其ノ4 朝食を一緒に
「んでさ、なんでお前は消えないんだ?」
「ふぁい?」
俺の部屋を、物珍しそうにぐるぐる見渡している琳に問いかける。
「普通幽霊って、日の光を浴びたら消えるもんじゃないの?」
「さぁ……? 私にもよくわかりません」
琳は俺の問いに、口元に人差し指を当てて首をかしげながら答えた。
(わからんのかいっ!)
「今朝は卯の刻に起きましたが、体は何ともありませんでしたよ?」
「う、うのこく?」
「はいっ」
聞いたことがない言い回しだなと思い、おもむろに机の上からケータイを手に取り検索をかけ始めると、琳はきょとんとして俺のしていることを不思議そうに眺め始めた。
「……おまえ、結構健全だな」
一通り調べ終わってから、ケータイを閉じて琳に答える。因みに卯の刻とは古い日本の言葉で、現代で言うところの朝の六時頃を指すらしい。
「いつも日の出には目が覚めていましたよ~」
琳は「えへへ」とはにかむが、別に褒めたわけじゃない。むしろ皮肉混じりに言ったはずなんだが、どうやら分かっていないようだ。
「でも幽霊になってからはいつでも元気です!」
琳は力強く親指を立てて、元気いっぱいなことをアピールする。
「幽霊が朝っぱらから元気なのはおかしいだろ!」
朝っぱらから元気な幽霊の相手をさせられるなんて、ほんと、なんでこんなことになったのやら……。
――……。
何はともあれ、まず先に朝食をとるためリビングに向かう。話はそれからゆっくりするつもりなので、琳には部屋にいるようにと言い聞かせておいた。「はーい!」と、元気のいい返事があったが果たしてどうなるやら。
俺は一人暮らしのアパート住まいで、この家に俺以外の"人"はいない。しかし、一人身の男子には珍しく自炊がそこそこ出来るので、冷蔵庫には一昨日の残り物や卵や野菜などの必要な食糧が一通りそろっている。
寝室を出て、短い廊下を行った先のすぐのところにあるリビングに向かい、さらに隣接する横のキッチンにある冷蔵庫の中から食パンを取り出して、安物のトースターに一枚突っ込んで焼き始める。その間に、パックの緑茶をガラスコップに注ぎ一口。キンキンに冷えたお茶が、熱く火照った喉を冷やしていく。
しばらくして香ばしいパンの香りが部屋に漂い始めたので、椅子に座り昨晩からさっきまでのことをもう一度よく整理してみる。
(さて、これからどうするか……)
恐らく危ない山場は乗り越えたのだろうが、よくわからない理由で(半ば無理やり)同居する羽目になってしまった。一応目立った害はなさそうだが、幽霊なら早めに成仏させないと後々面倒になるだろうし……。
そうこうしているうちに、甲高い音を立ててトースターのベルが鳴る。一旦考えるのを止めて、焼きあがったアツアツの食パンを指先で器用に取り出してマーガリンを塗りかじろうとした時、ふいに対面から熱い視線を感じて手が止まる。
「……おまえ、なにしてんだ?」
そこには、焼けた食パンをじ~~~っと見つめて涎をたらしそうな緩んだ口をしている琳が、反対の机の縁から顔だけを出していた。
「部屋で待ってろって言ったよな?」
「す、すみません……でも、とてもかぐわしい香りがしたのでつい……」
悪いと思う気持ちよりも目の前の物体への興味が勝ってしまっていて、俺が手に持っている食パンをハンターのごとく凝視している。
「……これ、見るの初めてか?」
「はっ、はいっ! それは何という食べ物なのですか?」
「あー……生きてた頃にはまだ無い物だもんな。パンっていうものだ」
「パン! いとうつくしい御名前で!」
頭だけ出していた琳が机に身を乗り出し、黄緑色の済んだ色をしていた眼は熟れたリンゴのように紅く輝やいている。
「おぅっ、く、食いたいのか?」
「よ、よろしいのですか!?」
そんな期待の眼差しで訴えかけられたら、無下にできないじゃないか。どうするか少し考えてから、パンの半分をちぎって琳の目の前に差し出す。
「ほ、ほらっ! やるから机から下りろっ」
「わぁ……あ、ありがとうございます!」
両手で受け取り、じっくりそれを眺めた後その小さな口に運ぶ。
「んぐ……んぐ……」
「で、どう?」
「……お、美味しいです~~~っっっ!!!」
感動的なことがあった時に目が星のように輝く画はよく漫画で見たが、今まさにそれと同じような光景が見える。なんだったらキラキラと効果音が聞こえてきそうな、そんな感じの喜び方。
「そ、そりゃよかった……」
「かぐわしい香りと、温かくやわらかな味わいでいと美味しいです!」
「パン1枚で大げさな……」
おいおいと呆れた顔をする俺をよそ目に二口、三口と食べ勧めていたが、急に食べる手が止まった。
「ん? どうした?」
「……んっ、んんッ! んんんーッ! んんーーーッッッ!」
喉元をしきりに叩きだし、苦しそうな表情で悶え始める。
「ちょ、おまっ、詰まらせたのか!?」
たった数口食っただけで、喉に詰まらせるとかアホかこいつ!
