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其ノ55 陰陽師になれなかった者

 おばあちゃんに付いていくこと数分、俺達は神社の奥に案内され茶の間のような部屋に通された。八畳ほどの広さの部屋には綺麗な若草色をした畳が敷かれていて、中央には木製の高級そうな低いテーブルが置いてあった。部屋の奥には小さな床の間があり、細い壺には花が活けてある。さらに廊下と反対側には障子窓が付いていて、障子の和紙から外の光が明るく差していた。おまけに冷房までバッチリ完備されていて、部屋に入った途端気持ちの良い冷気が俺の体を包み込んでくれる。

 部屋に通されると、「今、お茶を持ってくるわね」と言い残しておばあちゃんは他の部屋に行ってしまった。


 部屋に取り残された俺達は、周囲をぐるりと見回して怪しいものが無いか確認してから三人で顔を見合わせた。


「なぁ、どう思う?」


 俺は外に聞こえないように小さな声で、琳と沙夜姉に尋ねた。


「どうとは?」


 俺の問いかけに対し、琳が先に反応して問い返す。


「怪しい人じゃないってことは琳が証明してくれたが、これから何されると思う?」


「そうですねぇ……確かに、あの方が言うことは間違っていません。叶実さんのおばあさんと似た気は感じましたが、同じものではありませんでした。悪霊や悪い気も感じられなかったので、ひとまずは安全だと思います」


 琳は顎に拳を付けて、考え込みながらも心配ないと答えてくれた。


「そう、か。んじゃ沙夜姉は?」


 琳の考えを聞いた後、今までずっと黙っていた沙夜姉に尋ねてみる。


「う~ん、現れた時はわたしもビックリしたけど、そんなに怪しまなくてもいいんじゃない? もし何かする気ならもうとっくに()られているはずだし、ここまで良くしてくれているのだから疑うだけ失礼なんじゃないかしら?」


 沙夜姉はそう話しながら自分の喉元を指で横になぞり、言葉の真意を具体化させる。


「お、おう……怖いこと言うなよな……」


 沙夜姉の大真面目な見解に、その惨事を想像してしまったせいで思わずゾッとする。


「でも、何か気になることは言っていたわよね」


 今度は、沙夜姉が琳に顔を向けて尋ねた。


「そうですね。『話には聞いていた』とは、いったいどういうことなのでしょう」


 琳も沙夜姉の問に応じるように顔を合わせ、自分も気になっていたと話し始める。


「あの人には、わたし達が見えているようには思えなかったわね。でもあの言い方、まるで誰かから聞いていたかのようだったわ」


「叶実さんのおばあさんの姉妹というのであれば、どこかの拍子に聞いたのかもしれませんね。しかし、叶実さんの家とこの神社、そしておばあさんたちの関係とは一体……」


 三人で頭を付け合わせうんぬんかんぬんと言い合っていると、廊下側の(ふすま)を叩く音が聞こえた。俺達はぎょっとして顔を襖に向け、琳と沙夜姉は咄嗟に口に手を当て声を出さないように静かに俺の後ろに隠れた。


「失礼しますよ」


 声を掛けてから襖をゆっくり開けたのは先ほどのおばあちゃんで、床には湯呑(ゆのみ)急須(きゅうす)、簡単なお茶請けが乗ったお盆があった。

 おばあちゃんはゆっくりと室内に足を入れ、お茶のセットをテーブルに乗せてから静かに襖を閉めた。


「こんなものしか出せないけど許してね」


 そう言いながら、おばあちゃんは急須の中に入っている熱々のお茶を二つの湯呑に注ぎ分けていった。


「い、いえ、お構いなく……」


 俺は思わず正座で座ってしまっていて、おばあちゃんの正面で肘肩張りながら恐る恐る答えた。

 お茶が淹れ終わると俺の目の前に湯呑が差し出され、おばあちゃんは急須をお盆の上に置いて自分の湯呑をすすった。俺も誘われるように目の前の湯呑を手に持ち、恐る恐る香りを嗅いでみる。


(変な匂いは……ないな。いつもの香りだ)


 おばあちゃんが飲んでから、俺は意を決して湯呑をすする。口に広がる熱々としたお茶の風味と、ほんのり香ばしい香りが口の中に広がってゆく。ここ一か月ほど琳の手ほどきを受けてお茶の勉強をした今の俺だからわかってしまうこのお茶のおいしさに、それまでモヤモヤしていた心がスッと晴れていくようだった。


