其ノ50 私も料理がしたい
「さて、約束の復習も終わったし買い物の続きをしますか」
野菜売り場の端っこで小さくなり三人で外出時の復習を確認した後、俺は立ち上がって背筋をぐっと伸ばした。伸ばした後に全身を脱力させると、今さっき起きた大問題のせいでこわばっていた身体の力が抜けて肩が軽くなった気がした。
「はいっ、行きましょう!」
琳も俺の横に飛び立つと、ワクワクとした期待の表情で辺りを見回し始めた。琳にとってはどれも見慣れているが興味をそそるものばかりなので、毎回買い物の際はこうやってテンションが上がってしまっているのだ。
「羊羹、忘れないでね~」
沙夜姉も「よっこらせ」と古臭い掛け声をかけてゆっくり立ち上がると、自分の腰を拳でたたきながら俺に釘を刺す。いくら見た目が若くても、所詮は何百年も前の人間である。行動や言動に古臭さを感じるのは、どうしても仕方のないことだろう。それにしても、幽霊のくせに腰を痛めることがあるのだろうか?
「ぐっ……忘れてなかったか」
「当たり前でしょ。わたしを見くびってもらっては困るわ」
色々あっていつの間にか忘れ去られていたかと思っていたが、そこは沙夜姉である。しっかり釘を刺してから、側の琳と一緒になって辺りを見回し始めた。
「取りあえず、リンゴと羊羹だな。まずは……」
丁度逃げてきた先が野菜売り場だったので、琳たちを引き連れてその隣の青果売り場に向かう。リンゴは青果売り場の目立つところに並んでいて、紅い大粒の玉がピンク色のショック材の上に綺麗に陳列されていた。
「この時期に珍しいなぁ。流石は日本の農家だな」
この真夏の時期に真冬が旬のリンゴが店頭に並んでいるのは、日ごろから品種改良や収穫時期を調整している農家さん達の努力のたまものである。それを俺達消費者は理解して有難く頂かなければならないだろう。
リンゴを一つ手に取れば、その重さ、輝く色ツヤ、甘い香りが五感を通って脳に伝わってくる。どれもこれもいいもの揃いで、選ぶのが難しいくらいの高品質だ。
「ふぉぉぉっ……! 冬の食べ物であるリンゴがこんなにたくさん……!」
琳はリンゴが並んでいる棚の前にかじりつくように近づくと、眼を目の前のリンゴと同じように紅く染めて輝かせていた。声にならない声を上げ食い入るように見つめるその姿に、流石のリンゴも照れてしまうくらいだろうと心の中で思う。
それもそうだろう。琳たちの時代では冬の間しか獲れないリンゴが、この真夏にこれだけの量が揃うこと自体奇跡に等しく思えるのだろう。それだけ、今の日本の技術が発達しているわけである。
「へぇ、意外と多く揃っているのね」
目利き達人の沙夜姉も、顎に手を当てて沢山のリンゴたちを見つめ喉を唸らせる。どの時代においても、物の良し悪しの基準は一緒なのだろうか、それとも沙夜姉の目利きがすごいのかはわからないが、過去の人物に現在の品物が褒められるのは生産者でなくとも嬉し恥ずかしと言った気分になる。
「さて、どいつがいいかな……」
紅い大粒のリンゴのほかにも青リンゴや品種の違うリンゴがいくつも並んでいて、普段買わない俺から見ればどれが琳に合うかよくわからない。強いて言えばこの中に王琳があればそれを選んだだろうが、残念なことにこの時期には売り出していないようだった。
「殿っ! これっ、これがいいですっ!」
ふと、俺の横でリンゴを凝視していた琳が俺の服の裾を引っ張っ呼ぶ。何かと思い顔を向けると、数あるリンゴの中から一際大きく色つやの良さそうなものを力強く指さしていた。
「これな。わかった」
俺は琳を見てコクンと頷き、琳が指さしているリンゴを手に取った。ズシっと手のひらに伝わる重さと甘酸っぱい香りが、手に取った瞬間にフワッと香ってくる。沙夜姉もすごいが、琳の目利きも中々の物みたいだ。
買い物かごにリンゴを突っ込み、次に向かうは和菓子売り場。少し離れているため、向かうついでに俺の欲しいものもほいほいとかごに収めていく。
琳の嫌いなパン売り場の隣にある和菓子売り場に着くと、沙夜姉は棚の前に寄っていって目を細め吟味を始めた。
「う~ん……これと言ってパッとしないわね」
(うるさい。ここは和菓子専門店じゃないから文句言うな)
俺は他から見てバレない程度に、文句を口にする沙夜姉の腰を肘で小突く。
「あんっ! もうっ、雅稀のエッチ」
沙夜姉は色っぽい声を上げて俺の方を向くと、頬を赤らめてイタズラっぽく返す。
(アホか! ふざけてないでさっさと選べ!)
