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其ノ41 立場が違う友達

「だから、無下にできなくってねぇ」


 沙夜姉は遠い眼をしながら、窓から見える夕日に向かって話しかける。太陽は西に傾き、自身が地平線の彼方に沈んでいくまで最後の力を使い俺の部屋をオレンジ色に染めていて、その日差しは沙夜姉の頬を透かして部屋の隅に差し込んでいた。その光景は、まるで今にも沙夜姉が消えていってしまうのではないかと不安に思わせるくらい幻想的で、神秘的にも思える。


「それでも、琳は結局正室にはなれなかったんだろ?」


「そうね。いくら作法や勉強をさせても、他の姉たちに勝てないたった一つのことが理由でね」


 そう言う沙夜姉の顔はいたって真剣で、いつものひょうひょうとした態度は微塵も見えなかった。


「たった一つの理由?」


「さて、ここで頭のいい上様のご子孫に質問。正室の仕事とは?」


 急に沙夜姉が顔色を変えて、まるで学校の先生のような聞き方をしながら立ち上がって天に人差し指を突き立てた。


「な、なんだよ急に!」


「はいっ! そこの雅稀クン。答えをどうぞ!」


 急に指されて、一瞬背筋がビクッと震える。こういうのには慣れていなく、昔から人前で指名される事が苦手なのだ。


「え、あ、えーっと……って分かるかぁっ!!」


「良いノリ突っ込みをありがとう。それじゃあヒントね」


 そう言って、沙夜姉は席を離れてからゆっくりと横に歩き出す。


「正室って言うのは、今でいう妻ってことには間違いないわ。それじゃあ、正室って言葉を妻に変えてみたら?」


「なるほど……掃除、料理、洗濯は家来や他の人がやるとして、あとやることは…………あ」


 色々考えていると、頭の中にポンとある答えが浮かんだ。それは、健全な男子なら一度は考えることがあるもので、世の男性は殆どが変態だと言われる所以である。しかし、世の中の生き物は全てそれを経て生まれてくる。謂わば、生命の大事な仕事である、子孫を残す大切な仕事。

何故それがすぐに出てきたのかはわからないが、恐らく俺がまだ健全で初心な男子であるからだろう。そう言うことにしておこう。


「分かった?」


 部屋の中央辺りまで来ていた沙夜姉が、くるっと振り返り俺を見て尋ねる。


「あ、あぁ、多分な。口に出して大声で言えないだろ?」


「そうね。恐らくご名答」


 沙夜姉はフッと微笑んで、空中に指で円を描いた。


「姉たちは皆その仕事をするに適した年齢だったけど、三ツ姫だけはそれがダメだったの。正室として一番大事な仕事を全うするに値しない。そういう理由だったのよ」


「なるほどねぇ……」


 琳から聞いていただけではなんとも思わなかったが、今こうして第三者に話を聞かされていると、琳が当時どんな思いをしたのかよく伝わってくるような気がした。純粋に、恋い慕っていた相手と一緒になることができない。今でもフラれた相手が落ち込んで自殺するって話はたまに聞くが、琳の場合はより一層だったのだろう。


「でも、それなら琳が適年齢になるまで待てば良かったんじゃないのか?」


「正室を決める時、それなりに急用だったらしいのよ。でももし待つことが出来たなら、あんなことにはならなかっただろうね……」


 沙夜姉が、少し悲しそうな顔をして俯く。あんなこととは恐らく、以前に聞いた心を病んであの崖から飛び降り自殺した件だろうか。


「大好きな人と一緒になるために精一杯頑張って勉強して、色々なことを覚えたのに自分だけがなれなかった。それが余りにもショックすぎて、あの子は心を病んでしまったの」


「具体的には、どんなだったんだ?」


「今でいうところの鬱に近いわね。ずっと家から出てこなくて、何にもやる気を見せない。ずっと部屋の隅で小さくなっているだけだったわ」


「あいつにそんな過去があったなんてな……」


 今の元気溌剌な琳からは連想ができない。琳が鬱で引きこもっていたなんて、誰が想像つくだろうか。メモ書きをした、自分が書いたものでさえその事柄は疑わしく思えた。


「それで、私も色々手は打ったんだけど全然効果は無くてね。それで最後には……」


「崖から飛び降りた、だったな」


 沙夜姉は何も答えず、辛辣そうな顔をして目を伏せてしまった。


「あの洋館で琳の姿を見た時は、一瞬何が起こったのかわからなかったわ。まさか、こんなところで出会えるなんて夢にも思わなかったもの。でも、楽しそうに笑って雅稀と話していたり、凛とした顔でわたしと対面しているのを見ていてすごくうれしかったの。あの三ツ姫が、昔のように笑っているって」


