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其ノ54 姫朦神社―きぼうじんじゃ―

 ファイルにはさんであった今日の仕事は軽めの一件だけで、難易度もそれほど難しいものではなかった。これくらいなら昼前に終わってしまうだろうが、午後の予定は何も決まっておらずどうせなら明日から行く神社の下見にでも行こうかと考えた。俺は毎年神社から遠く離れた場所で仕事をすることが多く、なんだかんだんで神社には一度も行ったことが無かったのだ。その時に神主さんにでも事情を前倒して聞けば謎は解けるはずだ。


 俺は自分のバッグを肩にかけて書類が挟んであるファイルを持つと、いつも通り出口に向かって歩き出した。仕切り板に掛けてある出勤表のネームプレートの横に、いつも通り赤いマグネットを張り付けて事務所を出る。


「いってらっしゃい!」


「頑張ってな~」


 後ろでマリエさんと店長が声を掛けてくれ、俺は夏の日差しが眩しい外に送り出された。と、入り口を出た辺りで何か忘れているようなもやが気になって立ち止まる。


「なんっか忘れているような気が……あ」


 そう、いつの間にか連れてきてしまっていた二人のことをすっかり忘れていたのだ。俺は内心ヒヤッと凍るような気分になり、辺りを見回して二人の姿が無いことを確認し、そろそろと事務所の裏口に向かって静かに向かった。

 万事屋の事務所には入り口が二つあり、一つはいつもの玄関、もう一つは同じ並びにあって勝手口として使われている。琳たちはさっきまで台所の死角にいたことから、裏から回った方が早いと思ったのだ。

 勝手口のドアノブをゆっくり回して、先を確認しながら恐る恐るドアを押し開ける。


(おーい、琳ー、沙夜姉ー、出かけるぞー)


 スキマから小声で二人を呼ぶが、中からの反応が無い。途端に、嫌な予感がして背筋がゾクッと震えた。俺はゆっくりとドアを押し開けて、見える範囲の室内の状況を確認する。二人の姿はさっきまでの所には無く、辺りは薄暗くしんと静まっていた。更に耳を澄ませてみるが奥からは変な声や暴れるような物音もなく、恐らくまだ何も起こってはいないのだと確信した。

 そろり、そろりと足音を立てないように侵入し、倉庫の陰からさっきまでいた事務所の中を覗く。


(あっ! あんの幽霊どもっ!)


 予感はしっかりと的中していた。琳と沙夜姉は店長とマリエさんがいる前に堂々と浮かんでおり、二人して室内を色々物色していたのだ。特に琳はいつものカラー印刷された書類のゴミを拾って手に持っており、それがマリエさんのすぐ横にあるためふとすれば気づいてしまう距離だった。


「それで、これが私の好きなものですっ!」


 琳は手に持っている書類を、自信満々に沙夜姉に見せつけている。そう、琳が異様に好きなカラー印刷された書類のゴミだ。


「ほぉ~、琳も中々マニアックなところに行くねぇ」


 沙夜姉はそれをまじまじと見つめながら、琳の意外な好物に関心を寄せていた。


「まにあっくとはなんですか?」


「んー、とても詳しいってことよ」


「なるほど。では沙夜子さんのお化粧はまにあっくですね!」


「え、えぇ、まぁ、そうね……」


 沙夜姉は自分が教えたことでまさかの返しを食らい、思わずハトが豆鉄砲を食らったような顔をしてしまった。


(おーい、なにやってんだ! さっさとこっち来-い!)


 俺はギリギリ声になるかどうかの小さな声で、デスク近くにいる琳と沙夜姉を呼ぶ。


「あ! 殿っ! どこ行ってたのですか~」


「あら、雅稀。探したわよ~」


 運よく俺に気が付いた琳が、俺の姿を眼でとらえて笑顔になり空いた手を振る。それにつられて沙夜姉も向きを変え、俺に向かって小さく手招きをする。


(ちっがーう! お前たちがこっちに来るんだ!)


