其ノ31 小さな女の子と大きな女性
「ど、どうって言われても……」
いきなり不意を突かれた質問が飛んできて、俺は何も考えていなかったため言葉がどもる。
「何も悪いことしてないんだよな?」
「はい、先ほど申した通りです。わたくしは呪いや殺生は一切行っておりません」
幽霊は先ほどまでのひょうひょうとした態度から一変して、俺に敬意を払いながら話すようになった。頭を少し下げ、目を閉じ手を身体の前で重なり合わせながら自身の身の潔白を告白する。
「まぁ、こんなとこに来たのも羊羹食いたかっただけのようだしな」
「お恥ずかしながら……」
幽霊は、少し顔を赤くして照れながら話す。
「って言ってるけど、お前達はどうすんの?」
叶実が使い物にならない今、それを判断して答えられるのは一人しかいないと思ったので、俺の背後に浮かんでいる出雲に言葉を投げかける。
「う~ん、陰陽師としては町中を彷徨う幽霊も封印対象なのだけれど、見たところ悪さはしてないようだしね~」
出雲も少し考えるそぶりを見せて、小さな前足を頭の方に持ち上げて考え込む。
「でもやっぱり幽霊なんだし、町の人も迷惑してるって言うなら……」
「キミがそういうならオイラは止めはしないさ。もとよりそれがオイラ達の仕事でもあるからね」
考えつつもチラリと幽霊の方を見る。幽霊は俺の顔が向かれると同時に少し悲しそうな顔をした。
「封印、するのですか?」
ふいに横から、つぶやくような小さな声が聞こえた。
「樒さん、何も悪いことしていないのにですか?」
「り、琳……」
見ると琳が、眉間にシワを寄せ顔に怒りを露にして俺を真っすぐ見つめている。
「確かに町の人は樒さんを見て怖いと思ったかもしれません。ですが樒さん自身は何も悪さをしてませんし、樒さんも多くの人に見られて嫌な気分だと言っています。それを一方的に、"幽霊だから悪い"と決めつけて封印するなんて殿らしくありません!」
琳は大きな瞳を紅く染め、瞼にうっすら涙を浮かべながら俺に強く訴える。
「い、いや、しかしなぁ、俺らにとっても仕事として受けちまっている以上、無害なので野放しにしましたって報告はできないし……」
「あぁ! ならそこのリンと知り合いのようだし、キミが面倒を見るのは?」
急に閃いたように出雲の眼が見開かれ、前足をポンと叩く。
「は、はぁ!?」
「オイラはぶっちゃけどっちでもいいんだ~。でも悪さをしていないのに封印するのもなにか忍びないし、キミなら幽霊と暮らしている実績があるから大丈夫だよ!」
「な、何を勝手に決めてんだ! ウチは琳だけで精いっぱいなんだよ。今月だってこいつのせいでどれだけ苦労したと思ってんだっ!」
「うぅっ、その節はすみません……」
いつの間にか俺たちの傍まで寄ってきていた琳が、苦虫を舐めたような表情をして謝る。
「まぁまぁいいじゃない。幽霊の一人や二人くらい」
「良くねぇ!!」
他人事のようにさらっと人任せにする出雲に声を荒げると、琳が俺の前に進んできて顔を上げる。
「殿……樒さん悪いことしてませんし、折角会えたのにこのまま封印されてしまうのは悲しいです。どうにかできませんか……?」
潤んだ真紅の瞳で俺を見上げ、幽霊を助けるように懇願する。すると、横にいた幽霊も同じように両足を折って琳の横に着くと床に手を付き俺を見上げて、
「わたくしも僭越ながらお願い申し上げます。どうか、この不束なわたくしめをご子孫様のお傍にお使いさせてくださいませ……」
黒く艶やかに伸びる前髪の合間から、琳よりも小さいがそれでも吸い込まれるような魅力を持つ青漆色の瞳を薄く開いて、潤んだ唇をわずかに震えさせながら俺に助けを求めてきた。床についている腕が胸の下に位置するため、白い着物がはだけてより一層強調させてくる。
「う、ぐっ……」
幼くか弱い少女の幽霊と、豊満な体つきをした大人の女性の幽霊。その二人が今俺の目の前で同時に顔を上げて泣き出しそうな顔をして訴えかけてくる。こんな光景アニメですら滅多にお目に掛かれないだろう。しかも相手は二人とも幽霊、レアケース中のレアケースだ。
「~~~ッッッ!!!」