「んんーーーッ!」
尚も床に倒れこんで悶えつつ、必死に助けを求める眼差しを向ける。
「ああーーッ! ったくッ!」
手元にあった冷茶をすぐに手に取って渡す。琳は受け取るとすぐに口へと流し込む。
「んっ、んぐっ、んぐっ、……ッはぁっはぁっ……」
「おい、大丈夫か?」
「は、はいぃ~、死んでしまうかと思いましたぁ……」
「死ぬって、幽霊なんだから死ぬわけねーだろうが! 第一、パンを喉に詰まらせて死ぬなんてしょうもなさすぎだろ!」
俺は大声で叫びながら琳の頭に、垂直チョップをお見舞する。ゴンっという音と共に、「あたっ」と琳の口から声が漏れた。琳は、直撃したところを両手で押さえながら半泣き状態で俺を見つめる。
「うぅ、ごめんなさぁい……」
「全く……次は気を付けろよ?」
「は~い」と、悲しそうに答えるとまたすぐに元の対面の位置に戻っていく。
場所に着いたところで、「あっ」と不意に琳が話を変える。
「殿っ。この飲み物はお茶ですか?」
「ん、そうだけど」
俺が咄嗟に飲ませた、残ったお茶が入っているガラスコップを指さして尋ねる。
「この時代にもお茶があるのですね! 私の知っている物とはちょっと薄いですし、かなり冷たいですけど……」
「薄いってか、そーゆーものだろ? 冷たいのは冷やしてたんだから当たり前だろ」
琳は、ガラスコップに少しだけ残った緑茶をのぞき込みながら、少し不満そうな顔をする。自分が生前飲んでいたお茶となんか違うと文句を言っているが、そんなのは気にしない。
「死にそうに(?)なってたところを助けたんだから文句言うな」
と、琳の反論なんて意にも介さずこの場を収めようとする。しかし、本人は尚も不満そうな様子。
結局、朝食はまともに取れず小腹が空いたままの午前中が始まった。尚、この件があったせいで琳はパンに敵意を持ったようだった。
朝食を終えて部屋に戻ると琳の第一声は、
「殿は昔からそうでした。お茶のことを分かっていませんっ!」
と、なぜか俺は怒られた。
そのあと小一時間ほど正座させられ、お茶の何たるかを延々説明された。後半は飽きてきてほとんど聞いてなかったが、要約すると、
➀お茶は熱いのが常識。
②お茶を飲むときは専用の容器で作り、専用の茶器でたしなむもの。(ここが重要らしい)
③お茶には茶菓子がつくもの。和三盆が良い。
④味はもっと濃く、うまみを感じられるものが良い。
だと。
因みに、琳の言うお茶とは、現代で言うところのお抹茶や玉露に近い物みたいだ。俺のご先祖様もお茶には疎い上に薄めが好みだったらしく、家来が淹れたものを水で薄めていたのだとか。そういうところは、やっぱり家系なんだと琳は皮肉交じりに言うが、お茶なんてコンビニに売っているようなのが今では一般的なものだろう。俺は味覚音痴でもないし、いたって普通だと思う。それに抹茶や玉露なんて京都でしか飲んだことないし、よくわからない味で不味かった記憶がある。
一通り説明して満足した後、急に思い出したかのように、
「そうだっ! 殿っ! 色々と知りたいことがあるのですがっ」
「なんだよ」
「えーと……」
それから昼過ぎまで部屋にある物、家具、色々なものを事細かに質問された。現代の物はどれも物珍しく興味をそそるらしい。時計、卓上ライト、ベッド、さらには電灯などいつも普通に見て使っているものを一から説明するのは中々難しく、説明に詰まると恥ずかしい気分になった。
説明している間にふと時計を見るともう昼の時間になっていて、いつの間にか休日の半分が終わってしまっていた――――。
雅稀メモ:幽霊はパンを詰まらせて死にそうになる。