其ノ32 一難が去って
「これで良かった訳?」
俺たちのやり取りを窓際から眺めていた叶実が、出雲に向かってボソッとつぶやく。
「良いも何も、被害は出てないんだし、楽に面倒事が片付いて良かったじゃないか」
横で聞いていた出雲が、フフンと鼻を鳴らしながら答える。
「そうだけど、私たちの仕事は?」
「封印するのも大事だけど、こうやって幽霊が更生していくのを手助けするのも、オイラ達陰陽師の仕事だと思うな」
「よくわかんないわ……」
「今にわかるさ」
叶実は未だ色々整理がつかず不服そうな顔をしているものの、今自身の目の前で起こっている事を否定することが出来ず、ただ何も言わずにじっと三人を見つめていた。
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「さて、これで一件落着だね!」
奥で一部始終を見ていた出雲が声を上げた。
俺は樒さんと握手を交わしているものの、心の中ではまだ不服な気持ちが残っていた。ただでさえ厄介な幽霊がうちにはいるのにまた数が増えてしまって、これからどうすればいいのか全く見通しが付かないからだ。
「落着してねぇよ……」
ため息交じりに力なくつぶやく俺の腕の先では、樒さんがさも嬉しそうな表情で俺を見つめていて、しっかりと繋いだ手を放そうとしてくれない。
「良かったですね! 樒さん!」
横から琳が樒さんに駆け寄ってきて声を掛ける。
「みっちゃん――じゃなかった、琳のおかげよ。ありがとうね!」
樒さんは琳に顔を向けると、俺の手を放してもう片方の腕で琳を抱き寄せ、またあの熱い頬擦りをし始める。
「うぅ~っ」
相変わらずの情熱的な頬擦りに嫌がりつつも、先ほどとは違いくすぐったそうな表情は柔らかく嬉しそうだった。
琳のこんな笑顔を見るのは何時ぶりだっただろうか。ここ最近はずっと仕事や自分のことが頭の中を大きく占めていて、琳の顔をロクに見れていなかったのかもしれない。月夜に照らされて昼間みたいにはっきりとは見えないものの、その輝くような笑みは俺の心の中に不思議と安堵感を生み出してくれる。これからの生活の不安よりも、今こうして琳が笑っていることの方が大事だと無意識に思ってしまうくらい。
俺はやれやれと両腕を後ろに回して足を投げ出すと、疲れをにじませつつも琳と樒さんのやり取りをまるで母親のような気持ちで眺めていた。
「あーもうっ、やってらんないわっ!」
叶実は大きくため息を吐いてから自身の髪を右腕で払い、少し怒ったように声を上げた。
「結局見つかった幽霊は何の悪さもしてないようだし、私たちのほかに同業者もいてそれがまさかの幽霊で、でも私たちはどちらも封印、成仏出来ず終い。これじゃ何のためにここに来たのかわかりゃしないわっ」
そう言いながらプリプリとフグみたいに頬を膨らませながら、俺達に愚痴をこぼしてくる。
「そういやそうだったな。悪いな、お前たちの仕事取っちまって」
丁度俺の背後に立っている叶実へ、首だけ後ろに倒して謝る。
「ほんと、いい迷惑よ! でも……」
叶実は俺に向けていた鋭い視線をフッと緩めて目線を上げ、奥の幽霊二人を見つめる。
「こんなの見せられたら、封印なんて出来ないじゃない……」
俺も叶実につられて首を起こし、改めて二人が仲睦まじくじゃれ合っている様子を伺う。
「なんだ、お前も案外人情あるんじゃん」
「アンタ、アタシを何だと思っているのよ」
叶実は腕を組んで、俺の評価が不服だというように強く返す。
「生身の人間にも無慈悲に針ブン投げてくる野蛮人」
「な、なんでっ!?」
「だって本当のことだろ?」
「そ、その話はさっき終わったでしょっ!」
ズカズカと足音を鳴らしながら俺の傍まで寄ってきて、自身の失態をまた掘り返されたことに腹を立て言葉を荒げる。
「はいはい、そーでしたね」
叶実の怒った顔が間近に迫ってきても、軽く鼻で笑ってやって返す。
「――ッ!! あーもうっ、アタシ、アンタ嫌い!」
フンッと一言声を上げて、近づけていた顔を反対に向ける。
「俺も嫌いだよ、あんな物騒なもの投げてくる奴なんて。もうちっと大人しくすればモテそうなのに――」
言い終えた瞬間に俺の右頬に衝撃と痛みが走る。一瞬のことに目から火花が散り、正面を眺めていた視界が歪んだ。
「ぐっ!」
直ぐに辺りを見回して痛みの原因を探りながら右頬に手を添える。まだジンジンと痛みが続いており、少し腫れもありそうだ。