心の中がかき乱されるような感覚が続く。しっかりと意志の籠った真紅の瞳と、今にも消え入りそうなくらい淡く輝く青漆の瞳を向けられて、片方はあどけない女の子の幽霊、もう片方は大人の色気を存分に醸し出している女性の幽霊、この光景を見て心が乱されない健全な男子がこの世にいるだろうか。いや、いないだろう。
「殿……」
「ご子孫様……」
「くぅぅ~~~ッッッ!!」
こんな気持ちは今までに感じたことが無い。心の中で幽霊は成仏すべきだという気持ちと目の前の二人を助けたいという気持ちが鬩ぎあって、ぶつかり合って、戦いあって、でもどちらも一歩も引かず己の意見を主張している。
それに加えてこのかき乱されよう。相手は幽霊だぞ。なのになんでこうも心がドキドキしているのだろうか。俺は健全ないたって普通の男だ。決して幽霊なんぞに欲情するようなことは決してあってはいけない。そう、俺は至って純情で、健全で、おかしな性癖もない、ごく普通の――……、
「……ダメだ」
「えっ?」
ふいに俺の口から声が漏れたのだが、二人の幽霊は上手く聞き取れなかったのか頭の上に疑問符が浮かぶ。
「……やっぱり、ダメだぁぁぁっっっ!!!」
部屋中に響き渡る雄たけびと同時に、俺は頭を両手で押さえ込んで叫び散らし始めた。
「と、殿っ!?」
「どうされましたかっ!?」
二人の幽霊は一瞬のことにビックリしすぎて腰を抜かし、その場で二人とも手を取り合い目を見開いて動けなくなり唖然としてしまっている。
「あちゃあ~、壊れちゃったね」
出雲も苦笑いしながら、目の前の惨事を傍観している。
「ちょ、ちょっと! アンタどうしちゃったのよ!」
叶実も、俺の変わりように困惑の表情をして声を震わす。
「ぐぅわぁぁぁっ! なーんで俺は幽霊に欲情しちまってるんだぁぁぁっ!!!」
「『へっ?』」
「ブフッ!」
女性陣はポカンと口を開けて意味が呑み込めずに目をぱちくりさせ、出雲は思わず笑いを吹き出してしまう。
「さっきからお前は何なんだ! そうやって色気出して俺を誘惑してきやがって! 琳も琳だ! そうやれば俺が断れないのわかってて上目遣いしてきやがって! ロクに女性と付き合ったことのない健全な男子にそうやって身体で誘惑してくんじゃねぇぇぇっっっ!!!」
俺はかき乱されまくった心情を全部ぶちまけるように、二人の幽霊に対して我慢していたことをぶつけた。
「えっ……」
「へっ? ……あぁ」
琳はきょとんとして首を傾げ、幽霊はポカンとして聞いていた顔をおもむろに下げて意味を理解する。見ると、はだけた白い着物の中から豊満なものがチラリと顔を覗かせていた。
「アンタ……最っ低」
「アッハハハハハ!」
叶実は冷ややかな眼で俺を罵倒し、出雲は後ろで二股に分かれた尻尾を振り乱し腹を抱えて笑い転げている。
俺は言い終わってから自分がいかに下品なことを言ったのか冷静になって理解し、急に顔に熱が上ってきて赤くなり恥ずかしくなる。自分の周りにはきょとんとしている女の子、ニヤニヤとこちらを見つめている女性、冷ややかな眼で睨んでくる少女、そして笑い転げる子ぎつね式神。
「な、なんなんだこりゃ……」
もう訳が分からない。この状態、誰か助けてくれ……。
「ご子孫様、助兵衛ですねぇ」
ふいに幽霊の女性が不敵な笑みを浮かべつつ、含みを持った色っぽい声で囁いてくる。
「す、スケベだと!?」
「だってそうじゃありませんか。わたくしを、この幽霊の身体を見て欲情なさったわけですからぁ」
幽霊は顔を赤らめて少し恥ずかしそうに、本来女性に言わせるべきでない言葉を自ら口にする。
「そ、そんなことはッ――」
「今、ご自分でおっしゃいましたよね?」
フフッと笑みを浮かべて俺の胸に人差し指を突き立てた。なんとこいつも幽体なのに、琳と同じく俺に触れることができてしまっている。
幽霊の突き立てた指によって、出かかっていた反論が制止させられ喉の奥に引っ込む。
「うぐっ……」
「もうっ、上様と言いご子孫様といい大胆なのですからぁっ!」
幽霊は頬を赤らめて手を当て、くねくねと腰を動かしながら恥ずかしさを露にする。
「上様もって、ど、どゆこと?」
「樒さんは生前、殿の第一側室でした」
