其ノ39 心強い味方の条件
随分前に淹れてもらったお茶が完全に冷めてしまうくらい、いつの間にか俺達は話し込んでしまっていた。
時計を見ると夜中の二時過ぎで、ここに来てからかれこれ一時間以上居座ってしまっているらしい。叶実の方にも若干の疲れが見え始めていて、足の怪我もあるため早く休んだ方がいいだろう。
「……それじゃあ、もうそろそろお暇させてもらいますね。もう夜遅いですし」
「あら、もうそんな時間なのね。ついつい話し込んでしまったわね」
おばあちゃんは振り返って時計を見上げると、今の時刻に驚いた表情をする。
「ふゎぁ……アタシもそろそろ眠くなってきたわ」
叶実も大きなあくびを一つして、細まった眼をこすりながらつぶやいた。
「明日学校あるのに……こんな時間からじゃ全然寝られないじゃない」
「そういや、お前っていくつなんだ? 学校がどうのってさっきも言ってたよな」
確か、あの洋館で出雲と話していた際にそんなことを言っていたような気がする。記憶力に自信はないが、今もこうやって言っていることから多分合っているはずだ。
「……女性に年齢を聞くのはタブーだって、学校で習わなかったの?」
叶実はあくびをした口をそのまま閉じて、細めた眼で睨みながら低く答えた。
「あ、そうだったな。悪い悪い」
俺は叶実の無言の威嚇に怯み、頭に手を置いて謝る。叶実は、「フンッ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
「いいじゃないの。言って減るものじゃないのだから」
そんな叶実を見かねて、おばあちゃんが俺に助け舟を出してくれた。流石の叶実もおばあちゃんには逆らえないようで、眉間にシワを寄せて露骨に嫌な顔をする。
「うぐっ…………16よ……」
叶実は顔で反抗するも全く相手にされず、仕方ないというように横を向いたままボソッと小さくつぶやいた。
「16か。てことは高校生?」
「そうよっ! なにか文句あるわけ?」
叶実が、眉間にシワを寄せて眼を尖らせて食って掛かってくる。
「いや、そんな風には見えなかったからさ。なんというか、着物のせいもあって大人っぽい感じがしてさ」
俺がそう答えると叶実は威嚇をすぐにやめて顔を赤くし、その場に素早く立ち上がり眼を大きく開いて動揺し始めた。
「な、な、何言ってるのよ! く、口説いてるわけ!?」
「ハァ!? ば、ばっか! ちげーよ!」
いきなり思ってもいなかった返答をされ、俺の方もつい立ち上がって焦ってしまう。
「こ、この装束だって仕事のために着てるだけだしっ、べ、別にアンタに褒められても嬉しくもなんともないんだからねっ!」
叶実は俺の方に人差し指をビシッと突き出し、頬の上の方を赤くしてワナワナと小刻みに身体を震えさせながら必死になって言い張った。
「だから、そういうつもりじゃねぇって! 何勘違いしてんだよ!」
「か、勘違いさせたのはどっちよっ! このタラシ! 変態!」
「誰がタラシだ! ポンコツ陰陽師! 単純バカ!」
喧喧囂囂と二人が言い合っている光景を、おばあちゃんは冷めたお茶を飲みながら静かに見ていた。そして、湯呑を机に置くと静かに口を開いて、
「二人は本当に仲が良いんだねぇ」
『よくないっ!』
俺と叶実は同時におばあちゃんの方を向いて、息ぴったりに同じ言葉を叫んだ。
瞬間、その場に沈黙が流れる。
「殿……」
「プフッ」
沈黙の中、琳が情けないように俺の名をつぶやき、沙夜姉は思わず我慢していた笑いを噴き出してしまう。
「ほほほ。叶実はいいお友達を見つけたわね」
おばあちゃんは、にっこりとして俺達二人を見つめる。
「~~~ッ!!!」
「くっ……!!」
途端に恥ずかしさがこみあげてきて、俺は左に、叶実は右に身体を回してお互い反対の方向を向くように顔を離した。二人とも顔が赤く火照っていて、恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。
「お、俺達はもう帰るからなっ!」
俺は左を向いたまま話を切り出す。この空気感では、どうにも顔を合わせづらいのだ。
「か、勝手にすれば! 見送らないわよ!」
叶実も反対を向きながら、意地になって声を荒げる。