その正体は叶実の平手だったらしく、俺のすぐ横で膝立ちになり顔を真っ赤にして右手を体の前で構えていた。
「ア、アンタっ、最っ低のタラシね!」
「は、はぁ!? なんで俺がタラシなんだよ!」
叶実は声を荒げて俺を罵倒し続ける。その表情は怒りと、少しの照れが見え隠れしているようだった。
「さっきは幽霊に欲情してたし、今は私を口説こうとするしっ! ほんとサイテー!!」
「してねぇっ!! あ、いや、ちょっとしたかも……」
「ほらやっぱり!」
叶実は、変質者を見るような蔑んだ眼差しで睨む。
「いや、でもお前なんかを口説こうなんざ微塵も思っちゃいねぇよ!」
「な、なんかって何よ! このスケベ! 変態!」
「うるせぇっ! ポンコツ陰陽師!」
「二人は仲がいいねぇ」
お互い猛犬のように歯を剥いて唸り合っている姿を見かねて、出雲が俺たちの間に割って入ってきた。
『どこがだっ(よっ)!!』
偶然、出雲に振り向いた俺と叶実の声が重なる。
「そういうところさ~」
出雲もやれやれと首を横に振って呆れた態度を示す。
「……ッ!!」
「うっ……」
お互い同時に声を発し、それからほぼ同時に我に返って起きた事態を理解する。叶実は顔を赤くして恥ずかしさを露呈させ、俺はどんな顔をしていいか分からず視線を彷徨わせる。
二人の間に微妙な空気が流れ始めるが、先に壊したのは叶実だった。
「ア、アタシもう行くから!」
表情を見せないように前髪で隠しながら、吐き捨てるように早口で話しながら素早く立ち上がる。
「あ、おいっ」
俺もついつられてその場に立ち上がり、後ろを向いて去ろうとする叶実を引き留める。
「なによ」
叶実は歩き出そうとしていたところに声を掛けられて、前に出した足を引っ込め首を少しこちらに向ける。さっきまで荒げていた声色はもう落ち着きを取り戻していて、最初に見た時のような冷たく鋭い目線で俺を睨む。
「あ、いや……」
俺もなんで今叶実を引き留めたのか理解できていなく、なぜか咄嗟に口から言葉だけが出てしまい頭の中で収集が付かなくなっていた。よって、その先の言葉が出てこない。
「もう私の仕事は無くなったみたいだし、ここに長居する理由もないわ。だったら早く帰らせてもらうわよ」
「あ、あぁ、そうだな。悪い……」
「……フン。行くわよ出雲」
「もう行くの? オイラとしては面白そうだからもう少しこの場に居たいんだけど」
出雲が珍しく、叶実の命令に対して自分の欲求を優先させたいと逆らった。
「アンタは式神だからいいんでしょうけど、アタシは明日学校なの。疲れたから早く寝たいのよ」
「はいはい、わかりましたよ~」
キッと鋭く睨まれた出雲もそれ以上駄々をこねることはなく、渋々と言うように命令を承諾した。式神でもあの鋭い視線にはかなわないってことなのだろうか。
叶実は先にスタスタと扉に向かって歩いて行き、出雲も暫く後ろに着いて行っていたが、中央まで行くとくるっと向きを変えて俺の方を向いた。俺も見送るつもりではなかったのだが、机の前まで出ていきその姿を眺めていたので自然と視線が合う。
「出雲?」
叶実は出雲が後ろをついてこなくなったのを不思議そうに、立ち止まり振り返って問いかける。出雲は叶実の問いかけに対し、もう少しだけ許してと言いたげに顔だけ向けて返すとすぐまた俺の方を向く。
「それじゃあ、今度は本当にサヨナラさ」
「出来ればもう二度と会いたくはねぇが」
「フフッ、それはキミの行い次第さ~」
「行いねぇ。俺は怨霊になるつもりはないから安心しな。それと……」
俺はふと首を横に向けて、今も尚再会の喜びを分かち合っている二人の幽霊を見つめる。
「あの二人は人に害を加えない。俺が見張ってるからな」
「そうだね。幽霊の"愛人"だもんねっ!」
「愛人じゃねぇ!!」
出雲の茶化しにムッとした顔で返すと、出雲はそれすらも計算済みと言うように含み笑いをして、「そういことにしておくさ~」と小馬鹿にしたように答えた。
「それから……日戸、だったか」
「叶実でいいわ、名字で呼ばれるの慣れないから。で、なによ」
名字で呼ばれたことに少し眼を伏せるが、すぐにまた強気の姿勢を取り戻して俺と対峙する。
「あまり暴れて物壊すなよな。その針、ちゃんと修行してから使ったほうがいいんじゃね?」
辺りをぐるりと見回しながら、室内の悲惨さを考える。見ると綺麗に立っていたガラス戸は全て砕け散っていて、柱や壁にも無数の術針が刺さったままになっていた。そういえば、こいつらを回収しないで帰るつもりだったのだろうか?
