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其ノ53 結ヶ丘町の一大イベント

 三人はカレーを十分に堪能した後、夏の夜風に吹かれていながらいつの間にか眠ってしまった。みんなでリビングの椅子に座って頭を揺らしながら熟睡してしまっていて、雅稀は腕を組みながら、琳は行儀よく膝に手を置いて、沙夜姉は完全に酔っぱらったおっさんのように大股を広げて天井を見上げながら寝てしまっていた。

 

 最初に目が覚めて起きたのは琳で、薄っすらと眼を開けてから小さくあくびをした。


「ふぁぁ……」


 琳はまだ開き切っていない眼をこすりながら、フヨフヨと宙に浮かび始める。そして辺りをゆっくりと見回してから、自分の記憶をたどってどうしてこうなっているのかを考えた。


「あ……私達はそのまま寝てしまったのですね……」


 外は既に太陽が高く上っており、夏の蒸し暑い空気が網戸から無理やり入り込んできている。琳は小さな熱風に髪を揺らされ、思わず眼を細めた。


「そうだ、殿を起こさなくてはっ」


 熱風によってむわっとした空気が触れたため返って目が覚めた琳は、思い出したようにくるっと向きを変えて雅稀の寝ている方に寄っていく。

 琳が雅稀の顔を覗いてみると額にはじっとりと汗がにじんでおり、表情もどことなく寝苦しそうだった。


「殿っ、起きてください。朝ですよっ」


 琳は雅稀の身体にそっと触れ、肩に手を添えてゆさゆさと揺らしながら声を掛ける。


「んぁ……あと五分……」


「殿っ、殿っ!」


 しかし寝言を言いながらも中々起きない雅稀に見かねて、琳は揺するのを止めて呆れた様にため息を付いた。


「もうっ、起きないのなら後回しです。先に沙夜子さんを起こしましょうか」


 琳は母親のような慈悲深い眼で雅稀を見つめると、今度は向かい側に座っている沙夜姉の所へ机の縁に沿って飛んで行った。


「沙夜子さん、起きてください。もう朝ですよ」


「んがっ……うぁ―……あ、おはよ~」


 沙夜姉はその見た目にそぐわない声を上げると、雅稀よりは早くに目が覚めた。


「おはようございます。沙夜子さん」


「あれっ、わたしはどうしてここに……」


 沙夜姉はずるずると体勢をずらして椅子に座りなおしながら、辺りの状況を見て琳に尋ねる。


「昨日、殿と追いかけっこをしていてそのまま寝てしまったのですよ」


「あー……そんなこともあったわねぇ……」


 大きくあくびをしながら、沙夜姉は昨日のことおぼろげに思い出し始める。結局、雅稀は沙夜姉を捕まえることが出来ずになんの反撃も与えられなかったのだ。そして、疲れ果てて椅子に座ったまま寝てしまい、それを見ていた沙夜姉や琳もいつの間にかつられるように寝てしまったという訳である。


「くぁぁっ……んあぁっ! はぁ、今何時ぃ?」


 沙夜姉は両腕を上げ大きく伸びをし、一息ついてから琳に再び尋ねた。


「今は……多分、(たつ)の刻を過ぎたあたりかと」


 琳は首を網戸に向け外を眺めながら、太陽の昇り具合を見て大体の時間を予想する。琳に時刻を尋ねるといつも昔の表し方で教えてくれるため、その都度雅稀は沙夜姉に通訳を頼んでいた。両方の時間の表し方を知っている沙夜姉は、琳の言った時刻をすぐに脳内で変換させることができるのだ。