「……ふぅ」


 思わず顔がフワッとほころび、温かなため息が口から出てしまった。


「お気に召したようでなによりね」


 おばあちゃんはそんな俺の顔を見て、上品に微笑みながら湯呑をテーブルに置いた。


「あっ、えっと……はい、美味しい、です」


 ふやけた顔を見られてしまった恥ずかしさと完全に気が緩んでいた自分が情けなくて、俺は急に体の芯が熱くなってくるのを感じ赤面しながらおずおずと湯呑をテーブルに置いた。


「このお茶ね、姉の所から毎週送られてくるの。お客さんに出しても評判でねぇ」


「そ、そうなんですか……」


 おばあちゃんの話す言葉一つ一つになんだか気が張ってしまい、受け答えも自然と雑な感じになってしまう。


「……そんなに気を張らなくてもいいですよ。取って食ったりはしないから」


 ふいにおばあちゃんが、俺の気の内を見抜いたように笑顔で声を掛けてきた。一瞬ビックリして、身体が更に硬直してしまう。


「ワタシね、相手の考えていることがなんとなく解るの。心配しなくていいのよ、ワタシはあなたの敵じゃないわ」


 おばあちゃんはお盆の上に乗っているお茶請けの中から、市販の小さなチョコレートを手に取って俺の前に差し出してきた。


「は、はぁ……」


 いきなりそんなことを言われても信用できるわけがないとは思ったが、一連の流れや叶実の家系のことを考えると特段ありえない事でもないだろうと思い、差し出されたチョコレートを素直に受け取る。


「あなたは万事屋の人で、今日は様子見がてらここへ来た。憑いている幽霊は二人いて、どちらも女性。今もそこにいるのでしょうね」


 おばあちゃんは眼を閉じてそう言いながら、腕を上げて俺の後方を指さす。その先には、紛れもなく琳と沙夜姉がいるのだ。後ろにいるため顔は見えないが、恐らくさっきの俺と同様にぎょっとした顔をしているのだろう。


「そ、そこまで見抜けるんですか?」


 俺は、身の回りのことをズバズバ当ててくるおばあちゃんに恐る恐る尋ねてみた。


「見抜いてるって訳じゃないの。ただ、なんとなくそう感じるだけよ」


 おばあちゃんは冷や汗だらだらの俺に対し、「ほほほ」と軽く笑いながら答える。


「でも、幽霊が見える訳じゃないの」


「えっ?」


 思いがけない言葉に、俺は一瞬耳を疑った。


「ワタシは姉と違って、幽霊も式神も見えないの。だから陰陽師にはなれなかった」


 おばあちゃんはまた湯呑を持って一口すすった後、ゆっくり元の場所に戻してから細い眼を閉じた。


「少しの間、おいぼれの昔話に付き合って頂戴ね」


 そう言ってから、おばあちゃんは一息ついて呼吸を整えた。


「ワタシ達双子はどこに行くにも一緒で、何をするのにも一緒、食べるものも着るものも一緒、見た目もすることも全部が同じだった。町でも有名な双子だったのよ。一方その裏では、日々陰陽師の家を受け継ぐため所業を重ねていた。すべてが同じ双子の唯一の違いは、陰陽師の素質の違いだった。姉は才に恵まれめきめきと上達していくのに対し、ワタシは全くと言っていいほど才に恵まれなかった。上達していく姉に対し出来損ないのワタシに対する家の風当たりは、それは酷いものだったわ」


 俺は黙って、ただひたすらおばあちゃんの話す昔話に耳を傾けていた。年寄りの話を聞くのは、仕事柄しょっちゅうなので慣れている。それより、ここで何か琳のことで有益な情報が聞き出せるのではないかという淡い期待があったのだ。


「姉に負けないようにと、寝る間も惜しんでワタシは修行をした。来る日も来る日も修行に明け暮れて、ようやく気配を察知したり相手の気を読んだりすることはできるようになったけど、結局陰陽師としては受け入れてもらえず、ワタシは家を追い出される形でこの神社の神主になったのよ。丁度前の神主が死んで後継ぎがいなかったのと、この場所が秘密を知る者を隠す為の山奥で都合が良かったのね。それからは姉は陰陽師として、ワタシはここの神主としてそれぞれ暮らしているの。でも家を離れても姉との関係は良好で、こうやってお茶を貰ったり時々遊びに来たりするのよ」


