其ノ7 万事屋『猫の手』(★)
ドアを開けて進んだ先には奥が見えないように仕切りが立ててあり、ホワイトボードにマグネット式のネームプレートが張ってあってそれが出勤表の代わりになっている。と言っても、全職員合わせて"三人"しかいないので、わざわざ用意するほどのものでもないのだが。
出勤表に自分のネームプレートを貼り付けてから、奥のオフィススペースに向かう。見た目のイメージとしては、不動産屋や小さな建設会社のような云わば簡易的な事務所のような雰囲気で、ここを作る際に二部屋まるまるリフォームしたらしい。仕事場とはいいつつもここで行っているのは依頼の受付、相談、報告書作成等で、実際の仕事はその依頼された場所に派遣されていくといった仕組みになっている。
しかし、元々大きくないスペースに三人分の作業机と機器類やら書類やらが所狭しと詰め込まれていて、他に空いているスペースがほとんど見当たらない。いい加減仕事よりも掃除しろよとブツブツ文句を口にしながら、足元に散らばる書類を踏みつけ奥にある自分の机に向かう。
俺の机には古い型のデスクトップ型パソコンが一台置いてあり、その横ではデジタル時計が忙しなく時刻を刻んでいる。足元や机の左右には山積みにされた色とりどりのファイルと、まだ纏めきれていない書類の束が堂々と鎮座している。
他の机に荷物はなく出勤表も張られてなく、他のメンバーはまだ来ていないようで、辺りには時計の秒針の音とエアコンの駆動音が静かに聞こえているだけだ。誰もいないのに『営業中』の札を出している辺りは、店長の仕業だと思うのが妥当だろう。恐らく先に来て部屋を開けてから、下のコンビニに買い物にでも行ったのだと思う。
「ふぃ~っ」
「す、すごい紙の量ですね…」
ドカッと自分の椅子に腰を下ろして休んでいる間に、琳はあちこち見回しながらその迫力に圧倒されていた。
「こんなにたくさん……とても貴重な書物たちなのでしょうにこんな扱いを……」
何かとても高価なものを見ているかのような口ぶりで、落ちている書類を拾い集めている。
「いや、そんな大層なものじゃないぞ。大体はゴミ同然のものだったりもう要らない資料だったりだし」
「そんなっ! こんなにも綺麗で色鮮やかなのに……」
琳は潤んだ目でカラー印刷された冊子を手に取っては、これも、それもと言いながらせっせと集めている。
そりゃ印刷技術なんて当時にはなかっただろうし、今の機械ならデータで作った設計図から立体的に造形することだってできてしまう。もちろんそこまで大掛かりな機械はうちに置いてないが、一応業務用の大きな印刷機があるからそこそこクオリティの高いものは作れる。お祭りのポスターなんかは、印刷会社に頼むと高くつくからってうちが受け持つことだってよくある話だ。
「この風景だって、なんて美しいのでしょう……まるで本当の景色を切り取ったかのようで……」
カラー印刷された田舎の山の景色をガラス窓に当てて、日の光に透かしウットリとした目で眺める。他にもいくつか拾ってきた資料を代わる代わる日に透かしては、いちいち感動して心の声が漏れ出てしまっている。
「殿っ! 私、この書物たちが欲しいです!」
急に透かすことをやめたかと思えばこちらを向いて、色とりどりな資料やゴミ箱に突っ込んであった書類たちを両手に溢れんばかりに抱え込んで訴えかけてきた。
「は? そんなゴミをどうするんだ?」
「ゴミじゃありませんっ! こんなに綺麗なものを捨ててしまうなんて、この書物たちがかわいそうですっ! 殿が要らないと言うなら、私が全部引き取りますっ!」
「ぜ、全部ぅ!?」
琳の紅くなった瞳が真っすぐに俺を見ていて、どれほど真剣に考えているかがよくわかる。それ故に、今までこの眼をされた時はなんだかんだ許してしまうことが多かったが、今は以前までとは違って俺がすぐに許可を下ろせる立場じゃない。
「……あのなぁ、これは全部俺のものじゃないから。この事務所のものだし俺が作ったわけでもないから、ハイどうぞって渡せないんだよ」
「そっ、そんなぁ~……あ、それなら、殿の持っているものの中からならいいのですか!?」
「俺が作ったものでもダメ。というか俺が今持ってる時点で要らないものじゃないだろ」
「そ、それはたしかに……」