「じゃ、じゃあ……」
俺はまた正面を向いて、おばあちゃんに顔を合わせた。
「色々ありがとうございました。お茶だけでなくこんなものまで貰ってしまって」
貰ったノートを手に持ち、お礼の言葉を言いながら深く頭を下げる。
「いえいえ、うちの子を助けてもらった上に、この老いぼれの話を聞いてくれてどうもありがとうね」
おばあちゃんも笑顔で膝に手を置き、軽く会釈をして返してくれた。
「また、話聞かせてもらってもいいですか? 今度はお茶買いにきますので」
「ええ。この私の話で良ければいつでも」
そう言って、おばあちゃんは席をゆっくりと立ちあがると自分の腰を優しく叩く。
「叶実。入り口まで送ってあげなさい」
未だ腕を組んでそっぽを向いている叶実に一言声を掛けて、おばあちゃんは机の上の湯呑たちを丸い木のお盆に集めて乗せ始めた。
「な、なんで私がっ――」
「叶実」
叶実の反論を、おばあちゃんは静かに止める。叶実もそれ以上は何も言わず、不満げな顔をしつつゆっくりと俺の方を向く。
「……そこまでだからね」
「別に、怪我人に送ってもらうほど怖がりじゃねーしっ」
「ムキーーーッ! ああ言えばこう言う! 本っ当にイライラするわね!」
叶実は、頭の毛を逆立てて声を荒げる。
「うっせ。こういう人間なんだよ」
「殿」
と、ふいに横から琳が声を掛けてきた。
「おう、どした?」
「今のは言い過ぎだと思います。叶実さんが送ってくれるというのに、殿は少し冷たいです」
琳は真剣な眼差しで俺を見つめ、淡々と俺いに言い聞かせてくる。
「お、おう、急にどうした?」
「別にっ。ただ、今のは言い過ぎだと思っただけですっ」
琳は斜め上を見上げ、何故か頬を膨らませてジトッとした横目で俺を見る。誰がどう見ても、これは完全にご立腹しているのが分かる。俺は何か気に障ることでもしたのだろうか。
「あ、あぁ、悪かったな」
「私じゃなくて、叶実さんに謝るべきですっ」
琳に謝ると、頬を膨らませたまま謝る人が違うと返してきた。
「お、おう……」
俺は訳が分からないまま、後ろにいる叶実に向いて、少し言葉を濁してから、
「その、悪かったな。少し言い過ぎた」
と、謝罪した。
「フンッ。その子も中々わかってるじゃない。アンタの方が保護されてるように見えるわ」
「ぐっ……」
叶実の言葉に返す言葉が見当たらない。彼女の言う通り、今の俺はまさに立場が逆転していて琳に諭されてしまっている。これじゃどっちが上やら分からない。
「いつまでやってても不毛だわ。さっさと行きなさい」
叶実は深くため息を吐いてから、胸の前に右手を上げて外に出るようにと手を払う。
「お、おう……お邪魔しました……」
俺は何か悶々としながらも片づけをしているおばあちゃんに声を掛け、荷物を持って外に歩いて行く。
「またいらっしゃいね」
おばあちゃんは後ろでそう声を掛けてくれて、それからお盆を持って奥に行ってしまった。
――……。
「そうだ。ねぇ、アンタ」
店の入り口を出たところで、急に叶実が俺に声をかけてきた。
「な、なんだよ」
「アンタの歳、教えなさいよ。自分だけ聞いといて教えないのは不公平でしょ?」
叶実は腕を胸の前で組んで、真っすぐ俺を見つめる。
「あぁ、言ってなかったっけか。19だよ」
「ふ~ん。まだ未成年なのね」
俺の年齢を聞いてもピンと来ていないようで、俺の風貌を上から下までじっくり眺めつつ小さく答えた。
「今年ハタチだ。そっちは?」
「今年で17。高校二年生と言えばわかりやすい?」
「あー……高二ね……」
俺の答え方に違和感を感じた叶実が、首を傾げて疑問を顔に浮かべる。
「俺の両親が死んだのも、俺が高二の時だったっんだよ」
「あっ……」
俺がそう答えると、叶実はハッとしてばつの悪そうに顔を伏せシュンと元気をなくしてしまった。
「気にすんな。もう過ぎたことだし、お前が気にしてもしゃーないだろ?」
「そう、ね」
叶実は力なく答えてから、パッと顔を上げて息を大きく吸う。
「……よしっ! さぁ、アタシが見送ってあげるんだから、寄り道しないで帰りなさいよ!」
その顔にはいつもの元気と気合が入っていて、ある意味叶実らしい凛とした顔つきをしていた。
「俺は小学生か!」
