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其ノ49 戦の残り物

 俺達は早速出かける支度を進め、出かける用意が出来てから二人で一緒にドアを開けて家を出る。すると、今まで仲間外れにされていた沙夜姉は寂しかったのか半べそをかきながら必死になって俺達の元に飛んできて、驚いている琳に泣きついてしまった。素で忘れていた俺と泣きつく沙夜姉をなだめる琳は、顔を見合わせて苦笑いした後沙夜姉に謝罪をしたが、相当ご立腹な様子で一向に許してくれない。


「忘れてたのは悪かったって。だから、もう琳に抱き着くのはやめたらどうだ?」


「ふーんだっ。雅稀のイジワルっ! 鬼っ! ヘタレっ!」


「ヘタレは余計だっ!」


 夕暮れに染まる道を歩きながら俺は沙夜姉に何度も謝罪をするが、沙夜姉は頬を膨らませ琳の背中に抱き着いて離れようとしない。琳もそうだが、幽霊と言うものは一度機嫌を損ねると中々元に戻ってくれない生き物なのだろうか。この世にしぶとく生き残っているだけあって、根に持ちやすい特性でもあるのかもしれない。


「まぁまぁ。殿も悪気はなかったのですから、どうか許してあげてください」


 琳は背中に引っ付いてる異物に少し困ったような顔をしながら、ご立腹な沙夜姉をなだめる。


「琳まで雅稀の肩を持つ気ぃ? そんな子に育てた覚えはないのに、お姉さん悲しくて死んじゃいそうだわ……」


「幽霊のくせに、何を頭湧いたこと言うか」


 俺の鋭いツッコミを沙夜姉は一切無視して、どこから持ってきたか分からないハンカチを手に持ち琳の肩から顔を出して、「よよよ……」と嘘くさい泣き真似をする。


「あ、あはははは……」


 俺と沙夜姉の中間に囚われてしまった琳はその場でどうすることも出来なく、ただただ苦笑いをしているしかなかった。結局拗ねてしまった沙夜姉をなだめるために、スーパーで一番高い羊羹を買うということで手を打たされてしまった。沙夜姉は、こういうところはしたたかで抜かりが無いので恐ろしい。


 そんなこんなをしている中ふと会話の切れ目で道の方に目をやると、今日は珍しく道を歩いていてもすれ違う人がほとんどいなく、琳たちと会話をしていても変に思われるような場面には出くわさない事に気が付いた。いつもなら買い物帰りのおばちゃんたちや学生が返ってくるころ合いで数人はすれ違ってもいいはずなのだが、今日はやけに少ないと感じる。


「なんか今日は人通りが少ないな」


 俺は左右に首を回して、道の前後を見渡しながらつぶやく。


「あ、そう言えばそうですね。私もすっかり話し込んでしまいましたが、向かってくる人は殆ど人はいませんでしたね」


 琳も同じように不思議に思っていたらしく、辺りをキョロキョロと見回しながら俺に答える。


「なあに? 人が少ないと何かあるの?」


 沙夜姉は俺の背後に来ると自分の腰に両手を当て、訳が分からないというように俺達に尋ねる。昼間に着替えた赤い着物が夕焼けに当たってより一層赤みを増し、赤椿と白椿の華やかな刺繍がオレンジ色に変化していた。


「そうだな、通行人が多いと返って面倒だ。道でお前たちとこうやって話せないし、昔はそれで大分苦労したもんだ」


 俺は首を軽く沙夜姉の方に回し、眼だけ後ろに向けて応える。昔と言うほど昔でもないが、俺と琳が過ごしてきたこの一か月ほどは人生の中で一番濃い時間だったと思う。当所は道端でも平気で声を掛けてきて、答えないとその場で拗ねてしまうような面倒があったが、今ではちゃんと自分の立場を理解して人がいる場所では声を掛けないようになってきている。さらに、俺との意思疎通も大分取れるようになってきていて、目配せ一つで琳に伝えることが出来るようにもなっていた。