 俺は音を立てないようにサイレントモーションで、必死に自分の意図を伝えようと試みる。


「殿、何をしているのでしょうか……?」


 しかし、琳と沙夜姉は顔を見合わせてしまい、まるで意図が伝わってないようできょとんと首を傾げてしまっていた。


「きっとお腹が痛いのね。看病してあげないと」


「はっ! それはいと大変ですっ! 早く行かなければっ!」


 琳たちは何を勘違いしたのか、いきなり慌てだすと持っていた書類を投げ出して真っすぐに俺の元に飛んできた。そして、琳が投げ出した書類は運悪くマリエさんのデスクにひらひらと落ちていってしまった。


(あーっ!!)


 俺は思わず両手で目を塞ぎ、事が大きくなることを恐れた。どうか、何事もなく済んでほしいと、そう叫びたい気持ちでいっぱいだった。


「ん? なにこれ」


 マリエさんは、自分のデスクに見知らぬ書類が落ちてきたことに気が付くと、それを持って辺りを見回した。


「どうしたの~、マリエちゃ~ん」


 その様子に気が付いた店長が、パソコンに入力をしながら声だけでマリエさんに尋ねる。


「いえ、知らない書類が落ちてきたので」


「知らない書類~?」


 そんな店長も流石に気になったのか一旦手を止めて、マリエさんがつまみ上げて見せる書類に顔を向けた。


「あ~、それね。昔、旅行代理店の手伝いをしたときに俺が書いた旅行プランだよ~。懐かしいなぁ~」


 店長はその書類を見てすぐに思い出し、自分が書いたものだと説明した。


「そうなんですか。でも一体なんで今ここに?」


「クーラーの風で飛んで来たんじゃないの~? 送風口の近くの山からさ~ぁ」


 そう言いながら、店長は窓際に積み重なっている書類の山を指さした。確かに、クーラーの送風口近くまで書類が山積みされており、風が強ければ容易く吹き飛んでいきそうな距離だった。


「ん~、そうですね。戻しておきます」


 マリエさんは少し考えてからそう言うと、書類を元の場所に戻そうと立ち上がって俺の近くまで歩いてきた。死角とは言え、向こうから近づいてくればそれだけ見えない場所も減ってしまうのだが、マリエさんは俺のいる場所からわずか数十センチの所で止まり、山積みされた書類の上に旅行プランを置いてさっさと自分の席に戻っていってしまった。

 幸運にも、琳と沙夜姉が起こした不祥事は大事にはならなかった。ありがとう、ご先祖様。


 俺は恐る恐る塞いでいた手をどけて辺りを確認し、それから小さくため息を付いた。心臓のバクバクという音が全身に響いていて、呼吸も震えているのが分かった。


「殿、お腹は大丈夫ですか?」


「何かよくない物でも食べた?」


 そんな俺を上から見ていた琳と沙夜姉が、何故か俺の腹の心配をしながら声を掛けてくる。


「しーっ! 取りあえずさっさと出るぞ」


 俺は口元に人差し指をあてて二人に注意をし、いそいそと勝手口のある方に中腰で歩いて行った。


 外に出てから、解放されたかのようにぐーっと背伸びをして夏の暑い熱気を吸い込む。胸が焼けるようなヒリヒリとした痛みを感じたが、窮地から解放された喜びに比べれば些細なことだった。