 顔をゆっくりと上げた沙夜姉は、目を伏せたまま小さく微笑を浮かべて話す。


「だから、あたしは、あの子の生前にしてあげられなかったことを今したい。今のあの子がまた塞ぎ込んでしまわないように、笑っていられるようにしてあげたいの」


「だから、琳にイタズラを仕掛けているってわけなのか」


「生前はよく、あんな感じでじゃれ合っていたから。それぐらいしかできないわたしには、他に良い方法が思いつかないのよ」


 沙夜姉はまたニコッと笑いながら、椅子に腰かけようと姿勢を落していく。しかし、さっきと違って夕日が窓から差し込んできているため沙夜姉の身体は透けていて、腰かけることが出来なくて重心が後ろに傾いてその場に尻餅をついてしまった。


「あひゃぁっ!!」


「お、おいっ!」


「あぁ、ビックリしたぁ……ついうっかりしていたわ」


 沙夜姉は床に着いたお尻をさすりながら、辺りをキョロキョロと見回して状態を確かめている。


「夕日でも透けるのか?」


「そうみたいね……夕方に出かけることが無かったから、こうなるなんて知らなかったわ」


 自分のお尻をさすりながらゆっくりと立ち上がる沙夜姉の身体は、日に当たっている上半身だけが薄っすらと透けているように見え、日に当たっていない下半身はしっかりと色味が付いていた。


「こっちから見ると、変なグラデーションになってるぞ」


「あら、そうなの? イヤン、恥ずかしいっ」


 沙夜姉は俺が眺めていたことに気が付くと、身をよじらせ恥じらいのある色っぽい声を上げる。


「変な声出すな!」


「だって、わたしの身体見てたんでしょ? この助平ぇ」


「だーっ! 疑われるようなこと言うなっ!」


 俺は沙夜姉の悪い誘惑に何とか耐えつつ、もう一度しっかりとベッドに座りなおして咳払いをする。


「んでっ、琳にイタズラをしている理由はわかった。しかし、なんでそれを俺にもするんだ。俺は今の話には関係ないだろ?」


 沙夜姉はその場で立ったまま眼で天井を見上げて少し考え、それからその顔のまま俺の方を向く。


「……反応が楽しいから?」


「やっぱり楽しんでるだけじゃねぇか」


 俺はあっけらかんと答えた沙夜姉を、半目の上目遣いで睨みながら言い返す。


「まぁまぁ、わたしだってバカじゃないわ。本当に嫌がってるならそれ以上しないわよ」


「てことは、俺が嫌がっていないとでも?」


「事実でしょ? その証拠に、今まで一度も『イタズラをやめろ』なんて言わなかったわよね?」


 沙夜姉は人差し指を俺の鼻先に突き出し、微笑みながら問う。


「……ふん」


 的確に図星を突かれた俺は何も言い返せなく、腕を組み鼻で息を吐いて顔をそむけることしかできなかった。やはり、この人は侮れない。優れた観察力と洞察力、そしてそこからの推論の的確さは、見た目は子供の名探偵でさえも度肝を抜かれるだろう。

 

 遥か昔、それもまだ日本が武士だの短歌だのやっている時代にこんな頭の切れる人を側室にしておくだなんて、本当に俺のご先祖様は何を考えていたのだろうか。ぶっちゃけ、琳より有能なのは誰が見ても一目瞭然だ。それなのに、なぜご先祖様は沙夜姉を側室にして琳を正室候補にしたのだろうか。もし会う機会があるのなら、是非一度聞いてみたいものだ。


「フフっ、素直じゃないんだからぁ」


 沙夜姉は俺に笑いかけながら、細い指先で横を向いた鼻先を優しくチョンと突いた。日に当たっている触られた感触はなかったが、視野の中にそれが見えたので不思議と触れられたような気がした。


「だからさ、ちょっとは大目に見てほしいな。もちろん、今日のは少しやりすぎたと思っているわ。今度は気を付ける」


「……後でちゃんと謝っておけよ?」


 俺は一度沙夜姉の方をちらりと見てからまたそっぽを向き、ため息を一つついて壁に向かって答える。


「ん、ありがとう」


 沙夜姉は後ろに腕を組み、薄く眼を開いて微笑みながら優しく言葉を紡いだ。


「殿……?」


 ふと、遠くで小さく俺を呼ぶ声が聞こえた。


「んぁ? ……は?」


「あら、やっと起きた……の?」


 声がしたのは沙夜姉の後方でその方に首と背筋を伸ばしてみると、ボサボサの髪の毛と目立つ小さなツインテールをした琳が部屋の壁に見事に半身が埋まっていて、眼をこすりながらこちらをぽけーっと見つめていた。

 余りの現実離れした様子に、俺と沙夜姉は続く言葉を失い目を丸くしてぱちくりとさせてしまう。 


「お、おう、どした?」


「ふぁ……殿の声が聞こえたので……」


 琳は小さく可愛いあくびをしながら、重たい瞼をこすって目を覚まそうとする。


「あ、そうか。ただいまがまだだったな」


「んっ、はい……おかえりなしゃい」


 眠たげな顔をゆっくり上げて、琳は柔らかくほほ笑みながら遅いおかえりを言ってくれる。いつもなら一緒にただいまを言うはずだったのだが、今日は琳が出迎える側になって"おかえり"を言われるとどこかむず痒い気分だ。