 そこまで話し終えて、おばあちゃんはまた湯呑に手を伸ばした。


「こんなところかしらね。大雑把だけど、これがワタシの正体よ」


「そ、そうなんですか……」


 俺もすっかり枯れてしまった口の中を潤したく、おずおずと湯呑に手を伸ばした。


「貴方達のことは、このお茶が入っている袋から読み取って知ったの。それで、万事屋さんを探して依頼したという訳」


 おばあちゃんは腕を上げ、急須を指さして説明する。つまり、このおばあちゃんは陰陽師の家系として生まれてきたものの才能に恵まれず、頑張って修業したのになれなくて家を追い出され、ここの神主として長いこと暮らしているってわけだ。修行中に身につけたのは相手の気を読む技で、それは人、モノ問わずそこに込められた気を読み取れるらしい。原理と条件はわからないが、その技を使って俺の考えや琳たちのことを見抜いたというならば無理やりだが筋は通る。


「なるほど……事情は分かりました。今、この部屋にいる幽霊のことはわかるんですか?」


 俺は試しに、琳や沙夜姉のことが分かるのだろうかと尋ねてみた。


「えぇ、気配は感じるわ。小さい人と、大きな人。小さい人の方は、もう随分と長い間貴方と一緒にいるわね。大きい人は……ふふっ、羊羹が好きなのね」


 おばあちゃんは少し眼を閉じて黙った後、にっこりと笑顔になって答えた。


「す、すげぇ……沙夜姉の好物まで当てるなんて……」


 思わず感嘆の声が漏れてしまう。叶実のおばあちゃんは姿こそ見えるものの、好物までは当てることが出来なかった。それなのにこのおばあちゃんは姿は見えずとも、その相手が考えていることを当てられる技を持っている。陰陽師の素質が無かったとはいえ、そこまでのことができるなら十分ではないかと思ってしまう。


「……十分、ではないのよ。陰陽師というのはね」


 俺の考えていたことを見透かしたかのように、おばあちゃんは心で思ったことに続くように答えた。二度も心の内を見透かされると、なんだか歯がゆい気分になってしまってすごくもどかしい。


「ごめんなさいね、何度も。でも、貴方の考えは読めやすくてつい、ね」


 おばあちゃんは申し訳なさそうに答え、お茶請けの中から小さな赤い飴玉を取り出して自分の口の中に放り込んだ。


「あ、あはははは……」


 そんなに読みやすい顔をしているのだろうかと、表面は笑っているのに内心で少しショックな気持ちになった。自分ではポーカーフェイスを決めているつもりだったのだが、このおばあちゃんお前でそれはどうやら無駄らしい。


「幽霊と暮らすのはどう?」


 今度は、おばあちゃんの方から俺に質問が来た。口の中で器用に頬袋へ飴玉を押し込み、ぷくっと膨らんだ頬を揺らしながら話すため俺の視線を自然と引き付けてしまう。


「えっと……まぁ、色々大変ですね」


 俺は後ろで聞いている二人のことを念頭に入れて、当たり障りのない程度の感想を述べる。おばあちゃんは、飴玉を口の中で転がしながら俺の話を聞いていた。


「そう。苦労してるのね」


「そうですね……」


 そう答えた後、今まで幽霊がらみで大変だったことが走馬灯のように頭の中に流れ込んできた。琳と初めて会った時のこと、琳にルールを覚えさせたこと、外で仕事してるときに邪魔をしてきたこと、事ある毎に質問攻めにされたこと。他にも数え上げればきりがないが、どれもこれも一苦労二苦労した物ばかりだ。

 そこで話すのを止めようと思っていたのだが、なぜか俺の意識とは関係なく「でも」と言葉が発せられた。自分でもなんで出てしまったのかわからなかったが、それがきっかけに自然と思うままに話してみようという気になった。

 おばあちゃんは俺をしっかりと見つめるように、それまで閉じて聞いていた眼を薄く開いた。


「でも、嫌なことばかりでもないです。最初は大変なことばっかりだったけど今ではそれも慣れましたし、家が賑やかでいいんです。仕事も手伝ってくれるし、料理も出来るし、本当の家族のような感じなんです。だから……」