俺が言葉を発せないのをいいことに、沙夜姉は身体をくねらせていやらしく魅せてくる。赤い着物に着替えてもその豊満なものは隠しきれていなく、身体が揺れるごとに弾みでポヨンと跳ねてしまうため自然とそこに目が行ってしまう自分が情けない。
(イカンイカンっ、相手のペースに惑わされるな家城雅稀! そう、沙夜姉は相当な年上、つまりとんでもなくババアだ。そんな相手に欲情してたまるかっ!)
「沙夜子さん。殿を困らせないでください」
と、横で見ていた琳が急に冷たい目線を向けて沙夜姉を叱る。何故機嫌が悪そうな顔をしているかは、ご察しの通りである。
「あ、ハイ……」
これには沙夜姉もなにかを察したようで言い返すことはなく、冷や汗を浮かべながら二つ返事ですぐに棚の方に目線を戻した。
(琳、まだあの事根に持ってるのか?)
俺は、琳に憐みの目線を向けて意思の疎通を図る。琳は俺の目線に気が付くと、頬をぷくっと膨らませて俺の顔を見上げた。
「だって、パンはいと食べにくいですからっ」
(これじゃあパンがかわいそうだ……)
そんなやり取りをしていると、その間に沙夜姉は自分の気に入ったものを選んだらしく俺の名前を呼んで待っていた。
「これがいいわ。なんか高そうだし」
沙夜姉が選んだものは、金色の長方形の箱に入った如何にも高級そうな羊羹だった。気になる値段は……言わないでおこう。強いて言えば、琳のリンゴ二十個分に相当する一品であった。
「……よし。これで必要なものは揃えた。後は俺の買い物に付き合ってくれ」
俺は二人に小さく声を掛けると、朝の冷蔵庫の景色を思い出して足りないものを探して店内を回り始めた。セールで手に入れられなかった野菜や調味料、肉、魚などから簡単な総菜までまるで主婦のような買い物をしていく。
琳が家に来てから和食中心の生活が続いているので、今日安売りしているインスタント食品やレトルト食品は琳が買わせてくれない。代わりに昆布やカツオ節などの出汁がとれる物や、とにかく野菜類を進められた。そこら辺の品定めは沙夜姉に任せ、結局買い物のおよそ半分が野菜類と言うなんともヘルシーな荷物になってしまった。俺はダイエット中のOLか、と心の中で突っ込んでしまったのは秘密である。
すっかり暗くなってしまった夏の夜道を歩きながら、涼しげな風を受けて心地よく感じていた時だった。
「沢山買いましたね!」
琳はルンルンと上機嫌に腕を振りながら俺の前を歩き、首だけ俺の方に回して声を掛けてきた。
「羊羹~羊羹~」
沙夜姉も琳と同じく前を歩きながら、首を左右に振りながらリズムよく鼻歌を歌い上機嫌である。
「全く、現金な奴らだなぁ」
俺は両手に大きく膨れ上がったレジ袋を持ちながら、目の前の幽霊たちを見て呆れの言葉が漏れた。
「それで、今日の晩御飯は何にするの?」
鼻歌が終わったところで、沙夜姉がくるっと向きを変えて俺に問いかける。
「そうだなぁ……色々買ったし、大体の物は作れるけど――」
「あ、なら揚げ出し豆腐食べたい!」
沙夜姉が片手をピンと天に向かって上げ、威勢よく提案する。
「あ、じゃあ私はまたあの魚の煮つけがいいですっ!」
続いて琳も沙夜姉と同じように身体を俺に向け、ピンと手を伸ばして提案してきた。
「あのなぁ、そんなもののレシピは知らん。煮つけはまた今度な。手間がかかるし、今日は簡単なものにするつもりだから」