 そんな琳が道でよくしゃべるのは、ここ最近では特に珍しいことなのだ。


「おかしいな……どこかで何かやってるのか?」


「なんなのでしょうね……」


 俺と琳は二人して首を同じ方向に傾げ、道の先に小さく見えるスーパーの影を見つめる。


「何でもいいから、さっさと行きましょうよ。わたし、早く羊羹が食べたいわ」


 沙夜姉は一人暢気にあくびをしながら、スーパーのある方角を指差して俺達を急かす。


「はいはい、わかったから急かすな」


 俺は沙夜姉の急かしを受け流すと、疑問符が頭に浮かんだままスーパーに向けて少しだけ歩を進めるスピードを上げた。



――……。



「な、なんだこりゃ……!」


「なんてことでしょう……!」


「あらまぁ」


 俺達はスーパーの前について、開口一番驚きの声しか出なかった。あまりのことでそれ以上言葉が出ず、ただただその場に立ち尽くすしかできなかった。琳は顔を青くしてしまい、肩は小刻に震えだしていた。沙夜姉は額に手をかざして、背伸びをしながら遠くを見つめる。


 スーパーの入り口前のスペースに置いてある、空になった大量の段ボール箱とプラケース。そしてその周りに、無残に散らばった野菜くずたち。奥の垂れ幕に書いてある『本日限り! 出血大サービス! 野菜詰め放題セール!』の大文字。その横に張られている、ペラペラの紙に雑に書かれた"完売"の文字。

 

「今日、セールやってたのか……」


「道理で人が少ないわけですね……」


 つまり、今日の特売セールを近所の奥様方は知っていて、我先にと買いに来たお陰でこの時間に帰る人がいなかったという訳だ。ここは文字通り戦場と化していたらしく、辺りには踏まれて切れ切れになった葉物野菜のクズや先っぽだけになったニンジン等の無残な姿が転がっている。戦が終わった後の会場には、やけに冷たく感じる風が吹いていた。


「あるなんて知らなかった……流石地元の奥様方だ。情報網は伊達じゃない、か……」


 がっくりと膝を落して落胆した俺を、琳はアワアワ言いながら必死になだめようとする。すると、


「でも、こんなにたくさんの箱がそう簡単に空になるわけが無いわよね~」


 意気消沈している俺を横目に、沙夜姉は顎に指を当てながらふらふらと売り場机上の方に歩いて行く。


「見た感じは確かに空だけど、こういうところに……やっぱり!」


 沙夜姉は積み重なった箱の前にかがむと下の方に腕をすり抜けさせて、何やら底の方をゴソゴソと漁っていく。そして、いくつか漁った後にニヤっと笑みを浮かべて立ち上がった。


「何やってんだ……?」


 ようやく気が戻った俺は首を上げて沙夜姉の方を見ると、沙夜姉はこれ見よがしに胸を張りにんまりした顔である箱を指さした。


「ここ掘れワンワン、なんてね。騙されたと思ってどかして見なさい」


「はぁ? 何を言って――」


 俺のため息に「いいからいいから」と沙夜姉は急かし、断り切れそうにもなかったので仕方なく俺は言うとおりに積み重なった箱をどかしていった。すると、一番下の箱の中にポッきり半分に折れたニンジンや葉の萎れたキャベツなどが無造作に詰め込まれているのを見つけた。


「これは……ッ!」


 思わず声が詰まる。いつもならただの野菜くずだと見捨てている食材たちが、今は金銀財宝のように輝いて見えたのだ。千切れた葉っぱも、折れた野菜も、どれもこれも歴戦の勇者の如く凛々しい表情でそこに並んでいるようだった。