その横で、思い出したかのように平常なトーンで琳が説明する。琳はこの状況を全く理解していないようで、幽霊や俺の態度の変化についてこれてないが俺の問いかけにはいつも通り冷静に答えた。
「そ、側室? ってことは……あ、愛人かぁ!?」
「んもぅ! ご子孫様ったらぁ! 声が大きすぎますぅっ」
何やらとても嬉しそうな表情をして腰の動きが速くなる。
「お、おぅふ……」
俺は身体の力が一気に抜落ちて、膝からその場に崩れ落ちてしまった。
色々考えることが多すぎて、俺の頭の中のCPUは既にキャパオーバーを起こし、オーバーヒート寸前だ。もういっそここから逃げ出して、誰もいない無人島でひっそり余生を過ごしたい気分だった。
「どうやら、答えは最初から決められていたみたいだね!」
笑い転げながら出雲が俺に声を掛ける。
「止めろ……その先を言うんじゃねぇ……」
俺の力ない制止に出雲は聞く耳を持たない。
「キミは生前、マサキのご先祖様の側室で愛人だった訳だ。そしてリンとも生前からの知り合いで、今こうして再び会うことができた。ご先祖様の愛人がこうして世代を経て子孫に出会った今、もうすることは一つしかない」
そこまで言い切って、出雲は呼吸を整える。大きく息を吸って、
「マサキを、この幽霊の愛人に認めよう!」
ズビっと前足を俺に突き出して、大きく宣言をした。
何の権限があって宣言するのかわからないが、それは俺が今一番聞きたくなかった言葉であった。
「えぇっ!?」
意外にも一番驚いているのは琳だった。目を丸く大きく見開いて出雲の宣言に驚愕し、開いた口には饅頭一個くらい余裕に入る大きさの穴が開いている。
「そ、それはどういうことですかっ!?」
琳が出雲に問いただす。
「つまり、キミとマサキと一緒に暮らせるってことさ。最も、彼女は"愛人"として暮らすことになるけどね」
「あい……じん……」
そこまで聞いてからポソリとつぶやき、琳は膝から崩れ落ちている俺の傍にゆっくりと歩み寄ってきた。
「……殿」
「な、なんだよ……」
首だけをもたげて弱々しく返事を返した俺を、琳は上から見下ろす形をとっていた。ゆっくりと琳の口が開き、そして――――、
「"あいじん"って、何ですか?」
瞬間、その場にいた全員がずっこけた。ただ一人を除いて。
「おまっ、知らなかったのかっ!?」
態勢をいち早く立て直して、首を傾げている琳に問い返す。琳は本当に知らないようで、首を傾げ口元に指を当てていた。
「こ、これは予想外さ……」
さしもの出雲もこればっかりは予測できていなかったのだろう、尻尾は垂れ下がり呆れてものが言えないようだった。
「ア、アンタねぇ……」
すっかり影の薄くなっている叶実も、琳のバカげた問いかけにそれ以上言葉が続かない。
「愛人っていうのはねぇ?」
急に言葉が上から降ってきたかと思うと、幽霊の女性が満面の笑みをして俺たちの横に立ち上に顔を置いていた。
「昔で言うところの側室、今では愛人。それはつまり恋b――」
「それ以上言うなぁぁぁっ!!!」
自慢気に説明を始めた幽霊に向かって俺はとっさに飛び立つと、幽霊が言葉を口に出す前に必死に塞いだ。さっき俺に触れてきたということは、逆を返せば俺も幽霊に触れられるということであるため、しっかり口を塞いで言葉をとどめることができた。
「んぐっ!」
「ゼーっ、ハーっ、ハー……それ以上言うな。わかったな?」
俺は息切れを起こしながらも幽霊の顔の横に自身の顔を近づけ、耳元で低い声色でささやく。言い終わってから幽霊は目をぱちくりと瞬きさせ、言葉を理解したと言うように首を倒して頷いた。
俺はそれを感じ取ってから、ゆっくりと口から手を外す。体勢をどかす際俺の顔に幽霊の髪がかかり、柑橘系の香りがかすかに鼻腔をつついた。
「殿?」
琳は尚も不思議そうに俺たちの行動を見つめていた。幽霊は俺に言葉を制止されていたので、いびつな笑みを浮かべたまま何も口に出してこなかった。
「あ、いや、何でもないんだ。気にするな」
「えーっ、気になりますよーぅ」
琳は少し不機嫌そうな顔をして、濁そうとする俺を許してくれない。
「"あいじん"って何ですか~?」
琳は眉間にシワを寄せたまま、さっき質問して答えてもらえなかったことをもう一度問う。
「あ、えーっと、そうだなぁ……」