出会ってから一度も正論で負かしたことのなかった俺が、珍しく口論で琳に勝った。なんかよくわからないけど心地よい達成感が湧いてくる。
「とにかく、持ち帰るのは禁止。元あったとこに戻して来い」
俺の言い分に渋々納得し、「はぁ~い」と力なく肩を落として返事をしてから書類の束をもとの場所に戻し始めた。余程カラー印刷されたものが気に入ったのだろう、綺麗な景色の物は最後の最後まで手放すのを惜しんでいたが、何かブツブツ言ってから机の上にそっと置き、
「貴方たちのことは決して忘れませんっ! またいつか、来世でお会いしましょう……!」
と、泣きそうになりつつドラマの最終回に出てきそうなセリフを言ってから、置いた書類には一切振り向かずに俺のもとへ帰ってきた。
「……今生の別れは済んだか?」
「……ッ! とっ、殿のバカーーーっっ!!!」
机に肘をつき手のひらに顔を乗せて眺めていた俺に、顔まで真っ赤にした琳が精いっぱいの力を込めて我慢していた感情をぶつけた。
かなり顔が近かったためダイレクトに声が飛んできて鼓膜が破れそうなくらいに振動している。
「お……おうぅ……」
すぐさま耳を両手でふさいだが、時すでに遅し。琳の声は脳天まで響き渡ってしまい、言い終えた後も暫く頭の中をぐるぐるとめぐりまわっていて目が回る。頭と耳がキーンとしていて突き刺さるような痛みも伴っていた。
琳は大きく言い放った後部屋の隅に飛んで行って、膝を抱えていじけてしまった。
(まったく、なんなんだよ。ゴミごときでそんな風にいじけるなよな……)
少し経ってから、まだ痛みと声の余韻が引かない頭に手を当てながら今日の作業の確認のために立ち上がろうとしたその時、目の前に大きな壁が立っていて危うく額をぶつけそうになった。
「おっ、と」
よく注目して見るとその壁は黄土色のズボンを履き、灰色のストライプ柄のワイシャツをだらしなく着ていて、色あせた赤いネクタイを雑に結んで首元にぶら下げていた。この全体的に薄汚れたような色合いで清潔感の感じられない服装をする人なんて、知り合いにいただろうか。
俺は恐る恐る、正面を見ていた目線を上げていく。
「……えーと」
「よう、おはようさん。寝不足かぁ?」
そこには俺よりも背の高い中年の男性が上から見下ろしていて、何か面白いものでも見ているような含みを持ったような笑みをしてこちらの顔を伺っていた。
「……て、店長!? どっから湧いた?」
「人を虫みたいに言うなよぉ。朝ここに来たら急にお腹痛くなっちゃってねぇ、暫くトイレに籠ってたんだよね~。昨日、冷たい物ばっかり食べてたからかな~ぁ」
店長、と呼ばれた人物はお恥ずかしいと頭を掻きながら笑って答える。
この男性、本名を工藤希介と言う。万事屋『猫の手』を始めた人であり、俺の雇い主。見た目はズボンからワイシャツの裾がはみ出ただらしない服の着こなしに、茶色の髪をテキトーにオールバックにし前髪を右に流したチャラい見た目で中年の酒好きなおっさん風だが、俺が来るまではこの仕事を一人でやりくりしていたらしく人柄の評判もそれなりに高い。
一応ここは会社ではないらしく自分で"店"だと名乗っているので、ここは万事屋という店なのだそうだ。店名の由来は、「猫の手も借りたいときに、猫の代わりに手を貸します」という意味があり、万事屋という仕事をする店名にうってつけだったと面接のときに言っていた。
その、猫の手も借りたい人のために仕事をする店が猫の手でも採用したいってバイト募集をしていた時に、たまたまそのチラシを見て来たのが俺という訳だ。
「い、いつからここに……?」
もしかしたら琳との会話を聞かれていたかもしれないと、急に背筋に寒気が走る。
「いんやぁ、ちょっと前くらいかなぁ~?」
しかし、そんな心配をよそに店長は天井を見上げながら、のっぺりとした口調で答えた。
「そ、そうか……」
(良かった、とりあえず何も聴かれてないっぽいな)
「ん~? 何か良くないものでも見てたのかなぁ~?」
店長は急にニヤニヤしながら机の上や後ろの方をしきりに覗こうと首を動かす。
「なっ、なんでもないっ! 気にしないっ!」
店長の目線の動く先を予測して自身の体で壁を作り目線を遮る。一瞬、琳の居る方を見て動きが止まったように見えたが気のせいだろう。