俺は期待の眼で見つめる二人の提案を、いとも簡単にバッサリ却下した。もう空腹が限界に近く、何でもいいから早いところ胃の中に入れたかったのだ。これ以上、幽霊のお遊びに付き合っている余裕はない。
「えーっ。けちーっ」
沙夜姉は頬をぷくーっと膨らませ、詰まんなそうにぶーぶーと文句を言っていたが、もう気にしないことにした。
「そうですか……残念です。また今度お願いしますね?」
琳は少し悲しそうな顔をしたが、また今度と言うところを切り取って強調させてお願いしてきた。
「あぁ、また今度な。今日はリンゴで我慢してくれ」
「わかりました!」
俺が頭を優しく撫でてやると、「えへへ~」といつものニヤケた顔になり俺をトロンとした眼で見つめ返す。
「なんか琳にだけ甘くな~い?」
沙夜姉は俺達のやり取りを傍で見ていて、さらに不満げな様子でトゲのついた言葉を投げかけてきた。
「そんなことはないぞ? 真面目な子には後でちゃんとご褒美があるってだけだ」
「わたしだって真面目ですよ~? ほらっ、今日の活躍ぶりはすごかったでしょ?」
沙夜姉はまた自信満々に胸を張って、俺の前に飛び出すと堂々と道の上に立った。
「はいっ! いとすごかったです!」
琳は満面の笑みを浮かべて沙夜姉を賞賛する。その笑みが俺に向けられないことが気にかかり、何故か嫉妬のような感情が湧き上がりそうになった。
「ま、まぁ、確かに大活躍だったが、それ以前に今日の失態を加味すればプラマイゼロだ。よっていつもの通り、平常対応になる」
「えーっ! そんなぁ~……」
「異論は認めん。さもなくば……」
「はいはいっ! すみませんでしたっ! 私が悪ぅござんでしたっ!」
俺の冷ややかな睨みつけに以前の記憶が蘇ったのか、沙夜姉は地べたに座ると土下座をしながら慌てて謝罪をした。
「分かればよろしい」
流石、家城家直伝の躾け方である。最初は出まかせでやってみたことが、まさか幽霊にも有効とは恐れ入った。これは、発明したご先祖様に感謝しなくてはいけないだろう。
「それで、話は戻りますが今日は何を作るのですか?」
沙夜姉の失態を横で見ながら苦笑いしていた琳が、思い出したように俺に顔を向けて尋ねる。
「そうだなぁ、どうしよっかなぁ」
俺が空を見上げて今晩の献立を考え始めた時、不意に琳がもじもじと身をゆすり始めた。
「ん? どうした?」
「あ、あの……もしよろしければ……」
ポッと琳の頬が紅く染まり、下を向いたまま人差し指同士を付けたり離したりを繰り返す。
「なんだ? 言ってみ?」
「そ、それでは…………私に、お料理させてくださいっ!!」
琳はバッと顔を上げると、大きく眼を見開いて決意の表情で俺を強く見つめながら言い放った。
「……は、はい?」
思わぬお願いに、一瞬俺の中で時間が止まったような感覚を覚える。全身が固まり、眼をぱちくりとさせ耳に伝わってきた言葉の意味を再確認する。
聞こえたのは"お料理させてください"。つまり、自分に料理をさせてくれと言う意味だ。それが指す意図
は……、
「琳、料理したいのか?」
「はいっ!」
琳は気合十分と言った表情で、拳を胸の前で構え元気よく返事をする。
「また急にどしたの?」
横で土下座をしていた沙夜姉がいつの間にか俺と琳の間に立って聞いていて、俺と同じく眼を点にさせながら琳に尋ねた。
「今日、殿は朝から何も食べていないと聞き、色々あってお疲れだと思います。だから、今日は私が代わりに作ってあげようと思ったのです!」
琳は両手のひらをパンっと合わせ、笑顔で沙夜姉に答えた。
