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其ノ48 おめかしはレディの基本

 琳と俺を照らす夕日は宝石のように綺麗で透き通るような光を放ち、隣家から漂う夕食のいい香りを運んでくる。優しくほほ笑んでいた琳のお腹が急にぐ~っと鳴り、二人してはっと我に返ってしまった。


「あ、あぁ……」


 琳は驚いたその顔を夕日よりも赤くし、眼をぱちくりとさせながら自分のお腹を凝視する。


「……ぷっ」


 俺はその様子に我慢できず、口元まで出かかっていた物をついに吹き出してしまった。


「わ、笑わないでくださいっ!」


 琳は円卓に両手をついて飛び上がり、真っ赤にした顔で怒る。しかしそんな行為に説得力は全くなく、俺から見ればかわいく思えてしまった。

 今まで作っていたシリアスな雰囲気を見事にぶち壊した琳のお腹の虫は、身体が激しく動いたことによりダメ押しの如く再度琳の腹から鳴き声を上げた。


「は、はぅぅ……」


 二度目は流石にごまかせないと思ったのか、琳は悲しそうな恥ずかしそうな顔をして自分の腹を両手で押さえ、自分が座っていた場所にヘナヘナとへたり込んでしまった。


「折角の雰囲気が台無しだな」


 俺は腹がよじれる思いを必死に我慢し、笑いを吹き出しそうになりながら琳に言った。


「うぅっ、言わないでください……」


 琳は目元を赤く染め涙目になりながら、力なく机に突っ伏した。


「そんだけ色々考えてたら、腹も減るわな」


 思えば、俺達は買い物から帰ってきて以降何も口にしていないのだ。要するに、昼飯抜きの状態である。そんな状態で夕暮れまでいたのだから、当然お腹が減っていてもおかしくない。しかし、折角給料が入ったのにも関わらず昼間の買い物では肝心の食糧を何一つ買っていなかったのだ。なので、今すぐ何か食べようと思っても冷蔵庫の中は空っぽなのである。


「程よく休んだことだし、これから夕飯の買い出しに行くけど、琳はどうする?」


 俺は、恥ずかしさのあまり机に突っ伏してしまっている琳に尋ねる。


「私は……」


 琳は力なく答えるが、今までの話があった手前行くか行かないかは迷っているようだった。そこで俺は少し考え、一つ提案をすることにした。


「……好きなもの買ってやるって言ったら?」


 瞬間、琳ががばっと体勢を起こし紅い眼を皿のようにして俺を見つめてくる。


「な、なんとっ!?」


「ほら、仲直りのしるしにってやつだよ。なんか欲しいものあるか?」


 琳は目を伏せて少し考えるしぐさを取り、それから何かを思いついたようにゆっくりと顔を上げた。


「……りんご」


「んっ?」


「……りんごが、食べたいですっ!」


 両腕を自分の胸の前でグッと構え、眼を大きく開いて俺を凝視しながら琳は大きな声で言い放った。


「……決まりだな」


 俺はそんな琳の勢いに乗るように、ニヤっと悪い顔をして答える。


「よし、そんじゃ沙夜姉も連れてみんなで行こうか」


 その場に立ち上がりながら琳をリビングへと誘う。琳は眼をキラキラと輝かせながら浮かび上がり、興奮が抑えきれないといった様子でそわそわしていた。


「是非行きましょうっ! 沙夜子さ~んっ!」


 琳は元気よく閉まっているドアをすり抜けていくと、一目散にリビングにいるであろう沙夜姉の元に飛んで行ってしまった。


「まったく、忙しい奴だな」


 琳の出ていった部屋の中で、俺はやれやれと頬を掻く。これでまた琳との約束が増えてしまったと内心自分に呆れかえってしまうが、それでも琳のことをわかってやれなかった自分に対する戒めもかねての約束だということにして決着をつける。

 俺は机の上に出しっぱなしにしてあったノート(秘封の書)にこれまでのことを書きとめ始めた。沙夜姉と話し合ったこと、琳の過去にあった事、そして琳の気持ちと約束。一通り書き終えてから、ふとページの一番最初を開いてこれまでに書き残したことを見返す。