「イケナイなぁ~、職場にそういうもの持ち込んじゃあ。見たい年頃なのは大いに分かるけど、見るなら仕事終わってから家でじっくり見ましょうね~?」
一通り探し終えて目的の物が見当たらなかったので、今度は俺の顔をのぞき込んでニヤニヤしながら、俺はわかってるからと言わんばかりに意地悪く言う。
「そういうものとかないからっ!」
店長は暢気な笑いを上げ、「頑張れよ少年~」と言い残し自分の机の方に去って行ってしまった。以前からこの人にはいいように遊ばれ続けていて、事あるごとにからかわれているため最初はかまってくれているだけだと思っていたが、ここ最近は隙さえあれば絡んでくるダルがらみのおっさんとしか見えなくなっていた。
年上だし雇い主でもあるから本来なら敬わなければいけない立場なのだが、どうしてもそういう気持ちになれないのでこうして友達のように接してしまう。しかし実は店長もその方が気楽でいいらしく、お互い公認で敬語を無くしているのだ。
「あ、朝から疲れた……」
一気に生気を吸われてしまったかのような脱力感が全身を埋め、自分の机に伏してしまう。この人とマジにやりあうのは労力の無駄であり究極に面倒くさいことなのだ。
「殿、大丈夫ですか?」
後ろでこっそりとやり取りを覗いて聞いていた琳が、店長の去った後にひっそり近づいてきて小声で尋ねる。先ほどまでいじけていたのが、大分気持ちの整理がついて収まったようだ。
「あ、あぁ。いつものことだからな」
「殿をここまで疲弊させるなんて……相当腕の立つ人物ですね」
「腕の立つって、まあ、確かにここを一人でやってた頃はそうだったんだろうけど」
そういってチラッと店長の方を見る。大きなあくびをして眠そうに、自身の机の上に散らばっている書類に目を通していた。あの辺はさっき琳が書類をいじっていた場所なので、見慣れない、或いは捨てたはずの書類が机に空いてあることを不思議そうに眺めている。
琳は暫くの間、店長の一挙一動を注意深くじっと見つめていた。
「俺ともう一人が入ってからは店長自身が外に出ることはほとんどなくて、もっぱら受付と事務作業ばっかりやってる。だから代わりに俺らが外に出て依頼された仕事を行う。それがここでのやり方だ」
「そうなのですかぁ……」
「店長が気になるのか?」
「……はい。あの男性、殿の上に立つお方なのですよね? いったいどれだけの権力を持っているのかと。はっ! もしや、帝様の家系とか!?」
「アホかっ」
変な誤解をし始めている琳の横腹に水平チョップをかます。いつもなら脳天に一発くれてやるところだが机に伏している体勢的に無理があるので水平で、かつ丁度いい高さに脇腹があったのでそこを狙う。脳天より柔らかいので深く刺さり、「おぶッ」と声が漏れ脇腹を抑えてその場に縮こまってしまった。
「あの人はただの上司。それ以外のなんでもないだろ」
と、そんなことをしていると「おーい」と俺を呼ぶ声が飛んできた。店長に呼ばれているみたいだ。
「ちょっと待ってろよ」
伏していた体をゆっくり起こし、小さくなっている琳をその場において店長の方に向かう。
「ほい、これが今日の仕事分ね。主に配達系だけど、暑いからって追加報酬は期待しないようにね~」
くっ、この野郎。一昨日仕事終わりに追加料金をせびった事を蒸し返してきて、最初に釘を刺してきやがった。こういうのだけは恐ろしく気が回るんだよな。
「はいはい分かりましたよ、減給されたくないからねっ!」
手に持っていたファイルをふんだくり、かっこのつかない捨て台詞を吐いて自分の机に戻る。後ろから、「そんじゃよろしく~」と他人事のようにひらひら手を振っているのが容易に想像できた。
「さて、と……」
渡されたファイルを開き、今日の分の仕事を確認する。ファイルには仕事の案件と依頼主、その住所と連絡先などの個人情報がたくさん掲載されている書類がはさんであり、これがあることで仕事の進め方や問題の解決がスムーズになるという店長こだわりのやり方だ。
「今日は――三件か」
大方の内容を把握してからバッグにファイルを突っ込み、小声で「行くぞ」と琳に伝え出入り口に向かう。出勤表のネームプレートの横に、赤いマグネットを張り付けて事務所を出る。
ドアを開けた途端に襲い掛かる熱風に目を細めつつ、俺は最初の目的地へと足を運ぶ。
雅稀メモ:幽霊はカラー印刷が好き
琳メモ:殿より偉い人がいる