「同じようなものでしょ? さぁ帰った帰った!」
叶実は、手のひらををしっしと外に払う仕草をする。
「ったく。……でも、色々ありがとうな」
叶実に催促されつつも、俺は改めて叶実にお礼を言った
「な、何よ急に改まって」
叶実はいきなりこことで、動揺を隠せないでいる。こういうところはやっぱり単純だなぁと、しみじみ思う。
「いや、怪我させられたことは別だけど、家まで案内してくれたり、色々教えてくれたりしてさ」
「それ、あんまりアタシ関係ないじゃん」
叶実は眼を半開きにして、冷静に突っ込みを入れる。
「あー、それもそうか。じゃ、やっぱ今のナシで。それじゃっ」
と言いながら、俺は真っすぐ歩き始めていて、後ろの叶実に前を向いたまま手を振る。
「え、ちょっと、なによ!」
叶実は展開が早すぎて着いて来れず、しどろもどろになりながら慌てている。
「はっはっは。またな」
「もう来なくていいわよ! べーだっ!」
叶実は去っていく後ろ姿に舌を出して反抗するも、後ろ姿が闇夜に溶けてしまうと同時に下を引っ込め、それから少し名残惜しそうな表情をして暗い道をずっと見つめていた。
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―
「なぁ、沙夜姉」
「ん~、なぁに?」
俺は茶屋を出てから暫く暗くなった商店街を歩いているのだが、さっきから気になっていることを横にいる沙夜姉に尋ねた。
「なんで、さっきから琳は怒ってんだ?」
「あー……」
俺の数歩前で、琳は腕を大きく前後に振りながら頬を膨らませて一切こちらを向かず歩いている。いや、あれは"歩いている"のか、"歩くふりをしている"のか分からないが、とりあえず足を前後に動かしているので本人は歩いているつもりなのだろう。
「なんでだろうねぇ……」
「沙夜姉も分からない?」
沙夜姉は、顔を横に振りながら両手を左右に広げて肩をすくめた。
「そうか……」
琳の機嫌が悪くなったのは、俺達が外に出てからだった。叶実と言い合いをしていて、琳に言い過ぎだと止められた際からあの調子である。別に琳に何かした覚えはないが、あんな怒り方をしたのは初めてで原因が分からない。
「あ、多分だけど、ふてくされてるんじゃない?」
急に思い出したかのような声を上げて、沙夜姉が話す。
「ふてくされる?」
「昔、上様に構ってもらえなかった時にあんな感じで怒ったことがあったのを思い出したわ」
「あー……、確かに、今日一日あまり琳のこと構ってやれてなかったなぁ」
俺は手を頭に当てて掻きながら、今日のことを思い出す。
「なぁ、琳?」
俺は恐る恐る、前を歩く琳に声を掛ける。
「なんですか」
琳は立ち止まって、顔を横に向け眼だけでこちらを見ながら冷めた声で答えた。
「そんな怒るなって。仕事だったんだし、構ってやれなかったのは謝るよ」
「ふーんだ。殿は叶実さんと随分仲良くなったようですし、私が居なくてもよかったでしょうねっ」
琳は眼を紅くして、頬を膨らませたままムッとした顔を前に向けた。
「俺達、そんなに仲良く見えたか?」
「見えましたっ!」
琳はそう大声で答えると、さっさと前を歩いて行ってしまった。
「あ、あー……」
俺は思わず腕を伸ばして琳を止めようとするが、そんなことを琳は知らずにどんどんと商店街を進んでいってしまう。横に浮いている沙夜姉に首を回して助けを求めようとするが、
「こりゃダメだね」
と答え、沙夜姉も完全にお手上げのようでさじを投げたような表情をしていた。
それから、家に着いた後俺は琳の前に正座させられて、日が昇るまで延々と愚痴を聞かされ続けたのであった……。
――……。
――……。
――……。
「んで、なんでそんなに眠たそうなの?」
俺が作った幽霊退治の報告書を片手に持ちながら、正面に座っている店長は対面に立っている俺の顔をまじまじと見つめる。
あれから結局一睡もできぬまま、俺は朝一で事務所に行き報告書をつくった。睡眠不足なため、報告書に何を描いたかほとんど覚えていなかったのだが、実際にあった事(叶実達と沙夜姉のことは隠しながら、それっぽく幽霊は退治したと偽装した)を書けていれば問題ないので多分大丈夫だろう。