回答を濁そうにも琳の紅い瞳がそれを許さないし、他の連中に頼りたくても助けてくれる奴はいない。
出雲と叶実は離れたところで俺の答えを待っているし、そこの幽霊は信頼できない。となると、必然的に俺しか答える人がいないわけで。
俺は暫く琳と目線を合わせないように彷徨わながら、必死に納得してもらえるような言い訳を考える。
「…………家族、みたいなものかな」
結局、必死に考えて出たのがそれだった。自分でも何を口走ったのか半分理解できてない。しかし、取り返しのつかないことを言ったということはなんとなく感じていた。
「家族、ですか?」
琳も今一つ腑に落ちていない表情をしているが、それもすぐに引っ込んでしまいパアッと顔色を明るくして、
「で、ではっ! 樒さんと一緒に暮らせるのですか!?」
「あ、えっと……」
「"愛人"とは"家族"なのですよね? 家族なら同じ屋根の下で暮らすのが道理です!」
「う、うぐっ……」
琳に言い寄られてしまい俺も後がなくなる。チラリと部屋の奥を見ると、叶実は何を言い出してんだコイツと言わんばかりに目を点にし口を開けて絶句していて、出雲は今にも爆発しそうな笑みを必死にこらえるように空中で悶えていて、俺のすぐ横では眼を輝かせて白い着物の幽霊が言葉を待っている。
これはもう、引くに引けない状況になってしまっているらしい。全く、琳と言い側室の幽霊と言い、俺のご先祖様は生前一体何をしていたのだろうか。こんな面倒事を子孫に残すなんて、恨んでも恨みきれないくらいに恨みたい。いっそ俺が怨霊になってご先祖様呪ってやろうか。
「殿っ!」
「……ッ! あーもうっ! 好きにしろっ!」
俺はやけくそになって言ってしまった。もう考えたくないというのが本音だったのだが、選択権を放棄してすべての権限を琳に擦り付ける。
「――ッ!! で、ではっ!?」
「お前が決めろ。俺はもう考えたくない」
そういって俺は琳と幽霊を視界に入れたくなかったため、腕を組んでそっぽを向いた。
琳は眼を閉じて深く息を吸って大きく吐いたのち、立ち上がって幽霊の方を向く。そして――――、
「樒さん、殿の屋敷で一緒に住みましょう!」
飛び切りの笑顔で幽霊に告げた。
「はぁ~~~ぁ」
俺は琳の言葉を聞いてから、そっぽを向いたまま深くため息をつく。
「みっちゃん……ありがとう!」
「今は"琳"ですっ!」
「フフッ、そうだったわね」
幽霊は琳に笑みを返すと、今度は俺の方に近寄ってきた。俺はあぐらをかいて腕を組み、相変わらず幽霊の顔を見ようとはしないでいる。
「ご子孫様。今後とも、わたくし共々お世話になりますゆえ、よろしくお願い申し上げます」
そういいながら、床に膝と手を付いて深々と礼をしてきた。
「……三つ、条件がある」
俺は目線だけ幽霊の方に向けて声を掛ける。幽霊は眼を閉じながら少し顔を上げ、かすかに微笑みを浮かべる。
「はい。なんなりと」
「一つ、俺はご子孫様じゃない、家城雅稀だ。お前たちの知っている殿や上様じゃない。それをよく覚えておけ。二つ、その堅苦しい喋り方やめろ。さっき琳と話していたみたいにもっと砕けていていい。三つ、俺はお前の愛人じゃない。だから間違っても変な気は起こすなよ? 以上三点、守れるか?」
俺は指を折りながら条件を突き付ける。本当はこんな条件出したって家に置きたくはないのだが、せめてこれ以上事態が悪い方向に向かないためにも、今できる最低限の歯止めを打っておかねばならない。
「ご子孫様――いえ、雅稀様がそうおっしゃるのなら」
そう前置いてから一度咳払いをして姿勢を整え、
「改めまして、私は樒沙夜子と言います。これからよろしくね、雅稀!」
弾けるような微笑みを見せて砕けた自己紹介をし、腕を前に出した。
「いきなりフランクな態度だな」
「これがわたしだもの。実際堅っ苦しい作法とか挨拶とか、昔っから性に合わなくて嫌いだったのよね~」
そう言いながら、綺麗な正座だった足を横に崩して本音を話す。
「まぁ、そっちの方がらしいというかなんというか」
俺は態度の急変した幽霊が出す手に、仕方なしと言うように自身の手を伸ばした。
雅稀メモ:幽霊は琳の知り合いだった
琳メモ:幽霊は樒さんだった