其ノ3 俺の先祖はお殿様(★)
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数分後、俺はなんとか意識を取り戻した後、入りきらなかった情報の把握を急ぐ。一度ショートして再起動した分頭が整理されており、思っていたよりも幾分早く蓄積することができた。しかし、取りあえず今俺に解ることは、これは"夢"ではなく"現実"に起こっていることだということだけ。
「……ふう」
「あのっ……ごめんなさい。いきなりで迷惑でしたよね……」
俺がパンクしたのは自分のせいだと思っている幽霊の少女は、さっきまでの勢いを無くしてすっかり落ち込んでしまい涙ぐんでいる。それは違うと言いたくてもあながち間違ってはいないので、きっぱり否定できるような気も起きない。
「殿が私の封印を解いて助けてくれたと思って、すっごく嬉しくて、ついてきちゃって、えぐっ、だからいつものように寝床に入って、ひぐっ、お話ししたかったっ……グズンっ」
「え、あの、ちょっと、いくらなんでも泣かなくても……」
「昨日の夜に、『寝込みを邪魔するなんて礼儀知らずだ』って言われて、その時、あぁ、この人は殿とは違う人なんだなって気づいて、ひっく、でも、やっぱり会えて嬉しくて、懐かしくて、えっぐ、だからっ……」
だから朝までこの場に留まって俺が起きるのを待っていたというわけか。って、そうじゃなくて! いつものように寝床でってどういう意味だっ! 殿様一体この子になにしてたんだっっっ!!
心の中で一人ノリツッコミをするも、今にも泣きだしそうな幽霊の少女を目の前にして、どうしていいかわからずあたふたしてしまう。取りあえず落ち着かせて話を進めなければ。下手に刺激したら、何をされるか分かったものではない。
と、俺のすぐ横に落ちていた一枚のタオルに手が触れ、ハッとして気が付いた。無意味だろうとわかってはいたもののそれ以外に方法が見当たらず、意を決して傍にあったタオルを拾い幽霊の少女に差し出す。
「と、取りあえず落ち着こうな。ほ、ほら、これ使って!」
「グズン……あ、ありがとうございます……」
その瞬間、俺は今日一番の衝撃的な光景を目の当たりにした。
幽霊であるこの少女が、俺の手渡したタオルをつかみ取りそれを使って顔を拭ったのだ。嘘だ。あり得ない。そんなはずがない。渡した自分も馬鹿だとは思ってたが、目の前で起きている事はそれ以上に馬鹿げていた。
俺はタオルを差し出した手を引っ込めることを忘れて、その光景をただただ呆然と見入ってしまう。幽霊の少女は、自分の涙を渡したタオルで一生懸命ぬぐっていた。
「……んっ……あの、どうかしましたか?」
不意な問いかけに、はっとして我を取り戻す。目をぱちくりさせるが、目の前の光景は何一つとして変わらない。幽霊の少女はタオルを片手に持ち、きょとんと首を傾げて俺の顔をまじまじと見つめていた。
「タオル……さわれるの……?」
「んっ……はい。この布だけじゃなく、私が触れたいと思ったものにはさわれるみたいです……」
あっけにとられる俺に対し、何故か申し訳なさそうにもじもじと体を揺らし小さく答える。
(何なんだこいつ、デタラメだ……)
俺は「そうか……」とだけ答えてフラフラと元の位置に座りなおすと、幽霊の少女はまだ鼻頭を赤くしてはいるものの大分落ち着きを取り戻していたようなので、何とか山場は凌いだように見えた。
しかし、一難去ったところで状況は差して変わっていない。もっと根本的なところから解決させないと、俺の今後が心配である。
目を閉じて、一度大きく深呼吸をして呼吸と気持ちを静める。それからゆっくりと目を開けて、目の前にいる幽霊に真っ直ぐ向き合うと、
「……それで、俺はこれからどうなるの?」
改めて、幽霊の少女に尋ねる。そこのところが、今一番聞きたいことでもあるのだ。
「……えっと、どうなると言いますと?」
「君、幽霊なんでしょ? なんかこう、呪いじゃーとか、祟りじゃーとかあるんじゃないの?」
首を傾げてきょとんとして聞いていた幽霊の少女だが、上を見上げて少し考えた後、
「それはありません。さきほども言いましたけど、今私は幽霊であって怨霊ではないです。誰かを呪おうなんて思ってませんし、殿のご子孫の方をなぜ祟らなければならないのですか?」
「だって、なんか恨みとか持ってそうじゃん。その家来とか父親にとかさ」
「確かに今でも理解できないことはありますけど、祠に封印されている間に色々考えました。お父様は、私が正室としての役目を行うに耐えれないと判断したから、あんな風に決められたのだろうと。あの頃は、私もかなり幼かったから……」
あの頃と言われても、今でも十分幼いんじゃないかと思うくらい容姿は子供っぽかった。幼女とまではいかないが、中学生程度の年齢に見えるし背もさほど大きくはなく、よくいる大人しそうな中学生に綺麗な着物を着せている感じ。一部の大人やその手のものが好きな人にとっては、たまらなくなるほどの幼さが随所に垣間見える。
「だからお父様や家来さんに恨みはありません。むしろ今は感謝しています。偶然にもあの場所に封印されていたおかげで、今こうしてご子孫の方と出会えたのですからっ!」