因みに、琳と沙夜姉は俺の家でお留守番をさせている。沙夜姉が「面倒は見ててあげるから、行ってらっしゃい」と言ってくれて、俺は久しぶりにひとり身になって事務所に来ることができた。少し後ろが寂しい気もするが、つい一か月前までは当たり前のことだったのでなにか変な気分である。
「ふわぁ~ぁ……昨日から一睡もしてねぇんだよ。そりゃあもう、大変だったんだから」
俺は口に手のひらを当てて、大きなあくびをしながらかったるそうに答える。
「ふぅ~ん。まぁ、報告書に不備はないようだし、きちんとやってきてくれたんなら良しとしようか。よくやってくれたな」
店長は正面を向いて、自分の机に置いてある報告書を依頼情報の入ったファイルに入れながら、微笑みを浮かべて賞賛の言葉を送ってくれた。
「そんで、その肩の怪我はどうしたのかな~ぁ?」
俺の右腕の半袖シャツから見える包帯を指さしながら、店長が尋ねる。
「あー……いや、古い洋館だったもんで、木の板が腐ってたところに足突っ込んじまって……」
「プフッ、ダッセぇ」
店長は吹き出し笑いをして、満面の笑みで俺の怪我をバカにしてきた。
「う、うるせぇ! 名誉の負傷ってやつだ!」
「名誉の負傷なら残しておいた方がいいだろうけど、辛いなら治療費出そうかぁ?」
「要らんわ! こんなの、唾付けときゃ治るし!」
店長のからかいに俺はまんまと踊らされて、貴重な治療費をみすみす逃してしまった。後になって冷静に考えると、あれは間違った判断だったと思う。
「でも、無事に帰ってきてくれてよかったわ」
「マ、マリエさん……」
頭に血が上っている俺の肩をポンと叩き、マリエさんが優しく声を掛けてきてくれる。
「こういうのは本当なら私がやった方がいいのに、受けてくれてありがとうね」
マリエさんは笑顔で感謝の言葉を送ってくれる。机の上に置いてあるカップには、キャラメルソースのかかったラテが淹れられていて、それが示す意味は"安心、感謝、幸福な気持ち"だったはず。心の底から、感謝の気持ちを伝えられているらしい。
「あ、いえ、苦手ならしょうがないですよ。実際危なかった場面はいっぱいありましたし、マリエさんに何かあったら俺……」
そこまで言って、俺はハッと我に返り口を閉じた。勢いでとんでもないことを言いそうになってしまったのだ。眠たすぎて思考がよく回らない中、気を緩めれば何を言い出すか分かったものじゃない。
「ん? どうしたの?」
「あ、いえ、何でもないです!」
マリエさんが不思議そうに俺の顔を覗いてくるも、俺は必死になって首を振り否定する。
「ほっほ~ぅ?」
と、その様子を自分の机から見ていた店長が、顎に手を付け何やら不敵な笑みを浮かべて俺を見る。
「な、なんだよ店長」
「いんやぁ? なんでもないよ~ぉ?」
店長は明らかに何か変なことを考えている、そんな感じの語尾が上がるイントネーションで答える。
「絶対変なこと考えてるだろ」
「いやぁ、なんだろうね~ぇ?」
いやらしい顔つきで、「ムフフフ」と薄気味悪く笑う店長が非常に腹立たしいが、今の俺にこれ以上言い争う力は残っていない。
「はぁ……もう帰る」
やつれ顔になりながらも、俺は弱々しく答えた。もう眠さが限界だったのだ。
「おう、お疲れさん」
「その、色々お大事にね?」
店長は去っていく俺の後ろ姿に手を振り、マリエさんは肩と顔色を心配してくれる。
「あ、ありがとうございます……」
俺が出入り口のドアに手をかけた時、後ろから「あ、そうだ」と店長の声が聞こえた。
「明日は待ちに待った日だぞ~。今月は期待していいぜ~」
と、店長が声を大きくして俺の背中に向けて話す。一瞬何のことかわからなかったが、ちょっと立ち止まって考え、ようやく脳裏に思いついたのは、
「あ~……給料日かぁ……」
そう、喉から手が出るほど待ち望んでいた給料日だ。しかし、今の俺には給料よりも睡眠時間の方が必要だったので、それを聞いてもあまりピンと来ていなかった。
意識がおぼろげになりながらもドアを開け放つと、夏の暑い空気が体中にまとわりついてくるが、今の俺にはそれさえも感覚としてはあまり感じられなかった。それほどまでに疲れ切っていて、眠かったのだ。
雅稀メモ:早く寝たい……