「ははっ、こんなくだらないことまで書き残してたのか」


 ページをパラパラとめくりつつ、その時々にあった事を思い出してゆく。琳に初めて会った時に震える手で書き残した『幽霊は本当にいる』、パンをのどに詰まらせて死にそうな顔をしていた時に書き残した『幽霊はパンを詰まらせて死にそうになる』、外に出る時に守らなくてはいけない約束を覚えさせた時に書き残した『幽霊と外に出る際の約束事を決めた』などなど。

 下らない物から重要なものまで幅広く大雑把にまとめられていて一見とても読み辛くなっているが、書いた本人である俺にとってはどれも大事な記憶の一部である。これからもこいつに頼りながら琳や沙夜姉に色々迷惑かけるかもしれないけど、絶対に忘れちゃいけないこともあると自分に言い聞かせて最後のページに『約束、琳に俺に気持ちを伝える』と書き残した。


 ノートを机に置き戻してパタン、と閉じた瞬間、鼓膜を(つんざ)くような琳の悲鳴が廊下から俺の元に飛び込んできた。


「な、なんだぁ!?」


 琳が悲鳴を上げることなんて滅多にないことだし、以前家に黒光りするアレが出た時にも「これはなんですか? 飼っているのですか?」なんて聞いてきたくらいに度胸も据わっているはずだ。なのにこんな声を発する理由なんて一つしかない、と大体の想像がつく自分が既にそこにいた。


「ま~た沙夜姉か……」


 俺は重くなっていく頭を片手で抱えながら、嫌々と言うように声の聞こえてきた方向に足を向けた。



――……。



 部屋をそろりと出てみるも、暗い廊下には二人の姿はなかった。声の聞こえてきた方角から察するに、残るはリビング一択のみ。俺はゆっくりとリビングの光が漏れる方向に進んでいく。


「今度は何の騒ぎだ?」


 頭を掻きやれやれとかったるそうに、部屋の中に入れであろう人物たちに問う。


「あ、雅稀ぃ! 丁度良かった。これ見てくれる?」


 俺の問に対し、最初に答えたのは沙夜姉だった。買ってきた荷物が散乱しているリビングの端に膝立ちをして背を向けており、俺の声に応じて向きをくるっと変えてこちらを見る。すると、今まで沙夜姉の背で見えなかったところが開けて、その場所にはモジモジと身体を揺らしながら変な顔をした琳の姿があった。


「り、琳? おまっ、なんだそりゃ!?」


 琳のそれは、一言でいうならば"おたふく顔"である。人工的な白い厚塗り化粧の上に真っ赤な唇がはっきりと描かれていて、頬にはピンクの円がこれまたはっきりと乗っかっている。さらに目尻は細長く垂れ眼に伸びていて、眉毛の所には薄灰色の楕円が張り付いていた。髪型もいつものストレートではなく、首の当たりから二つに分かれて結ばれおさげ状になっている。そして極めつけは、前髪のあった部分は額の中央で五・五分けになっているのだ。これで表情が良ければ、まさにおかめさんである。


「うぅぅ……」


 琳は下を向いて、何やら落ち着かない様子でそわそわとしていた。それもそうだ、こんな姿を他人に見せる訳にはいかない。それを、よりにもよってさっきまで真剣な話をしていた相手に見られるとなると、今すぐにでも穴の中に入りたい気持ちなのだろう。