「本当に大丈夫なのですか?」


 俺の横で、未だに心配そうな表情で浮いている琳が尋ねる。


「だから、腹なんか痛くないって。何勘違いしてんだよ」


 俺は琳の額を指でこつんと小突きながら答えた。「あうっ」というかわいい声が琳の口から発せられ、琳は額を手で押さえながら不満げな顔をしていた。


「沙夜姉、琳から仕事中のルールを聞いたんじゃなかったのか?」


 今度は反対側にいる沙夜姉に向かい合うように向きを変え、腰に手を当てて尋ねる。


「それがねぇ、どうしても琳が見せたいものがあるって聞かなくてぇ」


 沙夜姉は少し困ったような顔をして、自分の頬を指で掻きながら申し訳なさそうに答えた。


「それが、あのカラー印刷か」


「殿、すみませんでした……」


 琳は俺の前に立つと、深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にした。


「大事にはならなかったからいいものの、今後は注意しろよ?」


 俺は琳の頭の上に手のひらを優しく置き、一度軽めに叩いた。今日の行いで大分肝は冷えたが、悪気があったわけではないことは百も承知している。だから、今日の罰はこれでおしまいだ。


「さて、そんじゃ仕事行くぞ。二人とも、ちゃんとついて来いよ?」


 俺は肩からずり落ちそうになっているバッグを掛けなおし、再び仕事場に向けて踊り場を歩き出した。


「……は、はいっ!」


 琳は頭のてっぺんを押さえながらも、不安げな表情をやめて元気よく返事をした。



――……。



 俺達は午前中の内に依頼をさっさとこなし、あっという間に今日の仕事が終わってしまった。沙夜姉は俺が心配しているのを知ってか知らずか、仕事中は琳のことをずっと弄って遊んでいたが決して邪魔をすることはなかった。琳には悪いが、沙夜姉の良い歯止め役になってくれて助かったと思う。


 昼ご飯をコンビニ弁当で済ませ、ついでに買ったミルクアイスバーを咥えながら午後に予定していた場所へ向かって歩き出す。この日照りの中アイスバーはすぐに溶けだしてしまい、慌てて食べきる様子を琳と沙夜姉は腹を抱えて笑っていた。最初こそ興味津々に見入っていたのだが、食べさせてもらえないとわかるととたんに手のひらを返してこの態度である。しかし、なんだかそんなやり取りでさえも今日は心地よく感じてしまっていた。

 

 思えば、幽霊とこうやって話していること自体が俺にとっては奇跡に等しいくらいなのだ。つい一か月ほど前までは想像していなかったことが今では当たり前のことになっていて、幽霊たちがいない時間がまるで嘘みたいに思えてしまう。それだけ琳や沙夜姉と過ごしてきた時間が濃いものなのだと、改めて考えてみてしんみりしてしまった。


 神社に行くというだけでそんな回想が広がってしまうくらい、俺はなんだか神妙な気持ちで鳥居をくぐった先にある大きな門の下に立っていた。上を見上げると、古びた色をする木がいくつも重なってできている大きな屋根があり、その周りには細かな細工が何十と彫られている。いつできたかもわからないが、当時の技術の粋を結して作られたものだということはなんとなく伝わってきた。

 

「殿、大きいですね……」


「あれま立派なこと」


 俺の左では琳が、右では沙夜姉が同じく上を見上げて壮観な佇まいをしている神社の古い門を見ていた。俺達の周りには木々が青々と茂ってトンネル状になっており、後ろには長い石畳の先に急な石造りの階段が延々と伸びている。階段の入り口まではうるさかった都会の喧騒が登った瞬間にパッと消え去り、まるで異世界に飛ばさててしまったかのように静かで厳かな雰囲気が漂っていた。


「すげぇな……なんか、よくわからんけど」


 俺はそんな空気感の中に堂々と建っているこの門を見ていて、不思議な威圧感みたいなものに身体を弾かれそうな気分だった。だから、何も言えない中必死に探した感想でさえ、とても抽象的で幼稚なものだった。


「こんなに立派なものが、この世にもあるなんて……」


 琳も、俺と同じく門を見上げながら言葉を失っていた。琳の生きていた時代にもこういったものはあったのだろうが、年月を経たものはその当時とはまた違ったように見えるのかもしれない。