 そう言いきった後には、今度は琳や沙夜姉との楽しかった思い出が蘇ってきた。買い物をしたこと、洋館の捜索をしたこと、三人でお茶を飲んだこと、カレーを食べたこと。こちらも、思い出せば切りがなくなってくるほどだった。大変だったことと楽しかったことの記憶が頭の中でごちゃ混ぜになってしまい、次に続く言葉がなかなか見つからない。


「だから……なんつーか、その、んあーっ、わっかんねぇっ!」


 思わず頭を片手でガシガシとかき乱してしまうが、おばあちゃんは微動だにせず静かに俺を見つめ続けていた。少しして自分の中で収まりが付くと、再び姿勢を整えて一つ咳払いをする。


「その……こんな生活もアリかなって、そう思うんです」


 いつのまにか、まるで禅問答をさせられているような変な緊張感が部屋に満ちていた。おばあちゃんは黙って俺をじっと見つめていたが、急に「カランッ」と小さく音が鳴った。と同時におばあちゃんの口の中にあった飴玉がひょっこり左頬に顔を出していて、その音が歯に飴玉が当たった音だとわかったのはだいぶ後だった。

 そして、飴玉で頬を膨らませたままのおばあちゃんはゆっくりと口角を上げた。


「そうかい。帰ったらそう伝えておやり。きっと幽霊たちも喜ぶわよ」


 おばあちゃんはそう言ってから、ニコニコと優しい笑顔をしながら口の中で飴玉を転がす。


(伝えるも何も、今ここにいるんだけどなぁ……)


 と、心の中で思いながら、俺は目の前の湯呑に手を伸ばす。もう大分時間が経っているはずなのに、入っているお茶はまだ熱を持っていて暖かかった。


「……大事なのは、口で伝えること。いくら相手の気が読めても、結局は"そうかもしれない"という憶測に過ぎないの。だから、最後にはちゃんと相手の口から聞きたくなるものよ。そうした方がこんな技を使わずとも相手のことがわかるし、自分の気持ちだってすぐに伝えられる。言葉ほど便利なものは、他に無いわね」


 ふいにおばあちゃんが湯呑を持ったかと思えば、それを飲まずに膝の上に置き両手で支えながら静かに話した。恐らくまた俺の心を見透かしたのだろうが、今回に限っては嫌な気持ちは湧かなかった。それよりも、自分が思ったことに対して諭してくれているような感じがして、返す言葉が見つからなかった。

 

「……そう、ですか……」


 俺は手に取ったまま飲むことが無かった湯呑を再びテーブルに戻し、おばあちゃんが言った言葉の意味を自分なりに考えてみる。偶然琳と交わしたあの約束のことが思い出され、おばあちゃんが言ったこととシンクロしたような感じがした。口で伝えることが大切、今思えば琳や沙夜姉に俺の今の本音を言ったことが無かった。恐らく面と向かってしまえば、小恥ずかしくてなかなか言い出せない事である。しかし、こう思ったのは紛れもなく琳や沙夜姉がいたからこそであり、この気持ちに嘘偽りはない。

 琳との約束だって、必ず答えを出すと決めた。それはやっぱり、俺の口から直接言わなきゃいけないのだろう。いつかその日を作らなきゃいけないと、改めて約束の重みを感じ膝の上に置いている拳をグッと握る。


(口で伝える、か……)


 おばあちゃんは俺が黙って考え込んでいる間、何も言わずただ湯呑を持ってお茶を飲んでいた。恐らく、俺の考えてることなんて読もうと思えば読めるのだろうが、読まれたところでどうすることも出来ないはずだ。これは俺と幽霊の、琳との約束なのだから。


「なんとなくだけど、その言葉の意味、分かったような気がします」


 自分の中で覚悟と決意が固まったところで、長らく保留にしていたおばあちゃんの言葉への答えを出す。


「そうかい。それは良かった」


 おばあちゃんは空になった湯呑を机に置き、にっこりと笑って答えると「よいしょ」と声を掛けて机に手を付き立ち上がった。


「続きは境内を案内しながら話そうかね。今日は下見に来たんだから、案内してあげますよ」





雅稀メモ:神社のおばあちゃんは叶実のおばあちゃんと双子の姉妹


琳メモ:お茶、おいしそうです……



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