その顔には先ほどとは打って変わり、輝くような明るい笑みがあふれている。
「左様、ですか……」
幼い見た目の割に考えがしっかりしていて頭が上がらない。これじゃどっちが上やら。
「んで、君はこれからどうするの?」
「そうですね……あっ、私は殿のお屋敷に住みたいです! あの場所は一人じゃ寂しいので……」
「……は、はい?」
斜め上の回答に、再び体勢が崩れる。何を言ってるのかこの幽霊は。
「いや、俺は君の好きだったお殿様じゃないし。ていうか、さっきから"殿"ってなんなの?」
「確かに、私の知っている殿ではありません。それは昨夜のやり取りで分かりました。でもいいんですっ! 殿じゃなくてもご子孫の方なら安心できますしっ!」
呼び方についてもこの子曰く、殿に顔が瓜二つなので"殿"なんだと。んなめちゃくちゃな。
「ダメ、ですか……?」
さっきと同じように瞳を潤ませ、泣き出しそうな顔に上目使いをプラスして懇願してくる。こやつ、なかなかの策士であったか。かの坂本龍馬も、これにはビックリ仰天である。
「あーもうわかった! わかったから泣くな!」
急にパッと顔が晴れ、今度は期待の眼差しで俺を見つめる。
「その代り! 呪いとか祟りとか一切かけないこと! いちいち泣かないこと! あと夜中にベッドに入ってこないこと!」
幽霊の少女は先ほどまでの黄緑色ではなく、キラキラとした紅い色の瞳を俺に向けてコクコクと頷く。その頷き方のわざとらしさに、本当にわかっているのか不安で仕方ない。
「なんてこった……」
まさか幽霊と暮らすことになろうとは夢にも思わなかった。恨むぜご先祖様。
しかしまあ危険はなさそうだし、しばらく様子を見つつ頃合いを見計らって成仏させてやるのがいいだろう。いくらご先祖様の残した物でも幽霊なら俺は余り関わりたくないし、そもそも幽霊はあの世の者だから現世に長居してはいけないと思う。
「これからお世話になりますっ!」
そう言って、幽霊の少女は床に手をついて頭を下げ深々と礼をする。俺は心の中でまだ許してないんだけどなぁとぼやくが、今更白紙には戻せないだろうと半ば諦めに入っていた。
「それで、あの……」
幽霊の少女が、見上げるように上目づかいで俺の顔をのぞく。
「ま、まだ何か?」
「あの……新しい名を頂けませんか?」
「名前? 君の? 生前のでいいじゃん」
「それじゃダメなのですっ」
幽霊の少女は真剣な顔つきで、はっきりと答える。なんでも、生前の名前を持ったままだと怨霊に変化しやすくなってしまうらしいのだ。生前の名を捨てることで、怨霊化の防止になるって陰陽師が言ってたとか。いまいち腑に落ちない点は残るが、元々専門外の分野なのでここは大人しく当事者の意見を尊重しよう。
「そういわれてもなぁ……」
しかし、今まで特にこれと言って名前を付けたことはなく、そんな自分の持つネーミングセンスにも自信はない。だからと言って、変なものをつけてそれが引き金になって祟られたくはない。
部屋中をぐるりと見回していると、ふと目に入った段ボール箱の側面に黄緑色で"王琳"と書いてあるのを見つけた。これは去年、死んだ親父の友人の農家から送られてきたもので、とても甘酸っぱくて美味しかった記憶がある。
「リンゴ、なぁ……」
それを聞いた幽霊の少女は、眼の色を変えて勢いよく机に飛び乗ってきた。
「リンゴっ! リンゴがあるのですかっ!?」
「ちょっ、おまっ、なんだよっ!」
その瞳は熟れたリンゴの如く紅く、ビー玉のようにキラキラと輝いていた。
「お前、リンゴ好きなのか?」
「はいっ! とってもっ!!」
そ、そうなのかと思いながらふと閃く。俺は一度目を閉じて深呼吸をし、それからゆっくり目を見開いて幽霊の少女を見つめる。
「……わかった。それじゃお前の名は"琳"だ」
真っすぐに幽霊の少女へ指さして宣言する。
「り、りん……?」
琳、と名付けた幽霊の少女はポカンとした顔で名前を繰り返す。
「そう、琳。文字は王琳の琳。リンゴのりん。お前の黄緑色の眼のような綺麗な珠のことを琳と言うって、どっかで聞いたことがある。これはお前らしいとは思うんだが、これでどうだ?」
「りん……りん……りん……」
幽霊の少女は、何度も自分につけられた名を口に出す。最初は間の抜けたような顔をしていたが、徐々に瞼に涙を浮かべ口元が緩み始める。
そして――――泣きながら思い切り俺に抱き着いてきた。
「私はっ……琳はっ……いとうれしいですっ……! この名、一生の宝物にしますっ!」
「一生って、お前もう死んでるだろっ!」
俺の突っ込みに、琳と名付けた幽霊は「えへへ~」と緩み切った顔で甘えてきた。流石にこれには勝てる気がしない、と溜息の混じった笑みが自然と顔に出てしまう。子供の、それも幽霊の女の子なんて面倒を見た経験はないからどうしたものかと内心不安で仕方ないが、この笑顔の前ではそんなことも些細な悩みだと思わせてくれるようだ。
「それでは、三ツ姫改め琳、これから殿のお世話になりますっ!」
こうして、俺と幽霊の琳の不思議な関係の生活が始まったのだった。
雅稀メモ:幽霊は本当にいた。