だが……何か仕込んでやがったのか?」
周りを拳で破壊する。しかしなにも仕掛けらしい仕掛けは出てこない。
「ふん、まぁいい。トドメを刺せなかったのは残念だが、残り短い命を自由に過ごせるようになったしな」
それから数日、鬼は好き勝手に暴れまわった。
しかも、暴れても捕まることはない。
「ちゃんと『あいつ』も約束を守ったみたいだな。いやぁ、爽快爽快」
どうやら彼が「あいつ」と呼ぶ人物と取引をし、何か裏で手引きしたのだろう。監獄から脱獄できたのもそれが理由である。
「しかしただ荒らすのも飽きたな。なにかいい場所はないだろうか……」
とその時、彼の目の前、何もない空間に突如切れ目が生まれる。
「……ぐはは、いい場所を誰かが用意してくれたようだな!最期に楽しませてもらおうか!」
所戻って表の世界。
退魔師姉妹と会ってから、私の気持ちは沈んだまま。
「大丈夫?」
心配そうに私の顔を覗き込む彼女。なるべく彼女の前ではそういう顔を見せないようにしているが、気持ちは自然と表に出てしまう。
「大丈夫……って強がってもバレバレだよね」
「何年付き合ってると思ってるの。何か心配事があるなら言ってよ?」
「うん。本当にやばいときは頼りにしてるね」
頼りにしてる、と言っても一般人にどうにかできる問題ではない。
どうしたものだろうか。
翌日の放課後、退魔師姉妹に再び呼び出された。
「結論から言うわ、やはりこちらに来た妖怪は退治しなければならない」
「……っ」
思ったより早く恐れていた事態が起きてしまった。もう少し考える時間が欲しかった。
「ですが、問題があります」
「問題……?」
「半人半妖の分離は、確実に死が伴います」
「ちょ、姉さん!?」
妹の方は、姉から何も聞かされていなかったらしい。私より驚いている。
「元々死にかけの身体同士が補い合って繋がっているものですので、分離したら人も妖怪も死にます。授業を受け持っていないとはいえ、自分の勤める学校の生徒を殺さなければならないのは気が引けますが……これも退魔師の仕事です」
「…………」
何も言えなかった。折角助かったのに、結局死ぬことになるのか。
「1週間待ちます。その間に、心残りのないように過ごしてください。ただし、もしその間に妖怪の力が看過できないほど強まったら、その場で処置します」
そう言って、退魔師姉妹は去っていった。去り際に妹の方が声をかけようとしていたが、結局なにも言わずに去った。
残された1週間、私は学校を休んで彼女のところにずっといた。
学校は教師でもある退魔師の姉の方がなんとかしてくれた。家は……もういいかな。
あの日、左目で母親の深層心理を聞いてしまってから、家族はなにも信じられなくなった。
最初彼女は驚いたようにしていたが、すぐに私を受け入れてくれた。そして、最近あまり会えなかった時間を埋めるように、目いっぱい遊んだ。
そして、最期の日。私はちょっと悪戯心が湧いて、こんなことを聞いてみた。
「……あのさ」
「どうしたの?」
「もしかしたら、もう会えないかもしれない」
「えっ!?」
「って言ったら、どうする?」
「もう、脅かさないでよ……。でもそうだね、もしそういうことになったら」
「なったら?」
「その原因を、全力で止める。私の全身全霊を賭けてでも」
「はは……体弱いのに大きくでたもんだね」
「そういうあなただって、逆の立場だったらそうするでしょ?」
「ん、まぁね」
彼女の言葉に、泣きそうになった。でも現実は、止めるなんて無理だ。
なんとか涙をこらえ、最期の時を楽しむ。そして、残酷にも時間は訪れる。
「それじゃ、そろそろ帰るね」
「うん、またいつでも泊まりに来て」
「またね」
「じゃあねー」
深夜の学校。その屋上で、退魔師の姉妹が待っていた。
「ちゃんと来たか」
学校に入る時とは違う、不思議な格好をした二人。そして姉の手には、怪しげな紋様が浮かんでいる剣が握られていた。
「覚悟は、できたか?」
「……はい」
「そうか」
淡々とした口調で姉の方が答え、準備を進める。その間妹はあわあわした様子で、離れたところから見守っていた。
「それでは、これから人妖分離、および妖怪の討伐を」
「ぐへへ、旨そうな人間がいるじゃねーか」
始めようとしたその時、どこからともなく謎の巨体が現れた。
「お、鬼……!?」
「ふむ、退魔師が二人と……お前はなんだ? なんだか忌々しい匂いが」
言いかけた鬼は、はっとしたような顔をして、直後私に向けてその巨大な腕を振り下ろす。
その様子にいち早く気づいた退魔師の姉になんとか助けられるも、彼女は少しかすってしまったらしく痛そうな顔をする。
「貴様、殺し損ねた覚妖怪が混じってるな? なるほど消えたのはそう言うわけか」
(まずいですね。あの時の鬼がなぜこちらに……)
頭の中で響く覚の声。初めて会った時に言っていた鬼とは、こいつのことらしい。
「この鬼、指名手配中のやつですか」
「ね、姉さんどうするの!?」
「あなたはその子を連れて逃げなさい。応援が来るまで食い止めるわ」
「で、でも……」
「早く!」
妹の方が私の手を引いて屋上から出ようとする。が、鬼はそれを見逃さない。