「辰の刻……あー、八時過ぎね。しっかり日も上がっているみたいだし、これは少し寝過ごしたようね」


 少しはだけていた着物を着なおしながら、沙夜姉は部屋の壁に掛けてある時計を見て答えた。


「殿が全然起きてくれないのですよ。何かいい方法はありますか?」


「雅稀が? ふ~ん……」


 琳が困った顔で尋ねると、沙夜姉はゆっくりと雅稀の方に目線を合わせていき、それから何やら不敵な笑みを浮かばせ始めた。


「よし、わたしにいい案があるわ。ちょっと耳を貸してちょうだい」


 沙夜姉は琳にそう言うと、琳を自分の傍に引き寄せて耳元で何やら小声で話し始めた。


「……の……で……するの。わかった?」


「それで殿は起きますか?」 


「大丈夫よ! わたしに任せなさい」


 沙夜姉はどんと胸を叩いて自信ありげに答える。琳は心配そうな顔で頷き、それから二人は雅稀の左右にそれぞれ立つと、姿勢をかがめて両腕を雅稀の脇腹に伸ばした。


「それじゃあ行くわよ? せーのっ!」


 沙夜姉の掛け声のもと、二人は一斉に雅稀の横腹をくすぐりだした。


「うぁひゃひゃひゃひぃっっっ!!!」


 声にならない声を上げて俺は一気に夢から引き離され、現実の世界へと戻ってきてしまった。サヨウナラ、青い海と白い砂浜、そして沢山のビキニのお姉さん達。


「んはぁっ、はぁっ、はぁっ……な、何事だっ!?」


 たたき起こされた脳内で瞬時に思考回路の接続を図って、しっかり覚めた目で辺りをぐるりと見回した。辺りは先ほどの夢とは打って変わり薄暗い部屋で、なんとも古めかしい空気が漂っている。これは俺がよーく知っている、自分の自宅だ。


「おはようございます」


「おはよー」


 俺の右には琳が、左には沙夜姉が清々しいくらいの笑顔で立っていて、朝の挨拶を返してくる。


「あ、あぁ、おはよう……」


 俺は重い頭を持ち上げるように掻きながら、しかし何事も無くてよかったとホッと息を付いた。これが幽霊のイタズラで良かったと内心思ってしまうくらい、二人を信頼していたためである。


「殿、今は"はちじ"だそうですよ。もう起きる時間です」


 琳が壁掛けの時計を指さして、現在の時刻を沙夜姉に聞いた通りに教えてくれる。


「八時、ねぇ……は、八時ィ!?」


 また眠りに付こうとする目が一気に覚めるくらいの大声が、口から勢いよく出てしまった。


「やっべぇ! 遅刻するじゃねぇかっ! 今日は大事な日なのにっ!」


 俺は椅子から飛び上がって洗面所に向かうと、大急ぎで顔を洗い歯を磨く。その慌てた様子をリビングの入り口からそーっと覗いていた琳と沙夜姉は、やれやれと言った表情で顔を見合わせていた。



――……。



「おはようさん、雅稀。ギリギリだったな~ぁ」


 そう目の前に立っていやらしく言うのは店長で、書類の束をうちわ代わりにしてパタパタと仰ぎながら俺を見下ろしていた。その立ち姿だけでも頭に来るのに、仰いで作られた風が店長のくすんだ赤ネクタイをプラプラと揺らす姿がまた俺をイラつかせる。


「ゼーっ、ハーっ、な、なんとかなっ」


 俺は両膝に手を付き、全身汗ダラダラになりながら必死に息を整える。あれから急いで家を出て真っすぐ事務所まで突っ走ってきたため、息も切れ切れで見てくれも寝癖が立っていたりと酷い有様だった。そんな恰好のまま入り口から入ってすぐの所で、ちょうど店長が書類の整理をしていた時に出くわしたということである。


「いつもそうやって真面目に仕事してくれると嬉しいんだけどね~ぇ?」


「ハッ! よく言うぜ、俺より店長が真面目にやった方がいいんじゃねぇの?」


 俺はニヤニヤしながら見下ろしてくる店長に向かって、威嚇するような怖い顔をして見上げた。


「俺はいつだって真面目だよ~ぅ?」


 しかし店長はそんなことを意にも介さず、俺に向かって堂々と書類の束を見せびらかす。


「はいはい、二人ともそこまで。雅稀くん、時間はちゃんと守るように。店長もからかいすぎないでください。人のこと言えないんですから」


 そうこう言い合っていると、俺達の犬も食わないようなやり取りに聞き飽きたマリエさんが、奥から乾いた無地のタオルを持ち呆れ口調で出てきた。デニムのスキニーパンツに捲り上げた白のワイシャツが清潔感たっぷりで、沙夜姉に負けず劣らずの大胆なボディラインを一層引き立たせている。傍のデスクにはアイスラテが入ったグラスが置いてあり、その意味は「冷静になろう」「落ち着こう」である。