「どう? これでお歯黒があったら完璧なんだけど、流石にこの時代には無いのよね……」


 沙夜姉は今の琳の顔を見て、これでもまだ納得がいっていないと顎を手で掴み喉を唸らせる。


「な、何してくれてんだぁ!!」


「あら、お気に召さなかった?」


 大声で怒鳴る俺に対し、沙夜姉はそんなことを意にも介さず疑問符を頭に浮かべて首を傾げた。


「気に召すとかそういう問題じゃないだろ! これから買い物に行くところだってのによ!」


「だ・か・ら・よ」


 よっこらせ、とババ臭い掛け声を出して立ち上がりながら沙夜姉は言う。


「わたし達の生きていた時代では、これがお出かけの用のメイクなの。身だしなみはちゃんと整えてあげないとね!」


 沙夜姉は堂々と胸を張って自信満々に、両手の指の間に化粧道具を挟み込み顔の横に上げて俺に見せる。


「あのなぁ、長く生きてきても、そこは昔のまんまなのかよ」


 俺は肩を落とし、眉間にシワを寄せて怒ったように尋ねた。


「雅稀の好みに合うかな~って」


「合うかっ! 頭湧いてんのかっ!」


 俺は今日一番のツッコミを、これまた今日一番の大声で叫んだ。こんなに叫んでも隣近所からクレームが来ないのは、そもそも隣と下の部屋に住人がいないからである。この建物は各階に五部屋ずつあるのだが、俺を含めて四部屋しか住んでいないのだ。そのため、大家さんが隣との間隔を開けて住まわせてくれているので多少大声を出しても近所迷惑にならないのだ。


「ありゃりゃ、失敗だったか。仲直りの助けになるかと思ったんだけどな~」


 沙夜姉は冷めた様子で答えると、持っていた化粧道具をその場に置いてからビニール袋の中をゴソゴソと漁りだした。


「ったく……」


 俺はため息を吐きながら、ゆっくりと琳の元に近寄っていく。琳は涙目でうつむきながら、少し肩を震わせて立っていた。


「大丈夫か? 他に何かされてないか?」


 方膝を折って琳の前に付き、そっと顔色をうかがう。


「と、殿ぉ……」


 ウルウルとした黄緑色の眼を俺に向け、今まで我慢していた感情が決壊する寸前だということを訴えかけてくる。


「はぁ、どうしてこうなったんだ?」


「それは……」


 琳は一度鼻をすすってから、申し訳なさそうに事の経緯を説明し始めた。



―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―



「沙夜子さんっ! お出かけしますよっ!」


 私がお部屋を飛び出して沙夜子さんの元に向かった時、沙夜子さんはここで何やら買ってきた荷物を漁っていました。


「あら、琳。もう仲直りできたの?」


 沙夜子さんは私の声に気が付くと、顔を上げて振り返り私に尋ねてきました。


「あ、その、えーっと……」


 私は尋ねられるともじもじとしてしまい、中々話を切り出せませんでした。沙夜子さんにも迷惑をかけたのに、今更なんて言い出せばいいかわからなかったのです。沙夜子さんはそんな私の顔を伺うと、薄くほほ笑みました。

 

「仲直りできたなら良かったわ。わたしは全然気にしてないから。それより、雅稀に琳のこと色々喋っちゃったの。ごめんなさいね」


 そう言って沙夜子さんは、私の方に身体を向けて頭を下げました。本当は私が謝らなければならないのに、沙夜子さんからごめんなさいを聞くなんて驚きました。


「そんなっ、私はいいですよ。それより、私の方こそご迷惑をおかけしました……」


 私も沙夜子さんにつられて、その場で頭を深く下げました。沙夜子さんはその姿を見て薄くほほ笑んだ後、笑みを浮かべて軽く「うんっ」と答えました。


「よしっ、それじゃあお互いお詫びし合ったところで、ちょっとこっちに来てくれる?」


「えっ? あ、はいっ」


 私は言われるがままに、沙夜子さんの元に行きました。一体何用なのかわからなかったので、全く疑わなかったのです。


「これからお出かけなんでしょ? だったら、ちゃんと準備をしないとねっ」


 そう言いながら、沙夜子さんはさっきまで漁っていた袋の中からいくつかのお化粧道具を取り出しました。


「何をするのですか?」


「決まってるじゃないっ! 琳のお・め・か・し・よっ!」


「へっ?」


 そう言う沙夜子さんの眼はなぜかとても輝いていて、ともすれば熱く滾る何かを感じ取りました。そして、不思議とわたしの背筋に嫌な汗が流れるのを感じました。


「さぁ、逃がさないわよ? 大人しくおめかされなさいっ!」


 ゆらゆらと近づいてくる沙夜子さんに、私は圧倒され足がすくみ動けませんせした。そして……、


「あっ、あぁっ、ひっ、ひゃあああぁぁぁっっっ!!!」



―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―



「――と、いう訳です……」


 おたふく顔の琳は、悲しそうな表情で最後を締めくくった。


「なるほどねぇ。俺がいない間にそんなことが……」


 そう言いながら、俺はゆっくりと沙夜姉のいる方向に首を回す。沙夜姉はそろりそろりと物音を立てないように静かに歩いていて、いつの間にかリビングの出入り口の方に去ろうとしていたところだった。