「うちの屋敷のより立派ねぇ」


 沙夜姉は、自分が生前住んでいたであろう建物のそれよりもイイと絶賛する。目利きの達人である沙夜姉が言うからには間違いないのだろう。


「……っと、突っ立ってないで中行くか」


 ふとつむじ風が足元をかすめていった時、長いことそこに突っ立っていたことに気が付いた俺は、一つ咳払いをしてから正面を向きなおしゆっくりと門の敷居をまたいだ。琳も沙夜姉も普段は浮遊して移動しているのだが、ここではちゃんと地に降り立って自分の足で敷居をまたいでいった。


 門を潜り抜けると視界が一気に開け、太陽の光がまぶしい広い空間が目の前に広がっていた。足元には石畳の道が続いており、ずっと歩いて行った先の右斜め奥には本堂と思しき建物が左を向いて建っている。その左手、俺達からは丁度右側には古い木製の家が建っており、恐らくここの住職さんやお坊さんたちが住んでいるものなのだろう。この神社の敷地の周りはうっそうとした森になっており、広く綺麗な四角形の形に開けていることが分かる。


「ほぁぁ……」


 琳は視界が開けると同時に感嘆の声を上げ、ゆっくりと地を踏みしめながら辺りを見回す。沙夜姉は太陽が眩しく照っているため少し身体が薄くなってしまっているが、そんなことは一切気にせず琳の後を追うように歩いて行く。辺りには俺たち以外の人気、生き物の気配が一つもなかったため、踏みしめる砂利の音だけが境内に響き渡る。

 まるで別世界の神社に来ているかのような雰囲気で、それまでの空気感とは一変して風や鳥の鳴き声、木々の揺れる音や砂利の音までもが一つの音楽のように混ざり響き合っていた。音としてはとても賑やかに聞こえるが、心はとても静かで穏やかになってくる。これが、神社の持つ力なのだろうか。


「長く住んでるけど、こんな場所だったなんてな……下見のはずが、とんでもない場所を見つけちまったな」


 俺は日差しが眩しく照り返す砂利道をゆっくりと歩いて行き、本堂と思われる古びた建物の前に付いた。琳も沙夜姉も既に一通り見終わったのか、暫く別行動をしていたはずなのにいつの間にか俺の左右に並んで本堂を見つめていた。


「ここが本堂、か?」


 改めて上を見上げて建物全体を見回してみる。いつ崩れてきてもおかしくないくらい年季の入った木で造られていて、瓦屋根にはコケがびっしりと生えている。手前の長く大きな屋根の奥に垂れ下がっている二本の鈴紐(すずひも)は紅白に染められていたのだろうが、長い年月そこにあったせいかすっかり色あせてしまている。銅製の鈴も錆び錆びで、本当になるのかすら心配になるほどだ。目の前には同じ木製の賽銭箱があり、上には何も乗っていないことから手入れはされているものと思える。俺達の後ろには左右に立派な石製の狛犬が立っていて、琳はそれを見付けるとそれぞれにお辞儀をしてから正面を向いていた。右手には御手洗が立っていて、沙夜姉は律儀にそこで手を洗うしぐさ(・・・)をしてから同じく正面を向いた。

 賽銭箱の奥の部屋は閉ざされていて、こちらから中をうかがうことはできない。ここがどうやらこの神社の終着点のようだった。この敷地内で毎年出店やら盆踊りが開催されることを考えると、それに見合った広さが確保されていることが改めてよくわかる。