「私達は何も食べなくても死にはしませんが、殿は違います。今ここで死んでほしくはないので、私が代わりにやりますっ! ダメ、ですか?」
琳は自分の唇にくっつけた手のひら同士の人差し指を付け、上目遣いで首を傾げ俺を見つめる。出ました、琳の十八番のあざといお願いの仕方。これをされて、琳の要求を断れた記憶が俺には無い。琳も一度これで通ったことに味を占めたらしく、どうしてもの時にはこうやってあざとくお願いしてくるようになったのだ。一体誰がこんなことを教えたのか、育てた親の顔が見てみたいくらいだ。
「ぐっ……」
俺が返答に困れば困るほど、琳はその眼を紅くして俺に訴えかけてくる。この時点でもう俺の負けは決まっているようなものなのだが、果たして幽霊に料理ができるのだろうか。色々な問題があるとは思うが、何より問題なのは、そもそも琳が料理できるのかと言うことだ。
色々な不安が織り交ざって中々返答が出来ない中、意識の外側から急に目の前に琳と俺を遮る壁が現れた。それは薄暗い中でもはっきりとわかるくらいの赤い着物を着ていて、ツバキの模様が描かれている。と言うことは、これは紛れもなく沙夜姉である。
「琳……」
沙夜姉は、低く唸るようなトーンで琳の名を呼ぶ。
「は、はい?」
琳も思わず萎縮してしまい、顔を引きつらせて背筋がピンと張ってしまう。
「わたしは……感動したッ! 琳ッ! あなたは本当に偉い子だねぇ!!」
暗かった顔を勢いよく上げ、カッと眼を見開いて声を張り上げた。そして、思いっきり琳に抱き着くと頭から肩から全身を隈なくわしゃわしゃと撫でつけながら、「いい子だぁ~いい子だぁ~」と感動の涙と共に琳の頬に顔を擦り付ける。
「はわっ! 沙夜子さんっ、ぐるじいでずぅ~っ!」
琳は沙夜姉に全身を隈なく撫でられてしまい、さらにヘッドロックを決められながら顔を擦り付けられ鼻水と涙でどろどろのめちゃめちゃにされてしまった。
「よしっ、あなたの気持ちはわたしも受け取ったわ! 琳、一緒に作ってあげましょう!」
沙夜姉は、眼を回してしまっている琳の両手を掴んで、キラキラとした顔で提案する。
「へぇっ? さ、沙夜子さんも一緒に、ですかぁ?」
「そうよっ! 料理はわたしが教えてあげる。女中時代によくやってたからそれなりに自信はあるわ。だから、一緒に雅稀を驚かせてあげましょう!」
勢いに火が付いた沙夜姉を、もう誰も止められなかった。その勢いに琳も当てられてしまい、眼にはやる気の炎が着火する。
「はいっ! 一緒に殿を喜ばせて上げましょう!」
琳も眼をキラキラと輝かせ、沙夜姉の手をグッと握り返す。そして、二人は同時に俺の方に向きを変え、やる気満々に俺を見つめる。
「そういう訳で、今夜はわたし達に任せなさい! どーんと大船に乗ったつもりで楽しみにしてなさいよ
!」
沙夜姉は、腰に手を当てビシッと人差し指を俺に向けて宣言する。
「絶対、殿を喜ばせて上げますからっ! 待っていてくださいっ!」
琳も沙夜姉に倣って、腰に手を当てて力強く俺に人差し指を向ける。
「……俺の意見は全く無視か。誰か、こいつらを止めてくれ……」
俺の悲痛な叫びは、星々が輝く夜空に広く霧散していってしまった。それから家に着くまで琳と沙夜姉は二人して献立を相談していたが、俺の帰る足取りが家に近づくに連れどんどんと重くなっていくのは言うまでもない。
雅稀メモ:幽霊に料理が出来るのか?
琳メモ:殿にご飯を作ってあげますっ!