「おう、ただいま」


 俺は壁に半分埋まっている琳に、右手を上げてひらひらと振って見せる。同時に琳も俺に向かってにぱっと歯を見せて笑い、小さな手を上げて振り返す。それを見ていた沙夜姉はついに我慢できなくなって、琳の居る壁に向かって勢いを付け高く跳躍していく。


「なーにやってるのよぉ。もう、かわいいんだからっ!」


 沙夜姉は壁の一歩前に降り立つと、壁から出ている腕を両手でつかんで思い切り引っこ抜き、琳を自分の腕の中に勢いよく引き入れた。


「わっ、わふっ!」


「んもぅ! かわいい子かわいい子かわいい子っ!」


「さ、沙夜子さんっ、激しいですぅ……」


 琳は、沙夜姉の熱い愛撫になすが儘頭をぐわんぐわんと揺らされて、見ていてかわいそうになってくるくらいだ。


「ん? 今、沙夜子さんって言ったか?」


 俺はふと違和感に気が付いて、奥でわしゃわしゃとじゃれている二人に尋ねる。


「あぁ、二人で決めたのよ。この子はまだ他人行儀な呼び方だったから、下の名前で呼んでもらうことにしたの」


「そ、そう言うことですっ」


 沙夜姉の説明の後、琳も頭をわしゃわしゃされながら沙夜姉の身体の合間から顔を覗かせ必死に答える。


「ふ~ん、そうか。ならそろそろ放してやれよな。琳の顔色見てみろよ?」


「ふぇ?」


 俺が冷めた目で琳を指さし沙夜姉がそれを辿って琳の顔色をうかがうと、眼が虚ろに開き全体的に少し青ざめ始めていて、今にも胃からモノが出てきそうなくらい限界に近い表情をしていた。


「あぅ~……」


「あら、ご、ごめんねっ!」


 沙夜姉は、強く抱きしめていた身体をパッと離して琳を開放してやった。琳はその場に力なく倒れていき、軽く痙攣しながらうつぶせ状態になってしまった。


「あ、あちゃぁ……」


「なるほど、昼間の再現がよくできてる」


「そ、そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……」


 今度は優しく琳を起こし、体勢をあおむけにして自分の膝に頭を乗せてあげながら困った顔をする。


「傍から見れば、虐めてるようにしか見えんぞ」


「うぅっ……ゴメンナサイ」


 沙夜姉は顔色の悪くなった琳の額をさすりながら、心から反省しているという態度を見せる。


「沙夜姉はやりすぎなんだ。ちょっと加減すればいいものを、必要以上にやりすぎてる。幽霊が相手でも少しは加減を覚えろ」


 俺も琳の傍に寄っていき、力なくだらんと垂れている手を軽く握りながら沙夜姉を諭す。琳の手は血が通っているみたいにほんのりと暖かく、まるで生きている人間のそれを思わせてくれる。本当に、こいつは幽霊なのだろうかと今でも疑ってしまうほど、こいつは幽霊らしくない。バカでアホでドジで、沙夜姉の膝に横たわるその姿はただの純粋な"女の子"そのものだ。まったく、幽霊の女の子ってのは、どうにもその境界線をあやふやにしてくれるらしい。


「以後反省します……」


 沙夜姉もすっかり落ち込んでしまい、さっきまでの元気爆発な勢いは鳴りを潜めてしまっている。


「分かったなら良し」


 俺はしょぼんと顔を垂れてしまっている沙夜姉の頭に、ポンと優しく手を置く。これは、ささやかな琳の仇打ちのつもりだった。


「あっ……」


 沙夜姉は眼をぱちくりとさせて、今の状況を把握するために上目遣いで俺を見つめる。状況が分かったその顔は少しの驚きと、幸福感がにじみ出ているような甘い表情をしていた。


 沙夜姉の頭に触れられる、と言うことは……、


「もうすぐ夜か……」


 部屋の中は薄暗くなり始めていて、机の上のデジタル時計は六時を回っていた。太陽の光はもう部屋まで届かなくて、すでに地平線に沈んでしまったことを示している。


「さて、俺は腹が減ったんだが、沙夜姉は?」


「わたしは……わたしもお腹空いたっ!」


 沙夜姉は、今さっきまでの落ち込んだ様子から一変して元気よく空腹を訴える。


「んじゃ、琳が起きたら飯にするか」


「なにか作れるの?」


 沙夜姉が首を傾げて尋ねる。


「俺を甘く見るなよ? 自炊歴三年の腕は伊達じゃない! おまけに琳の太鼓判付きだ」


 俺は沙夜姉に見せつけるように右腕で力こぶを作り、盛り上がった上腕二頭筋を叩いて自信を表す。


「ふ~ん、それじゃあ楽しみにしてるわっ!」


 沙夜姉は満面の笑みをして俺の腕に期待を寄せ、右手でグーサインを作って答えた。






雅稀メモ:沙夜姉はやりすぎな部分がある。以後注意して見守るべし


琳メモ:沙夜子さん、激しすぎですぅ……


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