「す、すんません……」


「はいは~い、以後気を付けま~す」


 俺はその場で上がらない頭をさらに低く下げ、店長は軽々と答えながらさっさと自分の席に戻っていってしまった。


「はい、これ。朝からご苦労様」


 マリエさんは厚手のタオルを持って来ていて、謝罪をする俺の頭の上にそっと優しくかけてくれた。


「あ、ありがとうございます……」


「奥で少し休んでから仕事に入ったら?」


「んっ……はぁ、そうさせてもらいます」


 俺は貰ったタオルで顔を拭きながら答え、荷物をデスクに置いてから奥のキッチンに向かって歩いて行く。途中、天井に付いている冷房の送風口が俺の身体の横に来た時に、涼しい風が汗ばんだ身体を冷やしていって気持ちがよかった。


 事務所の奥にはもう一室分のスペースがあり、半分は倉庫として、半分は休憩スペースとして使われている。中でも水回りの設備はしっかりしていて、冷蔵庫やレンジをはじめ、ここで暮らすことができるくらいの設備が一通り揃っているのだ。

 俺は冷蔵庫の中から冷えたペットボトルのお茶を取り出してコップに注ぎ、それをグイッと一気に飲み干した。


「んっ、んっ、んっ、ぷはぁ! くぅ~っ、滲みるぜ~っ!」


 まるで大人がビールを飲んでいるかのようなおっさん臭い感想を叫びながら、俺は飲み終えた空のコップを流し台に置いた。キンキンに冷えたお茶が食道から胃までを冷却していき、全身に冷たさが伝わっていって気持ちがいい。さらにクーラーの冷気によって体中の汗が冷やされ、それがまた心地をよくしてくれる。願わくば、ずっとこのまま静かに一日を過ごしたいものだと切に思ってしまう。


「あの薄いお茶の何がいいのでしょうか……?」


「いい、琳? この世の人間は皆、ああいう物が好みなのよ。それは仕方ないことなの。わかってあげて?」


「そういうものですかぁ……」


 そう、後ろでひそひそと話す声が無ければもっと気分がいいだろうに。


「……んで、なんで二人はそこにいるんだ?」


 俺は壁を向いていた身体をゆっくりと反転させ、後ろで口元を袖で隠しながらこちらを見つめて小声で話す二人に顔を向けた。気が付いたのはついさっきで、俺が冷蔵庫を開けた際に後ろで聞き覚えのある声がしたからだった。しかし、今日はいつもより一人分声が多い。そりゃそうだ、なぜなら……、


「琳はいいとして、なんで沙夜姉までついてきてるんだ?」


「あら、のけ者は悲しいわね。別に邪魔するわけじゃないのに」


 沙夜姉は口元にあった手を腰に当てて、開き直ったように答える。そう、この幽霊が"住人"に増えてしまったからなのだ。


「そうですよっ。沙夜子さんだけお留守番は酷いですっ!」


 続いて琳も、頬を風船のように膨らませて両腕を胸の前で構え俺に反論する。琳はどうも沙夜姉と一緒にいたがる傾向があり、理由はやはり「目を離すと直ぐどこかに行ってしまうから」だそう。沙夜姉は躾けのできない野良犬かっ。


「あのなぁ……」


 しかし、琳がここまで連れてきてしまった以上無暗に戻らせるわけにはいかない。仮にそうすれば沙夜姉のことだ、きっとどこかへ彷徨いに行ってしまうに違いない。そうなれば琳に探せとせがまれ、文字通り死んでも探させられるだろう。そんなことが目に見えているため、もう諦めるしか選択肢が無かった。

 丁度この場所はデスクのある場所か倉庫を挟んでいるため死角になっており、向こうでは印刷やキーボード音が鳴りやまないためちょっとの声ぐらいでは聞こえないのが不幸中の幸いだ。


