コスプレ
★お題小説です。お題は『コスプレ』。
★この拙作は、以前登録していたブログにアップした作品を、加筆修正したモノです。
今日も一日の仕事がやっと終わる。業務日誌を打ち込み、PCをシャットダウンする。
液晶が暗くなると同時に溜め息が漏れた。もうすぐ仕事の俺とは、おさらば。この仕事の顔はここに置いていく。
「西条」
誰か呼んでるぞ。
「おい、西条譲」
西条譲……
あ、俺の事か。取りかけていた仕事の顔を取りあえず被り直し、声の主を確認した。俺より確か十歳は上の、生え際が少し危なげな男が笑い掛けている。
「この後、ちょっと付き合わないか?」
「江成課長……」
江成課長はクイッと盃を空ける仕草をする。
「たまにはさ、どうよ?」
俺が答えようとしたその時、同僚の木梨が俺の肩に腕を回してきた。
「課長、いいですねぇ。俺も行きますよ! 課長、例のトコ、行きましょうよ!」
江成課長は木梨に苦笑いを浮かべた。
「ああ。木梨は何度か連れて行った事があったけ」
「はい! もう、あそこのサクラちゃん、超可愛いじゃないですか。ちょいエロで萌えって感じで、キターーーーーーっ! って感じすよ」
俺は思わず木梨の顔を見つめてしまった。
ちょいエロ?
萌え?
キター?
こいつはいつから電車男になったんだ?
第一、電車男はもう古いだろ。
俺は木梨に呆れていると、江成課長が返答の催促をしてきた。
「どう? 西条」
今回は断る理由がない。ノミケーションでの円滑な立ち回りからいけば、今回は付き合った方がいい。前回も前々回も断っている。
「――はあ。分かりました。お供します」
しかし。
例のトコって、どんな処なのか…… 一抹の不安がある。それに仕事の顔を被り直さなきゃいけない。
「西条、行くぞ」
江成課長が振り返り気味に俺を見た。木梨はすでに準備万端らしい。
「あ、はい」
俺は江成課長に愛想笑いを返し、ビジネスバッグを手に取った。
木梨は既に心ここにあらずだ。足がアスファルトに付いていないんじゃないかと思うほど、フワフワしている。よほど、そのサクラとか言うキャバ嬢がお気に入りのようだ。
「木梨、そんなにその子、いいのか?」
「いいんだよぉ」
木梨の顔がさらに破顔した。溶けてなくなるんじゃないかと思うくらい、デレデレした表情だ。
「今時の安いキャバクラのチャラチャラしたキャバ嬢じゃないんだよ。可愛い系美人。スタイルはもちろんグーだし。この前のセーラー服も萌えだったなぁ」
俺は一瞬、耳を疑った。
セーラー服?
「課長、今日はどんな服ですかねぇ」
「そうだなぁ、セーラー服の前はナースだったけど…… 今日はミニスカポリスだと面白いけどな」
ナース……
ミニスカポリス……
俺は思わず立ち止まった。
「課長、まさかと思いますが」
「何、想像してんだよ。イメクラじゃねえよ。コスキャバ、コスプレキャバクラだよ」
俺は首を振った。
「阿呆。そんな事、分かってら。第一、イメクラで酒が呑めるか。課長、その店高級キャバクラ『パラダイス』じゃないですか?」
江成課長は笑顔で頷いた。
「なんだ、西条も隅に置けないなぁ。行った事あるのか?」
俺は内心、顔から血の気が引く思いだった。
「いや…… 名前だけは……」
江成課長は嬉しそうに口を開く。
「あそこは女の子の質もマナーもいいからね。店ごとコスプレするなんて、なかなかないから。さすがあの界隈でNo.1だけあるよ」
俺は内ポケットの携帯電話を思わず押さえた。
ヤバい。とにかく、ここでバレるのはヤバい。順調だった俺の人生、ここで狂わせたくない。
江成課長は不思議そうに俺を見つめてきた。
「大丈夫か? どうした、胸なんか押さえて」
「あっ、ちょっと、電話が…… 後から追いかけますので」
