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其ノ40 いたずら好きなお姉さん

「ただいまー……」


「あ、お帰りなさい!」


 かったるそうに帰ってきたことを伝えると、早々一言目に明るいトーンの声が部屋の奥から聞こえてきた。


「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも……ワ・タ・シ?」


「……アホか」


 奥からウキウキと気分を高揚させて出てきたのは沙夜姉で、俺の顔を見るなり新妻のような文句を言い放つ。特に最後の『ア・タ・シ?』は、両腕を胸の下に入れて大きなものを更に強調させる荒業をやってのける。


 俺の薄い反応を見た沙夜姉は少し考えるしぐさをして、何かを思いついてからまたズイっと俺に近づいてきた。


「わたしにしますか? ワタシにしますか? それとも……WA・TA・SHI?」


「全部一緒じゃねーか」


 俺は、一段と強調させてくる沙夜姉の頭を人差し指で強く小突く。廊下は太陽の日が入ってこない造りになっているため薄暗く、よって沙夜姉も実体になれるため触れることができた。いつも琳にやっていることなので無意識のうちに手が伸びてしまったのだが、よくよく考えるとそういうことみたいだ。


「あふっ」


「今疲れてる上に眠いんだ。馬鹿に構ってる余裕なんかない」


「ちぇ~。つまんないの~」


 沙夜姉は、自分の考えた作戦に引っかからなかったことが不満げな様子で、唇を突き出していじけた態度をとる。


「それより琳はどうした?」


 両手を顎に付け宙に浮いている沙夜姉に尋ねる。俺が帰ってきて、真っ先に飛び出してきそうなのは琳のはずなのに辺りに姿が見えない。


「あー、琳なら奥の部屋で寝ているわよ」


 沙夜姉は、廊下の奥のリビングを指さして答えた。


「寝ている? こんな真昼間に?」


「まぁ、色々しちゃったからね……」


 沙夜姉が青漆色の眼を横にそらしながら、少し含みを持った言い方をした。"色々"と言う言葉を聞いた途端背筋に寒気が走り、寝ぼけまなこだった目が一気に覚めた。


「色々って……まさか!!」


 俺は持っていたバッグを投げ出すと一目散に廊下を駆け、リビングに突撃した。


「琳ッ!」


 息を荒げながら部屋を見渡すと、リビングは昨日の夜に見た時とほとんど変わりはなく、荒らされた形跡もなかった。なにも乗っていない机に洗いかけの食器、少しホコリの溜まった椅子の背もたれは生活感丸出しの俺の部屋そのものだ。


「なん、にも、変わってねーじゃん」


 部屋中を見回しながらさらに奥に進んでいくと、足元でもぞもぞと動く物体があることに気が付いた。


「んぅ……」


「ん?」


 視線を落としていくと、そこには衣服が乱れ髪の毛がボサボサになりながら、何やら苦悶の表情を浮かべながら眠っている琳の姿があった。よく見ると琳の髪型がいつものストレートではなく、何かで両端を縛ってあるように見える。


「こりゃ、なんだ?」


 膝を曲げて琳に近づき恐る恐る髪の毛を触りながら確かめてみると、なんとどこにでもある普通の輪ゴムだった。

 つまり、琳の髪の毛は輪ゴムによって縛られているらしいのだ。それも何度もいろんなところを縛られたらしく、髪の毛の至る所に縛り跡がついてしまっている。


「これは……沙夜姉の仕業か?」


「あはははは……ご名答~」


 と、廊下からおずおずと出てきた沙夜姉が、俺の後ろ姿に力なく声を掛ける。


「一体何してたんだよ」


 俺は立ち上がってから沙夜姉のいる方に振り返って、半開きにした目で睨みつける。


「あはは……琳の髪型を変えてあげようかなぁとおもって、色々試してたんだけど……」


 沙夜姉は頬を指で掻きながら、苦笑いを浮かべて答える。


「その結果がこれか」


 恐らく、琳はそれを嫌がったのだろう。必死に抵抗するも、相手は大人の幽霊で琳は子供の幽霊。力の差は火を見るより明らかなわけで、尽力空しくされたい放題に弄られてしまった。それでも尚反抗していたら、いつの間にか疲れて眠ってしまったといったところだろう。


 まったく、家に来て早々余計なことをしてくれた。久しぶりに一人身だといい気になっていたらこれだ。やっぱり、幽霊たちに気は抜いてはいけなかったようだ。


「はぁ……」


 俺はその場で大きくため息をついてから琳の髪の毛を優しく梳いてやり、それから立ち上がって元来た方向に歩き出した。

 途中、沙夜姉が廊下への道を塞いでいたが身をサッと避けて道を開けてくれた。


「あ、あの~……」


 俺の姿を眼で追いながら、沙夜姉が恐る恐る声を掛ける。


「……疲れたから寝る。俺が寝てる間余計なことは一切するな。わかったな?」


 俺は、廊下の途中で立ち止まると、顔を入り口に向けたまま低いトーンで答えた。


「は、はーい……」


 沙夜姉は流石に空気が読めたのか、一切の反論をすることなく素直に応じる姿勢を示した。こういうところの頭の効かせ方はいいのだが、少しイタズラが過ぎる性格なのかもしれない。それも、やはり生前の生き方や生活の癖が抜け切れていないのだろう。これは琳同様に、いくつかルールを設けて教え込んでいかなければならないのだろうか。また一つ、厄介な仕事が増えてしまったようだ。