「はぁ……邪魔だけはすんなよ?」


 俺はがっくりとうなだれた体勢のまま、疲労感たっぷりに沙夜姉へ尋ねる。


「勿論よ。わたしを誰だと思っているの?」


 沙夜姉は豊満なボディをこれ見よがしに堂々と張り、自信満々な表情で俺に問う。が、俺の中でその問いの答えはすでに出ていた。


「方向音痴な自由霊」


「なにそれぇ! 酷くなぁい?」


「うっさい。琳に仕事中のマナーを聞いておけ」


 そう言い捨てながら俺は傍に置いてあったタオルを首にかけて、デスクのある方にスタスタと戻っていく。俺の後ろでは、倉庫の死角になるところで琳が沙夜姉に自分がメモした仕事中の約束を一から順番に丁寧に教え始めていた。琳に任せておけばきっと大丈夫だろう。



――……。



「え~、ほんじゃまぁ、今週のミーテ始めっぞ~ぉ」


俺がデスクに戻って少ししてから、急に店長がかったるそうに立ち上がって声を上げた。今日は週に一度のミーティングがある日で、ここで一週間分の仕事の割り振りや共有事項などを連絡されるため今日は遅刻できなかったのだ。以前ミーティングの日に遅刻した際その月の給料が減っていたという痛い思い出があるため、次はないと思い今日は普段よりも急いだのである。

 俺とマリエさんが呼び声に応じて店長の机の前に立つと、店長も椅子から立ち上がって手元の書類を目線の高さまで持ち上げた。


「えーっと、今週は結ヶ丘町の毎年恒例の夏祭りがあるんでぇ、その手伝いが主な仕事になるなぁ。特に明後日の祭り本番は俺も含めて三人とも出払っちまうからぁ、何かあった時の連絡は事務所にしないように。電話掛けても誰もでないからなぁ~」


 店長は書類を片手に空いた手で後頭部を掻きながら、順を追って説明を始める。今週の半ばにある夏祭りはこの結ヶ丘町で毎年行われるもので、この町の住民だけに限らず他の地域からもお客が来る一大イベントなのだ。琳の祠があったあの山の丁度裏側にある大きな神社を中心に町をあげて行われる大きなものなので、当然俺達万事屋の数少ない稼ぎどころにもなる。当日は滅多に外で仕事をしない店長までも駆り出されてしまうくらい人手が必要らしく、去年は焼きそば屋、おととしはぬいぐるみをかぶって風船配りなんかをしていた。


「当日は何をするんですか?」


 マリエさんが、赤い眼鏡を片手で掛けなおしながら尋ねる。


「当日はァ……俺は花火の設営と運営、マリエちゃんは例年通り迷子の捜索、保護だなぁ」


 店長が書類の端っこに手書きしたメモの中から、必要な情報を選んでマリエさんに教える。


「はぁ、また迷子探しですか。毎年多いんですよね~」


 マリエさんは、ため息を付きながら眼で天井を仰いだ。このような大規模の祭りには迷子がつきもので、地元のパトロール隊と協力して迷子の捜索、保護をしているのだ。なぜか迷子になった子供たちからの評判がよく、マリエさんはほぼ毎年同じ仕事についている。


「店長、俺は?」


 ふと、仕事の中に俺の名前が無かったことに気が付き、店長に当日の予定を尋ねる。


「雅稀はァ……ないな」


「……は?」


 一瞬、聞いた自分の耳を疑った。夏祭りの当日に仕事が無いなんてどう考えてもおかしい。


「どういうことですか?」


 俺の疑問符を代弁するかのように、マリエさんが店長に尋ねる。


「正確には、祭り"当日"にはない、だな。雅稀には神社周辺の掃除とかもろもろやってもらうらしい」


「ますます訳が分からないんだが……?」


 店長の言い方には、どこか引っ掛かりを覚えてしまう。まるで、誰かから直接聞けと言っているような、そんな感じだ。


「まぁ、行ってみればわかるさ~」


 店長はそう言いながら俺の質問をやんわりとスルーし、その後は諸連絡を済ませてさっさと席に座ってしまった。マリエさんもどこか引っかかるものがあったように見えたが、あまり気にせずに自分の席に戻っていった。


「なんだかなぁ……」


 俺は腑に落ちない点を残しモヤモヤとしながら自分の席に着くと、今日割り振られた仕事内容を確認するべく自分の席に置いてある書類に目を通したのだった。




雅稀メモ:祭り当日の仕事とは一体……


琳メモ:仕事のときもみんな一緒です!


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