「殿、お賽銭入れていきましょう」


 辺りをぐるりと見回していた俺に、琳が服の裾を引っ張って提案する。


「んぁ、そうだな。えっと、確か小銭は……」


 俺はズボンの後ろポケットから財布を抜き取ると、チャックを開けて中を確認する。俺の記憶が間違ってなければ、さっきアイスを買った際に小銭がいくらか出たはずだ。

 俺は小さく数の少ない木の階段を上り、賽銭箱の目の前に歩み寄った。屋根の下は薄暗く、太陽の光が上手く遮断されていて体感温度もいくらか低く思えた。


「……よし、何とか三人分ある。五円玉三つじゃないけど、十五円なら同じだよな?」


 俺は沙夜姉の顔を見て尋ねる。沙夜姉は「いいんじゃない~?」とあやふやな答え方をしたが、仏教が盛んだった当時の人が違うと言わないのなら大丈夫だろう。


「そんじゃ、賽銭入れるぞ。俺と琳は左で、沙夜姉は右な」


「わかりましたっ!」


「あいさー」


 二人は元気よく返事をすると、それぞれ俺が指示した位置に付いた。琳は俺の左に立って鈴紐の下の方を持ち、沙夜姉は正面に立って堂々と紐を掴んだ。

 二人の準備が出来たことを確認し、俺は賽銭箱に握っていた小銭を投げ入れる。コーン、と軽い音がして小銭は箱の中に吸い込まれて行ってしまった。


「……で、これからどうやるんだ?」


「えっ? 雅稀知らないの?」


 ふいな俺の質問に対し、ありえないと言わんばかりに目を丸くして沙夜姉が驚きの表情をした。


「だって、こういうところに縁が無いからさぁ」


「まったく、しょうがないわねぇ……いい? 同じように繰り返すのよ」


 そう言って、沙夜姉は一度着物を整えてから鈴紐を左右に揺らして鈴を鳴らした。カランコロン、と銅製の鈴が鳴り、音が止んでから二回深く礼をする。その後二回手を叩き、最後に一回礼をした。そして、数秒の間眼を閉じ手を合わせて何かを祈るような姿勢を取り、それからゆっくりと眼を開けた。


「……これが、二礼二拍一礼のやり方よ。わかった?」


 沙夜姉は一連の動作が終わったあと、一息ついてから俺の方を向き尋ねる。


「おう、なんとなくわかったわ。要は二回お辞儀して二回手叩いて一回お辞儀すればいいんだろ?」


「そうよ。やってみなさいな」


 そう言うと、沙夜姉はその場から一歩下がって俺達の後ろに付いた。


「よし、行くぞ。準備いいか?」


「はいっ! いつでもっ!」


 俺は琳と呼吸を合わせ、鈴紐を左右に揺らした。同じくカランコロンと乾いた音が鳴り響き、俺が収まってからいよいよ本番だ。

 

(二回お辞儀、二回拍手、一回お辞儀、と。そう言えば、何をお願いすればいいんだ? そもそもここの神社の御利益って……?)


 そんな雑念が頭をよぎる中、俺は沙夜姉がやった通りの動きを頭の中でなぞっていく。二回お辞儀をして、二回拍手をする。琳も俺と同じようにして動いているが、やはり初心者の俺より動きがこなれていて流れるようにスムーズだ。

 最後に一度お辞儀をして、静かに手を合わせて眼を閉じる。しかし頭の中では、悶々とした雲のようなものが広がっていく一方だった。


(何をお願いすればいいやら……琳なら、こういう時何を願うのだろうか?)


 既に一度死んでいる身がこの世に現れていることだけでも十分願いがかなっているように思えるが、そもそも琳がこの世に居続けている本当の理由とは何なのだろうか。以前の話によれば、琳は元々俺のご先祖様が好きでいつまでも一緒に居たいと願っていた。それがひょんなところでその子孫である俺と生活をすることになり、いつの間にかその子孫を好きになってしまっていたのだ。だから、幽霊になった当初の本来の目的を果たすなら今頃成仏しているだろうし、そうではない現在は一体何が琳の願いなのだろうか。


(う~ん、琳のことばっか考えて自分の願いが決まらない……でも折角願うなら、相手のことを願うのもまた手だ。幽霊に効くかどうかわからんが、無病息災っと。あとは……)