 

 そんなことを考えて頭を重くしつつ、俺は自分の部屋に入ってわき目も降らずにベッドに突っ込んだ。



――……。


――……。


――……。



「んぅ……」


 どのくらい寝ていたのだろうか。次に俺の意識が戻った時、視線の先の天井は薄オレンジ色に色付いていて身体がポカポカと暖かかった。ベッドの脇で突っ伏して寝ていたはずの体勢は、いつの間にかベッドの上に横になっていて、丁寧に布団まで掛けてある。俺がそんなことをした覚えはなし、寝ている間に無意識に行ったとしても少し整い過ぎである。


「んっ、あれ……?」


「あぁ、起きた?」


 俺が上体を起こしたタイミングで、横から優しげな声が聞こえてきた。ワンテンポ遅れて首をゆっくりとその方へ回すと、所々乱れた白い着物を纏い少しウェーブがかったような長い髪型の女性が机の椅子の座って、にこやかにこちらを見ていた。


「沙夜姉……? いつからそこに?」


「なに、寝ぼけてるの?」


 沙夜姉は、「フフッ」と微笑を浮かべて口元に手を添える。


「ずっとここにいたわよ」


「ってことは……これは沙夜姉がやったのか」


 俺は、足元に折りたたまれた掛け布団をポンポンと叩きながら、確信じみたトーンで尋ねる。


「いや、それは琳よ?」


「嘘だね。琳がやったならここにいるはずだ。それに、琳じゃここまで丁寧にできない」


 以前、熱中症でぶっ倒れた時に琳にベッドまで運んでもらったことはあるが、その時あいつは、自分も一緒になって俺の横で眠っていやがった。そんなしたたかさを持つ琳がこんな風に気遣って整えられるとは思えないし、こんな丁寧な仕事を望むことはできない。それが、俺が沙夜姉の発言を嘘だと言える確たる理由である。