「どうしてわかったのですかっ!?」


 同じく箱の中を覗いていた琳が、横に立っている沙夜姉に顔を向けて尋ねる。


「こういう時って、必ず規格外モノや傷物が出るでしょ? そういう物って催しが終わった後に纏めて処分されるはず。だからこうして一つにまとめておいてあると思ったのよ」


 沙夜姉は琳に対し、堂々と鼻高々に答える。しかし、今はその態度が頼もしく見えてしょうがない。


「ほほぅ……流石沙夜子さんですっ!」


「あたしも経験あるからねぇ。女中時代はよく買い出しに行かされたもの」


 少し遠くを見てはにかみながら沙夜姉は答える。俺はそのやり取りを静かに聞いていて、それからその場にスッと立ち上がると沙夜姉の正前に進み出た。


「えっ、えっ?」


 思わず沙夜姉は身をたじろいでしまう。琳もいきなりのことで、ポカンと口を開けて眺めてしまっていた。


「沙夜姉……いや、沙夜子姉様……ありがたやぁ、ありがたやぁ!」


 俺はダーっと涙を滝のように流しながら沙夜姉の前で両手のひらをこすり合わせ、目の前の沙夜子姉を奉った。沙夜姉の勘と経験は、情報戦で一歩先を越され野菜争奪戦に残れなかった俺にとって女神のような恩恵をもたらしてくれた。そんな神がかった相手を、俺は奉らずにはいられなかったのだ。


「な、何よいきなりっ!」


 それを見て背筋がブルッと震えた沙夜姉は、顔をこわばらせ思わず後ずさりしてしまう。余りの態度の変貌ぶりにドン引きしてしまったようだった。


「と、殿が壊れてしまいました……」


 琳はあっけにとられて眼をぱちくりとさせながら、涙を流して奉っている俺とそれを気味悪がる沙夜姉を見つめポロっとつぶやいた。



――……。



 俺は残り物の野菜くずを近くにぶら下がっていた袋に詰め込み、それからスーパーの買い物かごを取って中に入れる。これで当分の野菜には困らなくなった。クズとはいえ、見た目が悪くとも野菜には変わりないので味には大差ないだろう。それなら、一人暮らし(今はプラス二人の幽霊)生活の貧乏フリーターには願ってもない収穫だ。


「残り物には福があるってな。流石昔の偉人は言うことが深い!」


 俺はことわざの力に感心しつつ、スーパーの中に入ってこれからの生活に必要な食料を見定めに入る。店内も既に買い物客の波が収まりつつあり商品の穴もちらほらと見受けられたが、俺にとってそれほど必要なものではなかったので結果として自分への被害は少なかった。


「にしても、ほんとこの店の商品は安いよなぁ」


 自宅からそんなに遠くない立地にあるこのスーパーは、商品の安さに定評がある近所の奥様方御用達のお店である。品揃えこそ商店街には及ばないものの、その物流や仕入れ方を工夫してとにかく安く売ることを信条としているらしい。さらに、俺みたいな貧乏人や一人暮らしの強い味方のこのスーパーでは毎日の日替わりセール以外に、月に一度開催日を一切公表しない大サービスセールを行うことがある。それがたまたま今日だったらしく、店内の物もかなりの値引きがされていてまさに"買い時"だったのだ。


 ここは以前、琳との約束をすっぽかして怒られてしまった際に来た場所でもあるため、思い出して口の中が干上がっていくのを感じた。


「相変わらず、物の値段が分かりません……」


 琳は魚売り場に並んでいる鮮魚たちを眺めながら、眉間にシワを寄せて難しい顔をしている。琳は頭はいいのだがこういう物の価値や値段がいまいち理解できないらしく、値札の数字を見てもそれが高いのか安いのかが理解できないらしい。


「これは良いお魚なのでしょうが、一体どのくらいの価値があるのやら……」


 顎に指を当てて、「ムムム……」とつぶやきながら険しい表情になり、張られている値札を凝視する。


「ほ~ぅ、中々いいものが揃ってるじゃない」


 すると、屈んでいる琳の頭の上からひょいと手を伸ばして、沙夜姉が琳の見ていた魚のパックを取り上げた。


「沙夜子さん、分るのですかっ!?」


 琳は顔を上げて、驚きの眼差しで沙夜姉を見つめる。


「これはサバね。よく脂ものっていて身も厚いわ。これはいいものね。因みにそっちは、身は厚いけど脂ののりがイマイチね」


 沙夜姉はサバのパックを片手に持ち、まるで主婦のように魚の品定めを行う。それがなんともまあ的確なこと。俺も、以前テレビでやっていいた新鮮な魚の見分け方を実践していてそれなりに目利きには自信があるのだが、沙夜姉の目利きはそれ以上の正確さを誇っていた。