俺は江成課長と木梨を先に促し、携帯電話を取り出した。
江成課長と木梨が遠のいたのを確認し、慌てて電話を掛ける。
「あっ、俺だけど。お疲れ。今から会社の人間三人と行く。頼んだ」
俺は口早にそう言って、電話を切り、江成課長達を追いかけた。
俺は江成課長と木梨の後ろから階段を降りて行く。
パラダイスは半地下にある。
階段を降りる度に心拍数が上がっていくのが分かる。
上手くやってくれよ……
俺はそう願うしかなかった。
江成課長が扉を開けると、ボーイの声がした。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「おっ! 今日はメイドなりきりデーだっ!」
木梨が嬉しそうに、ボーイに微笑んだ。
ボーイは木梨に微笑み返し、席に案内をする。
店はほぼ満席状態で、ミニスカメイド服やロングスカートのメイド服を来たキャバ嬢達が、さり気なく俺達をチェックする。
木梨も江成課長も気付いてはないようだが、明らかに席を空けて待っていた感がある。しっかり壁際のボックス席が用意されている。
「すげぇ、ラッキー」
木梨は既に上機嫌だった。
俺が口を滑らせたんだな。
「あっ、やっぱりNo.1だなぁ…… サクラちゃーん」
木梨が小さく手を振る先を見て、俺は顔が引きつった。
席に座っているキャバ嬢が俺達を見て一瞬だけ微笑み、再び、隣りの男に美笑を浮かべる。
失念していた。パラダイスのサクラといえば、一人しかいない。よりに選ってこいつは……
俺は木梨の背中を見て、肩を竦ませた。
俺達はそのボックス席に座る。俺はコの字の席の店内に背を向ける席を確保した。
「お気に入りのメイドはいらっしゃいますか?」
ボーイがお絞りを手渡しながら、江成課長に聞いている。
「えーっと、ノリカちゃんと…… 木梨はサクラちゃんでいいんだよな」
木梨はニコニコと江成課長の言葉に頷いていた。
ボーイの視線を感じるが、俺は俯いたまま、お絞りで手を拭いた。
「――畏まりました。サクラとノリカですね」
いきなり、木梨が俺の背中を叩いた。
「で、こいつさ、ここ来るの初めてだから、いい子頼むよっ!」
ボーイは俺の顔を見て、苦笑いを浮かべる。俺はボーイを一瞥して、肩を竦ませた。
「そうですか、初めてでいらっしゃいましたか。畏まりました。お飲み物はいかが致しますか?」
ボーイは江成課長に愛想笑いを見せる。
パラダイスはボトル制だ。他の時間制のキャバクラと一線を画する為にそういう料金体制になっている。
「上岡の江成でXOのボトルが入っているはずだから」
江成課長はボーイに笑い返した。噂通り、江成課長は遊び慣れている。これで愛妻家だから、頭が下がる思いだ。
ボーイがセッティングをし下がると、三人のキャバ嬢が静々と席にやってきた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ただいまぁ。サクラに会いたかったよぉ」
「嬉しいお言葉です」
ロングスカートのメイド服を着たこの店No.1のサクラが木梨の隣りに座り微笑んだ。
江成課長の隣りにはミニスカメイド服のノリカが座る。
「初めまして、旦那様。アキナです」
俺の隣りには、ロングスカートのメイド服を着た臨機応変型のベテランキャバ嬢、アキナが座った。
「はじめまして」
アキナはゆっくりと口の端を上げた。その笑みは一見愛想笑いに見えるが、俺を見つめる瞳は、苦笑いの色が見える。
俺は店のみんなに謝りたかった。
さぞかし、やり辛いだろう。
マネージャーの采配に頭が下がる思いだ。アキナだったら、確かにヘマはないだろう。
取りあえず、乾杯をし、キャバ嬢トークが始まる。
まあ、コスプレしようが中身はキャバ嬢。それにメイドはキャバ嬢に通づるモノがある。