「あと、針片付けてから帰れよな? こんだけ壊しといて片付けもしないのは、流石に人としてどうかと思わ」
「いちいちうっさいわね! 細かい男はモテないわよ?」
「細かくねぇ。あと当然のことだろ。片付けできない女の方がモテないんじゃね?」
「キーッ! まったくっ!」
奇声を上げつつ俺を威嚇するも、その華奢な身体を宙に舞わせて、あっという間に散らばって刺さっている針を全て回収していった。さっき樒さんと戦っていた(?)時にも感じたが、その細い四肢からは想像がつかないほどの運動神経の持ち主らしく、俺がジャンプしても届かないであろう天井にもやすやすと手を付けることができている。
息切れ一つ起こさずに素早く術針を回収し、またもとに位置に飛び降りてからキッと俺を睨みつけて、
「これでいいんでしょっ!?」
無い胸を堂々と張って、片手いっぱいに握られた術針を見せつけてきた。
「ほー、よくできましたー」
俺は胸の前で手を叩き、全く心の籠ってないロボットのようなトーンで叶実を褒めた。
「なんっかイラつくわね」
「褒めてんだ、文句あっか?」
「その言い方に文句があるわよっ!」
叶実は、眉間にしわを寄せて声を張る。
「いちいちうるせぇなぁ。細かい女は嫌われるぞ?」
「ムキーーーッッッ!!」
叶実はつい数分前に自分が言い放った言葉をまんま利用した皮肉を返されて、頭に来たのかその場で地団太を踏んでその怒りを発散させる。
「おいおい、そんなに床踏むなよ。ボロいんだから抜けるぞ?」
「うっさいうっさいうっさーーーいっ!!!」
俺の忠告なんて全く耳に入っていない様子で、さらに踏む足に力を込めていく。踏まれる床はと言うと、ギシギシと悲痛な音を立てて叶実のストレスを全身で受け止めている。
が、その老躯にも流石に限界が来たようで、叶実が思いっきり踏み込んだ拍子にバキッと大きな音を立てて床板が抜けた。
「あッ……!?」
「なッ!?」
「あ……」
一瞬のうちに叶実は俺と出雲の目の前から姿を消す。出雲も驚きのあまり空中で動かなくなってしまっていて、呼び声も出せてない。
「お、おいっ!」
俺はすぐに穴の開いた場所に駆け寄っていき、体勢を落として大きくあいた穴の周辺を見渡す。木くずとホコリが辺りを舞っていて視界が悪く、のどや鼻に入り込んできて息苦しい。
「ぐぅ……」
「叶実っ! いるのか!?」
かすかに声が聞こえた方を見ると、穴の縁から少し伸びた木の板に小さな手でしがみついているのが見え、その下には叶実の姿がぶら下がっていた。
「ふぅ、焦ったぜ……」
俺は取りあえず叶実が下に落ちてないことを確認し、ほっと胸をなでおろし息を吐く。
「あぐっ……」
「おい、手、取れるか?」
俺は、穴の中にぶら下がっている叶実に向けて右腕を伸ばす。距離的にはそこまで遠くはなく、俺が屈んで手を伸ばせば顔の辺りまでは届いている。
「ア、アンタ……なんでっ……」
叶実がこちらに気づき、さっきまでとは打って違い弱々しく途切れ途切れに言葉をつなぐ。
「なんでもクソもあるか。ホラっ、手掴まれ」
叶実の顔の横で右手を振って見せる。叶実はチラリとその手を横目で見るも、表情を更に険しくしていくだけですぐにそっぽを向いてしまった。
「なんで、アンタなんかの手を……」
「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと掴まれ! こっちからじゃ届かないんだよ!」
精一杯伸ばしても顔の横までが関の山であるため、叶実を引き上げるには彼女の協力が必要不可欠だ。しかし叶実はそれを分かっていながら俺の救援を断る。
「ア、アンタなんかに助けてもらわなくても、これくらい平気なんだかっ、らッ……あうっ!」
叶実が俺の手を無視して自身の細い腕に力を入れた途端、支えになっている木の板が斜めに傾き入れられた力が抜けていく。板がズレた拍子に掴んでいた手の握力までも抜けてしまったらしく、斜めに傾いた板の先端の方に手がずり落ちてしまった。