「すげーな。今日は大活躍じゃん」


 買い物かごを片腕に通し、その手を腰に当てながら俺は感心する。


「沙夜子さんすごいですっ! 流石ですっ!」


 琳も興奮した様子で、目の前で飛び跳ねながら胸の前に拳を構え鼻息を荒くする。黄緑色の瞳がキラキラと輝き、沙夜姉を尊敬のまなざしで見つめる。


「褒めたって何も出ないわよ~?」


 そう言いながらサバのパックを片手で持ち、反対の手で自分の頬を掻く沙夜姉の顔はまんざらでもなさそうだった。


 と、ふと何やら俺達に向けられる視線に気が付き、沙夜姉の後ろで買い物をしている親子連れに目線がいった。その時――いや、最初からその親子連れは俺達の方を見ていたのだろう、二人ともポカンと口を開けて眼を皿のようにし、石のように固まってしまいながら沙夜姉の持っているサバのパックを凝視していた。


「あ……」


 そう、沙夜姉の身体は"俺達にだけ"見えているわけで、他の買い物客にはその姿が見えない。そもそも沙夜姉は日の光が当たらない場所では実体化することができるのだが、店内は日の光の代わりに蛍光灯の光が煌々と照っている。そのため明るすぎる店内では沙夜姉の身体が透けて見えなくなってしまっていて、結果今親子連れが見ている景色には俺以外に宙に浮いたサバのパックしかないのだ。


(し、しまったぁぁぁっっっ!!!)


 俺はハッと我に返って沙夜姉が持っているサバのパックを奪い取ると、すぐに元あった場所に戻した。


「あ、ちょっとぉ!」


 急に手からひったくられた沙夜姉は、驚いた顔をしてサバのパックの行方を辿る。俺は、沙夜姉の不満げな顔を一切無視して元の場所に戻し再度親子連れの居る方に恐る恐る顔を向けると、今度は俺の顔を見てポカンと口を開けて固まっていた。手に持っている買い物袋がタイル張りの床にドサッと落ちても、一向に視線を離そうとしない。


「あ、あはははは……すいませんでしたッ!!」


 俺は自分の買い物かごを掴んで、琳と沙夜姉を置き去りにして一目散に魚売り場から駆けだした。この痛い視線から、一刻も早いところ逃れたかったのだ。


「あ、殿っ! 待ってくださ~いっ!」


「ちょっと! どうしちゃったのよ~!」


 琳も沙夜姉も急なことにびっくりして顔を見合わせてしまい、それから我に返り慌てて俺の後を追う。


――……。



「ハァっ、ハァっ、ハァっ……」


 少し離れた野菜売り場に来てから、買い物かごを雑に置くと膝に手を当てて荒くなった息を整える。どうやらあの親子連れは追ってきていないようで、他の買い物客には見られていなかったらしい。こんな短距離でも動悸が激しいのは、きっと昼ご飯を食べてないからだとそう信じたい。決して年のせいにはしたくない。


「殿~っ! 大丈夫ですか~っ?」


「雅稀~。平気~?」


 俺の呼吸が程よい感じになってきた時、ようやく二人の幽霊が俺の姿を見つけて近づいてくる。はぐれたと言ってもいい状況だったのに、方向音痴の沙夜姉が琳と一緒に来るのはなんだか珍しい気持ちだった。


「一体どうしちゃったのですか?」


 琳が俺の傍に寄ってきて、深呼吸をする俺を心配しながら尋ねる。


「琳。昔の偉人はこんな言葉を残している。"油断は禁物"と」


「は、はい?」


 琳は俺の言ったことがよく分かっていないのか、頭の上にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げた。


「沙夜姉も、外ではあまり物に触ったり持ち上げたりしないでくれ。俺が変な目で見られる」


「え、なんで? ――あー、なるほど」


 琳とは違い沙夜姉は一瞬疑問の表情をするも、自分の身なりを一通り見てから意図を理解したのか手のひらを拳で打って応えた。


「あ、なるほど。沙夜子さんも幽霊でしたね」


 沙夜姉からワンテンポ遅れて、人差し指を顔の横で天に向け琳も言葉の意図を理解する。


「そう言うことだ。まったく、油断してたぜ……」


 このことをきっかけに、俺は緩んでいた気を引き締め外での幽霊との接し方をもう一度頭の中で復習したのだった。




雅稀メモ:幽霊と外で話す際は周りに気を付ける。


琳メモ:外ではお静かに!

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