「そっちの退魔師の方が旨そうだな。覚妖怪もろとも食ってやろう!」
「させるかっ」
私たちの方に向かってくる鬼を食い止めようとする退魔師姉。
「邪魔だ!」
「きゃぁっ」
しかし鬼の力は圧倒的で、壁まで跳ね飛ばされてしまう。
「姉さん!」
「他人の心配をしてる場合かな?」
目の前に巨大な鬼。私はどの道ここで死ぬ予定だったが、彼女まで死ぬ必要はない。
こうなったら私が身代わりに……
「ぐはっぁ!?」
と、突然鬼がうめき声を上げる。そして鬼の背中からは、大量の血が滴る。
「何者だ……!」
退魔師姉がやったのかと思ったが、違う。屋上の真ん中に、黒い影がいた。
その影は小柄ながら、手には身の丈を超える巨大な鎌を持っている。その姿、一言で表すなら「死神」。
「そこまで頼んだつもりはなかったのだけど?」
「ふん、約束は果たしただろう。その先は俺様の勝手だ」
「そう。ならしょうがない」
そう言うと死神は鎌を一振り。直後、鬼の頭が吹き飛んでいた。
その恐ろしさから、私たちは何も考えられなくなっていた。退魔師妹なんかはほぼ気絶状態だ。
だが私には聞こえてしまった。その死神の、表層心理。
(私のせいで、私がこんなことしたから、私がけじめをつけなきゃ……)
その声は、聞き覚えがあった。そう、ついさっき「またね」と言った、あの子の声。
「待って!」
私をちらっと見て去ろうとする死神を、呼び止める。
「私には覚妖怪の力があるわ。だからあなたの正体はわかってる。でもお願い、あなたの口から直接教えて」
死神は少し静止した後、こちらに降りてきた。そして、顔を隠していたフードを取る。
やはり、正体はあの子だった。
「覚の力は想定外だったね。ずっと隠してるつもりだったのに」
「一体、どういうことなの?」
「教えるよ、私の全てを」
彼女は、元々裏の世界に住んでいた。種族はまさに「死神」。
出会った人物を黄泉の国に引きずり込む凶悪な妖怪。と言われているが、本来は死期を予知して、死が近くなった人物の前に現れ、なるべく未練をなくしてもらうだけであるらしい。
ただし、出会った人物の死期を早めてしまう力も持つ。それが凶悪な妖怪と思われてしまう所以だろう。
数年前、ひずみから表の世界に迷い込んでしまった彼女は、退魔師に追われていたところを幼い私に助けられたらしい。力の強い妖怪である彼女は私と同じくらいの歳の子供に化けて、誰かに聞かれても嘘を言うよう私に言ったのだとか。
以来、彼女は私から離れないように、かつなるべく他の人とは会わないよう過ごしていた。理由は簡単、「出会った人物の死期を早めてしまう」から。
彼女と出会ったことで私の死期が早まってしまった。そのことを気にした彼女は、死期を予知できる力を使って、密かに私の死をひたすら回避し続けていた。
しかし、どうしても回避できない死を予知してしまった。それがあの時の事故だ。
そこで彼女は、鬼と取引した。脱獄と自由を引き換えに、死期を早めるのと、特定の時間に特定の場所でなんらかの妖怪を死に至らしめる。それによって、私が見たあの夢のような不思議な世界で、私とその妖怪を同化させて生きながらえさせようとしたという。
正直何のことかよくわからない。ただ、彼女のせいで覚が怪我を負い、彼女のおかげで私は助かっている。
「覚には、本当に申し訳ないことをしたと思う……。でも、あなたを助けるためにはこれしかなかったの……。覚が許さないならそれでいい。煮るなり焼くなり、そこの退魔師に差し出すなりしてもらって構わないわ……」
泣きながら言う彼女。死神は他者との関わりを極力しないため、基本ひとりぼっち。
だから私という友人に、自分の力とは言えいなくなって欲しくなかったのだろう。
(……彼女のせい、という言い方を君にしていいか迷うが、確かに彼女のせいで僕がこんな目にあったのは確かだろう。だが、僕も基本一人で過ごしていたから、唯一無二の友人を全力で助ける気持ちはよくわかる。僕は、彼女を許すよ)
一人の妖怪を、いやもしかしたら鬼が暴れたせいで他にも怪我した妖怪がいるかもしれない。彼女のしたことは決して許されることではないだろう。
でも、それを処罰する手段はどこにもないし、私は彼女の気持ちを無下にはしたくない。なにより、覚が許すなら、私が許さない道理はない。
手を差し出し、私は言う。
「一緒に生きよう? 私たち三人で」
その後、私たちは伸びてる退魔師姉と気絶してる退魔師妹を置いて、学校から、いや街から出た。
退魔師姉が「応援が来るまで」と言っていたから、多分他の退魔師たちがやってくるのだろう。そのままあの場にいたら、私はもちろん、そもそも人間ではない彼女まで討伐されてしまう。
私たちは当てもなく、遠くへ遠くへ向かった。この先どうなるかわからない。どうしたらいいのかもわからない。
でも、私たちならなんとかなる気がした。ただの直感だけど。
そんなことを思っていたら、私たちの目の前に、空間の裂け目が現れた。そう、表と裏を繋ぐひずみ。
私たちはお互いの顔を見て、うなずく。そして、ひずみが閉じる前に、その中へと足を踏み入れた。