いくら運動神経がいいとは言っても、細い片腕一本だけで全体重を支えている上、この不安定な場所から這い上がってくるだけの力はもう残っていないのだろう。先のいざこざやさっき術針を回収したときに、大分余力を出してしまったことがここに来て裏目に出てしまった。
叶実は今にも折れてしまいそうな床板の先端に必死になってしがみつき、その険しい表情が事態の悪化で一層濃くなっていく。
「ほら、言わんこっちゃない。意地張ってないでさっさと掴まれ」
さっきより少し遠ざかってしまった叶実に、身体を伏せてもう一度腕を伸ばす。顔の横から顔の手前まで離れてしまい、このままでは掴めず落ちて行ってしまうだろう。俺の方もこれ以上前のめりになるとつられて落ちてしまいそうなので、もう腕を伸ばすことができない。
「くぅぅっ……」
叶実は未だに俺を頼ろうとはせず、自分一人の力でどうにかしようとしているようだった。
「カナミ、頑なになるのは分かるけど今の自分の状況をよく見てみなよ。それほど意固地になれるほど余裕あるの?」
出雲が俺の反対側から穴の中を覗き、強情にむくれて板にぶら下がっている叶実へ冷静になれと諭す。
「んぐっ……」
叶実は出雲に諭されて、下を向いて口ごもってしまった。口ではああは言ってても流石にこの状況がどれだけヤバいのかはわかるようだ。
「ほらっ!」
「~~~ッ!! わかったわよっ!!」
歯ぎしりをしながら我慢していた叶実は大声で捨て台詞を吐きつけ、だらんと垂れさがっていた左腕を思い切り振り上げて俺の差し出す右腕を強引に掴む。その勢いが身体を支えていた床板を押し付け、手を取るとほぼ同時に根元からぽっきりと折れてしまい、瞬間俺の腕に叶実の全体重がのしかかる。
「おうっぐっ!」
「あうっ!」
折れた床板は叶実の手から離れ、真っ逆さまに下の階へと落ちていった。俺達の居る執務室は二階の西棟で、この下には確か厨房があったはずだ。さらに一階と二階とは他よりも高く天井が造られており、ただ落ちて尻餅をついて終わるほどの高さではない。
叶実の全体重を右腕だけで支えるも、絶対に落としてはいけないという強い使命感が芽生えたような気がした。見た目は華奢なくせに、何故か今はとても重く感じる。
「あ、あぁ……」
叶実は左手で俺の右手に掴まっているだけで、その身体は空中に宙ぶらりんになっている。下の階の厨房は暗くて良く見えないため、底なしの大穴が足元に広がっているように見えているのだろう。床板が落ちていく際に下を見てしまったことによる恐怖と不安で、いつもの強気な発言が鳴りを潜めて喉の奥底に控えられてしまっている。
「ぐっ……暴れるなよっ……」
俺はだらりと力なく動かなくなった叶実を、床に腹を付け這うようにして支える。しかし、人間二人を支えられるほど俺の下の板もそう長くは持たないだろう。俺の腹の下の床板も徐々に軋み始めていて、この場所の持つタイムリミットを刻んでいく。
「殿っ!!」
「雅稀っ!!」
俺がこの後どうしようか思考をめぐらせていた時、ふいに後ろから聞き覚えのある二つの声が飛んできた。
「琳っ……樒さんっ……」
俺は顔は向けられなくとも、その声の主の名を歯を食いしばりながら呼ぶ。
「こっちだ! 早く!」
出雲の呼びかけに大穴の傍に琳と樒さんが飛んでくる。今の今まで何をしてたのかと問いただしたくなったが、今はそんなことより叶実を引っ張り上げる方が先決だ。
「殿っ! お怪我はっ!?」
「俺は平気だっ。それより引っ張り上げるのを手伝えっ!」
「は、はいっ! でもどうすれば……」
琳は勢いよく返事をするも、俺を助ける案までは持っていなかったようだ。穴と俺を交互に見てあたふたとしてしまっている。
確か、琳の身体は俺のご先祖様の家系にしか触れないって言っていたはずだ。だから物理的に琳が俺の身体を引っ張る以外に出来ることはないのだが、琳の加勢が加わったことで引き上げられるとはぶっちゃけ思えない。叶実一人ならともかく、俺ごと引っ張って安全なところにまで運ぶのは無理がある。出雲も身体が小さすぎるため戦力には数えられない。そして樒さんの能力は未知数である。この場合、一番安全に救出する方法は――……、
「雅稀!」
急に樒さんが真剣な眼差しで俺を呼ぶ。
「わたしに考えがあるわ!」