「あら、割とバッサリ言うのね」


 沙夜姉は少し意外というような顔をして、喉を唸らせた。


「雅稀は琳のこと、もっと評価してると思ってたんだけど?」


「そんなわけあるか。ドジで天然で世間知らずの幽霊だなんて、とても評価できたもんじゃない」


 俺は首を左右に動かし、ポキポキと音を鳴らしながらかったるそうに答える。


「ふ~ん。まあでも推理は正しいわ。それは私がやったのよ」


「でしょうね」


 嘘を当ててもらいたかったのか、それとも推理をする俺を見て楽しみたかったのかわからないが、沙夜姉はニッと頬格を上げて笑う。


「寝かせてくれたことはありがとう。だけど、またなんで?」


「そりゃ、様子を見に来てみたら変な格好して寝てるんだもの。そのままじゃ身体がおかしくなりそうだったから、直してあげただけ。それとも、一緒に寝て欲しかった?」


 沙夜姉はズイっと身体を前に張り出し、不敵な笑みを浮かべて問いかける。特に、胸の辺りを強調させてくるのはもうお約束のようなものだ。


「頭湧いてんのか? 余計なことはするなって言ったはずだろ」


「だからしなかったわよ」


 そう言いながら、張り出した身体を引っ込めてまた椅子に座りなおす。俺も一息ついてから掛け布団から足を抜き、沙夜姉と対面するようにベッドに腰かけた。


「あのさぁ、なんでそんなにイタズラ好きなわけ?」


「うん? なんでって言われてもねぇ……」


 急に飛んで来た質問に、沙夜姉はすぐに答えを言い出せず顎に手を当てて考え込んでしまう。


「初めて見た時もそうだったし、さっきの琳も、今もそうだ。そんなに俺達をからかって楽しいのか?」


「楽しい、か……」


 そうつぶやく沙夜姉の顔にはさっきまでの無邪気な子供のような笑みはなく、切れ長の眼を伏せて何かを考えている様だった。


「楽しいっちゃ楽しいわよ?」


「ほう……他人が自分の手のひらの上で踊っているのを見て楽しいだなんて、よっぽど性格ひねくれてるんだな」


「あなた程じゃないわ。それに、別に悪気があってしてるわけじゃないの」


 沙夜姉は俺のカマ掛けに動じず、凛とした表情で返してきた。


「悪気ある方がよっぽど酷いぞ」


「そうね。だから私には無いって」


「フン。それで、悪気が無いのにイタズラをする訳とは?」


 俺は膝に腕を立てて、拳に頬を置いて尋ねる。


「う~ん、自分のことを話すのは少し恥ずかしいんだけど……」


「大好きだった上様の子孫にも話せない事か?」


「それを言われると、弱いなぁ……」


 沙夜姉は頬を指で掻きながら、困ったようにはにかんで笑う。沙夜姉が弱っている所を見るのはこれが初めてだったので、何か不思議な感じがした。


「わかったわよ……私が上様の第一側室だったことは、琳から聞いているわよね?」


「あぁ、あの洋館で聞いたな」


 沙夜姉は俺の答えを聞いて軽く頷くと、小さく深呼吸をしてからおもむろに口を開いた。


「第一側室って言っても、所詮は側室。正室には立場的にも敵わないわ。だけど、琳が正室候補に挙がった時、私はその教育係に任命させられたの」


 沙夜姉の眼はどこか懐かし気で、過去にあった事を順に思い出しながら話をしているようだった。俺は黙ってその話を聞きたかったのだが、これもまた忘れてはならない重要なことだと思い、放り投げてあるバッグの中から叶実のおばあちゃんから貰ったノートを取り出して、そのページを開く手間を取る。

 沙夜姉は、俺が用意できるまでの間何も話さずじっと待ってくれていた。


「悪いな。待たせた」


「それはいいけど、なんで秘封の書を?」


 沙夜姉が首を傾げ、不思議そうに尋ねる。


「そういや言ってなかったっけか。俺って物忘れすることあるから、こうやってメモっとくのが癖なんだよ」


「ふ~ん、そうなんだ。じゃあ、琳に持たせているアレは?」


「アレは、琳がウチに来た時にルールを覚えさせるために渡したものだ。俺と同じく色々メモさせてある」


「なるほどね。あの子、それをすっごく大事にしてるわよ。あの子が胸の内側に入れておくものって、あの子自身が宝だと思っている物だから」


 沙夜姉が琳の居る方を向いて話す。そんなにあのノートが気に入っているなんて知らなかった。確か、最初に渡した時にはその書き心地に感動こそしていたものの、そこまで大事にしているようには見えなかった。それを、過去に教育係をしていたという沙夜姉が言うのだから、間違いはないだろう。


「へ、へぇ、そうなんだ」


「なに、嬉しかった?」


 沙夜姉が、またニヤリと笑みを浮かべて問う。


「べ、別にっ! 物を大事にするのは当たり前だしっ」


「ふ~ん、素直じゃないわねぇ」


「うるせぇ」


 沙夜姉は少し笑った後、また顔つきを凛として脱線した話を戻す。 


「まぁ、教育って言っても大したものじゃなくて、琳――三ツ姫の遊び相手やらちょっとした文字の書き方を教えるだけの"友達"って感覚の付き合いだったわ」


 三ツ姫――それは生前の琳の名前。そして、生前の名を持つと怨霊になりやすくなるからと、自らの名を捨てた幽霊の少女に俺がつけた名前が『琳』だ。久しく生前の名を聞いていなかったので、一瞬誰のことかと思い出せなかったが、以前まで使っていた手帳に書いたことを不意に思い出した。


「幼かった三ツ姫は上様に可愛がられてはいたけど、正室としての振る舞い方や仕事の適性はまだ未熟だったわ。それを教えるために、側室で一番歴の長かったわたしが選ばれたってわけ」


「なるほどねぇ」


 俺はノートの左上から要点をまとめたメモ書きを残しながら、相槌を打つ。


「遊びながら字の書き方を覚えさせ、外に連れてって下界に触れさせる。そうしながら、正室になるために必要なことを教えていったわ」


「でも正室って言ったら、要は殿様の妻だろ? それを愛人が育てるってのは少し変だよな」


 俺は疑問に思ったことを沙夜姉に尋ねた。将来的には自分より地位が上になって殿様の横にいる権利を取られてしまう相手を育てるなんて、よく考えたらおかしなことだ。


「確かに言うとおりね。私も最初はどうかと思ったけれど、三ツ姫のことを見ていたら段々とそんな気も薄れていったの。雅稀には分かるでしょ? あの子の純粋な気持ちが」


 沙夜姉は、俺に向かって人差し指を向けながら問う。

 

 言われてから、俺は少し琳のことを考える。純粋、と言うよりは何も知らないまっさらなスポンジのようなやつで、あれこれとこの世にあるものを吸収しながら育っているようだと思っていた。

 

 単純なくらいにどんなことでも信用して、バカな考えをして、そんで怒られて泣いても最後には笑って俺を見る。どんなことがあっても、俺を見て信じてついてくる。それは、紛れもなく純粋に俺のことを心から慕っているということなんだと思う。琳が生前の殿様、俺のご先祖様じゃなく今の俺の傍にいる理由、それももしかしたらそんな純粋な気持ちからなのかもしれない。それを生前、沙夜姉が面倒を見ていた時にも同じものを感じていたのだろう。

 

 純粋、すなわち混じり気がないこと、邪念が全くないことを意味する。"琳"と言う漢字の意味を以前調べたことがあるのだが、琳とは美しい玉、澄んだ音の形容。澄んだ、つまり純粋な、と言う意味だった。


 つまり、"琳"には"純粋な"と言う意味が隠れているのだ。


「……なんとなく、な」


 俺は長く考えて出した答えが、なんとも曖昧なものだったことを言った後で理解した。






雅稀メモ:琳は純粋な子だ



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