 俺は琳の健康を願うと同時に、もう一つだけ思いついたものを願ってみた。それは、こんな平和な日常が末永く続きますように、と。ありきたりかもしれないが、今まで波乱だけの人生だった俺にとって今の生活は悪くなく、むしろ充実しているように思える。だからこそ、こんな日常、幽霊のいる日常がこれからもずっと続いてもいいんじゃないかと気が付いた時から思っていたのだ。願いは自分で叶えるもの、と誰かが言っていたが、こういう物は気休めにでも願っといた方がいいと誰かが頭の中で囁くのだ。


「……さて、俺は終わったけど琳は――って!」


 二つの願い事が済んでから、片目をあけて琳の方を見ようとした時だった。俺の視界の丁度真ん中に、よく見知った人影が立っていることに気が付いた。その人は賽銭箱の奥の部屋、さっきまで閉ざされていた木の引き戸を少し開いて中からこちらを見つめていたのだ。しかし、そんな物音は一切しなかったし、人の気配すら感じなかったはずだ。それなのに、どうして、と頭の中で疑問が渦巻く。


「ほほほ、驚かせてしまってすまないねぇ」


 その人は、口元に手を当てて上品に笑いながら言葉を投げかけてきた。


「お、驚いたってレベルじゃないですよ! 何してるんですか!」


 そう、その人は俺達がよく知っている、あの日本茶専門店を営んでいる叶実のおばあちゃんその人だったのだ。見た目も声もほぼ一致していて、忘れっぽい俺でさえ流石に間違わないはずだ。


「久しぶりの若い参拝客だったものでねぇ。少し様子を、ね」


 おばあちゃんは曲がった腰に手を当てながら、引き戸に手をかけてさらに大きく開けた。中の光がうっすらとおばあちゃんの着物を照らすが、いつも着ているものとは少し違うようにも見えた。


「今日あたりに来ると思っていたよ。幽霊に憑かれた青年と、その幽霊たち。話には聞いていたけど、本当に居るのねぇ」


「へ? 何を言ってるんですか? 俺達、いつもお茶買いに行きますよね?」


 おばあちゃんの言い方が妙に引っかかり、俺は首を傾げながら尋ねて確認する。


「あぁ、そう言えばまだ言っていなかったねぇ。私はこの姫朦神社(きぼうじんじゃ)の神主で日戸千代の妹、日戸百代(ひのとももよ)。あなたたちがよく知っているお店のおばあちゃんとは双子なの」


 そう言いながらおばあちゃんは引き戸をゆっくりと全開にすると、その場にちょこんと座って綺麗な正座をした。


「折角ここまで来たんだから、中にお入り」


「えっ、あの……」


 おばあちゃんはとてもにこやかに、俺へ中へ入るよう促す。しかし、色々頭の中で整理が付かないでいるため、そんなことをいきなり言われても「はい、喜んで」とすぐに言える訳がない。


(琳。この人、どう思う?)


 俺は左に立って注意深くおばあちゃんを見つめている琳に、目配せで尋ねてみた。琳は最初こそいきなりのことに驚いていたが、直ぐに眼つきを変えて目の前の人物をよく観察しつつ警戒しているようだった。


「……怪しい気配はありません。大丈夫です」


 そう答えた琳の顔は真剣そのものだったが、口調からして警戒はしなくてもよさそうだった。霊や人の残気を読み取る能力がある琳がそう言うのなら、ほぼ問題ないだろう。明日以降の仕事について聞くために、もう一度訪れなければいけないのかと考えていたところだったので、これはこれで手間が省けた。



「……それじゃあ、お言葉に甘えて……」


 俺は軽く頷きながら、おばあちゃんの提案を承諾した。おばあちゃんはその返事を聞いてから、何も言わずに笑顔でゆっくりと立ち上がった。


「それじゃあ案内するわね。ついてきてちょうだい」


 おばあちゃんはうぐいす色の着物の裾を払ってから向きを変え、部屋の中にゆっくりと進んでいってしまう。俺は琳と沙夜姉に合図を出し、賽銭箱を避けて進み靴を脱いで本堂に上がった。



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