「なぁ、沙夜姉? 俺達、約束したよな? 余計なことはするなって」


 俺はドスの効いた低い声で、逃げようとする沙夜姉を追い詰めに掛かる。ぶっちゃけ霊体相手に生身の人間が追いかけっこで敵うはずはないのだが、そこはご先祖様や叶実たちを味方につけた俺ならば容易いことである。


 沙夜姉は思っていたよりも早く見つかったと言いたげに、背筋をビクッと震わせてこちらに首を回した。


「あ、あははは……そんなことも――あった、かな……?」


 キッと睨まれた沙夜姉はライオンに睨まれた小鹿のように足をガクガクと震えさせ、顔色がどんどんと青くなっていくのが分かる。後ろに首を回したまま苦笑いをする顔には冷や汗が滲む。


「……はぁ」


 俺は睨みつけるのを止め、眼を閉じてため息を付いた。これで今日何回目になるかわからないため息は、一体どれだけの幸せを捨てているのだろうか想像がつかない。もし幸せと言うものがあるなら、俺に平穏な日常を返してほしいくらいだ。


「沙夜姉。化粧落とし買ってあるよな? 出してくれ」


 もうこの際、怒っていてもしょうがない。それより俺は早く買い出しに行きたいのだ。こんなところで時間を食っている余裕はないのである。


「あ、うん。その小さい袋の中よ」


 沙夜姉も俺の態度の変わりようにすっかり肝を抜かれてしまい、眼を点にさせながら俺の言うことに素直に従った。

 俺は言われたところの袋の中からボックス型の化粧落としを取り出すと、袋を裂きふたを開けて中から化粧水のしみ込んだペーパーを取り出した。


「ほら、もっとこっち寄れ」


 琳にそう伝えると、恐る恐る近づいてきた琳の顔に化粧落としのペーパーをあてがう。


「んっ、むぅ……」


 琳の顔をグニグニと揉むように、厚く塗られた化粧をふき取っていく。どうやればいいかなんて男の俺にはわからないので、これまでの人生経験と勘だけを頼りに手を進める。


「んむぅ、んんっ……ぷはぁ!」


 ペーパーが大きく厚手の為、琳の小さな顔を全部拭くには十分な大きさだった。少しして琳の顔全体を拭き終えると、琳は恐る恐る閉じていた眼を開け始める。


 瞬間、俺と琳の目線がびったりと繋がる。そして、今まで気が付かなかったのがおかしいと思うくらい、お互いの顔が近かった事実を認識した。


「あっ……」


「はうっ……」


 お互いさっきまでのことが頭を過り、急に恥ずかしくなって目をお互い逆の方に逸らした。


「も、もうこれでいいだろっ」


「は、はいっ。あ、ありがとうございますっ」


 目をそらしたまま俺達は会話をするが、急にそれがおかしく思えててどちらからともなく笑いが噴き出してしまった。


「あははははっ、それにしても酷い顔だったなぁ」


「うふふっ、そうですねっ!」


 二人して顔を見合わせて笑いあっている最中、部屋の隅でポカンと口を開けて立ち止まっている幽霊のことは頭の片隅にも意識が無かった。



「さて、それじゃ行きますか!」


「はいっ! お供しますっ!」


 俺は立ち上がって、琳に出発の声を掛ける。化粧をしたお陰なのか、化粧水がしみ込んだ琳の笑顔はいつもよりぽわんと柔らかく、窓辺から優しく差す夕日に照らされていた。





雅稀メモ:幽霊にも化粧はできる


琳メモ:おたふく顔は殿の好みではない



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