「サクラって本当に可愛いよなぁ…… 今度、店抜きで遊びに行こうよ」
木梨はサクラに笑い掛ける。
「そうですねぇ。来週あたり天気もいいですし、他の旦那様達を誘ってバーベキューなんて、楽しそうですよね」
「いいですね。江成さんが参加するなら、ノリカも行きたいなぁ」
ノリカが江成課長に上目遣いのおねだりトークをする。
江成課長は既にその表情に破顔している。
「よしよし、じゃあ、今度の土曜でどうだ。西条くんも大丈夫だよな」
「課長、申し訳ないのですが、土日は所用がありまして…」
木梨はハッと気がついたように、頭を掻いた。
「やべ。俺も打ち合わせだ」
サクラは木梨に寂しげに微笑んだ。
「あら、残念。また、誘って下さいね」
「もちろんだよ。じゃあ、今度、出勤前に飯喰いに行こうよ。美味いイタ飯屋、知ってるんだ」
サクラはニッコリ微笑んだ。
「わあ、嬉しいっ! いつにします?」
無論、江成課長とノリカも出勤前デートの話をしている。
出勤前に客とデートをし、そのままキャバ嬢は客と店に出勤。俗にいう同伴というヤツだ。
「――ごめんね、アキナさん…」
俺は隣りのアキナに聞こえる程度に小声で謝った。
「気にしないで下さい。こういう事もありますよ」
アキナは余裕の笑顔で笑い返してきた。
江成課長と木梨は大満足の二時間半を過ごした。
「行ってらっしゃいませ、旦那様。お帰りお待ちしています」
サクラ、ノリカ、そして、アキナのお辞儀に送られ、俺達は店を後にした。
俺は同じ方向の木梨とタクシーを共にする。
木梨は早速、携帯電話を取り出し、メールを打ち出した。
マメな事だ。
「誰にメールしてんだ?」
「もち、サクラちゃんにだよ。明後日、イタ飯屋に行くんだ」
木梨は嬉しそうだった。
「ホドホドにしとけよ。パラダイスは高いから」
「分かってる」
木梨の短い言葉に肩を竦ませた。
ダメだ。こいつ、嵌まってる…… 全く分かっていない。
まあ、キャバ嬢は惚れさせてナンボだ。
木梨は惚れやすいのだろう。まして、相手はNo.1のサクラ……
内ポケットの携帯電話が震えた。
携帯電話を取り出し、画面を見る。恋人の明日香からのメールだ。
メールの内容を見て、思わず、口の端を上げてしまう。
「誰から?」
「えっ、彼女」
「なんだよ、お前。つれないと思ったら彼女いンの?」
木梨は少し口を尖らせた。
「まあね」
「なんだって?」
「土日の事。彼女の家に挨拶に行くんだ」
木梨は驚いた表情をした。
「なに、そんな話が進んでる彼女なの?」
「まあね。彼女と婚約したら、会社、辞めるつもりだし」
「はあ? いきなりなんだよ」
「いきなりって訳じゃないけど、いろいろあるんだよ……」
俺は木梨に苦笑いを浮かべた。
木梨は不思議そうに俺を見つめている。
「勿体ねえなあ…… お前みたいに出来る奴が辞めちゃうなんてよ」
「俺なんてまだまださ」
俺はタクシーを停め、木梨に万札を渡した。
「明日、釣り返してくれよ。じゃあな」
「おっ、おう」
俺はタクシーを見送り、携帯電話を再び開いた。
『愛しの若旦那様へ
もう、びっくりだよっ!
ホント、マネージャーから聞いた時には目が飛び出ちゃったじゃない!
随分とへましちゃったね。まさか、譲が来ると思わなかったよ。
でも、大丈夫? バレてない?
そうそう。木梨さんと明後日同伴するけど、怒んないでね。
でも、どうすんの? まさか、木梨さんと仲がいいなんて知らなかったよ。
まあ、いいや。私がキャバ嬢やってるのも後少しだし。
それより、あたしのメイド姿どうだった?
帰りはいつも通り、25時過ぎです。
ねえ。
もうそろそろ、サラリーマンのコスプレやめたら?
若旦那様だけのメイド、サクラより』
了